Chapter Ⅵ 中編
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修学旅行までのひと月は、あっという間に過ぎ去っていく。
班決めはおよそ予定通りに進んだ。詠、舞、飾璃、みことのいつも連んでいる四人に、改めてそこへ冥が加わることとなった。
初めての試みにもかかわらず、案外、詠にはしっくりくる組み合わせに思えた。
昼休みの時間になると、冥も詠たちの四人グループの団欒によく加わるようになった。
修学旅行というせっかくの機会に一緒のグループになれたよしみ。
飾璃やみことの明け透けな性格から当然の流れみたいに合流し、一週間も経てば、口数は今まで通り数少なながらも、グループに馴染み出していた。
合わせて昼休みどきの冥の行動も判明し、詠の用意する弁当がひとりぶん増えたのはご愛嬌。
なかでも飾璃とは相性が良いようだった。
主張はせずとも自分の意見は持ち合わせている。
視線を彷徨わせては野良猫のようにふらりと消える。
そんなチグハグな性格を見せる冥には、なんだかんだ面倒見のいい飾璃とは摩擦が少なく、グループワークのときなどでは、会話を交わしている姿がたびたび見られた。
みことの妙なテンションには戸惑うでもなく置いていかれている。
一方で舞とはあまり打ち解けられてはいなかった。
二人の間には他とは違う独特の空気が漂っているようで、どことなく距離があった。面と向かって話すことは全くといっていいほどなく、会話らしいやり取りがあるときは、大抵詠を間に介して行われていた。
詠も最初こそ気がついていなかったが、一度意識してしまうと、その触発されたような雰囲気に押されがちとなった。
そんなこんな……。
ひと月の間に季節も移り変わり、まず音に表れた。
日を追う蝉の面影もすっかり鳴りを潜め、代わりに夜になると、鈴の声が主役を張るようになっていた。
気温の変化にも気が向いたのは、そんな虫たちの合唱に耳を明け渡していた風呂上がり直後。
網戸より流れ込んでくる、雨垂れの気を帯びた涼風が頬を撫でてきたとき。
それは秋の風合いをほてった肌に感じさせる、修学旅行の前夜だった。
早朝の空は雲ひとつなく、前日の雨天を洗い流したかのように澄み切っていた。
集合場所は駅そばにある広場。
詠はその場所をよく知らなかったが、雲雀の言によれば、だだっ広いだけの何もない場所らしい。
バスで向かうには少し遠出になるうえ、大荷物の事情も合わさり、当日は冥と一緒に、雲雀に車で送ってもらう約束になっていた。
近場の路地で降ろしてもらうと、雲雀が運転席の窓を開け、
「帰りも迎えにいくから。終わったらLINEして。もちろん、その時は冥ちゃんも一緒にね」
そう言い残し、雲雀を乗せた車は手慣れた様子で朝の混雑した道路へと紛れていった。
そんな一連のやり取りを後ろで見ていた冥がぽつりとこぼす。
「優しい人ね」
「えぇ、まあ」
気恥ずかしさと心苦しさ、板挟みの思いを抱えていたせいか、詠の頷きは僅かにぎこちなかった。
集合場所に着くと、あちらこちらに同学年の生徒の姿が散見された。
普段見掛けない私服姿。
遠くにいる顔と記憶にある顔がなかなか一致しない。
詠は早めに出たほうだと思っていたのだが、殊の外、せっかちが多かった。
待望の修学旅行の当日とあって、着々と集いつつある生徒たちのテンションは屋上へ繋がる階段を駆け上がる具合に高まり出していた。
この騒々しさが一歩でも踏み越えれば、修学旅行の開幕は学年主任からの説教になること請け合いだ。
班のなかでは詠たちが一番乗りであったらしく、少しして広場の出入り口に舞の姿を見つけ、続く形で飾璃とみことが到着し、無事に合流を果たした。
「見てみ、冥。あそこが一番やかましくなりそうなもんで、内田が話の輪に加わってる。涙ぐましいもんだね」
「内田って誰のこと?」
「……流れでわかんないかな。二組の担任。隣のクラス」
「───ああ、そういうこと」
待機する間、飾璃と冥の二人がトンチンカンなやり取りを繰り広げているのを横目にしたりと、詠たちは思い思いに雑談をしながら過ごした。
そしてずっと機を見計らっていた先生方の号令がようやくかかると、見るからに緩みきった空気感で整列する。
生徒代表による開始の挨拶。
わざわざ学校から出張ってきた校長のありがたい長話。
各先生方からの注意事項等々。諸々の形式ばった儀礼を終えると、爽やかな横風に吹かれながら、ぞろぞろと移動が始まる。
ビルの隙間から射し込む朝日は、そんな生徒たちの横顔を照らし出していた。
騒がしさが後を引く道中は短く。
