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原神

 流星とはすべて燃え尽きる岩である。
 わずかに熱を帯びた指で、盃のふちをなぞりながら、モラクスはそうこぼした。
 それを聞いた若陀龍王の心には驚きよりも、
「ゆえにすぐ消えてしまうのか」
 と、得心が先立った。
 流星群の時期でもないのに、ひときわ大きな星が、いちどきり降った後の夜更けだった。若陀龍王がモラクスを見下ろすと、白布で隠れた横顔は星空へ向き、尾のような黒髪が背中に沿ってなめらかな線を描いていた。かげにひそむ双眸は、まるで夜を焦がすようにかがやいていた。
「宇宙をただよう岩がふとした拍子で地に引き寄せられたとき、その速度による摩耗に耐えきれず燃え朽ちる今際の光。それが流星だ」
「去ぬときがいっとう眩しいのだな」
 魔神はさまざまなことを知っている。まるで生まれたときから知恵の詰まった箱を持たされていたかのように。
「星と名のつくものはみなそうだ」
 若陀龍王のことばに、モラクスはそう返した。
「天にかがやく星もすべて、死のときには自らを焼きほろぼすほどの光を放つらしい」
 モラクスの伝聞調の言葉に、若陀龍王は、
「貴様でもまだ星の死を見たことがないのか」
 と問いかけた。モラクスは頷いた。
「星の寿命は途轍もないからな。きっと、お前とおなじくらいかそれ以上だろう」
 若陀龍王は、モラクスがこの話を誰から聞かされたのだろうとふしぎに思った。魔神について、親や師に類するものを聞いたことがない。モラクスもひとりで生き延びてきたのだろうか。
 若陀龍王すら目にしたことのない星の終わりを、誰が見て、モラクスに教えたのだろうか。
「ところで、若陀」
 ふいにモラクスが問いかけた。
「もしも流星が地に落ちるまでに燃え尽きなければ、どうなるか知っているか」
「隕石になるのだろう」
「そうだ。衝突した星は地を割り岩を創る」
 モラクスはたわむれに指先で小さな石をすくい、ぱらぱらと地面の上に落としてみた。
「そうして、俺が生まれた」
 モラクスは、あっけらかんと口にした。しかし、わざとらしい平坦さがこもっていた。彼の眷属が社会を形成し、交渉や建前を覚えていくのに比例して、モラクスも軽口を好むようになった。
「冗談だ」
 逆なのかもしれない。と、ときどき若陀龍王は思う。
「しかし、たしかに貴様らしいかもしれない」
「なぜだ?」
「貴様は刹那に消え去るだけのたちではないだろう、モラクス」
 城を海に沈め、村を更地にするくらいでちょうどよい。と、若陀龍王は付け加えた。モラクスは呵々と笑った。言葉遊びだ。
 しかし若陀龍王は、己が口にした冗談であっても、そのように世界をほろぼすモラクスの姿を想像できなかった。むしろこの魔神は、積み上げられた人の歴史の最後の頁に残るであろうと直感した。人が積み上げた何もかもが崩れ落ちたその後に、モラクスは立っている。
「モラクス」
「どうした、若陀」
 それはさみしい光景だったが、若陀龍王はかなしくなかった。
「こうして星を見るとき、となりにいるのが貴様で良かった」
 眼が潰れるほど輝かしい星の、その最期まで目にできるのは、若陀龍王だけだと知っていたからだ。



