海を目指して
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「あ」「っと……」
弓景が商品を取ろうと伸ばした手と同時に伸びてきた手がぶつかりそうになって、女が無意識にといった様子で弓景の方を向く。
そうして、目が合った。
「わり……?」
弓景は反射的に謝罪しかけて、動きを止める。振り返った女がめったに見かけないようような美女で驚いた、というのも理由の一つだったが……。
女も驚いたように磨き上げられたグラスに注がれた蜂蜜酒のような瞳を丸くして、弓景を見返していた。数秒、そうして二人は見つめ合った。しかし、女は見る見るうちに顔を顰めて目を逸らすと、弓景の脇を抜けるように歩き出そうとする。
「待て」その腕を弓景は掴んで止める。
「……何?」意外にも抵抗する様子はなく女は足を止める。
「なんで今、逃げようとした?」
「えーと、逃げようとした……? 誰が?」
「お前が。」
ハァ、と女は短く息を吐いた。俯いていた顔が上がり、鋭く弓景を睨み付ける。不快感を露わにする表情をしていても不思議なほどに破綻がない。一目見て分かるほど、女の顔立ちは美しかった。
まっすぐに睨まれても意に介するどころか、弓景は無遠慮にまじまじとその顔を見つめる。やはり見覚えがある。特にこの顰めっ面を真正面から見て、弓景は確信した。
「お前、有栖院の……、御国の妹だろ」
「………………。ひと違いじゃ?」
「あ? 往生際悪すぎだろ」
女はまたハァ、と短く息を吐いた。今度は諦めよりも面倒だと言いたげな、無言の抗議を滲ませるようなため息だった。
「分かったわよ。逃げないから腕を離して、許しもなく女性の腕を掴むなんて無礼でしょ」
弓景の詰問に観念したように女は掴まれていない方の手で弓景の手を叩いた。虫を払うような弱い力加減で。それに対し、弓景は「叩くな」と文句を言いながらサッと腕を離す。
彼女は宣言通り、逃げなかった。掴まれていた腕を擦りながら所在なさげに視線を下げて立っている。
やっぱり御国の妹か。通りで見覚えのある顔な訳だ。と弓景は心の内で呟いた。
有栖院御名。有栖院家の長女であり、有栖院御国の双子の妹。
双子だけあってよく見れば確かに兄妹の顔はよく似ていたが、弓景と御名の兄である御国の間に目立った親交があったわけではない。一時期、弓景の友人である吊戯が面倒を見ていた時の顔見知り程度の、友達の友達よりも浅い仲だ。それでも一目見ただけで気付いたのは、弓景が個人的に彼女の顔を覚えていたからだった。
弓景と御名は顔見知りである。二人の生家、月満家と有栖院家はそれぞれ魔術師の家系であることに加えて役目による代々の当主同士の縁も深い。そういった家同士の繋がりによる集まりで弓景は御名の顔を見たことがあったし、御名もまた自分を呼び止めた男が月満の三男坊だとすぐに気付く程度には覚えていた。
とはいえ、お互いに昔紹介されて挨拶くらいはしたことがあるかもしれないな。くらいの関係値である。ほぼ顔と名前を知ってるだけの他人だった。
「なんで月満がこんなところにいるのよ……」
「フツーに家が近所だからだよ」
呟くように漏らされた不満げな言葉を拾い上げた。弓景が反射的に答える。なんでお前がこんなところにいるんだよ、はこっちの台詞だとも思っていた。それに対し、御名は驚いたように弓景を見上げ、どういうこと? と言うように小首をかしげる。
(どういうことも何も、こっちはフツーにツマミ買いにコンビニ来ただけだ)
一瞬訝しげな表情を浮かべた弓景だったが、すぐに御名の頭の中に弓景の実家の方、月満家の所在地が浮かんでいる事に気付いた。
「あー……、いや、そっちじゃない。賃貸。マンション。一人暮らししてんだよ」
「あー、そういうこと?」
「ていうか、実家暮らしなわけねーだろ」
「ふーん」
まあそういうこともあるのか、と言うような曖昧さを含んだ適当な反応だった。
「じゃあ、本当に偶然ってことなんだ」
「あ? 何が」
弓景が追求するも、「気にしないで」と御名は笑う。彼女の中で何らかの懸念が晴れて、弓景に対する警戒が一気に解けた事は分かったが、弓景の中ではあまり釈然としない。
弓景はちらりと店内から駐車場の方を見た。此処は有栖院の家からは遠くはないが近くもない。周囲にそれらしい車も特に駐まっていない。ってことは、家から徒歩できたのか? "有栖院"の子どもが……?
