Chapter Ⅵ 中編
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帰りの新幹線は、行きの時よりも忍び声が目立っていた。
まるで映画の上映前を思わせるが、どちらかというと、退場までの余韻を楽しむ心境に近しいのだろう。
冷めつつある興奮に浸りながらも、忙しなかった一夜が明けたあとに残る疲労が車内を行き交い、時折生徒たちの様子を窺う先生方にもそれが見て取れた。
帰りも行きと同じく、座席の隣はみことだった。
初めはこの三日間の出来事に花を咲かせていた。
初日の清水寺は人が多かったねとか、街並み自体がまるで舞台のセットみたいだったとか──結局、晴川ちゃんは神隠しに遭っていたのかな、とか。
過ぎれば太陽よりも光り輝く、そんな二度はない記憶を飽きもせず巡っていた。
そして徐々に会話も途切れ途切れになり、いつしか隣から安らかな寝息が聞こえ始め、詠はひとり、窓の景色を眺めることになった。
情緒の欠片もすべてを脱ぎ去っていくような速度。
静かな走行だ。それでいて鮮烈。
こうして振り返ってみれば、この三日間はこれくらいの早さで過ぎ去っていた。
詠はスマホを取り出し、LINEのトーク画面を開いた。
相手は、この場にはいない人。
約束を放って、遠くへ行ってしまった彼。
トークの更新は、つい昨日のこと。
その場の浮かれた雰囲気に流され、詠は京都タワーで撮った夕暮れの景色を添えつつ、メッセージを飛ばしていた。
『修学旅行で京都に来ました。
冥の話では、どうも幹さんは世界を飛び回っていると聞いたので、
その、励みになればと思い、共有してみました。』
「………っ」
我ながらあまりに硬い文章だと詠は胸にむず痒さを抱え、何度も消してしまいたい思いに駆られたが、どうしても、ただ見つめるだけに留まってしまっていた。
返信は未だ来ない。
やはり向こうは向こうで忙しいのかもしれない。
しかし、それ以上に不安もあった。
もしかしたら、知らないうちに不慮の事故に遭ったのかもしれない、何かしらの事件に巻き込まれたのではないか、病気や遭難は──なんて、向こうがどうなっていても、決してあり得ない話ではなかった。
二ヶ月も意固地になっていた音信不通が、こんな形で重くのしかかってくるとは、想像すらしていなかった。
天気はやや曇りの晴れ模様。
詠は祈るような思いで、窓に映える稲穂の湖の対岸に目線を預けた。
夜になった。
湯上がりも早々に、詠は久方振りにも思える自分のベッドに倒れ込むように突っ伏した。
窓は開けっ放しにしてあるので、滑り込む夜風が火照った首筋によく馴染んだ。
身体中が弛緩している。
そのまま眠りに落ちてしまいたいほどに。
──やっと、日常に帰ってこられた。
修学旅行は楽しかった。
その気持ちに偽りはない。
文句なんて微塵も湧いてこない。
一生大事に飾っていられる思い出が出来たと、胸だって張れる。
しかし、それはそれとして。
「……なんか、疲れたな」
新幹線を降り、駅構内にて現地解散となって、事前の約束通り伯母には車で迎えに来てもらい、そのまま冥と一緒に後部座席に乗って、家まで帰ってきたのだ。
あまりにも手応えの薄い家路だった。夕飯やお風呂を済ませ、こうして自室に戻るまでの諸々の作業ですら印象に乏しい。
それほどに疲れ切っていた。
目蓋を閉じると、ゆらゆらと直近の出来事が色づき始める。
声が聞こえた。
もはや聞き馴染みの透き通った声色。
これは、おそらく冥の声だった。
「───幹くんからは、返信きたの?」
まだです、と渋々答えたのを詠は覚えていた。
伯母の車の中。この時は雲雀に聞かれるのを嫌って、肩が触れ合うくらいの距離で声を潜め合った。
ぶー、という微かな振動音。
「───そう。でも、そんなに気にすることはないと思う。幹くんは、けっこう不器用な人だから。詠の言葉を無視することはないよ、きっと」
どうして、そんなことがわかるんですか──?
「───どうしてって。単純だよ。ぜんぜん単純なこと。ああ……でもそういうのって、知りたがっている相手にそのまま伝えるものじゃないらしいから。これから、知っていけばいいんじゃないかな?」
自信ありげでも自信なげでも、どちらでもない態度で忽然と核心を突いてくる少女にしては珍しく、その時ばかりは、探り探りの言い方だった。
ぶー、というスマホの振動音を今度こそ耳にし、詠は瞳を開いた。
「────」
逸る気持ちでスマホの画面を覗くと、そこには長く待ち焦がれていた文字列が表示されていた。
門出幹という簡素な響きの名前。
ひとりでに震える指でトーク画面を開く。
今はとりあえず、心臓を縄で縛りたいくらいに鬱陶しかった。
返信の内容は合わせて三つ。
ひとつは一枚の写真、残りのふたつは言うまでもないだろう。
『なんだか、とても懐かしく思えるよ。まだ二ヶ月しか経ってないというのにね。
君が楽しく今を過ごせていること、冥くんとは仲良くできているようで僕は安心したよ。』
紛れもない彼の言葉が綴られていた。
そのメッセージの下に写真が一枚。詠が夕暮れの町の景色を送ったように、彼も夕暮れの景色を撮ったようだ。
そこは大自然。
文明の足音が未だ響かない未開の地を思わせる、どこまでも地平線が伸びる大平原だった。
『一日遅れになってしまったけれど。
君が見送った夕日を、いまは僕が見届けている。
それと改めて謝罪をさせてほしい。
花火を見に行く約束を破ってごめん。』
涙が溢れることはない。
けれど、彼が今も変わらず日々を過ごせているらしいことに、詠はただ胸を撫で下ろした。
『花火の件は、大丈夫です。
毎年、見に行けるものですから。』
そこまで打ち込んだところで、詠の心臓は再び一際鼓動を打った。
文面を打つ指の震えが止まない。
『あの、その代わりと言ってはなんですが、
今度からこうやって、メッセージを送ってもいいですか?』
間髪入れず既読がつく。
一秒が一分以上に引き伸ばされる。
『構わないよ。
返事は場合によっては何日も遅れてしまうかもしれないけれど。』
「────……」
もう、胸がいっぱいだった。
吐き出すことも惜しいと感じてしまうくらいに。
二人の間で停まっていた時が、ゆっくりと、しかし確実に回り始めたのだった。
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