出会い
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浜辺まで降りられる駐車場にバイクを駐めて、弓景が運転で凝り固まった身体を伸ばしていると御名が急かすように「早く行こう」とその腕を引っ張った。その姿は初めての海を前にはしゃぐ子どもと同じくらい幼く見える。本当に子どもの頃ならいざ知らず、弓景の年齢では流石に海を前にしただけではもう、こうは盛り上がれない。
コイツ、実はめちゃくちゃ楽しみにしてたんじゃねーか。なにが理由はないけど日帰りで行けそうで、人がいなさそうなところで選んだ、だ。……と、弓景は内心少しだけ引いた。脱いだヘルメットをバイクに引っ掛けて、弓景は周囲を見回してみる。穴場だからなのか、たまたまそういう時間だからなのかは分からないが他の客はいないようだ。駐車場にも弓景が乗ってきたバイクの他は停まっている車もない。
「マジで浜まで降りて歩く気なのか」
「いいじゃない。せっかくここまで来たんだから。だって、もう二度とないかもしれないのよ!」
大げさだろ、と弓景は空を見上げてため息を吐いた。後頭部を掻きながら、無遠慮にまた弓景の腕を引っ張った御名に続くように浜辺に向かって歩きだす。弓景が付いてくる意思を見せたことで御名は嬉しそうに笑い、堂々と先導するように前を歩く。
駐車場の奥、石造りの階段を下りればすぐ砂浜で、更に砂浜を少し歩けばその奥には海原が広がっているのが見える。さわやかな秋晴れの下、波は穏やかに凪いでいた。階段の最下段。砂浜へとあと一歩というところで不意に立ち止まった御名の背に弓景は声をかけた。
「クツ汚れんぞ」
「脱ぐわ」
「は?」
その宣言通り、御名はすぐに靴を脱ぎ捨てて服の裾を折り曲げたかと思えば、素足で迷いなく砂浜を踏みしめて歩き出した。瞬く間に御名から靴を押し付けられた弓景は一瞬呆然としたものの、すぐにその後ろを追いかける。勿論、靴を履いたまま。靴が砂で汚れるとは分かっていても、こんな時期に素足で砂浜を歩こうという気にはなれない。
御名が考えていることが弓景には何一つ分からなかった。御名は波の満ち引きの境目で立ち止まり、少し逡巡した後濡れた砂に足を下ろして波を待っていた。すぐに白波が足に触れて、その冷たさに御名は僅かに肩を飛び上がらせ、一人で「あははっ」と笑い声を上げる。
その後ろ姿や笑い声を聞きながら、何がそんなに楽しいのかと不思議に思って、弓景は見つめた。波の音と女の笑い声だけが響くこの景色は、弓景にとってはまるで夢のように現実感が薄い。日常ではないところに入り込んでしまったような、世界からたった二人、隔絶されたような。
弓景は無意識に指先を丸める。晴れていて、風も強くないとはいえ、やはり秋の海は冷える。こんな時期に素足を波と砂に晒している御名が寒さを感じていないはずがない。弓景は次々と突拍子もないことをし出した目の前の女が、次は「ちょっと泳いでみようかしら」とかなんとか言い出して海に飛び込むんじゃないかと内心肝を冷やしていた。
「……寒くねーのかよ」
「そこまで寒くないわよ。でも足はちょっと、ヘンな感じね」
濡れた足先で湿った砂を掻くようにして、振り返った御名は弓景に笑った。
「少し歩きましょ」
「ホントに風邪引くぞ、お前」
「……じゃあ私が飽きるまで。それか、弓景が貝殻かシーグラスでも見つけられたら終わりにしてあげてもいいわ」
「シーグラス?」
「波に揉まれて角が取れたビンのガラス片のこと」
「それって、要は石とか漂流物ってことだろ。そんなのが欲しいのかよ」
「悪い?」
「……、わーったよ。付き合ってやっから、せめて波が届かないところ歩け」