それに弓景を見て逃げようとしたところも何となく引っかかった。顔見知りだったから逃げようとしたのかもしれないが、それはつまり逃げるだけの理由が目の前の女にとってはあったということだ。
「(いや、俺を見て……じゃねーな。俺が"月満"だから逃げようとしたのか?)」
「ねえ」
「……なんだ?」
呼びかけに弓景は視線を戻す。御名は先ほどと打って変わって屈託のない笑顔を浮かべていた。表情や声色からは気安さが滲み、完全に警戒心が解けているのが分かる。
「買い物するならこれも買って」
まるで二人が気心知れた旧知の仲であるような遠慮のなさだ。突き出されているのは先ほど弓景が手に取ろうとしたコンビニスイーツで、【秋の味覚】【新発売】などという文字列がパッケージに書かれている。
態度の急変に驚く弓景を余所に、御名が手に持った商品を押し付けるようにずいずいと突き出した。
「あ、一応言っておくけどこれは私のだからね」
「あ!? なんでそうなんだよ!」
「私の方が取るの早かったでしょ。早いもの勝ち」
「いや、そうじゃねーだろ。つか、なんで俺が奢る流れになって……」
重ねて言うが、月満弓景と有栖院御名は家の交流で顔見知りではあれど、間違っても友人と呼べるような関係ではない。
弓景は文句の一つや二つも言ってやろうとして、一度沈黙した。有栖院御名が子どもみたいな表情で弓景を見上げていたからだ。自分の要求が断られるなんて微塵も思っていない。むしろ弓景が奢るのは当然で道理であると言わんばかりで、あ。これ、何を言ってもダメなやつだ。と弓景は直感的に理解した。
弓景は生まれた頃から月満家の三男で、癖が強めな年の離れた二人の兄を持つ永遠の弟として育ったので、この辺の察しの良さは鍛えられていた。目の前の女は弓景より年下ではあったが、彼女の笑顔が自分の我を意地でも通す類いの……一番上の兄貴の笑顔に似たものであるとすぐに察したのだ。
「ハァ、もういいわ貸せよ」
「ありがと。物わかりのいい人は好きよ」
マァ、自分の方が年上なのでこうして偶然でも知り合いに会った手前、少しでもいい格好はしておきたい、みたいな気持ちもちょっとあった。実を言うと弓景はつい反射的に小言の一つや二つを言いかけたものの、自分に笑いかけてくる有栖院御名の顔の良さに言葉を失ったのだ。
何故か奢ることが既定路線の流れになり、問答にも疲れ始めた弓景は御名に視線を向けて顎で行くぞと示して店内を歩き出した。御名は視線だけで店内を見回しつつ、素直に弓景の後を追従した。隙あらば逃げる、という意思は既に消失しているように見えた。
少なくとも、今は。
「なに買うの?」
「テキトーにツマミ」
……と、ビールを数本買い足す予定だったのだが。弓景は酒のコーナーをいかにも元から用などありませんでしたよとばかりの澄まし顔でスルーして、適当に目についたパッケージから酒の肴を選んだ。
その間、御名は「ふーん」と聞いておいて全く興味もなさげに返答しつつ、近くの陳列棚から【新発売】とポップが添えられたチョコレートの箱を手に取って無言で弓景に差し出した。弓景は無言でそれを受け取る。ちら、と持ってこられた商品の値札を確認し、僅かに口角を下げて斜め上へと視線を投げた。
コンビニのチョコって地味にたけーんだよな。弓景は所謂いいとこ育ちの坊ちゃんだったが、それは純粋に実家が金持ちというよりは(まあ実家も世間の基準で言えばでかい方だが)どちらかというと魔術師の血筋基準での良家であり、金銭感覚はいたって一般的な方だった。節約だって普通に考えるしスーパーの値引き品コーナーだって覗く。高えな、という言葉を飲み込む代わりに弓景は御名に聞いた。
「で。なんでこんな時間にこんなとこにいんだよ。夜遊びか?」
「…………夜遊び、って言ったら?」
「別に、なんでもいいけどよ。夜に一人でぶらつくなよ。何があるかわかんねーんだから」
魔術師の子どもは吸血鬼に狙われやすいというのは常識だ。ただし、子どもだから狙われるのではなく、魔術師の血筋だから吸血鬼に狙われる。その血は奴らにとって長く渇きを抑えられるから。大人を狙うより子どもを攫った方が簡単だから大人は襲われにくいというだけ。夜遅くに一人で出歩く危険性については言われなくてもよく知っているはずだ。
