名もなき彼らと罪悪感

 見知らぬ三人組だった。図体が大きい子と、背が低く頭を少し丸めた子と、中背ほどの眼鏡を掛けた子の、僕と同い年らしき三人組。
 夏の夕暮れ間近。
 じめじめとした曇り空の下で、僕は彼らと出会った。

 既視感があった。以前にも、この時と似たような状況と遭遇している気がした。その時も、出会い頭に二、三言交わすだけでなんとなく気があって、これから催される地元の小規模な夏祭りに誘われたんだった。

 夜の帳がじゅくじゅくと染み渡っていく、そんな夕暮れ間近の事。晒された腕の肌の湿っぽさと、ちょっとした高揚感。

 彼ら三人に囲まれながら、夏祭りの会場へと向かう。

 ───きっとこれは、二度目の初対面だった。

 僕はこの後に罪を犯す。
 漠然とした記憶の中にそんな確信が焼き付いていた。

 記憶の中の三人組は、血に塗れた姿で地面に這いつくばり、僕を睨んで手を伸ばしている。助けてくれ、と。だけど僕は恐怖が打つ早鐘に急かされるまま、背を向けて、どうすることもできなかった。後悔ばかりが残っていた。

 ……口には、出せなかった。

 自然と住宅街の狭間。
 霧雨が肌を濡らし、標高が高いのか、辺りには次第に濃い霧が立ち込めた。

 駐車場を横切り、道なりにしばらく歩くと、灰色の地肌には小石が散らばり、鮮やかな緑の雑草が隅にちょこちょこと繁る丘の上にいた。

 小高い丘の向こうへ、引き寄せられるように向かう。

 その先に夏祭りの会場があると彼らは何気なく話す。

 小高い丘の爪先まで着くと、濃い霧に遮られて何も見えないけれど、大理石の階段が下へ下へと伸びていた。霧の中に隠れた少し先には、赤々とした鳥居が汚れひとつなく。どうしてだろう、何も見えないはずなのに、その遥か先、遥か眼下に、爽やかな青空が仄かに覗いていた。

 ……僕らは、駆け出した。
 身体は羽のように軽かった。
 どこへでも行ける予感に満ちていた。

 階段を駆け下り、間も無く霧が晴れる。

 青空だ。雲一つない晴れやかな空。地平線も水平線もない。不自然に宙に浮いた階段はしっかりとした手応えを返し、奥行きは悉く真っ青、それなのに陽の暖かみが視界の限りを鮮明に彩っていた。

 ───僕は、この先を知っている。

 知っていながら、
 脚は止まらないし、
 唇は微動だにしなかった──。

 白い建材が陽光を照り返す。
 宙に浮かぶ神殿のような建物が奥に見える。
 彼ら三人が我先にと身軽な僕を追い越して、眼下に聳える豪奢な寺院へ駆けるように落ちていく。僕も蓮葉のように点々と長く連なる階段を幾段と跳び越えて後を追った。

 巨大な木造の門を潜ると、三人の背中が見え、方々に目を向けつつも並んで僕を待っていた。

 黒を基調とした金縁の寺院。
 純白の艶々とした床材。
 敷地の奥には爽快な空を映す瓢箪型の池。

 そして、沢山の僧侶の格好をした坊主たちが僕らを囲っている。

 みんなそっくりの笑顔。
 何処を見渡しても、歓迎ムードに華やいでいる。

 彼ら三人は、たぶん、喜んでいたんだと思う。

 ───僕だけが、此処の仕組みの一端を理解している。
 
 この先の地獄を、僕だけが知っている……。
 
 どうして此処に至るまで、僕は自分自身を止められなかったのだろう。
 どうして今になって、『逃げよう』なんて意識が芽生え始めたんだろう。
 彼らと出会った瞬間から、どんな目に遭うのかなんて、わかり切っていたはずなのに。
 どうして彼らを見殺しにするような選択しか、僕は選べなかったのだろう。
 
 ちくり、と痛みが走った。
 皮膚が焼け爛れるように溶け出した。
 ぽたぽたと、火傷による水膨れが破裂して溜まった水を溢れさせるように、溶け出した箇所から粘性のある血液が地面に垂れていく。
 背の低い彼が最初に喚き出した。図体の大きい彼は事態を飲み込めていないようで、交互に腕を見遣っては立ち竦んでいた。眼鏡を掛けた彼は、説明を求めるように僧侶たちへ目を向けた。

 ……僕は、背後から到底四人では食べきれないほどの豪華なご馳走を運び出してくる僧侶数名を見遣った。

 僕らを取り囲む僧侶の一人がおそらくこんな事を言った。

 食べなさい、と。
 そうすれば楽になると。

 聞く耳を持つ必要なんてない。
 逃げれば助かる。
 以前がそうだった。
 僕だけが逃げきれた。
 だから……。

「──────」

 喉が働かない。
 音にもならない呼気のみが吐き出される。

「──────」

 “逃げよう!”
 そう唇を必死に動かすけれど、彼らには決して届かない。

 ただ、身体だけが本能のままに身を翻していた。

 僕は逃げた。また一人だけで逃げ出した。

 彼らを置いて。三人を見殺しにして。

 背の低い彼が縋るようにして、肉まんらしき食べ物に手をつけ、むしゃむしゃと食べる光景。焼け爛れたような相貌が次第に治っていくかと思うと、まるでがん細胞のように溶けた箇所の皮膚が急激に膨らみ始め、醜い塊となって息絶えた。

 図体の大きい彼も隣で食していたけれど、内臓がやられたのか、大量の血を口から吹き出し、垂れ流し、呼吸も苦しそうにして、純白の床に倒れ込んでは血の池を描き出した。

 眼鏡を掛けた彼は、一つも手にしなかった。

 僕へと手を伸ばす姿は、きっと以前の記憶だ。他二人の死に様さえも。

 脚を真っ先にやられた彼は、もう満足に動くこともできなかった。

 焼け爛れたように腫れ上がる顔から覗く瞳が、一心に僕へと向けられている。ぐずぐずに溶けた腕が、走り去る僕の背中に追い縋っている。そんな想像がベトベトに張り付いて、頭から離れなかった。

 階段を登る。
 息を切らしながら直走る。
 こんな、青い地獄から逃亡した。
 
 階段を登り切ると、土砂降りの雨で、空は黒く濁っていた。
 疾うに疲れ果てた僕は、ろくに考える気力もなく、濡れた大地に倒れ伏した。
 緑色の電光が僕を覆った。
 
       /
 
 僕はベッドの上でうつ伏せに眠っていた。
 また、ひどい夢を見た。
 以前にも似た夢を思い出して、辟易とした気持ちで上体を起こした。
 ちくり、と胸に痛みが刺す。
 遠くでは、皆の起床を知らせる鐘の音が聴こえた。
 
 ああ、今し方開け放たれた襖を通り、僕の前に立つ透明なあなたは誰なのですか?
1/1ページ
    スキ