海を目指して
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「とりあえずこれ着とけ」
家からバイクの置いてあるマンションの駐車場まで歩く道すがら、エレベーターの中で弓景は持ってきたジャケットを差し出した。たまーに遠乗りする時用にと思って買ったが、殆ど使わずにクローゼットにしまい込んでいたものだ。
素直に受け取りながらも、なんで? と言いたげな御名の視線に気付いたからか、弓景が説明をする。
「バイクで走ると冷えんだよ。真冬じゃねーからまだマシだけど、風邪でも引いたら困るだろ」
「ありがと……色々と準備がいるのね」
「まあな」
受け取ったジャケットをしげしげと見つめた後でジャケットに袖を通して、自分の姿を確認するように身体を捻って見る。そして、御名は弓景を見上げる。喜色が滲み、どこか自慢げな表情をしていた。
「どう? 似合う?」
「……。やっぱりちょっとでかいな」
「似合うかどうかを聞いたんですけど?」僅かに眉根を寄せる。しかし特別気にした様子もなくあっけらかんと言った。「まあ少し大きいけど袖を折るほどじゃないし、これでいいわ」
そうしてご機嫌な様子で歩き出す御名には、身についた所作や歩き方一つとってもモデル顔負けに目を引く存在感がある。実際に芸能人やモデルだと言われても違和感なく受け入れられるだろう。その後ろ姿を目で追いながら、弓景もまた数歩遅れて追いかける。
御名はよく喋る方だった。別に何か重要な話というよりはもっと雑談に近く、いつ頃弓景が免許を取ったのだとか、御名はバイクには乗れないけど乗馬ならできるのだとか、そういう取り留めない話をしながら二人は歩いた。
駐車場に着き、弓景の愛車を目にした御名はまず周りをぐるぐると見て歩いた。満足そうに頷いて「かっこいい」と率直に褒め称えた彼女の言葉に弓景は誇らしげに、あるいは気恥ずかしそうに鼻の下を擦る。
弓景が一通りバイクへの乗り方や注意事項を説明した後、御名は急に眉を寄せて言った。
「このまま、有栖院家に連れて行ったりしないでしょうね」
「あ」
「今その手があったかって思ったでしょ! 絶対そういう顔した!」
「信用できないならやめといてもいいぞ」
そう返してすぐにぐっ、と言葉に詰まった御名の顔には苦々しい表情が浮かんでいる。明らかに分かりやすく、それは嫌だ、と書かれているのが弓景には分かった。
「……やめない」
バイクに乗ることが念願だという彼女にとっては、騙されて家に連れ帰られるかもしれないというだけで絶好の機会を諦める理由にはならないらしい。ヘルメットを差し出せば、唇を尖らせるような表情で不服を表していた御名がふんと鼻を鳴らす。
「疑って悪かったわ。とっくに信頼してるわよ。貴方はいい人だもの」
「……そうかよ」
「人を見る目には自信があるんだから」
「ハイハイ」
正直、真っ向からいい人と称されるのは、むず痒いような気分になった。……まあいい人だよな、少なくともクソ野郎と称される筋合いは全くない。
不慣れ故の戸惑いを感じさせる動きでバイクの後部座席に跨がった御名に弓景は声をかける。
「乗れたか? ちゃんと掴まれよ」
「掴まるって、……こう?」
言うが早いか、弓景は背中に頭突きを受けたような衝撃を感じ、一瞬息が止まった。腹部にはしがみつくように両腕が巻き付いている。頭突きのような……どころか、それは紛う事なき頭突きだった。歯を食いしばって死角外からの急襲に耐えた弓景は顔を顰めて言う。
「ってえ……、お前な……」
「貴方が掴まれって言ったんでしょ」
「そーだけどよ、これじゃ運転できねーっつの。つーかこれじゃ掴まるじゃなくて締めてるだろ。抱きつくな」
「は? ちょっと、抱きつくとか何言ってるの。やめてもらえる?」
「自分でやったんだろ!!」
明確な拒否を示すように絡みついていた腕がパッと離れる。弓景が振り向いて抗議すれば御名は所在なさげに両手を挙げて視線を彷徨わせていた。
「え、じゃあどこに掴まればいいの」
「手はここで、膝で挟んで保持する」
「こ、こう? ……思ってたより心許ないのね」