そういう意図を込めて御名を見れば、彼女はばつが悪そうな顔で「そうね」と言った。「私はサーヴァンプと契約もしてないし」と言いながら、ロイヤルミルクティーと書かれたコンビニブランドのカップ飲料を手に取り、しげしげと眺めて、弓景に渡す。
そもそも吸血鬼云々の魔術師事情を抜きにしてもこれだけ綺麗な女が一人で夜の町を歩いてたら人間の男だって放っておかないだろうな、と思いながら弓景は「もういいか?」と声をかけた。短い肯定の声を聞いて、二人はレジに向かう。
「ケータイくらい持ってんだろ? 連絡して迎えに来てもらえよ、それまで一緒に待っててやっから」
「やだ。携帯も置いて出てきたし」
「は? なんで」
「聞いたら後悔すると思うけど」
「夜遊び、じゃねーのかよ」
「違う」と御名は即答した。
「私、家出してきたのよ」
「あ……?」
家出、という単語を頭に思い浮かべて弓景は眉を寄せた。
レジを打つ店員にも聞こえたのだろう。好奇の目で商品から僅かに視線が御名に移ったのを見逃さず、弓景はわざと顔を顰めて店員を睨んだ。弓景の側で会計を待っていた御名は自動ドアの方を眺めていたが、弓景の反応を伺うように隣を見上げた。イタズラが成功してほくそ笑む子どものような顔をしていた。
夜遊びじゃなくて、家出。明確な理由を提示された弓景はそろそろいい加減に、御名を呼び止めた事を後悔し始めていた。此処からどう転がっても好転しないような予感がしたからだ。このまま「あーそうか、ジャマして悪かったな。じゃあな」と別れられる気もしなかったし、「バカ言ってないで早く帰れ」と言ったところで断固拒否される未来しか見えなかった。
「なら、家まで送ってってやっから」
「話聞いてた?」
少し悩んだ末、大人しく帰宅を促す方面で弓景は提案した。そしてそれは案の定、不機嫌そうに片眉を吊り上げた表情と呆れたと言いたげな声で打ち砕かれる。
「家出って言ったでしょ。どこの世界に家出して一晩も経たないうちに帰るやつがいるのよ。バカなの?」
「誰がバカだ。ガキみてーなこと言ってんじゃねーよ……」
弓景が商品を取ろうと伸ばした手と同時に伸びてきた手がぶつかりそうになって、女が無意識にといった様子で弓景の方を向く。
そうして、目が合った。
「わり……?」
弓景は反射的に謝罪しかけて、動きを止める。振り返った女がめったに見かけないようような美女で驚いた、というのも理由の一つだったが……。
女も驚いたように磨き上げられたグラスに注がれた蜂蜜酒のような瞳を丸くして、弓景を見返していた。数秒、そうして二人は見つめ合った。しかし、女は見る見るうちに顔を顰めて目を逸らすと、弓景の脇を抜けるように歩き出そうとする。
「待て」その腕を弓景は掴んで止める。
「……何?」意外にも抵抗する様子はなく女は足を止める。
「なんで今、逃げようとした?」
「えーと、逃げようとした……? 誰が?」
「お前が。」
ハァ、と女は短く息を吐いた。俯いていた顔が上がり、鋭く弓景を睨み付ける。不快感を露わにする表情をしていても不思議なほどに破綻がない。一目見て分かるほど、女の顔立ちは美しかった。
まっすぐに睨まれても意に介するどころか、弓景は無遠慮にまじまじとその顔を見つめる。やはり見覚えがある。特にこの顰めっ面を真正面から見て、弓景は確信した。
「お前、有栖院の……、御国の妹だろ」
「………………。ひと違いじゃ?」
「あ? 往生際悪すぎだろ」
女はまたハァ、と短く息を吐いた。今度は諦めよりも面倒だと言いたげな、無言の抗議を滲ませるようなため息だった。
「分かったわよ。逃げないから腕を離して、許しもなく女性の腕を掴むなんて無礼でしょ」
弓景の詰問に観念したように女は掴まれていない方の手で弓景の手を叩いた。虫を払うような弱い力加減で。それに対し、弓景は「叩くな」と文句を言いながらサッと腕を離す。
彼女は宣言通り、逃げなかった。掴まれていた腕を擦りながら所在なさげに視線を下げて立っている。
やっぱり御国の妹か。通りで見覚えのある顔な訳だ。と弓景は心の内で呟いた。
有栖院御名。有栖院家の長女であり、有栖院御国の双子の妹。
