海を目指して
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「なんで海なんだよ?」
「なんでって何?」
「や、もっと出かけるにしても他にあるだろ。海なんてこの時期にわざわざ行くようなとこか?」
「……。それ聞くの今更過ぎない?」
休憩所からの出発は非常にスムーズだった。ほんの数時間前までは初々しい所作で初めてのバイクに跨がっていた御名も既に熟れた様子で粛々とインカムを装着し、ヘルメットを被って、後部座席に乗り込んだ。そうして再び道路を走りだして暫くしてのこと、思い出すように聞いた弓景に御名は呆れたような声をあげた。
ぐうの音も出ないほどの正論である。
ぐう……と唸った弓景の後ろで飽きもせず流れる景色に目を向ける御名が「別に理由なんて無いけど」と素っ気ない声で言った。
「ドライブが目的なんだし、日帰りで行けそうで、人がいなさそうなところがいいなって思っただけ。逆に弓景はいつだったらわざわざ海に行くのよ?」
わざわざを、わざわざ強調するように言う。小さく笑っていそうな吐息も混ざっていた。
「そりゃー……夏、だろ」
「安直」
「ウッセ」
反射的に言い返しながら、弓景は頭の片隅で「最後に海に行った時」を思い出そうとした。
世間的には夏と言えば海、海と言えば夏のイメージだ。だが一方で、弓景の記憶に残る最後の海は……。
「……そういやあん時も、秋くらいだったか?」
最後に海に行ったのは確か、高校生の頃だ。学校が早く終わった秋のある日に、制服のまま、吊戯と盾一郎と一緒にチャリで海の近くまで行った。バカみたいに、何時間も掛けて。
あの時も、別に何かが目的で海に行きたかったとか、そういうんじゃなかった。
「なに?」呟きを拾い上げるように御名が聞き返す。
「あー、最後に海に行った時期。……そういや、俺ももう五年は前だな」
「ふうん? それっていつ? お兄さん達と行ったの?」
「兄貴となんか誰が行くか」
弓景が苦々しく顔を引き攣らせながら返せば、「ふーん」と適当な返事がくる。聞いておいて興味がないというよりはそういう価値観もあるなら否定しないわ、ぐらいの声色で、まあそうなのね、とでも言いたげな生返事だった。
兄貴と海なんて行くわけないだろ、マジで何しに行くんだよ。つか、一度も行ったことねえわ。そう思いながら沈黙しかける弓景だったが、御名が続きを促すので渋々と思い出しながら話を続ける。
「高校生くらいの頃、学校帰りにチャリで行ったんだよ。吊戯はチャリ持ってなかったから、盾一郎と俺で交互に後ろに乗せて……」
吊戯が「盾ちゃんは安定感が違うね~!」だとか「弓ちゃん号は速度がひと味違うな~!」だとかよく喋ってたのを覚えている。お前も運転しろよ、と一度前に乗せてみたらすぐによろめいてチャリごと倒れそうになるのが危なっかしすぎて、吊戯はもっぱら後ろで揺られる専門だった。
吊戯は軽い上にバランス感覚に人一倍優れてるのもあって、乗せる分にはそこまで二人乗りの苦労はなかったが、……流石に坂道では、ぜーはー言いながら盾一郎がペダルを踏み、そのすぐ後ろで身体を反らせながら「がんばって盾ちゃん! もうちょっとだよ!」と邪魔したいのか応援したいのか分からない吊戯が身体を揺らしていた事。
徒歩と変わらない速度でのろのろと進む盾一郎のチャリを見て、それもう歩いた方が早くねえかと思いながらヤジを飛ばし、とっくに上りきった坂道の上で待っていた事。
何故か、弓景は運転しながらそんなバカな高校生達の青春旅話をだらだらと話すことになった。こんな話聞いてて何が楽しいのかとも話しながら思いはしたが、御名が適切なタイミングで相槌を打ち、続きを促すせいで止めようがなかった。
気ままに見える振る舞いからは想像できないほど、意外と聞き上手なところがあるのだから驚きだ。