弓景に出来ることはそう言って、せめて手が届く側まで御名を呼び戻すことくらいだった。
それでも幸いなことに御名は二つ返事と共に波が届かない場所まで戻ってきて、弓景の側で貝殻を探し始めた。両腕を組んで砂浜へ視線を落としながら歩く御名を脇目に、弓景もまた砂浜を真面目に探す。御名は意地っ張りな女だ。そんな奴を一刻も早く海辺から離すには、願い通り貝殻だのシーグラスだのを早く見付けてしまう他ない。時折御名の様子を伺い見て、砂浜に目を走らせていた弓景が「なあ」と平坦な声を上げた。
「そういや、お前……なんで家出なんかしたんだ」
「それ聞くのも今更ね。フツーに興味ないのかと思ってたわ」
「あー……、聞かねえ方がいいのかと思ってよ」
「っは、弓景のそういうところ、わりと好きよ」
夜に有栖院から身一つで家出なんて、余程のことがあったんだろうと弓景は思っていたので、昨夜御名と押し問答をした時でさえ家出した理由を弓景は今の今まで尋ねもしなかった。気遣いにしたってもっと他にも聞くタイミングはあっただろうにと御名は笑いを噛み殺して、肩を震わせながら言う。
御名の率直な言葉に弓景はぎょっと振り向くが、すぐにばつが悪い顔をして視線を戻した。弓景は、この話はそのまま流されるんだろうなと思っていた。
しかし、その予想を裏切るように御名は「うーん」と悩ましげに声を上げる。少し考えるような間を置いた後、まるで子どもにどうして空は青いのかと聞かれた大人が、言葉を噛み砕いて話すみたいな穏やかな声色で話し始めた。
「有栖院ってね、代々親が決めた許嫁と結婚する事が多いのよ。私の両親もそうだったし、お祖父様とお祖母様もそうだったって聞いたわ。だからまあ、私にもそういう話が来てもおかしくないなーとは思ってたんだけど――――……ほら、私って美人だし?」
「………………まあ」
余計な言葉は飲み込んで、弓景は曖昧な相槌を打つ。
「で。昨日、たまたま父の部屋に行ったら、机に釣書が積まれててね。それ見てたら無性にイライラしてきちゃって、釣書の山を全部ゴミ箱に突っ込んで飛び出してきちゃった。まあ家を出たところで行くあてもないし、本当は適当に歩いて頭が冷えたら帰ろうかなーっても思ってたのよ。たまたま入ったコンビニで、アンタが偶然私を見付けなければ……。……ね、案外なんでもないし。聞いててもバカみたいって思ったでしょ?」
御名はそんな風に終始軽い調子で、明け透けに家出の経緯を話した。風を受けようとするかのように腕を広げて歩きながら、「笑ってもいいわよ」と続けて笑う。その瞳は穏やかに凪いでいるのに、どこか諦観に似た色がある。
許嫁。所謂、家同士で合意した婚約相手との結婚。弓景も三男とはいえ『月満』の生まれだったため、そういう話は聞いたことがある。……というか、跡取りである一番上の兄にも許嫁がいたくらいで。弓景には実感こそ湧かないものの、有栖院の家に生まれた御名にとっても珍しくない話なのだろう。
御名の話をそのまま信じるなら、弓景が昨夜あの時間にあのコンビニへ行かなければ。御名を見付けなければ。弓景が余計な世話を焼く必要も、御名が弓景の家に転がり込んでくることも、共に古い映画を眺めて夜を明かすことも、バイクに乗ってこんな秋の海まで来ることもなかった。
あれが『家出』になったのは、弓景が御名に声をかけたからだったと御名は言う。
「……。それが理由か?」
「半分はそうかもね」
「じゃあもう半分は何だよ」
「思いついたノリと勢い」
「ふざけんな」
波間を歩いていた御名が何かに気付くように、不意に足を止めて屈んだ。砂を指先で選り分ける。……しかし、探していた目当てのものではなかったらしい。小さくため息を吐いて、身体を伸ばすようにまた立ち上がった。その後ろ姿を眺めて、弓景は目を細めた。