 月の表面は塵に覆われている。
「だから私のものと言いたいわけではないのよ」
 帰終が言った。
「あなたの驚く顔が見たかっただけ」
 大きな袖を口もとにあてて、帰終はほほえんだ。モラクスは、
「……たしかに意外だった」
 と、やけに神妙に頷いた。
 月がひときわ輝く夜だった。木の葉のひとひらにも、石造りの卓にも、帰終のかんばせにも月光が白く降りそそいでいた。その玲瓏たる光は、朝の納屋で塵が舞うようなかがやきとはまったく結びつかなかったが、この女が言うならば真実だろうとモラクスは思った。
「流れ星。あれも宇宙の塵ね」
 星々が帰終の指先へ向いた。
「埃のように宇宙をさまよう岩塊が、世界の法則に軌道を捻じ曲げられて地へ落ちてくる。けれどその速度、摩擦により火がつき、地表へたどり着く前に燃え尽きるの。それが流星よ」
「岩だったのか」
「炎でもあるわ」
 そして塵よ。と、帰終は鎚のようにたしかな声でつづけた。
「星々すら、空においては芥である。いかなる磐石も、長いときを経て塵に還る」
 帰終は、
「きっとだから私が生まれたんだわ」
 と、ささめいた。その声は運命のようななまなましさを想起させながら、せせらぎのように清廉だった。モラクスは、もしかすると全天も彼女の掌の上かもしれないと空想した。
「私、団子が食べたくなってきた」
 なぜなら浮世のすべても知る女だ。
「団子?」
「ええ。月を見ながら団子を食べるのよ、今日の月みたいに白くて大きくて丸いのがいいわ」
 そう帰終が言ったので、モラクスは月をじっと眺めてみた。しかし塵と団子が同じ月に結びつく心は、まだよくわからなかった。
 それから帰終の気のおもむくままに話はどんどんずれていき、最後はでたらめな星座を作って遊んだ。
「そうね。あそこの星たち、欠けた円のように見えないかしら。それをあの小さい星で蓋をして、マルコシアスの星座にしましょう」
「丸いところしか似ていなくないか」
「いいの、そのくらいで」
 ふと、帰終はモラクスがマルコシアスの容姿を言外に丸いと認めていることに気づいたようで、くすりと笑った。
 それから帰終は、中天に菱形の線を結んで「これがあなたの星座」と言った。素朴な線をモラクスは自分自身に見立てようとしてみたが、これがモラクスに見える帰終の視界のふしぎさのほうが気になってできなかった。そうして今度は帰終を眺めているうちに、
「お前の星座はないのか」
 と、疑問に思い口にした。
「じゃああなたが作ってくれないかしら」
 帰終はほほえみ、言った。モラクスは指先を迷わせながら、夜空に帰終の横顔をなぞった。煌々とかがやく星から埃と見紛うような星までかき集め、線を結ぶ。そうして星座がとうとう天を覆うほどの大きさになったところで、モラクスはふいに手を止めた。
「この空にお前を正しくうつすには、星の数が足りない」
 帰終は笑った。



 星が流れた。渦を貫き、ほんの一瞬きらめいてから消える。
 がらすを経ても聞こえる轟音が、鍾離には女の唸り声に聞こえた。雨がいっそう激しくなった。暴風に吹かれた雨粒が硝子窓に叩きつけられる音。そしてここまで離れてなおいかづちのように光る剣筋。鍾離のすることは、この雨が早く止めと願うくらいである。
 豪雨と荒れ狂う波を見て、過日の渦の魔神による災害を思い出す者もいた。しかし、あのときとの最大の違いを鍾離は知っている。この日立ち向かったのはすべてひと。預言もなく、施しもなく、久遠の生命もなく、また多くは神の一瞥もなく、来たる日に備え積み重ねてきたただびとだ。
 いま一度、彼女の名を冠した、この世界で最も完璧な兵器が矢の雨を降らせる。数千年の時を経た構造が本懐を遂げる。
 かつて帰離の南にて敵を睨みつけ、今は人が明日を開拓するための武器として岸辺に、群玉閣に、戦士たちの目の前に模造品が遍在する。もし、模倣されたそれらを目のあたりにしたならば、彼女はどう言ったろうか。どう感じたろうか。しかし、その答えがなんであろうとかまわない、と鍾離は思った。もはや彼らは、神の手から離れ、輝き走り去ってしまっていいのだ。この国は星の速度に耐えうる。そう鍾離は信じていたから、ここにいた。
 そしてふたたび星が降る。
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