双子だけあってよく見れば確かに兄妹の顔はよく似ていたが、弓景と御名の兄である御国の間に目立った親交があったわけではない。一時期、弓景の友人である吊戯が面倒を見ていた時の顔見知り程度の、友達の友達よりも浅い仲だ。それでも一目見ただけで気付いたのは、弓景が個人的に彼女の顔を覚えていたからだった。
弓景と御名は顔見知りである。二人の生家、月満家と有栖院家はそれぞれ魔術師の家系であることに加えて役目による代々の当主同士の縁も深い。そういった家同士の繋がりによる集まりで弓景は御名の顔を見たことがあったし、御名もまた自分を呼び止めた男が月満の三男坊だとすぐに気付く程度には覚えていた。
とはいえ、お互いに昔紹介されて挨拶くらいはしたことがあるかもしれないな。くらいの関係値である。ほぼ顔と名前を知ってるだけの他人だった。
「なんで月満がこんなところにいるのよ……」
「フツーに家が近所だからだよ」
呟くように漏らされた不満げな言葉を拾い上げた。弓景が反射的に答える。なんでお前がこんなところにいるんだよ、はこっちの台詞だとも思っていた。それに対し、御名は驚いたように弓景を見上げ、どういうこと? と言うように小首をかしげる。
(どういうことも何も、こっちはフツーにツマミ買いにコンビニ来ただけだ)
一瞬訝しげな表情を浮かべた弓景だったが、すぐに御名の頭の中に弓景の実家の方、月満家の所在地が浮かんでいる事に気付いた。
「あー……、いや、そっちじゃない。賃貸。マンション。一人暮らししてんだよ」
「あー、そういうこと?」
「ていうか、実家暮らしなわけねーだろ」
「ふーん」
まあそういうこともあるのか、と言うような曖昧さを含んだ適当な反応だった。
「じゃあ、本当に偶然ってことなんだ」
「あ? 何が」
弓景が追求するも、「気にしないで」と御名は笑う。彼女の中で何らかの懸念が晴れて、弓景に対する警戒が一気に解けた事は分かったが、弓景の中ではあまり釈然としない。
弓景はちらりと店内から駐車場の方を見た。此処は有栖院の家からは遠くはないが近くもない。周囲にそれらしい車も特に駐まっていない。ってことは、家から徒歩できたのか? "有栖院"の子どもが……?
それに弓景を見て逃げようとしたところも何となく引っかかった。顔見知りだったから逃げようとしたのかもしれないが、それはつまり逃げるだけの理由が目の前の女にとってはあったということだ。
「(いや、俺を見て……じゃねーな。俺が"月満"だから逃げようとしたのか?)」
「ねえ」
「……なんだ?」
呼びかけに弓景は視線を戻す。御名は先ほどと打って変わって屈託のない笑顔を浮かべていた。表情や声色からは気安さが滲み、完全に警戒心が解けているのが分かる。
「買い物するならこれも買って」
まるで二人が気心知れた旧知の仲であるような遠慮のなさだ。突き出されているのは先ほど弓景が手に取ろうとしたコンビニスイーツで、【秋の味覚】【新発売】などという文字列がパッケージに書かれている。
態度の急変に驚く弓景を余所に、御名が手に持った商品を押し付けるようにずいずいと突き出した。
「あ、一応言っておくけどこれは私のだからね」
「あ!? なんでそうなんだよ!」
「私の方が取るの早かったでしょ。早いもの勝ち」
「いや、そうじゃねーだろ。つか、なんで俺が奢る流れになって……」
重ねて言うが、月満弓景と有栖院御名は家の交流で顔見知りではあれど、間違っても友人と呼べるような関係ではない。
弓景は文句の一つや二つも言ってやろうとして、一度沈黙した。有栖院御名が子どもみたいな表情で弓景を見上げていたからだ。自分の要求が断られるなんて微塵も思っていない。むしろ弓景が奢るのは当然で道理であると言わんばかりで、あ。これ、何を言ってもダメなやつだ。と弓景は直感的に理解した。
弓景は生まれた頃から月満家の三男で、癖が強めな年の離れた二人の兄を持つ永遠の弟として育ったので、この辺の察しの良さは鍛えられていた。目の前の女は弓景より年下ではあったが、彼女の笑顔が自分の我を意地でも通す類いの……一番上の兄貴の笑顔に似たものであるとすぐに察したのだ。
「ハァ、もういいわ貸せよ」
「ありがと。物わかりのいい人は好きよ」
マァ、自分の方が年上なのでこうして偶然でも知り合いに会った手前、少しでもいい格好はしておきたい、みたいな気持ちもちょっとあった。実を言うと弓景はつい反射的に小言の一つや二つを言いかけたものの、自分に笑いかけてくる有栖院御名の顔の良さに言葉を失ったのだ。