「失礼ね、家出なんてノリと勢いでやるものじゃない?」
「俺はやったことないから知らねーよ」
「へー、意外。やっぱりマジメね。ヤンキーみたいな成りしてるくせに〜」
「誰がヤンキーだコラ!」
「やっぱりチンピラの間違いだったかも」
下から弓景の表情を覗き込むように体を傾けながら、御名は綻ぶみたいに笑う。それを受けた弓景は悔しげに口をへの字に曲げ、ぐっと押し黙った。
こうやって一々揶揄ってくるから、御名から出てくる言葉をどこまで真剣に受け止めるべきか、弓景は分からないでいる。そうして御名は視線を逸らし、海の向こうを静かに眺め始めた。どこまでも遠くを見たいと願うような瞳を水平線へと向ける顔は穏やかなのに、どこか冷めた印象を受ける。
そして、弓景ははたと気付く。……というかこいつ、なんか顔色悪くないか、と。御名は元々色白だったが、ただでさえ白い肌が尚更青白くなっていた。
「ねえ弓景」
「なんだ」
「…………寒い」
「――――ッだーから、冷えるっつっただろ!?」
「実は、ずっと寒かった……」
「変なやせ我慢すんなバカ。……もう結構離れたぞ、もっと早く言えよ」
「波に足をつけたのはやりすぎた……。この季節の海って笑っちゃうくらい冷たいのよ。知ってた?」
「そんなの、当たり前だろ」
腕を組んで縮こまるように背を低くした御名を前に、弓景は後ろを振り返った。砂浜には漂流物を探して彷徨った二人分の足跡が残っていて、駐車場からは既にだいぶ離れている。少しでも暖を取ろうと、はーっと吐息を吐きかける御名の指先は、よく見れば震えていた。波に足を晒したのは一度きりでも、この季節に素足で砂浜を歩いて寒くないわけがない。
御名が履いていた靴は今も弓景が持っている。しかし、海水に濡れて砂が張り付いた足で履くのは流石に嫌だろう。弓景は少し迷った末、すぐに御名に背を向けるような姿勢でその場に屈んだ。
「乗れよ。駐車場に水道あったろ、そこまでは背負ってやる」
「……いいの?」
「……。そのまま砂浜歩き続けるよかマシだろ」
コイツ、実はめちゃくちゃ楽しみにしてたんじゃねーか。なにが理由はないけど日帰りで行けそうで、人がいなさそうなところで選んだ、だ。……と、弓景は内心少しだけ引いた。脱いだヘルメットをバイクに引っ掛けて、弓景は周囲を見回してみる。穴場だからなのか、たまたまそういう時間だからなのかは分からないが他の客はいないようだ。駐車場にも弓景が乗ってきたバイクの他は停まっている車もない。
「マジで浜まで降りて歩く気なのか」
「いいじゃない。せっかくここまで来たんだから。だって、もう二度とないかもしれないのよ!」
大げさだろ、と弓景は空を見上げてため息を吐いた。後頭部を掻きながら、無遠慮にまた弓景の腕を引っ張った御名に続くように浜辺に向かって歩きだす。弓景が付いてくる意思を見せたことで御名は嬉しそうに笑い、堂々と先導するように前を歩く。
駐車場の奥、石造りの階段を下りればすぐ砂浜で、更に砂浜を少し歩けばその奥には海原が広がっているのが見える。さわやかな秋晴れの下、波は穏やかに凪いでいた。階段の最下段。砂浜へとあと一歩というところで不意に立ち止まった御名の背に弓景は声をかけた。
「クツ汚れんぞ」
「脱ぐわ」
「は?」
その宣言通り、御名はすぐに靴を脱ぎ捨てて服の裾を折り曲げたかと思えば、素足で迷いなく砂浜を踏みしめて歩き出した。瞬く間に御名から靴を押し付けられた弓景は一瞬呆然としたものの、すぐにその後ろを追いかける。勿論、靴を履いたまま。靴が砂で汚れるとは分かっていても、こんな時期に素足で砂浜を歩こうという気にはなれない。
