カムパネルラの肖像
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前科者の身分じゃ定職を見つけるのも難しい――とはいえ、前科を差し引いても俺という人間にはこれ以外の事など出来るはずもないのだが。
日銭を稼ぐ手段は専ら、絵を売ることだった。街の市場で絵画を売り、時には通行人から金を貰うこともあったが……、どれも安定した収入にはならない。描いた絵に売り手がついても、俺の絵に高値を付ける奴なんかいなかった。
まともな生活どころか、画材を買うのもやっとだ。間借りしている賃貸の部屋は狭く、家具も最低限の物しかない。刑務所の独房とさして変わらぬ部屋に画材を置く場所を確保して、一脚の椅子と粗末なベッド。煙草を吸う事だけが唯一の息抜きで、時には食事も削って煙草を買うこともあった。
そういう日々を、ただ生きていた。
街の中心から少し離れた荒涼とした山々を見ながら、俺はキャンバスに向かっていた。空の隙間から光が差し、まるで希望の光が荒地へと降り注ぐかのような場面を切り取った風景。取り出した煙草を咥えてライターに火を点す。風が少し冷たく肌を撫でる中で、煙が空へと漂っては溶けていく。
完成した絵を手に取り、じっくりと眺めていると、不意に背後から声がかかった。
「――ねえアンタ、火で焼いて絵を描くんだってね」
女の声だ。……正直、驚いた。この辺りに俺の過去を知る人間はまだいないと思っていたからだ。
僅かに緊張した体に気付かれないよう、静かに息を吐き切り、声の方を振り向かないままで俺は言う。
「……そんな話どこで聞いたんだい」
「子どもだった頃、アンタに燃やされた家の向かいに住んでたからね」
「たはは……。そりゃあ、まいったな」
苦笑して、肩を竦めた。
俺は画家で、流れ者だった。刑期を終えて出所しもう暫く経つというのに、前科者のレッテルは剥がれず、どこに居ようと前科の噂が立ち広まった。その度に土地を転々とし、住処も短期間に何度か変えている。この街も気に入っていたが、これでは長く持たないだろうなと悟った。
「若かったんだ。やっと出所した、もう焼か ないさ」
言い訳のように、口から滑り落ちた言葉に少し驚く。
やらないではなく、やれないと言った自分の中にまだ欲求が残っていたことを自覚し、自嘲的に笑った。
……これではまるで、機会さえ揃ってしまえばもう一度やりたいと思っているみたいだ。全く、これでは改心とは程遠い。
十五年。
人から情熱を奪うには十分な時間だった。決して短くはない長い年月を耐え、塀の外に出てきた今も、この先も、きっと碌な人生ではないと分かっている。――だが、今の俺には本当に全てを捨ててもいいと覚悟を持つことも出来ず、もう一度あの欲求に身を任せることも出来なかった。
火に焦がれる欲求は燃え尽きず、さりとて再び燃え上がることもなく、ただ燻るだけ。
「――他人の物を燃やすから悪いのよ。私の家に来ない?」
そう言われて、俺は初めて女の顔を見た。まだ若く、力強い目が鮮烈な印象を残す、くせ毛の女。上着のポケットに手を突っ込んで、事もなげに女は着いてこいと示すように顎を傾けた。
その無防備な姿に、俺はどう応じるべきか迷った。
「親から相続した山と庭が広すぎて困ってるの」
その瞳は、俺にとって未知の何かを訴えかけた。その意図が読めず、困惑が心の中で渦巻く。
俺が放火の前科がついてる男だと知っていながら声をかけてきた上で、家に招くと言っているのか。俺を試しているのか、それとも単に親切心からなのか。……そんなはずはないだろう。
彼女の目を見れば、それが真剣な提案であることはわかっていた。しかし、それを善意と受け取るのは、あまりに自分に都合が良すぎる。
「……放火魔を匿うのはよくないねえ」
「芸術家にはパトロンが要るわ」
こともなげにそう言ってキャンバスを覗き込む女の横顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「――私ね、実はアンタの作品のファンなのよ」
結果として俺は彼女について行き、彼女の家に招かれた。
美しい自然と広大な庭が備わった大きな家。女が一人で住むには静寂が漂い、外観から見て取れる古い建物からは、時代を感じさせる美しさがあった。
彼女は早速、先ほど俺が描き上げたばかりのキャンバスを買い取り(俺が今まで売った絵の値段からすると考えられないほどの金額を提示し、問答無用で代金をポケットに捻じ込んだ)、額縁に納めて玄関近くの壁に飾った。額縁は精巧な彫刻が施された大層立派なものだ。そうして飾られた自分の絵を見上げると、どこか妙な気分に包まれる。
まるで現実味のない、夢を見ているような気分だった。
今までこんな立派な額に自分の絵を収めたことはなく、描いた絵をこんな風に丁寧に扱われたことも初めてだった。
「この方がずっといいわ。完ぺき」
そう言って、彼女は笑う。
俺は驚きとともに、じわりと胸に喜びが広がるのを感じた。
額に収まるその風景画は、偶然にも彼女を象徴して描いたように見えた。
――このとき俺は、これが金持ちの道楽でも気まぐれでも、何でも構わないと思ったのだ。
――今まで誰にも認められなかった俺の絵を、彼女が好きだと言ったから。
彼女の存在はまるで天から降りた一筋の光のようだった。
俺は長らく自分を異常者と芸術家の狭間のように認識していたが、その光が俺を導き、俺を芸術家に引き寄せた。
