海を目指して
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
休憩を兼ねて、道路標識に従い適当なパーキングにバイクを駐めた。後部座席から一足先にぎこちなく地に足を付けた御名が、周囲をきょろきょろと見回してから弓景を見て首を傾げる。その姿に小さく吹き出した弓景は、コツコツと自分もまだ被ったままのヘルメットを叩いて見せた。それを見て、御名は思い出すようにヘルメットを脱ぐ。
「俺は便所行くけど、お前はどうする?」
「私は少し売店を見てくるわ」
「そーかよ。迷ったらバイクの側で待ってろよ」
「迷うわけないでしょ。ウチより狭いのに」
「…………」
売店やトイレに自販機がいくつか置かれた休憩所は規模の割にはほどほどに家族連れや旅行客で賑わっていた。用を足した後で、そういやアイツ金持ってんのか…? と昨晩の事を思い出した弓景はそのまま併設された売店に向かう。
御名は目立つ容姿をしているから探しやすい。整った顔立ちは言わずもがなだが、後ろ姿だけ見ても日本人にしては珍しい髪色をしているから、ただ立っているだけで人目を引く。
歩きながら店内を見回すが、目当ての人影は見つからない。客の間や陳列棚の死角などを潰すようにして暫く歩いてみるが見当たらず、本当にどこにいるんだと店の外を見て、弓景は思わず足を止めた。
「……? 誰だアイツ」
弓景が入ってきたのとは別の出入り口側、メーカー違いの自販機が並んだ前に御名が立っているのが店を囲むガラス越しに見える。しかし、その隣に男が立っていた。中肉中背で三十代くらいに見える男が笑いながら御名に何かを話しているように見えた。
勿論、弓景には一切の面識がない男である。そして弓景のいる位置からは男の顔はかろうじて見えても、御名は後ろ姿しか見えない。弓景は一瞬考えた後、すぐに険しい顔をして、足早にその方へ向かった。
「何してんだ」
弓景は御名の真横で立ち止まり、見知らぬ男を威嚇するように睨んだ。男は目を瞬かせて、弓景を見る。
御名が人目を引くと言ったが、それは弓景も同様で、上背のある金髪の成人男性がポケットに手を突っ込んで仏頂面で歩いてると、……それはもう一般的には威圧感があって柄が悪く見えるものだ。それが目を細めて睨むなら、もはやヤンキーと言っても差し支えない。
「えっ」
男は意識外から割り込んできた乱入者に驚くような顔をしたが、すぐにその乱入者が自分に向かってチンピラよろしくメンチを切っている現実に気付くと狼狽えた。助けを求めるようにすぐ隣の御名を見る。当の御名はというと、同じように闖入者に驚きながらも、それが知り合いで、絶賛メンチ切りの最中だとすぐに気付いて呆れたような声を上げた。
「もう! どうして睨んでるのよ、弓景。失礼でしょ」
「は? ウッ」
肘で脇腹を小突かれた。悶絶するほどの衝撃ではないが、反射的に手を添えて身体を折った弓景はこの状況を図りあぐねていた。何で俺が殴られるんだ。
御名と弓景のやり取りを見て、二人が知り合いであることに気付いた男は暫く交互に二人を見た。
「ええと、……彼氏?」
「……そうです。この人がごめんなさい、何か誤解があったみたいで」
困ったような表情で、御名が謝るように両手を合わせて首を竦める。男は慌てるように両手を所在なく左右に振った。御名が一瞬自分に視線を向けて小さく顎をしゃくる仕草を見せたため、弓景は眉間に皺を寄せながらも男に対して軽く頭を下げる。
てっきり、絡まれているのだと思ったのだが……弓景は自分が何かを間違えたらしいと察しながら、初めて見る御名の表情に瞠目していた。
「ああいや、いいんだ。僕は大丈夫だよ。どうかな、もう迷わずに行けそうかな?」
「ええ、大丈夫です! ありがとうございます、おかげで本当にいい旅行になりそう」
「こちらこそ、気をつけてね。いい旅を!」