「怖いか?」
「ちょっとだけね」
「……。やめるか?」
「何、それって挑発?」
不敵な面構えで顎を突き出して強気に応える御名はやはり是が非でもバイクに乗りたいらしかった。弓景は呆れるように小さく笑って、エンジンキーを捻った。バイクから漏れ出す低い唸り声、僅かな排気ガスの匂いに僅かに緊張を感じた。もう免許を取って何年も経つし、運転自体にも慣れたはずなのに、こんな緊張を感じるのは後ろに人を乗せているからだろうか。
……ていうかこれ、まるでデートみたいだな……。
スロットルを軽く捻り、エンジンが温まるのを待つ間、ふいにそんなことを弓景は考えた。誰が思うんだよ。初めてバイクの後ろに乗せる女が、有栖院御名になるだなんて。
不思議なことに、そこまで悪い気はしなかったが。
「あはははっ弓景! バイクって楽しいわね!」
バイクが颯爽と町を走り駆ける中で、有栖院御名は笑った。器から零れてなお、止まらない喜びが溢れるような笑い声を上げる。
心の底から笑うなんて一体いつぶりだろう。と彼女は思った。だって、楽しいのだ。
リムジンの中から景色を車窓越しに眺めるのとは全く違う。エンジンの唸りが身体に響き、流れる空気が身体を包んで風を切って走る感覚をこれほど間近に感じられることは……御名にとって生まれて初めての体験だった。静けさや快適さとはほど遠く、ここには風と音、そして速さがある。
「そーかよ!」
インカム越しに弓景の声がして、バイクが更に加速する。体がわずかに後ろに引かれ、慌てて運転手の背中に隙間を埋めるようにしがみつく。そして、御名はその不安がすぐに喜びに塗り変わるのを感じた。周囲の景色が目の前を一瞬で駆け抜けて、世界がいつもより鮮やかに見える気がした。
心臓が高鳴る。
自由とは、こんな感覚なのかも知れないと彼女は思った。あの映画……昨日見たあの映画の中で、王女が初めてベスパに乗ったとき、彼女もこんな自由を身に受けていたのだろうか。そう、頭の片隅で思った。
「サイコー! 風になったみたい!」
そう言うと、弓景は笑った。
「そのツルギさんって、C3の人?」
「オイなんで吊戯にはさん付けなんだよ」
「初対面かも知れない人を呼び捨てにするわけないでしょ」
「あ? じゃあなんで俺は呼び捨てなんだよ」
「弓景は、んー……親しみ?」
「言ってろバカ」
暫く走って一頻り御名の興奮が落ち着いた後、二人は取り留めのない話をしていた。御名は話し上手でもあったので、会話は途切れなかった。
そんな中で弓景から出た吊戯の名前。狼谷吊戯というのは、C3東京支部で戦闘班に所属している青年。魔術師の世界ではそこそこ有名な人物だと弓景は言うが、御名は『狼谷』の名前を聞いても全くピンとこなかった。
「意外かもしれないけど。私、C3の内部事情とかほとんど知らないのよね」
「そうなのか? お前、有栖院だろ」
「弓景も月満だからってなんでもかんでも知ってるわけじゃないでしょ」
「……まあ……。そりゃ、そうか」
「そういうこと。うちが代々C3に出資して父さんが今の会長やってて、月満さんが東京支部の支部長やってる以上のことは知らないわ」
東京支部の支部長やってる月満さんというのは月満家長男であり現当主の月満伊檻、ようは弓景の兄のことだ。弓景の脳裏に柔和な優男フェイスを浮かべた兄の顔が爆速で過ぎ去っていく。当然と言えば当然かもしれないが、御名と伊檻には一定以上の面識があるらしい。
「お父さんは魔術師関連のつながりについては話さないし、魔術に関してもあまり教えてくれなかったから。御国と違って、私には魔術師の才能がなかったからでしょうね。次の当主も御国の予定だったし」
ため息を吐くような息遣いだった。御名の言葉に弓景は内心、一定の理解を示した。こと月満家において、三男として生まれた弓景もまた似たような境遇で育ったからだ。
色々あって、今では弓景もC3東京支部の戦闘班に所属する魔術師だ。しかし戦闘班の仕事には危険が伴う事もあって、……元々、母親からはそれさえもあまり望まれていなかった。昔からのしきたりだなんだという縛りもあるが、基本的には家を継ぐ人間ではないから重い責任はない。言われたとおりにしていれば何にも困らず大人になれる、そんなある意味順風満帆で穏やかな人生を約束されていた。それはきっと、有栖院家の長女として育った御名も同じだったのだろう。