御名が考えていることが弓景には何一つ分からなかった。御名は波の満ち引きの境目で立ち止まり、少し逡巡した後濡れた砂に足を下ろして波を待っていた。すぐに白波が足に触れて、その冷たさに御名は僅かに肩を飛び上がらせ、一人で「あははっ」と笑い声を上げる。
その後ろ姿や笑い声を聞きながら、何がそんなに楽しいのかと不思議に思って、弓景は見つめた。波の音と女の笑い声だけが響くこの景色は、弓景にとってはまるで夢のように現実感が薄い。日常ではないところに入り込んでしまったような、世界からたった二人、隔絶されたような。
弓景は無意識に指先を丸める。晴れていて、風も強くないとはいえ、やはり秋の海は冷える。こんな時期に素足を波と砂に晒している御名が寒さを感じていないはずがない。弓景は次々と突拍子もないことをし出した目の前の女が、次は「ちょっと泳いでみようかしら」とかなんとか言い出して海に飛び込むんじゃないかと内心肝を冷やしていた。
「……寒くねーのかよ」
「そこまで寒くないわよ。でも足はちょっと、ヘンな感じね」
濡れた足先で湿った砂を掻くようにして、振り返った御名は弓景に笑った。
「少し歩きましょ」
「ホントに風邪引くぞ、お前」
「……じゃあ私が飽きるまで。それか、弓景が貝殻かシーグラスでも見つけられたら終わりにしてあげてもいいわ」
「シーグラス?」
「波に揉まれて角が取れたビンのガラス片のこと」
「それって、要は石とか漂流物ってことだろ。そんなのが欲しいのかよ」
「悪い?」
「……、わーったよ。付き合ってやっから、せめて波が届かないところ歩け」
弓景に出来ることはそう言って、せめて手が届く側まで御名を呼び戻すことくらいだった。
それでも幸いなことに御名は二つ返事と共に波が届かない場所まで戻ってきて、弓景の側で貝殻を探し始めた。両腕を組んで砂浜へ視線を落としながら歩く御名を脇目に、弓景もまた砂浜を真面目に探す。御名は意地っ張りな女だ。そんな奴を一刻も早く海辺から離すには、願い通り貝殻だのシーグラスだのを早く見付けてしまう他ない。時折御名の様子を伺い見て、砂浜に目を走らせていた弓景が「なあ」と平坦な声を上げた。
「そういや、お前……なんで家出なんかしたんだ」
「それ聞くのも今更ね。フツーに興味ないのかと思ってたわ」
「あー……、聞かねえ方がいいのかと思ってよ」
「っは、弓景のそういうところ、わりと好きよ」
夜に有栖院から身一つで家出なんて、余程のことがあったんだろうと弓景は思っていたので、昨夜御名と押し問答をした時でさえ家出した理由を弓景は今の今まで尋ねもしなかった。気遣いにしたってもっと他にも聞くタイミングはあっただろうにと御名は笑いを噛み殺して、肩を震わせながら言う。
御名の率直な言葉に弓景はぎょっと振り向くが、すぐにばつが悪い顔をして視線を戻した。弓景は、この話はそのまま流されるんだろうなと思っていた。
しかし、その予想を裏切るように御名は「うーん」と悩ましげに声を上げる。少し考えるような間を置いた後、まるで子どもにどうして空は青いのかと聞かれた大人が、言葉を噛み砕いて話すみたいな穏やかな声色で話し始めた。
「有栖院ってね、代々親が決めた許嫁と結婚する事が多いのよ。私の両親もそうだったし、お祖父様とお祖母様もそうだったって聞いたわ。だからまあ、私にもそういう話が来てもおかしくないなーとは思ってたんだけど――――……ほら、私って美人だし?」
「………………まあ」
余計な言葉は飲み込んで、弓景は曖昧な相槌を打つ。
「で。昨日、たまたま父の部屋に行ったら、机に釣書が積まれててね。それ見てたら無性にイライラしてきちゃって、釣書の山を全部ゴミ箱に突っ込んで飛び出してきちゃった。まあ家を出たところで行くあてもないし、本当は適当に歩いて頭が冷えたら帰ろうかなーっても思ってたのよ。たまたま入ったコンビニで、アンタが偶然私を見付けなければ……。……ね、案外なんでもないし。聞いててもバカみたいって思ったでしょ?」
