一巡の彼方

 春の章
 
 今年も、春が訪れた。
 種々が芽吹く季節。
 心を新たにしよう。
 遠近の声は幾重もの梢のうねりに掻き消される。
 
 私はほんの少し、憂鬱だった。
 
 丘を上がり、森の奥まで続く捻れた道を踏み締めて、ここまで登って来たけれど。
 ふらふらと逍遙、漂う内に。
 私は、帰り道を見失ってしまった。
 何処を向けばいいかも見当つかずで。
 遭難中なのだ。
 あげく困った事に、というか自分でも呆れちゃうほどに。
 家に帰りたいとは、微塵も思えなかった。
 
 初めはたぶん、気分転換のつもりだった。
 人気から距離を置けたら何でもよかった。
 少しの間自然の音に揉まれて、私は虫がすごく苦手だから、さっさと撤退しちゃうんだろうなぁとか、気楽に考えていた。
 森の入り口付近は、一夜の春雨に湿り気を残していた。今思えば、その咽せるような匂いに引き寄せられたのだと思う。自分の中にはない現実を見出して。
 自然は私に心地いいくらい無関心だった。
 あまりにも居心地が良過ぎるから、私は今も森の奥深くに潜っていって、喧騒から閉じ籠ろうとしている。
 そんな見方も、もしかしたらできるのかもしれない。
 
 じき、日が暮れる。
 浮き雲が淡い火色に染まり、燃え上がる端から東風に煽られ千切れていく。
 森の闇は刻一刻と深まり、足は泥に浸かるように重くなる。
 結局、私は何処へも辿り着けなかった。
 森は渦を巻くように私を掴んで離さず。
 堂々巡りの果て、闇夜に埋もれようとしている。
 獣も避けて通る樹海の中心。
 そこに立ち竦む人影は私独りだけだった。
 
 厭なら出ていけばいいと、昔、誰かが言った。
 その半狂乱な喚き声を振り切り、私はそこを飛び出した。

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