有栖院家の内情をよく知らない弓景でも、御名が置かれていたであろう複雑な環境を想像するのは難しくなかった。
「それで、吊戯さんは弓景の同僚? それとも友だち?」
「どっちもだ」
弓景が答えると、御名はいいわね、と言った。その響きは呟きが零れ落ちたみたいな柔らかさで、弓景は御名が微笑みを零すような表情を浮かべる姿を想像する。あるいは、ほんの少しだけ弓景を羨んでいるような声にも聞こえた。
有栖院御名には、そういう友人はいなかったのだろうか。月満弓景にとっての、狼谷吊戯や車守盾一郎のような友人が。
「お前、もしかして友だちいな」
言い終わる間もなく背中を小突かれる。
「いるわよ!」
「オイ叩くなこっちは運転中だぞ」
危ないだろうが、と続ければ不遜な態度の同行者は不満げに鼻を鳴らす。どうやら機嫌を損ねたらしい。弓景がどうやって宥めようかと言葉を選んでいると、暫くの無言の後、御名が言った。
「社交活動は得意よ。でも……こんな風に出かけたり、家の事情とかを気にしないで話が出来る人はいなかったってだけ」
「……。難しく考えすぎだろ」
弓景の言葉に、御名は小さく笑うように息を吐いた。
意外にも、そうね、と小さく同意するような言葉が返される。
『社交活動』なんて、ずいぶんと仰々しい言い方だと思った。同時に理解もする。だから、有栖院御名にとっては助けを求められるような相手が誰もいなかったということを。実際のところは分からない。彼女が誰かに助けてくれと言えば、その誰かはそれに応えたのかもしれない。……だが少なくとも、本人の認識では友人はいても、気軽にふざけて遊んだり助けを求められたりするような友だちは一人も思いつかなかったのだ。
(だから、こうなってんだよな……)
家出という手段を選んで、たまたま弓景と出会って、そのまま顔見知りなだけの男の家に転がり込んで、一晩を明かして、こうしてバイクに相乗りして、海に向かってる。
家からバイクの置いてあるマンションの駐車場まで歩く道すがら、エレベーターの中で弓景は持ってきたジャケットを差し出した。たまーに遠乗りする時用にと思って買ったが、殆ど使わずにクローゼットにしまい込んでいたものだ。
素直に受け取りながらも、なんで? と言いたげな御名の視線に気付いたからか、弓景が説明をする。
「バイクで走ると冷えんだよ。真冬じゃねーからまだマシだけど、風邪でも引いたら困るだろ」
「ありがと……色々と準備がいるのね」
「まあな」
受け取ったジャケットをしげしげと見つめた後でジャケットに袖を通して、自分の姿を確認するように身体を捻って見る。そして、御名は弓景を見上げる。喜色が滲み、どこか自慢げな表情をしていた。
「どう? 似合う?」
「……。やっぱりちょっとでかいな」
「似合うかどうかを聞いたんですけど?」僅かに眉根を寄せる。しかし特別気にした様子もなくあっけらかんと言った。「まあ少し大きいけど袖を折るほどじゃないし、これでいいわ」
そうしてご機嫌な様子で歩き出す御名には、身についた所作や歩き方一つとってもモデル顔負けに目を引く存在感がある。実際に芸能人やモデルだと言われても違和感なく受け入れられるだろう。その後ろ姿を目で追いながら、弓景もまた数歩遅れて追いかける。
御名はよく喋る方だった。別に何か重要な話というよりはもっと雑談に近く、いつ頃弓景が免許を取ったのだとか、御名はバイクには乗れないけど乗馬ならできるのだとか、そういう取り留めない話をしながら二人は歩いた。
駐車場に着き、弓景の愛車を目にした御名はまず周りをぐるぐると見て歩いた。満足そうに頷いて「かっこいい」と率直に褒め称えた彼女の言葉に弓景は誇らしげに、あるいは気恥ずかしそうに鼻の下を擦る。
弓景が一通りバイクへの乗り方や注意事項を説明した後、御名は急に眉を寄せて言った。
「このまま、有栖院家に連れて行ったりしないでしょうね」
「あ」