「また行けばいいのに」と御名が言った。
「盾一郎も結婚したばっかだしな。長々遠出で連れ回したら詩文にも悪いだろ」
口から滑るように出た言葉にほんの少しだけ、苦い気持ちになる。
ほんの一瞬、嫌なことを思い出してしまった。もう自分の中では蹴りがついたと思っていた感情が不意に過って、弓景は雑念を振り切るように少し速度を上げた。急に上がった速度に驚いてか、弓景の身体に添えられた御名の手に力が入ったので、「わり」と短く断る。
「ま、次があっても……、バカみたいにチャリ漕いで行くことは流石にねえな」
きっと、もう二度と無いだろう。今だってこんな話をしなければそのうち思い出すこともなく、いつの間にか忘れて風化していくような楽しかったいつかの日を頭の内に、弓景は小さく笑う。
「……お前は?」
「私?」
「最後に海に行った時の話」
半分は話の流れを変えるため、半分は好奇心から弓景は聞く。
御名は少し思い出すように考えたあとで、言った。
「私は家族旅行で行ったわ。何年か前の……、夏だった」
御名に残る最後に海に行った想い出は既に五年以上前のことだ。記憶の箱から取り出すように、頭の中で家族旅行で行った海沿いのコテージから眺めた、輝く夏の海を思い出す。……でもあれは海に行ったというよりは海を見に行った、というほうが適切だったかもしれない。
「御園、……弟は身体が弱かったからすぐ日差しで体調を崩しちゃって、殆どコテージの中で過ごしたから正直あんまり海の想い出はないの」
初めて見る海に喜んで浜辺ではしゃいでいた幼い日の御園を思い出す。一緒に貝殻を探そう、砂でお城を作ってみよう、……なんて旅行に行く前は話していたのにすぐに熱を出してしまって、ベッドの上で悲しそうに「ごめんなさい」と謝る御園が本当に気の毒に思った。
不幸中の幸いといえば、発熱さえしたもののすぐに下がったこと。しかし当然、御園の体調は万全とは言いがたく、両親や……御国も心配して旅行中は殆ど屋内で過ごした。
場所が変わっただけで過ごし方は日常の地続きだ。
あの頃、御園と御国は時間があればチェスで遊んでいた。そしてあの旅行でも御国がちゃっかりチェスボードまで持ってきていて、御名はこんなところに来てまで? と思いもしたが、初めて教わった五歳の頃からチェスに夢中な御園にとって室内でも楽しめる丁度いい娯楽であったのは間違いない。お茶を淹れて、椅子に座り、いつも通り二人のゲームを訳も分からず眺める時間。一戦、片がつく度に御国や御園は御名をゲームに誘ったが、御名は遠慮した。御名は二人と違いチェス自体を好まなかったし、……そもそも御名の実力では真剣にゲームに打ち込んだとしても御園の相手にすらならないからだ。
一面の窓の向こうに広がる海の景色はあまり現実味がなくて、外にさえ出てしまえば歩いて行けるほどの近さにある場所が、まるで絵画の中のように遠く感じたのをまだ、鮮明に覚えている。もう二度と、もう二度と見ることのない景色が張り付くように残っている。
御名は一人、苦々しげに唇の端を柔く噛んで、顔を顰めた。
「……ねえ、弓景はチェスってやったことある?」
「チェスは……、ねーな。囲碁とか将棋くらいなら……」
囓ったくらいには、と弓景が予防線を張りながら答える。
御名の唐突な問いかけは、弟が体調を崩して、殆どコテージで過ごしたから海の想い出はない。という話から急に飛躍したように弓景には思えた。
「そう」御名が言う。「でも多分私より強いと思うわよ」
「そりゃ意外だな。お前、なんとなくそういうのも得意そうに見えるのに」
「…………。私、昔からチェスはからっきしなのよね。カードの方が好き、単純だし」
「どういうことだよ……」
そんな風にあまりに不出来な着地をした会話になんだか気が抜けてしまい、弓景は呆れながら苦笑する。トンネルを抜けた先で、御名が「あ!」と喜色が滲んだ声を上げた。