風通しの良さそうな、麗らかな色合いをした駅構内はどこか新鮮で。
新幹線に乗り込み、指定された席に腰を落ち着けてもなお、詠は遠く生まれ育った町を離れる高揚と不安とをお腹に抱えたまま、小学校、中学校と二度の経験がありながらも、初めてそこには確かな実感が伴っていた。
「これから二時間にも及ぶ旅路。きっと振り返ってみればとても短くて、でも一瞬一瞬は映画のフィルムのように巻かれていく。そんな素敵な思い出に残る修学旅行にしようね、晴川ちゃん!」
「う、うん。楽しくなるといい…よね」
朝っぱらとは到底思えない陶酔ぶりを見せるみこと。隣の席に座る詠は、この調子で体力が保つのかと若干の不安を覚えつつ、躊躇い気味に同調しておく。
新幹線の席順は出席番号順。晴川の“は”と豊前の“ふ”とクラスでは番号が隣り合わせであるため、時折こうして席も隣同士になることがある。
他では舞と冥も席が隣同士であり、そして飾璃だけがその都合によりグループからあぶれていた。
新幹線内では案の定、生徒たちの話し声で充満している。
最初のほうは先生方からの注意でひそひそ声で話すことも多かったが、一人の声が目立つようになれば、それに釣られるようにして声の波も段々と大きくなっていく。
トンネルを通過する瞬間の静けさにじんわりと残る微かな耳鳴りが、そんな傾向を増長させていた。
みことと会話を交わす間、詠はちょくちょく、舞と冥が座る前方に一瞥を投げていた。あの二人はいま、どんな会話を繰り広げているのか。
「前のほう、やっぱり気になります?」
みことに顔を覗き込まれ、そこで意識が席の上へと引き戻された。詠はその反動で息を呑む。
そして目が合うと、みことはにへらと笑んだ。
「あの二人、前からずっとぎくしゃくしてるもんね。でも、晴川ちゃんがそこまで気にする必要はないと思うよ?」
「……みこともそう思う?」
「ああ、鈍いわけじゃないと。そこはちょっと意外」みことが姿勢を正す。「今までの晴川ちゃんって、なんだかんだ一緒にいてくれるけど、あまり人に興味ないんだろうなって印象だったし」
詠は反論の余地もなく、ほとんど図星もいいところだったので、みことの言葉が重くのし掛かるように胸に響いた。
「でも、最近の晴川ちゃんは、なんだか前とは少し違う気がする。変わったよね」
「───私が、変わった?」
「はい。以前なら他の人の様子を気にかけたり、暁月ちゃんを班に誘いたいとか提案してくれなかったと思うし、だからあの時は結構嬉しかったな。ああ、私も晴川ちゃんの人生に巻き込んでくれるんだ、って」
「みことを、私の人生に巻き込む……。それって嬉しいことなの?」
この時の詠の声が、あまりにも子供の無垢な問いかけに聞こえたからだろう。
みことがそっと首を傾け、優しげに口許を緩めた。
「少なくとも、私にとっては。必要とされる喜びとはまた違うんですよ。単純にほら、認められたような気がしません?」
「──────」
詠はみことの顔を改めて見た。
今まで何気なく流してきた彼女の笑顔が、今はくっきりと柔らかな輪郭に収まっている。
髪の色は混じり気のない黒。
目尻が緩やかに垂れた、愛嬌のある顔立ちをしていた。
新幹線の窓辺より望める景色は、紅葉の深々とした海原を超え、無機質な銀色の街並みが一面に広がり出した。
事前に調べた通り、高層ビルといった目立った建造物はなく、大都会というほどの印象は抱かない。だから、秋の季節も手伝って、空が余計に広々としていた。五重塔や京都タワーなどの新旧の入り混じる景色は、詠の住まう街とは一風違った情緒感を漂わせていた。
「……でも、京都タワーの建造された年って確か」
「晴川ちゃん、ツッコミは野暮です。たとえ私たちが生まれるかなり以前に建てられたものだとしても、歴史的観点からでは新しきと古きの共存なんだから」
釈然とはしない。
どちらも自分たちが生まれた以前から存在していた物。
月と太陽の距離ほどの違いはあるのだろうが、遠目にはどちらも“丸い物”だった。
事実は事実でも、やはり世の中、主観ではなかなか割り切れないものにあふれている。
とうとう、京都駅に降り立った。
新幹線構内はどこも馴染みのあるような景色が続いていたが、生まれ育った故郷とはまた空気感が異なるように感じられたのは、何も彼女の気のせいばかりでもないだろう。
天井が低く、横幅の広い作りの通路には足早に去る会社員の姿に対して、自分たちと同じような観光客の姿があちらこちらで目についた。
詠はどこか慌ただしげに移動する同級生たちの背中を早足で追い、最短のルートで出入り口を目指した。
ここから貸切バスに乗り換え、本格的に一日目の日程が始まるのだ。