御名はそんな風に終始軽い調子で、明け透けに家出の経緯を話した。風を受けようとするかのように腕を広げて歩きながら、「笑ってもいいわよ」と続けて笑う。その瞳は穏やかに凪いでいるのに、どこか諦観に似た色がある。
許嫁。所謂、家同士で合意した婚約相手との結婚。弓景も三男とはいえ『月満』の生まれだったため、そういう話は聞いたことがある。……というか、跡取りである一番上の兄にも許嫁がいたくらいで。弓景には実感こそ湧かないものの、有栖院の家に生まれた御名にとっても珍しくない話なのだろう。
御名の話をそのまま信じるなら、弓景が昨夜あの時間にあのコンビニへ行かなければ。御名を見付けなければ。弓景が余計な世話を焼く必要も、御名が弓景の家に転がり込んでくることも、共に古い映画を眺めて夜を明かすことも、バイクに乗ってこんな秋の海まで来ることもなかった。
あれが『家出』になったのは、弓景が御名に声をかけたからだったと御名は言う。
「……。それが理由か?」
「半分はそうかもね」
「じゃあもう半分は何だよ」
「思いついたノリと勢い」
「ふざけんな」
波間を歩いていた御名が何かに気付くように、不意に足を止めて屈んだ。砂を指先で選り分ける。……しかし、探していた目当てのものではなかったらしい。小さくため息を吐いて、身体を伸ばすようにまた立ち上がった。その後ろ姿を眺めて、弓景は目を細めた。
「失礼ね、家出なんてノリと勢いでやるものじゃない?」
「俺はやったことないから知らねーよ」
「へー、意外。やっぱりマジメね。ヤンキーみたいな成りしてるくせに〜」
「誰がヤンキーだコラ!」
「やっぱりチンピラの間違いだったかも」
下から弓景の表情を覗き込むように体を傾けながら、御名は綻ぶみたいに笑う。それを受けた弓景は悔しげに口をへの字に曲げ、ぐっと押し黙った。
こうやって一々揶揄ってくるから、御名から出てくる言葉をどこまで真剣に受け止めるべきか、弓景は分からないでいる。そうして御名は視線を逸らし、海の向こうを静かに眺め始めた。どこまでも遠くを見たいと願うような瞳を水平線へと向ける顔は穏やかなのに、どこか冷めた印象を受ける。
そして、弓景ははたと気付く。……というかこいつ、なんか顔色悪くないか、と。御名は元々色白だったが、ただでさえ白い肌が尚更青白くなっていた。
「ねえ弓景」
「なんだ」
「…………寒い」
「――――ッだーから、冷えるっつっただろ!?」
「実は、ずっと寒かった……」
「変なやせ我慢すんなバカ。……もう結構離れたぞ、もっと早く言えよ」
「波に足をつけたのはやりすぎた……。この季節の海って笑っちゃうくらい冷たいのよ。知ってた?」
「そんなの、当たり前だろ」
腕を組んで縮こまるように背を低くした御名を前に、弓景は後ろを振り返った。砂浜には漂流物を探して彷徨った二人分の足跡が残っていて、駐車場からは既にだいぶ離れている。少しでも暖を取ろうと、はーっと吐息を吐きかける御名の指先は、よく見れば震えていた。波に足を晒したのは一度きりでも、この季節に素足で砂浜を歩いて寒くないわけがない。
御名が履いていた靴は今も弓景が持っている。しかし、海水に濡れて砂が張り付いた足で履くのは流石に嫌だろう。弓景は少し迷った末、すぐに御名に背を向けるような姿勢でその場に屈んだ。
「乗れよ。駐車場に水道あったろ、そこまでは背負ってやる」
「……いいの?」
「……。そのまま砂浜歩き続けるよかマシだろ」
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