視界の先に、秋晴れの陽光を反射する海がまるで湖のように穏やかに広がっていた。
「なんでって何?」
「や、もっと出かけるにしても他にあるだろ。海なんてこの時期にわざわざ行くようなとこか?」
「……。それ聞くの今更過ぎない?」
休憩所からの出発は非常にスムーズだった。ほんの数時間前までは初々しい所作で初めてのバイクに跨がっていた御名も既に熟れた様子で粛々とインカムを装着し、ヘルメットを被って、後部座席に乗り込んだ。そうして再び道路を走りだして暫くしてのこと、思い出すように聞いた弓景に御名は呆れたような声をあげた。
ぐうの音も出ないほどの正論である。
ぐう……と唸った弓景の後ろで飽きもせず流れる景色に目を向ける御名が「別に理由なんて無いけど」と素っ気ない声で言った。
「ドライブが目的なんだし、日帰りで行けそうで、人がいなさそうなところがいいなって思っただけ。逆に弓景はいつだったらわざわざ海に行くのよ?」
わざわざを、わざわざ強調するように言う。小さく笑っていそうな吐息も混ざっていた。
「そりゃー……夏、だろ」
「安直」
「ウッセ」
反射的に言い返しながら、弓景は頭の片隅で「最後に海に行った時」を思い出そうとした。
世間的には夏と言えば海、海と言えば夏のイメージだ。だが一方で、弓景の記憶に残る最後の海は……。
「……そういやあん時も、秋くらいだったか?」
最後に海に行ったのは確か、高校生の頃だ。学校が早く終わった秋のある日に、制服のまま、吊戯と盾一郎と一緒にチャリで海の近くまで行った。バカみたいに、何時間も掛けて。
あの時も、別に何かが目的で海に行きたかったとか、そういうんじゃなかった。
「なに?」呟きを拾い上げるように御名が聞き返す。
「あー、最後に海に行った時期。……そういや、俺ももう五年は前だな」
「ふうん? それっていつ? お兄さん達と行ったの?」
「兄貴となんか誰が行くか」
弓景が苦々しく顔を引き攣らせながら返せば、「ふーん」と適当な返事がくる。聞いておいて興味がないというよりはそういう価値観もあるなら否定しないわ、ぐらいの声色で、まあそうなのね、とでも言いたげな生返事だった。
兄貴と海なんて行くわけないだろ、マジで何しに行くんだよ。つか、一度も行ったことねえわ。そう思いながら沈黙しかける弓景だったが、御名が続きを促すので渋々と思い出しながら話を続ける。
「高校生くらいの頃、学校帰りにチャリで行ったんだよ。吊戯はチャリ持ってなかったから、盾一郎と俺で交互に後ろに乗せて……」
吊戯が「盾ちゃんは安定感が違うね~!」だとか「弓ちゃん号は速度がひと味違うな~!」だとかよく喋ってたのを覚えている。お前も運転しろよ、と一度前に乗せてみたらすぐによろめいてチャリごと倒れそうになるのが危なっかしすぎて、吊戯はもっぱら後ろで揺られる専門だった。
吊戯は軽い上にバランス感覚に人一倍優れてるのもあって、乗せる分にはそこまで二人乗りの苦労はなかったが、……流石に坂道では、ぜーはー言いながら盾一郎がペダルを踏み、そのすぐ後ろで身体を反らせながら「がんばって盾ちゃん! もうちょっとだよ!」と邪魔したいのか応援したいのか分からない吊戯が身体を揺らしていた事。
徒歩と変わらない速度でのろのろと進む盾一郎のチャリを見て、それもう歩いた方が早くねえかと思いながらヤジを飛ばし、とっくに上りきった坂道の上で待っていた事。
何故か、弓景は運転しながらそんなバカな高校生達の青春旅話をだらだらと話すことになった。こんな話聞いてて何が楽しいのかとも話しながら思いはしたが、御名が適切なタイミングで相槌を打ち、続きを促すせいで止めようがなかった。
気ままに見える振る舞いからは想像できないほど、意外と聞き上手なところがあるのだから驚きだ。
「また行けばいいのに」と御名が言った。
「盾一郎も結婚したばっかだしな。長々遠出で連れ回したら詩文にも悪いだろ」