バイバイと微笑みながら背を向けて去って行く男を見送る御名は、人好きのするような柔和な笑顔を浮かべていた。
「今の……、知り合いじゃねーよな?」
「勿論。 ……あのね、言ったでしょ。社交活動は得意だって」
「……?」
「あの人、売店で見かけたから私から声をかけたのよ。よくバイクに乗ってるみたいだし旅慣れしてる人に見えたから、いい話が聞けないかと思って。聞いてみたらやっぱりツーリングが趣味なんですって、バイクで海を見に行くって言ったらおすすめのルートを教えてくれたわ」
「ああそう……。んじゃ、さっきの人にも悪いことしたな。邪魔して悪かったよ」
「弓景が大体何を勘違いしたのか分かるから、許してあげるわ」
男が御名に絡んでいると思ったのは本当に完全なる誤解で、実際は御名の方から見知らぬ男に声をかけていたわけだ。しかも男は悪漢どころか、人助け中の善い人だったわけだ。決まりの悪い顔をして、男が去って行った方を見る弓景はなんとも言えない気持ちになった。
一方で御名は先ほどの出来事を特段気にしてもいないらしい。弓景を見て、許すけど代わりに飲み物奢って、とすぐ近くの自販機を両手で指さして悪戯っぽく笑っている。それを訝しむように見る。これは知ってる表情だ。
だが、……さっきの男を相手にしていた御名は雰囲気からして全く違う女の顔をしていた気がする。
妙な違和感を感じながら、ため息を一つこぼして財布を取り出した弓景が「どれ」と訊ねれば、言い出したものの特に決めていなかったらしい御名が「ちょっとまって」と言いながら自販機のラインナップに目を走らせ始める。数秒待ったが、まだ悩んでいるので先に小銭を入れて、弓景はコーヒーを選ぶ。ゴト、と音を立てて缶が落下した。
「……イマイチわからねーんだけどよ」
「? なにが?」
「なんで分かったんだ。アイツがバイクに乗るって」
取り出し口に手を突っ込み、缶を掴んだ弓景は屈んだ姿勢のまま御名を見上げる。
弓景には、先ほどの男がパッと見でバイク乗りには見えなかった。ツーリングが趣味の男がこういった休憩所に入ること自体は全く珍しくないが、今の男は格好に目立った特徴があったわけでもない。初対面の人間でも気兼ねなく話しに行ける御名の社交性は別にしても、売店で男を見ただけでバイクの運転経験があって旅慣れしてる人に見えたと判断するだけの要素があるようには見えなかったのだ。
御名は顎に手を添え、しげしげと商品を眺めていた体勢のまま、不思議そうに弓景を見下ろして首を傾げた。何故そんなことを聞くのか分からないと言いたげな顔で言う。
「靴よ」
「あ? 靴?」
「左足のつま先に特有の擦れがあったわ。弓景のブーツにもあるでしょ? 物持ちがいい人なんでしょうね、左右差があってそれなりに目立ってた。首回りに日焼けもあったし」
不意に、風が強く吹き抜けた。風に攫われた御名の髪が揺れる。
からりとした秋晴れの下、風を受けて思わず目を細めた御名は腕を擦りながら「私はこれにする」とホットココアの缶を指さした。頭を掻きつつ立ち上がり、硬化を投入すれば御名が合わせてボタンを押す。またゴト、という音がした。
拾い上げようと屈む小柄な背中から目を逸らし、弓景は自分の左足を上げてみた。……よく見れば、確かに弓景の靴にも小さな傷が出来ていた。運転中に左足でシフトチェンジを行う際につくものだろう。日焼けの跡はヘルメットで出来るものか、言われてみれば、という気もするが……。
「……こんなところまで見てんのか……」
ぼそり、と呟いた弓景の声を聞いて、御名が唐突に吹き出した。
慌てて口元を押さえ、背を曲げて堪えるようにしながら震えている。なんとか堪えようとした笑いを漏らしそうになるのを抑えつけようとして、うまくいかなかった笑い声が指の隙間から零れた。
「ふ、あはは……! あはははっ」
「は?」
「冗談、冗談よ。見えるわけ無いでしょ……!」
「はあ!?」
