Blessings
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リビングのソファーに腰掛けたオデットは、ティーカップをサイドテーブルに戻し、本のページを静かに繰った。休日の午後。部屋には彼女のほか、この家の家主であるシグルスと、彼が飼っているコーギーのグラムがいる。
それぞれが思い思いに昼食後の余暇を過ごす空間には、紙を捲る音や陶器の触れ合う小さな音、そして窓を打つ雨音が交じり合っていた。
オデットは章を区切る末文に目を通し、ふと顔を上げる。向かいの肘掛け椅子に腰掛けるシグルスが、一見して険しげにも見える表情で別冊入りの分厚い日曜新聞を広げていた。だが、不機嫌というより、活字を追うことに全神経を集中しているような顔つきで、オデットの視線には気付く気配がない。
その足元では、グラムがラグに退屈そうに伏せていて、半ばうたた寝をしている。ぼんやりとその姿を眺めていたオデットに気付いたのは、人間ではなく犬の方だった。耳先がぴくりと震え、眠たげな眼差しがこちらを向く。丸い尻の後ろで、わずかに尻尾が揺れた。
「――かわいいわね」
彼女は無意識にぽつりと呟いた。穏やかな声色で、目を柔らかく細めて微笑む。
その言葉に、思わぬ反応を示したのはシグルスである。新聞の紙面から顔を上げ、目が合った。
「……僕に言ったのか?」
彼が低い声で控えめに問うのとほぼ同時に、グラムがのそのそと立ち上がり、どことなくきらきらとした目でオデットを見上げる。その視線は、(今のは自分のことだろう?)とでも言いたげだ。オデットは視線だけでシグルスとグラムを見比べた。
一方は完全な休日のくつろぎ姿で新聞を手にしている英国紳士。もう一方は短い足を揃えてちょこんと立つ悪戯好きの忠犬。――二つの視線が、同時にオデットが何気なく呟いた「かわいい」の主を問いかけていた。
しかし、オデットが何か言葉を返す前に、沈黙の均衡を破ったのはシグルスだった。犬と彼女の反応を見て、己があらぬ早とちりをしたことを察したのだろう。やや気まずそうに視線を逸らす。だが、グラムの反応も早かった。主人とほぼ同じタイミングで、(やっぱり自分のことだ!)と確信を得たように短い尻尾をぶんぶんと振り始める。
「……そっちか」
「グラムのことよ」
「そうだろうとは思った」
わざとらしく新聞に視線を戻した声には、敗北を認めるような響きが滲む。
オデットが本に栞を挟んで手招くと、グラムは弾むような足取りで駆け寄った。
「あなたに言ったと思ったの?」
「……。違う」
「勘違いしたんでしょう」
挑発めいた声色に、シグルスは思わず顔を上げる。オデットが上体を傾け、足元に寄ってきたグラムの頭を両手で揉み込むように撫でていた。その柔らかな仕草が目に映る。
「僕が? ふん、馬鹿げた話だ。なぜそうなる」
「私が、あなたに“かわいい”と言ったことがあるから?」
「……そうだったか?」
「あら。忘れているの?」
「黙秘する」
新聞を畳み、片肘をついたままオデットを見つめる。その表情にはどこか釈然としない影が落ちていた。軽く息を吐き、皮肉混じりに言う。
「まさか、君の中で僕が犬と同列に並んでいるとは思わなかったな」
「同じではないわ」
「違うと?」
「かわいいにも色々あるでしょう」
あっさりと断言する声色は、ただ事実を述べるかのように淡々としていた。
グラムを撫でながら微笑む彼女を横目に、シグルスは唇を噛み、僅かに視線を逸らす。
「……複雑だ」
呟きに気付いたオデットが、唇の端をわずかに上げる。
「あなたの、そうやってすぐ拗ねるところもかわいいわ」
「…………君ね、」
新聞を再び広げようとしていた手が、そこで止まる。恨みがましい視線を向けながら、悔し紛れに反論を絞り出そうとしたところで言葉が切れた。
グラムがオデットの膝に前足を掛けるところを見たからだ。つぶらな瞳で見上げ、耳をぴんと立てながら短い尻尾を左右に振る後ろ姿から、シグルスは(また呼んだ? 今のも自分のことだろう?)とでも言いたげな飼い犬の主張を察する。
その様子を見てシグルスは片眉を上げ、低く言い放った。
「――今のは僕だ」
犬に対して宣言するような一声。
一見脈絡のない言葉だったが、それでも付き合いの長い飼い犬相手には主人の意思が確かに伝わったらしい。グラムはシグルスの方を振り返り、(え?)とでも言うように首を傾げた。その尻尾の動きが、少し弱まる。
「お前じゃない、僕だ」
そして、あろうことか。シグルスは二度目の主張までした。
彼は椅子に背を預けながらも、視線だけはグラムから逸らさない。犬を相手に取った、完全に大人気ない応酬だった。そのまましばらく犬と睨み合いを続ける。
犬相手に真剣な張り合いをする姿に、オデットがとうとう口元を抑え、小さく吹き出した。堪えきれず肩を震わせる笑みを見て、シグルスはむっとした顔をする。
「……君が不用意にそういうことを言うからだろう。そいつには立派な名前があるのに、最近は“Lovely”という単語にまで反応する始末だ」
「でも事実でしょう。ねえ、私のかわいいグラム?」
つぶらな瞳を見つめるようにして、悪びれもなく言い添えられた言葉にグラムの尻尾が再び勢いよく振れ始める。