口から滑るように出た言葉にほんの少しだけ、苦い気持ちになる。
ほんの一瞬、嫌なことを思い出してしまった。もう自分の中では蹴りがついたと思っていた感情が不意に過って、弓景は雑念を振り切るように少し速度を上げた。急に上がった速度に驚いてか、弓景の身体に添えられた御名の手に力が入ったので、「わり」と短く断る。
「ま、次があっても……、バカみたいにチャリ漕いで行くことは流石にねえな」
きっと、もう二度と無いだろう。今だってこんな話をしなければそのうち思い出すこともなく、いつの間にか忘れて風化していくような楽しかったいつかの日を頭の内に、弓景は小さく笑う。
「……お前は?」
「私?」
「最後に海に行った時の話」
半分は話の流れを変えるため、半分は好奇心から弓景は聞く。
御名は少し思い出すように考えたあとで、言った。
「私は家族旅行で行ったわ。何年か前の……、夏だった」
御名に残る最後に海に行った想い出は既に五年以上前のことだ。記憶の箱から取り出すように、頭の中で家族旅行で行った海沿いのコテージから眺めた、輝く夏の海を思い出す。……でもあれは海に行ったというよりは海を見に行った、というほうが適切だったかもしれない。
「御園、……弟は身体が弱かったからすぐ日差しで体調を崩しちゃって、殆どコテージの中で過ごしたから正直あんまり海の想い出はないの」
初めて見る海に喜んで浜辺ではしゃいでいた幼い日の御園を思い出す。一緒に貝殻を探そう、砂でお城を作ってみよう、……なんて旅行に行く前は話していたのにすぐに熱を出してしまって、ベッドの上で悲しそうに「ごめんなさい」と謝る御園が本当に気の毒に思った。
不幸中の幸いといえば、発熱さえしたもののすぐに下がったこと。しかし当然、御園の体調は万全とは言いがたく、両親や……御国も心配して旅行中は殆ど屋内で過ごした。
場所が変わっただけで過ごし方は日常の地続きだ。
あの頃、御園と御国は時間があればチェスで遊んでいた。そしてあの旅行でも御国がちゃっかりチェスボードまで持ってきていて、御名はこんなところに来てまで? と思いもしたが、初めて教わった五歳の頃からチェスに夢中な御園にとって室内でも楽しめる丁度いい娯楽であったのは間違いない。お茶を淹れて、椅子に座り、いつも通り二人のゲームを訳も分からず眺める時間。一戦、片がつく度に御国や御園は御名をゲームに誘ったが、御名は遠慮した。御名は二人と違いチェス自体を好まなかったし、……そもそも御名の実力では真剣にゲームに打ち込んだとしても御園の相手にすらならないからだ。
一面の窓の向こうに広がる海の景色はあまり現実味がなくて、外にさえ出てしまえば歩いて行けるほどの近さにある場所が、まるで絵画の中のように遠く感じたのをまだ、鮮明に覚えている。もう二度と、もう二度と見ることのない景色が張り付くように残っている。
御名は一人、苦々しげに唇の端を柔く噛んで、顔を顰めた。
「……ねえ、弓景はチェスってやったことある?」
「チェスは……、ねーな。囲碁とか将棋くらいなら……」
囓ったくらいには、と弓景が予防線を張りながら答える。
御名の唐突な問いかけは、弟が体調を崩して、殆どコテージで過ごしたから海の想い出はない。という話から急に飛躍したように弓景には思えた。
「そう」御名が言う。「でも多分私より強いと思うわよ」
「そりゃ意外だな。お前、なんとなくそういうのも得意そうに見えるのに」
「…………。私、昔からチェスはからっきしなのよね。カードの方が好き、単純だし」
「どういうことだよ……」
そんな風にあまりに不出来な着地をした会話になんだか気が抜けてしまい、弓景は呆れながら苦笑する。トンネルを抜けた先で、御名が「あ!」と喜色が滲んだ声を上げた。
視界の先に、秋晴れの陽光を反射する海がまるで湖のように穏やかに広がっていた。