「今その手があったかって思ったでしょ! 絶対そういう顔した!」
「信用できないならやめといてもいいぞ」
そう返してすぐにぐっ、と言葉に詰まった御名の顔には苦々しい表情が浮かんでいる。明らかに分かりやすく、それは嫌だ、と書かれているのが弓景には分かった。
「……やめない」
バイクに乗ることが念願だという彼女にとっては、騙されて家に連れ帰られるかもしれないというだけで絶好の機会を諦める理由にはならないらしい。ヘルメットを差し出せば、唇を尖らせるような表情で不服を表していた御名がふんと鼻を鳴らす。
「疑って悪かったわ。とっくに信頼してるわよ。貴方はいい人だもの」
「……そうかよ」
「人を見る目には自信があるんだから」
「ハイハイ」
正直、真っ向からいい人と称されるのは、むず痒いような気分になった。……まあいい人だよな、少なくともクソ野郎と称される筋合いは全くない。
不慣れ故の戸惑いを感じさせる動きでバイクの後部座席に跨がった御名に弓景は声をかける。
「乗れたか? ちゃんと掴まれよ」
「掴まるって、……こう?」
言うが早いか、弓景は背中に頭突きを受けたような衝撃を感じ、一瞬息が止まった。腹部にはしがみつくように両腕が巻き付いている。頭突きのような……どころか、それは紛う事なき頭突きだった。歯を食いしばって死角外からの急襲に耐えた弓景は顔を顰めて言う。
「ってえ……、お前な……」
「貴方が掴まれって言ったんでしょ」
「そーだけどよ、これじゃ運転できねーっつの。つーかこれじゃ掴まるじゃなくて締めてるだろ。抱きつくな」
「は? ちょっと、抱きつくとか何言ってるの。やめてもらえる?」
「自分でやったんだろ!!」
明確な拒否を示すように絡みついていた腕がパッと離れる。弓景が振り向いて抗議すれば御名は所在なさげに両手を挙げて視線を彷徨わせていた。
「え、じゃあどこに掴まればいいの」
「手はここで、膝で挟んで保持する」
「こ、こう? ……思ってたより心許ないのね」
「怖いか?」
「ちょっとだけね」
「……。やめるか?」
「何、それって挑発?」
不敵な面構えで顎を突き出して強気に応える御名はやはり是が非でもバイクに乗りたいらしかった。弓景は呆れるように小さく笑って、エンジンキーを捻った。バイクから漏れ出す低い唸り声、僅かな排気ガスの匂いに僅かに緊張を感じた。もう免許を取って何年も経つし、運転自体にも慣れたはずなのに、こんな緊張を感じるのは後ろに人を乗せているからだろうか。
……ていうかこれ、まるでデートみたいだな……。
スロットルを軽く捻り、エンジンが温まるのを待つ間、ふいにそんなことを弓景は考えた。誰が思うんだよ。初めてバイクの後ろに乗せる女が、有栖院御名になるだなんて。
不思議なことに、そこまで悪い気はしなかったが。
「あはははっ弓景! バイクって楽しいわね!」
バイクが颯爽と町を走り駆ける中で、有栖院御名は笑った。器から零れてなお、止まらない喜びが溢れるような笑い声を上げる。
心の底から笑うなんて一体いつぶりだろう。と彼女は思った。だって、楽しいのだ。
リムジンの中から景色を車窓越しに眺めるのとは全く違う。エンジンの唸りが身体に響き、流れる空気が身体を包んで風を切って走る感覚をこれほど間近に感じられることは……御名にとって生まれて初めての体験だった。静けさや快適さとはほど遠く、ここには風と音、そして速さがある。
「そーかよ!」
インカム越しに弓景の声がして、バイクが更に加速する。体がわずかに後ろに引かれ、慌てて運転手の背中に隙間を埋めるようにしがみつく。そして、御名はその不安がすぐに喜びに塗り変わるのを感じた。周囲の景色が目の前を一瞬で駆け抜けて、世界がいつもより鮮やかに見える気がした。
心臓が高鳴る。
自由とは、こんな感覚なのかも知れないと彼女は思った。あの映画……昨日見たあの映画の中で、王女が初めてベスパに乗ったとき、彼女もこんな自由を身に受けていたのだろうか。そう、頭の片隅で思った。
「サイコー! 風になったみたい!」
そう言うと、弓景は笑った。
「そのツルギさんって、C3の人?」
「オイなんで吊戯にはさん付けなんだよ」