その様子を見て、シグルスは深いため息を吐いた。
「……まったく、勝ち目がない」
それぞれが思い思いに昼食後の余暇を過ごす空間には、紙を捲る音や陶器の触れ合う小さな音、そして窓を打つ雨音が交じり合っていた。
オデットは章を区切る末文に目を通し、ふと顔を上げる。向かいの肘掛け椅子に腰掛けるシグルスが、一見して険しげにも見える表情で別冊入りの分厚い日曜新聞を広げていた。だが、不機嫌というより、活字を追うことに全神経を集中しているような顔つきで、オデットの視線には気付く気配がない。
その足元では、グラムがラグに退屈そうに伏せていて、半ばうたた寝をしている。ぼんやりとその姿を眺めていたオデットに気付いたのは、人間ではなく犬の方だった。耳先がぴくりと震え、眠たげな眼差しがこちらを向く。丸い尻の後ろで、わずかに尻尾が揺れた。
「――かわいいわね」
彼女は無意識にぽつりと呟いた。穏やかな声色で、目を柔らかく細めて微笑む。
その言葉に、思わぬ反応を示したのはシグルスである。新聞の紙面から顔を上げ、目が合った。
「……僕に言ったのか?」
彼が低い声で控えめに問うのとほぼ同時に、グラムがのそのそと立ち上がり、どことなくきらきらとした目でオデットを見上げる。その視線は、(今のは自分のことだろう?)とでも言いたげだ。オデットは視線だけでシグルスとグラムを見比べた。
一方は完全な休日のくつろぎ姿で新聞を手にしている英国紳士。もう一方は短い足を揃えてちょこんと立つ悪戯好きの忠犬。――二つの視線が、同時にオデットが何気なく呟いた「かわいい」の主を問いかけていた。
しかし、オデットが何か言葉を返す前に、沈黙の均衡を破ったのはシグルスだった。犬と彼女の反応を見て、己があらぬ早とちりをしたことを察したのだろう。やや気まずそうに視線を逸らす。だが、グラムの反応も早かった。主人とほぼ同じタイミングで、(やっぱり自分のことだ!)と確信を得たように短い尻尾をぶんぶんと振り始める。
「……そっちか」
「グラムのことよ」
「そうだろうとは思った」
わざとらしく新聞に視線を戻した声には、敗北を認めるような響きが滲む。
オデットが本に栞を挟んで手招くと、グラムは弾むような足取りで駆け寄った。
「あなたに言ったと思ったの?」
「……。違う」
「勘違いしたんでしょう」
挑発めいた声色に、シグルスは思わず顔を上げる。オデットが上体を傾け、足元に寄ってきたグラムの頭を両手で揉み込むように撫でていた。その柔らかな仕草が目に映る。
「僕が? ふん、馬鹿げた話だ。なぜそうなる」
「私が、あなたに“かわいい”と言ったことがあるから?」
「……そうだったか?」
「あら。忘れているの?」
「黙秘する」
新聞を畳み、片肘をついたままオデットを見つめる。その表情にはどこか釈然としない影が落ちていた。軽く息を吐き、皮肉混じりに言う。
「まさか、君の中で僕が犬と同列に並んでいるとは思わなかったな」
「同じではないわ」
「違うと?」
「かわいいにも色々あるでしょう」
あっさりと断言する声色は、ただ事実を述べるかのように淡々としていた。
グラムを撫でながら微笑む彼女を横目に、シグルスは唇を噛み、僅かに視線を逸らす。
「……複雑だ」
呟きに気付いたオデットが、唇の端をわずかに上げる。
「あなたの、そうやってすぐ拗ねるところもかわいいわ」
「…………君ね、」
新聞を再び広げようとしていた手が、そこで止まる。恨みがましい視線を向けながら、悔し紛れに反論を絞り出そうとしたところで言葉が切れた。
グラムがオデットの膝に前足を掛けるところを見たからだ。つぶらな瞳で見上げ、耳をぴんと立てながら短い尻尾を左右に振る後ろ姿から、シグルスは(また呼んだ? 今のも自分のことだろう?)とでも言いたげな飼い犬の主張を察する。
その様子を見てシグルスは片眉を上げ、低く言い放った。
「――今のは僕だ」
犬に対して宣言するような一声。
一見脈絡のない言葉だったが、それでも付き合いの長い飼い犬相手には主人の意思が確かに伝わったらしい。グラムはシグルスの方を振り返り、(え?)とでも言うように首を傾げた。その尻尾の動きが、少し弱まる。
「お前じゃない、僕だ」
そして、あろうことか。シグルスは二度目の主張までした。
彼は椅子に背を預けながらも、視線だけはグラムから逸らさない。犬を相手に取った、完全に大人気ない応酬だった。そのまましばらく犬と睨み合いを続ける。
犬相手に真剣な張り合いをする姿に、オデットがとうとう口元を抑え、小さく吹き出した。堪えきれず肩を震わせる笑みを見て、シグルスはむっとした顔をする。
「……君が不用意にそういうことを言うからだろう。そいつには立派な名前があるのに、最近は“Lovely”という単語にまで反応する始末だ」
「でも事実でしょう。ねえ、私のかわいいグラム?」
つぶらな瞳を見つめるようにして、悪びれもなく言い添えられた言葉にグラムの尻尾が再び勢いよく振れ始める。
その様子を見て、シグルスは深いため息を吐いた。
「……まったく、勝ち目がない」
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