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Fate

 星々を模した燐光がデイビットの網膜を泳ぐ。頬を撫でる空気は記憶よりも研ぎ澄まされて、夜空は今まででいっとう鮮やかな気がした。
 あえて人間らしく表現するなら目が冴えているという状態だろうか。宇宙開闢以前の電波を受け取るために脳幹と非現実の間につけられた後付けの器官がいつにも増して活発で、計器は目まぐるしく動いている。本来の用途を思えばノイズと思われる宇宙を飛び交う電磁波はデイビットの脳を通過し、138億光年にわたるありふれた事象は精査されることなく短期記憶から消えていく。
 今日の五分をこの光景に使わないことを理由に次々と放り込まれる事象への意識的な処理を放棄して現実への感度を鈍らせれば、星々の間の広大な無を揺蕩う感覚に沈んだ。
 2ビットで表現された白昼夢、ビッグバンを便宜上の起点に巨大銀河の衝突と中性子星の発生と惑星状星雲のゆらめきを通り過ぎたゼロカウントの手前で、なにかが水晶体に飛び込んでくる。デイビットの意識が止まった。

 58光年。未確認知性体からの通信。



 ほとんどメヒコシティに寄り付かないマスターは当然シティ内の宿のあても無い。よって、テスカトリポカの広々とした住まいの一室に泊まることを許した。
 デイビットのために、テスカトリポカは晩餐を準備させた。試練と同じくらい享楽も与えなければ気が済まない神性なのだ。
 机いっぱいに並んだ皿にそろそろデイビットを呼びに行くかと思い始めたその時、テスカトリポカの身体に予感めいた信号がはしった。
 今はもう生贄とデイビットの用意した発電機に大半を担わせているがそれでも楔のように繋がっているデイビットからの魔力が、たった今変質した。
 危険信号ではないと即座に判断する。呼びかけられている。生命として繰り返す代謝の末に失った遥かな過去の|細胞《きおく》を思い出すような、暗闇に向かって呼びかける祈りの実行。それがデイビットから発されている。
 しかし、それをテスカトリポカは素直に受け取らなかった。パーソナリティの解析が完璧に可能なほどの記録はまだないが、その揺らぎの曖昧さを、デイビットらしくないと感じたのだ。
 デイビットを通じて語りかけるそれは何者か。パスを辿るまでもなく屋上に上がる。デイビットはそこに居た。
「デイビット、また変なものに引っかかってるな?」
「■■■■■■」
 やはり、なにかが混ざっていた。
 瞳はテスカトリポカに一瞥もくれず紛い物の星ではない何かを見ている。声帯は地球からは決して生まれることのない音を奏でている。魔力の流れは太陽重力圏外からの干渉を示しているが、24時間毎のシャットダウンとはまた違う波長だ。『祈り』はこれだろう。
 140億光年のレンジを持つ受信機、地球外の通信、知らない惑星の声、祈りという知性あるものの特権。
 どこぞの知的生命体の電波でもうっかり拾ってしまった、と考えるのが妥当か。
「……拾い食いはやめろつったのはどこの誰だろうな?」
「■■■■、■■」
 皮肉交じりに頬を抓っても出力は滞りなく続く。続いた。
 そのメッセージの解読を神霊テスカトリポカの演算機能の片隅で試してみながら、いつまで続くのかと思えば、唐突にデイビットの喉からこれまでとは異なる引き攣れた歌のような音が溢れて、ぴたりと止んだ。
 その歌がヒトの声帯によって出力されたモールス信号、|通信終了の合図《・−・−・》だとテスカトリポカはすぐに理解した。相手はそれなりに地球人のことを把握しているらしい。
 しかし通信が止まったというのに、デイビットの目は月の裏のように冷え切って、意識は浮かんでこない。
 テスカトリポカがどうしたものか、とりあえず電波を遮断してみるかと煙で色々と形作っていると、再び歌が聞こえた。通信開始。メッセージが二周目に入ったらしい。確かに予告なしに送信した一度きりのメッセージを相手が都合よく全て受信できる確率は限りなく低いが、何周するつもりだろうか。
「■■■■■■」
 それは送り主が地球文明を解し、明確に地球に向けられたものであるとわかれば、案外簡単に解読できた。
「……なるほど」
 それは計算式だった。
 超高速の2進数のメッセージ、に隠された問い。その解を地球人に求めている。彼らにとっては未解明の知的存在に、力でもなく、感情でもなく、知性による交流を試みていたのだ。
 地球文明がとっくに漂白されていたことも知らずに。
 きっと、成年したばかりの生命だろう。光速の壁もまだ超えられない生命だろう。宇宙に一点ものの受信機の存在など想定外もいいところ。
 惑星の外に向ける目を得たばかりの、宇宙全体から見れば未熟もいいところの知性体だ。
 しかしその知性体が宇宙の同類の存在証明をどれだけ切に望んでいて、それの存在が……たとえこのタイムライン上における本来のそれを保証する者がもう地球に数十人しか居ないとしても……人類史にどれだけの変革を齎すかは想像に難くない。
「■■■■■■。■■■――――」
 テスカトリポカにはそれがわかった。もうわかったから、そっとデイビットの目を塞ぐ。空は煙る。二度目の終わりを迎えることなく、とある星の時間を乗せて光速の放浪を続けたメッセージは行く宛を永久に奪われる。
「悪いがコイツはオレと先約があるんでね。そちらの事情はともかく、割り込まれると困る」
 だから、少しの躊躇いもなく。ある異星人の58光年にわたる夢を、テスカトリポカは握り潰した。
「恨むなら間の悪さを恨んでくれよ。しかしあまり悲観もするな。オレは覚えておく」
 そして、テスカトリポカがその目を塞いでいた手のひらを退けると、デイビットが緩慢に瞬きをして、テスカトリポカを見とめる。瞳に星雲のようなきらめきが戻ってきた。まだ夢うつつな半開きの口から言葉とも呼吸ともつかない細い息が漏れた。
「おはようさん。レコーダーになった気分はどうだった?」
「……思想にハックを試みられているようで落ち着かなかった」
 それもそうだ。デイビットはヒト型の空洞。法則を捻じ曲げる存在。観測不可能領域。生まれながらに理解を拒むもの。ヒト型生命の思考回路で星を破壊するなんて結論に至ったなにか。はじめから理念が一致しない。
 デイビットはもう一度瞬きをすると、微睡みもそこそこに起き上がり早々に室内へ戻ろうと踵を返す。
「夕食が冷めるんだろう」
「ああ、そうだった」
 その顔はもう滅ぼす星に届いたメッセージを記憶することなんて少しも考えていない。期待通りだった、だから手を組むことを決めた。

 デイビットの瞳は星を熔かして纏った超高温の紫色をしている。それが身体も心も世界も文明も祈りも焚べて、しまいに地球を燃やしてしまう時を楽しみにしている。
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