何故か奢ることが既定路線の流れになり、問答にも疲れ始めた弓景は御名に視線を向けて顎で行くぞと示して店内を歩き出した。御名は視線だけで店内を見回しつつ、素直に弓景の後を追従した。隙あらば逃げる、という意思は既に消失しているように見えた。
少なくとも、今は。
「なに買うの?」
「テキトーにツマミ」
……と、ビールを数本買い足す予定だったのだが。弓景は酒のコーナーをいかにも元から用などありませんでしたよとばかりの澄まし顔でスルーして、適当に目についたパッケージから酒の肴を選んだ。
その間、御名は「ふーん」と聞いておいて全く興味もなさげに返答しつつ、近くの陳列棚から【新発売】とポップが添えられたチョコレートの箱を手に取って無言で弓景に差し出した。弓景は無言でそれを受け取る。ちら、と持ってこられた商品の値札を確認し、僅かに口角を下げて斜め上へと視線を投げた。
コンビニのチョコって地味にたけーんだよな。弓景は所謂いいとこ育ちの坊ちゃんだったが、それは純粋に実家が金持ちというよりは(まあ実家も世間の基準で言えばでかい方だが)どちらかというと魔術師の血筋基準での良家であり、金銭感覚はいたって一般的な方だった。節約だって普通に考えるしスーパーの値引き品コーナーだって覗く。高えな、という言葉を飲み込む代わりに弓景は御名に聞いた。
「で。なんでこんな時間にこんなとこにいんだよ。夜遊びか?」
「…………夜遊び、って言ったら?」
「別に、なんでもいいけどよ。夜に一人でぶらつくなよ。何があるかわかんねーんだから」
魔術師の子どもは吸血鬼に狙われやすいというのは常識だ。ただし、子どもだから狙われるのではなく、魔術師の血筋だから吸血鬼に狙われる。その血は奴らにとって長く渇きを抑えられるから。大人を狙うより子どもを攫った方が簡単だから大人は襲われにくいというだけ。夜遅くに一人で出歩く危険性については言われなくてもよく知っているはずだ。
そういう意図を込めて御名を見れば、彼女はばつが悪そうな顔で「そうね」と言った。「私はサーヴァンプと契約もしてないし」と言いながら、ロイヤルミルクティーと書かれたコンビニブランドのカップ飲料を手に取り、しげしげと眺めて、弓景に渡す。
そもそも吸血鬼云々の魔術師事情を抜きにしてもこれだけ綺麗な女が一人で夜の町を歩いてたら人間の男だって放っておかないだろうな、と思いながら弓景は「もういいか?」と声をかけた。短い肯定の声を聞いて、二人はレジに向かう。
「ケータイくらい持ってんだろ? 連絡して迎えに来てもらえよ、それまで一緒に待っててやっから」
「やだ。携帯も置いて出てきたし」
「は? なんで」
「聞いたら後悔すると思うけど」
「夜遊び、じゃねーのかよ」
「違う」と御名は即答した。
「私、家出してきたのよ」
「あ……?」
家出、という単語を頭に思い浮かべて弓景は眉を寄せた。
レジを打つ店員にも聞こえたのだろう。好奇の目で商品から僅かに視線が御名に移ったのを見逃さず、弓景はわざと顔を顰めて店員を睨んだ。弓景の側で会計を待っていた御名は自動ドアの方を眺めていたが、弓景の反応を伺うように隣を見上げた。イタズラが成功してほくそ笑む子どものような顔をしていた。
夜遊びじゃなくて、家出。明確な理由を提示された弓景はそろそろいい加減に、御名を呼び止めた事を後悔し始めていた。此処からどう転がっても好転しないような予感がしたからだ。このまま「あーそうか、ジャマして悪かったな。じゃあな」と別れられる気もしなかったし、「バカ言ってないで早く帰れ」と言ったところで断固拒否される未来しか見えなかった。
「なら、家まで送ってってやっから」
「話聞いてた?」
少し悩んだ末、大人しく帰宅を促す方面で弓景は提案した。そしてそれは案の定、不機嫌そうに片眉を吊り上げた表情と呆れたと言いたげな声で打ち砕かれる。
「家出って言ったでしょ。どこの世界に家出して一晩も経たないうちに帰るやつがいるのよ。バカなの?」
「誰がバカだ。ガキみてーなこと言ってんじゃねーよ……」
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