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原神

 命令はないけど旅人を監視することにした。なぜならとっても暇だったから。しかし足跡を辿って砂漠で彼の影に追いついた時、淵上は少し、けっこう、いやかなり後悔した。
 淵上は砂漠が大嫌いだ。常に湿っぽい雨林の次に嫌いだ。日光が死のように地平線の果てまで等しく照りつけるのはいいが、風が吹くのがいけない。体中砂まみれになるし、おちおち日向ぼっこもできない。それに夜になるとすうと静かに、昼間の熱の影も残さず冷たくなるのも好きではない。そもそも、淵上は快適な室内以外あまり好きではない。惹かれるものがない限りは。
 この亡国にもう得るものはない。同じ泥から生まれたものが滅亡の引き金を引いた砂の国であるから、大抵のことは知っている。死者を蘇らせる禁忌にも興味はない。淵上が知りたいのは世界の法則がどこからやってきたかだけだから。
 淵上は転移の網を使って気配を消しつつ旅人の後を追う。彼は学者の旅団に同行しているようだった。護衛は旅人と白い妖精の他に手練の流浪者が二人、冒険者が数人。あとは流浪者の女の方が連れている機械生命。盗み聞きしたところどうやら遺跡の調査をしているらしい。
 果てまで続く広い砂の海。景色も様子も代わり映えせず、目的地にたどり着く前にあっと言う間に夕方が去り夜が訪れる。彼らのキャンプ地から少し離れた崖の上にどこぞの賊の拠点跡があったから、ありがたく拝借した。
 さて、砂漠の夜は信じられないほど寒い。淵上は凍え死にそうだと思いながら枯れ木を折って火をつけた。この日のために炎を操る怪物として新生したのかもしれない。
 生のデーツをもいで齧った。食べられるために育った実ではないから少し硬いし青臭いが、爽やかな甘みと直後に来る顔を顰めるほどの渋みの落差が面白い。砂漠の中でこれだけは唯一好きになれるかもしれない。というか好きにならないと飢死する。本来の姿ならば睡眠も食事もただの娯楽だが、今は人のふりをするしかない、深淵の力は少ししか使えない。旅人に悟られたが最後、枝と彫刻と六百モラを残してお陀仏に決まっているからだ。戦わない、しかない。あえて殺しておかない、なんて甘ったれたことは言えない。旅人から受けた傷は多いが、心臓の部分を狙われたのは未だに完治していない。あの時は茶化したが本当に死にそうだったのだ。彼の方も殺すつもりだったし。
 まあ、そんなことはどうでもいい。
 いずれ世界を去る者と世界の真実の探求者。終点の違う運命はもう交わらない。交わらないように選択している。二度と会うことはないと言った手前顔を出したくないし。再会したとて交わす言葉はもうひとつもないし。けれど彼の顛末は気になるし。
 そう、世界の根源を求める長い道程の暇つぶしに、お前の運命の傍観者になってやろう。
 平行線の運命、いずれ世界そのものの運命と併合するであろう彼の糸。隅から眺めるのは、娯楽には悪くない。
 旅人が立ち上がってどこかへ行った。淵上はすぐに追いかけようとしたが、その足が踏み出されることはなく、その場に留まった。
「どこに行ったのかと思ったら、ここに居たの」
 夜に鈴のように冷たい声が響いた。ひとりでにぱっくり割れた世界の裂け目からと従者を引き連れて淵上の目の前に少女が現れる。
 金の髪に金の瞳を持つ光のような少女。厳しい砂漠には不釣り合いな白色のドレスを着た、可憐な少女。彼女こそ我らが国の姫、世界の法則に反旗を翻す者たちの象徴。
「姫様とあろうお方が私なぞをお探しに?」
「彼を追っていると聞いたから」
 金色の射抜くような彼女の眼差しが、淵上を見据える。
「あえてこう呼ぶけど、『淵上』」
「はい」
「私は、彼の様子を見に行ってほしいなんて一言も言ってない」
「存じております」
「それならどうしてここに居るの?」
「独断で、趣味です」
「……そう」
 淵上は隣の木箱の砂を払って布を敷き、どうぞと差し出すようなジェスチャーをした。姫は座わらず崖の縁に立ち、彼らのキャンプを見下ろした。
「彼に会わなくていいのですか?」
「私達はいずれ再会する。絶対の運命。でもその運命は今じゃいけないの」
「それは。出過ぎたことを申しました、お許しを」
 姫は淵上のわざとらしいほど恭しい態度を一瞥し、キャンプに背を向けて身を翻した。
「あなたが何をしているか分かったから、もう帰る。あなたも早く戻ってきて」
「はい」
「それから、彼に会っても私のことは言わないで。絶対に」
「ええ? はい、仰せのままに」
 そう言い残すと彼女は転移の網を使い、世界の裂け目の中へ消えた。夜に長閑さが戻ったように見えたが、淵上の心はあの霊廟から流れる赤い雲のように、ざわついていた。
 しかし、さて、今度こそ彼を探しに行こうと淵上は思い立ち上がる。しかし再び動きを止めた。止めなければならない、と本能が言った。
 砂埃の中に星と異邦の匂いがかすかに混ざっている。人の気配を感じる。交点は存在し得ないし、終点はここではない、と女神に提言してもそれは消えない。淵上は振り返った。
 運命が笑う。
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