その後、弓景の反応がツボに入ったらしい御名は笑いを堪えるのをやめて、結局涙が出るほど笑っていた。弓景は終始むっとした表情で眉間に深い皺を寄せて壁に寄りかかり、無言でコーヒーを飲んで耐えた。
反応を見る限り、左足のつま先に特有の擦れ~だの、首回りに日焼け~だのは口から出任せだったらしい。適当に言った言葉を真に受けて、自分の靴まで眺めて納得までしてしまった弓景の反応がいたくお気に召したようだった。笑われているので気分自体は良くないが、何故か不思議とそこまで腹が立たない。
笑いの波が漸く落ち着いて、はあ、と息を吐いた御名が目元の涙を拭いながら言った。
「ああ、……死ぬかと思ったわ」
「死なねーよ! ……ッたく、いつまで笑ってんだ」
「ホントにね、こんなに笑ったのは私も生まれて初めてよ」
呆れ顔の弓景の横で壁に背を預けた御名が笑いながら、温くなったココアのプルタブを開けた。缶を傾けてひとくち飲んだ御名が、改めて思い出すように弓景に話しかける。亜麻色の瞳が猫のように細まる。
「ねえ、冗談は抜きにして聞きたい? なんで私があの人に声をかけたのか」
「……。言ってみろよ」
「女の勘よ」
「マジでふざけてんな……」
弓景の脳裏に事あるごとにオンナの勘だと話にオチを付けてくる二番目の兄の顔が過ぎ去る。今度こそげんなりとした表情で弓景は閉口した。元々茶化される予感はしていたので馬鹿馬鹿しくて怒る気にもなれない。
御名は、本当によく笑う女だった。昨日はそうでもなかったような気がするが、念願だったというバイクに乗れて気分がいいからだろうか。今日は特に上機嫌で、弓景をよくからかいもした。有栖院御名は元々、こういう女なのだろうか。彼女に出会ってから、何度か思いついては消える疑問をまた弓景は思い浮かべた。
壁により掛かるようにして休憩する二人の前を、子連れの家族が笑いながら歩き去って行く。御名はその姿を目で追うように眺めていた。その横顔が哀愁を帯びているように見えて、弓景はわざと靴底で足音を立てるように歩き出した。
「そろそろ行こうぜ。いいルート教えてもらったんだろ」
「そうね。海も近くで見える上に浜辺に直接降りれる駐車場もあるって言ってたから。私、浜辺も歩いてみたかったのよ」
「マジかよ」
「俺は便所行くけど、お前はどうする?」
「私は少し売店を見てくるわ」
「そーかよ。迷ったらバイクの側で待ってろよ」
「迷うわけないでしょ。ウチより狭いのに」
「…………」
売店やトイレに自販機がいくつか置かれた休憩所は規模の割にはほどほどに家族連れや旅行客で賑わっていた。用を足した後で、そういやアイツ金持ってんのか…? と昨晩の事を思い出した弓景はそのまま併設された売店に向かう。
御名は目立つ容姿をしているから探しやすい。整った顔立ちは言わずもがなだが、後ろ姿だけ見ても日本人にしては珍しい髪色をしているから、ただ立っているだけで人目を引く。
歩きながら店内を見回すが、目当ての人影は見つからない。客の間や陳列棚の死角などを潰すようにして暫く歩いてみるが見当たらず、本当にどこにいるんだと店の外を見て、弓景は思わず足を止めた。
「……? 誰だアイツ」
弓景が入ってきたのとは別の出入り口側、メーカー違いの自販機が並んだ前に御名が立っているのが店を囲むガラス越しに見える。しかし、その隣に男が立っていた。中肉中背で三十代くらいに見える男が笑いながら御名に何かを話しているように見えた。
勿論、弓景には一切の面識がない男である。そして弓景のいる位置からは男の顔はかろうじて見えても、御名は後ろ姿しか見えない。弓景は一瞬考えた後、すぐに険しい顔をして、足早にその方へ向かった。
「何してんだ」
弓景は御名の真横で立ち止まり、見知らぬ男を威嚇するように睨んだ。男は目を瞬かせて、弓景を見る。
御名が人目を引くと言ったが、それは弓景も同様で、上背のある金髪の成人男性がポケットに手を突っ込んで仏頂面で歩いてると、……それはもう一般的には威圧感があって柄が悪く見えるものだ。それが目を細めて睨むなら、もはやヤンキーと言っても差し支えない。