だから、俺は彼女と暮らす僅かな時間、まるで普通の人間のように生きることができたのだ。
日銭を稼ぐ手段は専ら、絵を売ることだった。街の市場で絵画を売り、時には通行人から金を貰うこともあったが……、どれも安定した収入にはならない。描いた絵に売り手がついても、俺の絵に高値を付ける奴なんかいなかった。
まともな生活どころか、画材を買うのもやっとだ。間借りしている賃貸の部屋は狭く、家具も最低限の物しかない。刑務所の独房とさして変わらぬ部屋に画材を置く場所を確保して、一脚の椅子と粗末なベッド。煙草を吸う事だけが唯一の息抜きで、時には食事も削って煙草を買うこともあった。
そういう日々を、ただ生きていた。
街の中心から少し離れた荒涼とした山々を見ながら、俺はキャンバスに向かっていた。空の隙間から光が差し、まるで希望の光が荒地へと降り注ぐかのような場面を切り取った風景。取り出した煙草を咥えてライターに火を点す。風が少し冷たく肌を撫でる中で、煙が空へと漂っては溶けていく。
完成した絵を手に取り、じっくりと眺めていると、不意に背後から声がかかった。
「――ねえアンタ、火で焼いて絵を描くんだってね」
女の声だ。……正直、驚いた。この辺りに俺の過去を知る人間はまだいないと思っていたからだ。
僅かに緊張した体に気付かれないよう、静かに息を吐き切り、声の方を振り向かないままで俺は言う。
「……そんな話どこで聞いたんだい」
「子どもだった頃、アンタに燃やされた家の向かいに住んでたからね」
「たはは……。そりゃあ、まいったな」
苦笑して、肩を竦めた。
俺は画家で、流れ者だった。刑期を終えて出所しもう暫く経つというのに、前科者のレッテルは剥がれず、どこに居ようと前科の噂が立ち広まった。その度に土地を転々とし、住処も短期間に何度か変えている。この街も気に入っていたが、これでは長く持たないだろうなと悟った。
「若かったんだ。やっと出所した、もう
言い訳のように、口から滑り落ちた言葉に少し驚く。
やらないではなく、やれないと言った自分の中にまだ欲求が残っていたことを自覚し、自嘲的に笑った。
……これではまるで、機会さえ揃ってしまえばもう一度やりたいと思っているみたいだ。全く、これでは改心とは程遠い。
十五年。
人から情熱を奪うには十分な時間だった。決して短くはない長い年月を耐え、塀の外に出てきた今も、この先も、きっと碌な人生ではないと分かっている。――だが、今の俺には本当に全てを捨ててもいいと覚悟を持つことも出来ず、もう一度あの欲求に身を任せることも出来なかった。
火に焦がれる欲求は燃え尽きず、さりとて再び燃え上がることもなく、ただ燻るだけ。
「――他人の物を燃やすから悪いのよ。私の家に来ない?」
そう言われて、俺は初めて女の顔を見た。まだ若く、力強い目が鮮烈な印象を残す、くせ毛の女。上着のポケットに手を突っ込んで、事もなげに女は着いてこいと示すように顎を傾けた。
その無防備な姿に、俺はどう応じるべきか迷った。
「親から相続した山と庭が広すぎて困ってるの」
その瞳は、俺にとって未知の何かを訴えかけた。その意図が読めず、困惑が心の中で渦巻く。
俺が放火の前科がついてる男だと知っていながら声をかけてきた上で、家に招くと言っているのか。俺を試しているのか、それとも単に親切心からなのか。……そんなはずはないだろう。
彼女の目を見れば、それが真剣な提案であることはわかっていた。しかし、それを善意と受け取るのは、あまりに自分に都合が良すぎる。
「……放火魔を匿うのはよくないねえ」
「芸術家にはパトロンが要るわ」
こともなげにそう言ってキャンバスを覗き込む女の横顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「――私ね、実はアンタの作品のファンなのよ」
結果として俺は彼女について行き、彼女の家に招かれた。
美しい自然と広大な庭が備わった大きな家。女が一人で住むには静寂が漂い、外観から見て取れる古い建物からは、時代を感じさせる美しさがあった。
彼女は早速、先ほど俺が描き上げたばかりのキャンバスを買い取り(俺が今まで売った絵の値段からすると考えられないほどの金額を提示し、問答無用で代金をポケットに捻じ込んだ)、額縁に納めて玄関近くの壁に飾った。額縁は精巧な彫刻が施された大層立派なものだ。そうして飾られた自分の絵を見上げると、どこか妙な気分に包まれる。
まるで現実味のない、夢を見ているような気分だった。
今までこんな立派な額に自分の絵を収めたことはなく、描いた絵をこんな風に丁寧に扱われたことも初めてだった。
「この方がずっといいわ。完ぺき」
そう言って、彼女は笑う。
俺は驚きとともに、じわりと胸に喜びが広がるのを感じた。
額に収まるその風景画は、偶然にも彼女を象徴して描いたように見えた。
――このとき俺は、これが金持ちの道楽でも気まぐれでも、何でも構わないと思ったのだ。
――今まで誰にも認められなかった俺の絵を、彼女が好きだと言ったから。
彼女の存在はまるで天から降りた一筋の光のようだった。
俺は長らく自分を異常者と芸術家の狭間のように認識していたが、その光が俺を導き、俺を芸術家に引き寄せた。
だから、俺は彼女と暮らす僅かな時間、まるで普通の人間のように生きることができたのだ。