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文アル

 直木は助手席で人差し指のささくれを触っていた、ハンドルを握る菊池の横顔は、街灯の強い光に白く照らされていた。出口が知らない地名になるまで高速道路をでたらめに走らせて、やっと降りたところで青信号を待っていた。
 眼鏡も着替えも買ったばかりのテレビも放ったままここまで来た。飲み物を取ろうとした菊池の右手がドアを叩き、思わず舌打ちをした。適当に借りた車は安いぶん居心地が悪いし、塗装は菊池の好きじゃない色だった。
「悪ぃな、こんなことに付き合わせちまって」
「付き合いなんて言うなよ、アンタに乗っかったのも書かせたのも俺の意志さ」
 直木の炎は誰もを惹き付けるくせに、大衆にはちょっと熱すぎた。道徳と倫理を踏み倒したツケが回った。闇に放り込んだ火炎瓶が投げ返された。ペン一本で世間を引っかき回した悪人の、数日テレビをざわめかせておしまいの最期。花火の終わりはいつもさみしい。直木が何か言葉を続けようとしたが、会話になり損なった子音は青信号とアクセルに巻き込まれて消えた。

「直木、あれ取ってくれ」
「あれ?」
「煙草」
「一本寄越せよ」
 直木は後部座席から菊池のかばんを手繰り寄せ、慣れた手つきで中身を漁る。取り出した煙草を菊池に咥えさせて、もう一本自身の分を抜き取って火を点け、煙る先端を菊池のそれに押し付けた。いわゆるシガーキス。
「出血大サ〜ビスだ」
「俺はもっと婀娜っぽい娘のほうが好きだな」
「恋人の前で他の女の話をする男は嫌われるぜ」
「はは、抜かせ」
 副流煙が街灯とともに遥か後ろへ流れ続ける。
「オレらいつまで逃げられるのかね」
「さあ。飽きたらいつでも言えよ」
「あいつらが飽きるまで逃げ切ってみようぜ」
「バカ言うなよ」
「へへ」
 逃げ切るなんてできないと分かった上での無鉄砲ごっこ。所詮夏休みみたいな逃避行。先延ばしに先延ばしを重ねた見苦しい終わりだと後に語られるだろう。
「まあもう捕まったって文句はないよ。おもしろかったし」
「おもしろかったか?」
「サイアクだったけどな」
 さて、これからどうすっかね。直木は濁った息を吐いた。まるで危機感がない。夢か妄想でなければ間違いなく二人の人生は崖っぷちだった。ただし菊池も普通の倍くらいの人生を生きたので、「さあ……どうするか」とあまり深刻じゃなさそうに相槌を打った。
「なあ、腹減った」
 もう降りようぜ。
 菊池は無言で答えると、さっき通り過ぎたコンビニの方へ向かうつもりでハンドルを切った。街路樹と信号機の立ち並ぶ代わり映えしない道路を尻目に。
 この景色にはもう飽きた。

 コンビニの白い光を菊池は見る。とたん待ち構えていたかのように、フラッシュがもう終わりだと叫んだ。二人は車を降りたところが終点になると知っていたから、大して驚いたそぶりは見せなかった。
 ペンと録音機とカメラが真実を切り抜こうとして二人へ迫る。自分で撒いた油が燃えている、しかし恐ろしくはなかった。直木がカメラに向かって肺の煙を吐いたから、午前八時に流れる映像が決定した。
 まるで芝居のような不敵な振る舞い。だって二人にとってこの世は映画だった。オマエもアンタも全員役者で監督はオレたち。インクと紙だけで全部が面白いように転がった。史実と推測の間に産まれた身体だから、現実が虚構みたいに浮いていた。
 紙を一枚捲った向こうには人間がいたし、いくら虚構に見えても現実は現実だったけど。
 多くの声が彼らを呼んだ。笑えるな、オレたちのほんとうの名前も知らないくせに。直木は菊池にしか聞こえないように囁いた。誰かのほんとうやうそを切り抜いてばらまいた指が焚き付けられる光の雨を遮る。それはきっと見る人が見ればグロテスクな光景だろう。
 しかし、直木の殺したさまざまを知った上で、菊池はその表情を好きだと思った。
 きれいなものに人の心が奪われるくらいなんだ、どうせ長い人生だ。長生きする予定だ。
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