「えっ」
男は意識外から割り込んできた乱入者に驚くような顔をしたが、すぐにその乱入者が自分に向かってチンピラよろしくメンチを切っている現実に気付くと狼狽えた。助けを求めるようにすぐ隣の御名を見る。当の御名はというと、同じように闖入者に驚きながらも、それが知り合いで、絶賛メンチ切りの最中だとすぐに気付いて呆れたような声を上げた。
「もう! どうして睨んでるのよ、弓景。失礼でしょ」
「は? ウッ」
肘で脇腹を小突かれた。悶絶するほどの衝撃ではないが、反射的に手を添えて身体を折った弓景はこの状況を図りあぐねていた。何で俺が殴られるんだ。
御名と弓景のやり取りを見て、二人が知り合いであることに気付いた男は暫く交互に二人を見た。
「ええと、……彼氏?」
「……そうです。この人がごめんなさい、何か誤解があったみたいで」
困ったような表情で、御名が謝るように両手を合わせて首を竦める。男は慌てるように両手を所在なく左右に振った。御名が一瞬自分に視線を向けて小さく顎をしゃくる仕草を見せたため、弓景は眉間に皺を寄せながらも男に対して軽く頭を下げる。
てっきり、絡まれているのだと思ったのだが……弓景は自分が何かを間違えたらしいと察しながら、初めて見る御名の表情に瞠目していた。
「ああいや、いいんだ。僕は大丈夫だよ。どうかな、もう迷わずに行けそうかな?」
「ええ、大丈夫です! ありがとうございます、おかげで本当にいい旅行になりそう」
「こちらこそ、気をつけてね。いい旅を!」
バイバイと微笑みながら背を向けて去って行く男を見送る御名は、人好きのするような柔和な笑顔を浮かべていた。
「今の……、知り合いじゃねーよな?」
「勿論。 ……あのね、言ったでしょ。社交活動は得意だって」
「……?」
「あの人、売店で見かけたから私から声をかけたのよ。よくバイクに乗ってるみたいだし旅慣れしてる人に見えたから、いい話が聞けないかと思って。聞いてみたらやっぱりツーリングが趣味なんですって、バイクで海を見に行くって言ったらおすすめのルートを教えてくれたわ」
「ああそう……。んじゃ、さっきの人にも悪いことしたな。邪魔して悪かったよ」
「弓景が大体何を勘違いしたのか分かるから、許してあげるわ」
男が御名に絡んでいると思ったのは本当に完全なる誤解で、実際は御名の方から見知らぬ男に声をかけていたわけだ。しかも男は悪漢どころか、人助け中の善い人だったわけだ。決まりの悪い顔をして、男が去って行った方を見る弓景はなんとも言えない気持ちになった。
一方で御名は先ほどの出来事を特段気にしてもいないらしい。弓景を見て、許すけど代わりに飲み物奢って、とすぐ近くの自販機を両手で指さして悪戯っぽく笑っている。それを訝しむように見る。これは知ってる表情だ。
だが、……さっきの男を相手にしていた御名は雰囲気からして全く違う女の顔をしていた気がする。
妙な違和感を感じながら、ため息を一つこぼして財布を取り出した弓景が「どれ」と訊ねれば、言い出したものの特に決めていなかったらしい御名が「ちょっとまって」と言いながら自販機のラインナップに目を走らせ始める。数秒待ったが、まだ悩んでいるので先に小銭を入れて、弓景はコーヒーを選ぶ。ゴト、と音を立てて缶が落下した。
「……イマイチわからねーんだけどよ」
「? なにが?」
「なんで分かったんだ。アイツがバイクに乗るって」
取り出し口に手を突っ込み、缶を掴んだ弓景は屈んだ姿勢のまま御名を見上げる。
弓景には、先ほどの男がパッと見でバイク乗りには見えなかった。ツーリングが趣味の男がこういった休憩所に入ること自体は全く珍しくないが、今の男は格好に目立った特徴があったわけでもない。初対面の人間でも気兼ねなく話しに行ける御名の社交性は別にしても、売店で男を見ただけでバイクの運転経験があって旅慣れしてる人に見えたと判断するだけの要素があるようには見えなかったのだ。
