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文アル

 大衆食堂には知らない土地の空気と料理の匂いが立ち込めている。直木と俺は、お冷をちびちびと飲みながら隅のテレビで繰り広げられるサスペンスドラマに見入っていた。

 直木の思いつきで電車で二時間もかけて知らない街に降りて、あちこち散策した。
 海の近い街だ。風からは潮の匂いがしていて、海の形に沿うように道路が通っていた。どこか懐かしいようなごくありふれた街だが、直木が楽しそうだったからまあいいだろう。
 腹が減ったと立ち寄った食堂は昼時らしく混んでいて、俺たちは二人揃ってテレビにぼんやり見入ってあの役が美人だのオレならあのシーンはああするだのくだらない会話に興じていた。
 ……そうしているとようやく生姜焼き定食とちゃんぽんがやって来た。肉の脂が白色の照明を反射している。
「いただきます」
 肉を一口噛みちぎって、固めに炊かれた白米をかきこむ。肉の味は食堂のいつもの生姜焼きよりも甘かった。
「ヒロシそれ美味いか?」
「んー…………結構いけるな」
「ふーん」
 それは全てが建前というわけではなく、遠くで食べる飯はなぜか大抵それなりに美味いように思えた。しかしその味は明日にはもう覚えていないし、立ち寄った記憶すらそう時が経たないうちに薄れるのだろう。
「一口いるか?」
「アンタが欲しいだけだろ」
 直木はとうもろこしの粒をちまちま食べながら、むしろ自慢げに頷いた。仕方ない、今回だけだ。
 ……貰った一口は、直木がふざけて「ヒロシくん、あーんして」と否応なしにぶちこんだものだから、そっちに意識がとられて味のことを考えられなかった。熱々でなくて命拾いした。口の中にあったのは海老ときくらげとキャベツと具ばかりで、やはり直木は風変わりな奴だった。
 ちゃんぽんのおおよその具が沈んで見えなくなったあたりで、直木が「アジヘン」と言って柚子胡椒を振りかけた。
「普通」
「だろうな」
 騒々しく食事は続く。テーブルの下で彼の草履が時折足もとを掠めた。
 壁の隅でテレビが犯人の独白を流していた。俺はとうとう最後の一口を飲み込んだ。
「なあ、もう帰ろうぜ」
 全ては直木の一言で、あっけなく終わった。

 会計を終えて、小さな駅のプラットフォーム。線路には日差しが降り注いでいた。
「こんだけ遠出して飯食っただけか」
「美味かったからいいじゃん」
 直木はけらけら笑う。遠くで踏切の音がしていた。
「…………やっぱさあ、逃避行なんてやるこたねえな」
「……」
 電車が生温い風を上げて通り過ぎた。
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