「初対面かも知れない人を呼び捨てにするわけないでしょ」
「あ? じゃあなんで俺は呼び捨てなんだよ」
「弓景は、んー……親しみ?」
「言ってろバカ」
暫く走って一頻り御名の興奮が落ち着いた後、二人は取り留めのない話をしていた。御名は話し上手でもあったので、会話は途切れなかった。
そんな中で弓景から出た吊戯の名前。狼谷吊戯というのは、C3東京支部で戦闘班に所属している青年。魔術師の世界ではそこそこ有名な人物だと弓景は言うが、御名は『狼谷』の名前を聞いても全くピンとこなかった。
「意外かもしれないけど。私、C3の内部事情とかほとんど知らないのよね」
「そうなのか? お前、有栖院だろ」
「弓景も月満だからってなんでもかんでも知ってるわけじゃないでしょ」
「……まあ……。そりゃ、そうか」
「そういうこと。うちが代々C3に出資して父さんが今の会長やってて、月満さんが東京支部の支部長やってる以上のことは知らないわ」
東京支部の支部長やってる月満さんというのは月満家長男であり現当主の月満伊檻、ようは弓景の兄のことだ。弓景の脳裏に柔和な優男フェイスを浮かべた兄の顔が爆速で過ぎ去っていく。当然と言えば当然かもしれないが、御名と伊檻には一定以上の面識があるらしい。
「お父さんは魔術師関連のつながりについては話さないし、魔術に関してもあまり教えてくれなかったから。御国と違って、私には魔術師の才能がなかったからでしょうね。次の当主も御国の予定だったし」
ため息を吐くような息遣いだった。御名の言葉に弓景は内心、一定の理解を示した。こと月満家において、三男として生まれた弓景もまた似たような境遇で育ったからだ。
色々あって、今では弓景もC3東京支部の戦闘班に所属する魔術師だ。しかし戦闘班の仕事には危険が伴う事もあって、……元々、母親からはそれさえもあまり望まれていなかった。昔からのしきたりだなんだという縛りもあるが、基本的には家を継ぐ人間ではないから重い責任はない。言われたとおりにしていれば何にも困らず大人になれる、そんなある意味順風満帆で穏やかな人生を約束されていた。それはきっと、有栖院家の長女として育った御名も同じだったのだろう。
有栖院家の内情をよく知らない弓景でも、御名が置かれていたであろう複雑な環境を想像するのは難しくなかった。
「それで、吊戯さんは弓景の同僚? それとも友だち?」
「どっちもだ」
弓景が答えると、御名はいいわね、と言った。その響きは呟きが零れ落ちたみたいな柔らかさで、弓景は御名が微笑みを零すような表情を浮かべる姿を想像する。あるいは、ほんの少しだけ弓景を羨んでいるような声にも聞こえた。
有栖院御名には、そういう友人はいなかったのだろうか。月満弓景にとっての、狼谷吊戯や車守盾一郎のような友人が。
「お前、もしかして友だちいな」
言い終わる間もなく背中を小突かれる。
「いるわよ!」
「オイ叩くなこっちは運転中だぞ」
危ないだろうが、と続ければ不遜な態度の同行者は不満げに鼻を鳴らす。どうやら機嫌を損ねたらしい。弓景がどうやって宥めようかと言葉を選んでいると、暫くの無言の後、御名が言った。
「社交活動は得意よ。でも……こんな風に出かけたり、家の事情とかを気にしないで話が出来る人はいなかったってだけ」
「……。難しく考えすぎだろ」
弓景の言葉に、御名は小さく笑うように息を吐いた。
意外にも、そうね、と小さく同意するような言葉が返される。
『社交活動』なんて、ずいぶんと仰々しい言い方だと思った。同時に理解もする。だから、有栖院御名にとっては助けを求められるような相手が誰もいなかったということを。実際のところは分からない。彼女が誰かに助けてくれと言えば、その誰かはそれに応えたのかもしれない。……だが少なくとも、本人の認識では友人はいても、気軽にふざけて遊んだり助けを求められたりするような友だちは一人も思いつかなかったのだ。
(だから、こうなってんだよな……)
家出という手段を選んで、たまたま弓景と出会って、そのまま顔見知りなだけの男の家に転がり込んで、一晩を明かして、こうしてバイクに相乗りして、海に向かってる。