Chapter Ⅵ 中編

 秋晴れの京都巡りは終始、風が心地よかった。

 定番の清水寺は言うに及ばず、意外と離れ合っている金閣寺と銀閣寺の二箇所を巡り終えた頃には、早々に日も暮れ始めた。

 ホテルに向かう途中でバス車内に取り付けられた電灯が白く仄暗い光を放ち、疲労感を漂わせたムードが生徒たちの間に行き渡っていた。
 ひそひそとした話し声がどこからともなく聴こえる。
 旅行が始まった当初の新幹線内で響いていた声とは、おそらく静けさの質が違った。
 けれど、これさえもただ“この場限りの雰囲気の違い”と片づけてしまうには、すこし情緒に欠けるな、と詠は窓に目線をもたれさせた。

 窓越しには、夜影の掛かった見知らぬ街角の景色。

 こちら側とあちら側とではまるで、切り離されているかのようだった。

「……幹さんも」と、詠はひとり男の名を零す。

 いっときでも故郷を離れることになった、自らを空っぽと自称した彼も、今の自分と同じような心境に耽っているのだろうかと、何も映さない夜空に思いを馳せた。
 

 詠たちを乗せたバスがホテルの前に到着した。

 先生の指示に従いつつバスを降り、詠がついと空を見上げると、すっかり平坦な暗黒色に染まっていた。
 駅のすぐそばという立地事情もあり、周囲にはそれなりの人通りがあった。
 通行人は、見慣れた光景に過ぎないとでも言うように、こちらにはちらりとも目を向けなかった。

 自分の荷物を受け取り、同級生たちの背中を追いかけ、ホテルの入り口へと足を向ける。
 ほとんど移動中はバスに乗りっぱなしだったせいか。
 じんわりと痺れるような耳鳴りが残っていた。視界には、陰影の縁取りが一段と濃く映っていた。

 その宿はホテルと銘打っているが、旅館を彷彿させるように、門口の上部に家紋のような模様を入れた赤色の暖簾を飾りつけていた。

 メインロビーではすでに付き添いの先生の一人が待機していて、部屋の鍵の受け渡しをしていた。同室の者がきちんと揃った班から部屋に向かっていい仕組みのようだ。

「詠、こっちこっち」と、舞がちょいちょいと手を振りながら、詠を呼びかけた。

 付かず離れずといったその隣では、冥がぽつんと佇んでいた。

 班決めで一緒になったメンバーは、そのままホテルも同室になる。五人揃うと、渋々部屋の班長を任されていた詠が先生から鍵を受け取った。

 割り当ては各部屋およそ五人ずつ。みことが言うには洋室と和室の二種類あるそうだが、基本的に生徒は和室らしい。部屋の広さは十畳。詠は自室くらいの空間を思い浮かべていたが、実際に入ってみると、その想像よりもいくらか広かった。
 部屋の壁際に本棚が並んでいないからだと思われた。

「……まぶしい」と、詠は天井の照明に目を細めた。

 それを耳聡く聞きつけた舞が、すぐ隣でそっと微笑んだ。声のトーンは普段と変わらないはずなのに、詠の耳には微かに篭って聞こえた。

「あのバスの中に比べると、そうかもね」

「あー、まじ疲れたわ」と、飾璃がその横を通り過ぎる。荷物を放り出すと、途端に胡座をかき出した。
 それにみことは「それこそおっさん臭くない?」と茶化しを入れていた。

 そして、冥はというと、ふたりと──特に舞とは──あからさまに目も合わせようともせず、その横を通り過ぎ、部屋の角っこに荷物をさっさと下ろしていた。

 詠はなんとなく察する。
 どうも拗ねているらしい。

 舞がなぜか不機嫌そうに冥の所作を目で追っているのを恐る恐る横目にし、詠は『……これが明日の夜まで続くんだ』と思わずため息が零れそうになった。

 
「写真、撮りません?」

 大広間での彩り豊かな和風の夕食のあとは、クラス別に大浴場へ。入浴を速やかに済まし終えると、やっと癒しの自由時間。中央の簡素な食卓を囲んで、ひとまず定番のトランプに興じる流れとなった。