御名は顎に手を添え、しげしげと商品を眺めていた体勢のまま、不思議そうに弓景を見下ろして首を傾げた。何故そんなことを聞くのか分からないと言いたげな顔で言う。
「靴よ」
「あ? 靴?」
「左足のつま先に特有の擦れがあったわ。弓景のブーツにもあるでしょ? 物持ちがいい人なんでしょうね、左右差があってそれなりに目立ってた。首回りに日焼けもあったし」
不意に、風が強く吹き抜けた。風に攫われた御名の髪が揺れる。
からりとした秋晴れの下、風を受けて思わず目を細めた御名は腕を擦りながら「私はこれにする」とホットココアの缶を指さした。頭を掻きつつ立ち上がり、硬化を投入すれば御名が合わせてボタンを押す。またゴト、という音がした。
拾い上げようと屈む小柄な背中から目を逸らし、弓景は自分の左足を上げてみた。……よく見れば、確かに弓景の靴にも小さな傷が出来ていた。運転中に左足でシフトチェンジを行う際につくものだろう。日焼けの跡はヘルメットで出来るものか、言われてみれば、という気もするが……。
「……こんなところまで見てんのか……」
ぼそり、と呟いた弓景の声を聞いて、御名が唐突に吹き出した。
慌てて口元を押さえ、背を曲げて堪えるようにしながら震えている。なんとか堪えようとした笑いを漏らしそうになるのを抑えつけようとして、うまくいかなかった笑い声が指の隙間から零れた。
「ふ、あはは……! あはははっ」
「は?」
「冗談、冗談よ。見えるわけ無いでしょ……!」
「はあ!?」
その後、弓景の反応がツボに入ったらしい御名は笑いを堪えるのをやめて、結局涙が出るほど笑っていた。弓景は終始むっとした表情で眉間に深い皺を寄せて壁に寄りかかり、無言でコーヒーを飲んで耐えた。
反応を見る限り、左足のつま先に特有の擦れ~だの、首回りに日焼け~だのは口から出任せだったらしい。適当に言った言葉を真に受けて、自分の靴まで眺めて納得までしてしまった弓景の反応がいたくお気に召したようだった。笑われているので気分自体は良くないが、何故か不思議とそこまで腹が立たない。
笑いの波が漸く落ち着いて、はあ、と息を吐いた御名が目元の涙を拭いながら言った。
「ああ、……死ぬかと思ったわ」
「死なねーよ! ……ッたく、いつまで笑ってんだ」
「ホントにね、こんなに笑ったのは私も生まれて初めてよ」
呆れ顔の弓景の横で壁に背を預けた御名が笑いながら、温くなったココアのプルタブを開けた。缶を傾けてひとくち飲んだ御名が、改めて思い出すように弓景に話しかける。亜麻色の瞳が猫のように細まる。
「ねえ、冗談は抜きにして聞きたい? なんで私があの人に声をかけたのか」
「……。言ってみろよ」
「女の勘よ」
「マジでふざけてんな……」
弓景の脳裏に事あるごとにオンナの勘だと話にオチを付けてくる二番目の兄の顔が過ぎ去る。今度こそげんなりとした表情で弓景は閉口した。元々茶化される予感はしていたので馬鹿馬鹿しくて怒る気にもなれない。
御名は、本当によく笑う女だった。昨日はそうでもなかったような気がするが、念願だったというバイクに乗れて気分がいいからだろうか。今日は特に上機嫌で、弓景をよくからかいもした。有栖院御名は元々、こういう女なのだろうか。彼女に出会ってから、何度か思いついては消える疑問をまた弓景は思い浮かべた。
壁により掛かるようにして休憩する二人の前を、子連れの家族が笑いながら歩き去って行く。御名はその姿を目で追うように眺めていた。その横顔が哀愁を帯びているように見えて、弓景はわざと靴底で足音を立てるように歩き出した。
「そろそろ行こうぜ。いいルート教えてもらったんだろ」
「そうね。海も近くで見える上に浜辺に直接降りれる駐車場もあるって言ってたから。私、浜辺も歩いてみたかったのよ」
「マジかよ」