 そして、一通りゲームにもひと段落がついた頃、みことがふと口にしたのが先の一言だった。

 つまり、ここでも思い出を残したいという提案。写真の一枚くらいならば、部屋の様子を確認に来た先生に撮ってもらうこともできるだろう。しかし、それとは別に、みことはこのメンバーだけで自撮りをしたいとの事だった。

「先生に撮られる写真って、なんだかんだお行儀よくなっちゃうものですし。せっかくの機会だもん。芸能人もやってるような、私が少しだけ前に出て、飾璃ちゃんたちが後ろで並んでポーズ取る感じの。ああいうの一度やってみたいなって」

 ラフな部屋着でってのも多分いい味出るよね、とみことが嬉々として捲し立てる。

 三人にとって、このノリはもはやお馴染みだ。
 一方でみことと知り合ってまだ日が浅い冥のほうは、表情には出していないものの、案の定、置いていかれている様子だ。
 畳の上にぺたんと座り込んだまま、ぼんやりとした目つきでみことを眺めている。

 ──……いや?

 傍目に詠が首を傾げる。
 もしかしたら、単に眠いだけなのかもしれない。

 そんなこんなで急な流れではあったが、みことの望むままに自撮りタイムが始まった。

 ああでもない、こうでもない、と試行錯誤の繰り返し。

 ネットにある数多の画像を参考に、無難に出来上がった一枚を覗き合い、まあ悪くないと口々に言い合う。
 そんな中、冥が四人の後ろで「思ったより普通なのね」と余計なひと言をさりげなくささやけば、空気が一変した。

 ぴしり、と亀裂が入るような幻聴を詠が耳にし、「……あ」と声を漏らした時には、すべてが手遅れだった。

「───ほ、ほうほう。ふつう、フツウですかぁ。暁月ちゃんの目には、そんな風に映っちゃうんだぁ」
「……あー、ごめん…なさい?」

 ゆらりと幽玄な火の影が立ち昇るかのような、みことの只事ならぬ気配に、冥が戸惑いながらも謝罪の言葉を口にする。

「ううん。謝らなくていいんだよ、全然」みことは朗らかに笑む。「私もね、心のどこかでは暁月ちゃんとまあったく、おんなじこと思ってたから。うん、ふつう、普通だよね、やっぱり」

 と、スマホの画面に映る今し方撮ったばかりの写真を見下ろす。しかし、細められたその瞳は、とても笑っているようには見えなかった。

「……あーあ」

 詠の隣で、飾璃が苦笑いを浮かべる。そして、部屋の壁掛け時計に目を遣っていた。

 単なる地雷を踏んだのではない。
 おそらくこれは、みことの矜持、プライドの問題だ。

 テンプレートにただ乗っかるだけで満足していいのか。
 もっと模索すべきではないのか。
 自分たちらしさを。
 いまの自分たちにしかない魅力とやらを。
 あたかもフィルムのなかで世界に活き活きとした彩りを与える、かの役者たちのように。

「───暁月ちゃんはつまり、そう言いたいんだよね!」

 ひとりでにヒートアップしていくみことの語り口に対し、勝手な解釈をされてしまったとうの暁月冥は、これ以上の失言はしまいと、固く口を噤んでいた。首を振りさえもしない。

 変わらぬいつもの態度のようであるが、詠には、あの無口な少女がいつにも増して何かを言いたげにこちらへ視線を寄越しているように思えてならなかった。

 ほら、今もみこと越しに目が合うくらいなのだから。

 詠は無情にも首を横に振った。口パクのおまけもつけた。

 ──ごめん、諦めて。

 そろそろ就寝時間も迫る頃合い。あのノリに真正面から巻き込まれるのはごめん被りたいところ。それを向こうが察したのかはともかく、詠には到底与り知らないことだが、少なくとも冥は、危うく口を開きかけていた。

 もとより束の間といえども、楽しいひと時は目眩く、気がつけば背後に回っている。

 就寝時間を迎えようという寸前まで十畳の和室であれこれと揉めたあげく、最終的にみことの満足のいく出来の写真は撮れずじまいだった。消灯間近、グループチャットにて共有されたのは、無難な出来と言い合っていた例の写真であった。
 
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