Chapter Ⅵ 中編

 
「…………」

 一限目の後のほんの五分休憩。詠はLINEのトーク画面をじっと見つめる。
 そうする事で何かが進展するわけでもないのに、動け動けと念じているようでさえある。
 彼女たちが誠心誠意、管理に努めているアパート一階の住人──門出幹とは、依然として連絡らしい事もできていなかった。
 ようやく既読がついたかと思えば、『ごめん』という一言のみが返ってきた。そこでトーク上の記録は、一ヶ月前でぱたりと止まっている。

「…………」

 あまりにも。そう、あまりにも簡素というか、乾燥した文面というか。

 以来、詠はトーク画面を開いては何の操作もせず、三日三晩続く積雪のごとく不満を募らせていた。相談したいとは思いながらも、食指が頑なに動かない。
 力を貸してくれると言ってくれたのに、花火大会を一緒に観に行く約束を──きっと已を得ない事情なのだろうが──すっぽかされた事もあり、理解はできても腑に落ちず、燻り続けていた。

「…………」

 見ように寄らずとも、その時の詠は自分の世界に入り込んでいたようなものだった。そんな彼女の姿が、傍からは隙だらけに見えたのだろう。

 ちょん、と頬をつつかれた。

「───!」

 驚き振り向くと、舞が人差し指を立てていた。詠は慌ててスマホの電源ボタンを押したが、親指が滑り、カチッという音があからさまに頭に響いた。それがあたかも失態を晒した事を告げるようで、むず痒く、制服の内でじわじわと熱が膨らんだ。

 しかし、顔には出さないよう、苦し紛れに詠は「な、なに……」と呟いた。

「いやね。詠がめずらしく頬をむくれさせてるなって思ったら、つい」

 手が出ちゃった、と舞が人差し指をちらちらと振りながら弁明する。

 口調は至って穏やかなもので、そんな舞の様子を眺めていると詠もつられるように毒気を抜かれる。
 授業中ではないとはいえ、五分休憩の合間のスマホ弄りは教師からの受けがあまりよろしくない。
 周囲と自分を切り離していた詠にも非はあるだろう。
 だから、とりあえず、驚かされた事に対する憎まれ口は飲み込んでおいた。

 どうしたの、と暗に問いかけてくる瞳に、

「どうもしない」

 と、詠は舞の右手人差し指を取り、手の感触を弄びながら答える。
 そうしていると、心が安らぐ。
 舞と出会うきっかけとなった小学四年の転校以来、ずっと続いている詠の癖だった。

 場所を顧みると内心こそばゆいが、なんだかんだと詠の面倒を見続けてきた自負がある。
 そのため、舞は慣れた様子でなすがままだ。
 むしろ、出会った当初に比べれば、この手を握ろうとしてくる癖は治まりつつある。

「でも。ままならないことって一気に押し寄せてくるんだなぁ、と」
「ふうん?」

 それはそれで珍しい態度と思ったらしく、舞は手つきがいつもより曇っている、どこか危なっかしい少女の様子を不思議そうに見下ろしていた。
 

 チャイムが鳴り、猫背の国語の教師が出ていくと、教室内はにわかに騒がしくなった。
 時計は正午を回り、待ちに待った昼休み。
 朝礼前よりも数段と声量を増した賑やかな空気に乗じて、冥は速やかに席を立つと、周囲を顧みることなく教室を出ていった。

 ──いつも、どこで何をしているんだろう?

 無意識のうちにその背を目で追っていた詠だったが、舞に声をかけられ、追いかけるタイミングを失い、すぐに視線も切ってしまった。

 飾璃とみことの二人も入れて、手際よく机を向かい合わせに並べていく。四つで一つの長方形をした島を作る。詠たちの通うこの高校には学食があるので、空席の確保は容易いのだ。

 一年前はみことだけが別のクラスだったため、その頃は時節によって場所に趣向を凝らしたものだが、どうも手っ取り早い習慣に馴染んでいくのが人間らしい。

 というわけで、気兼ねなく食事時の始まりである。

 会話の内容は、動画配信サービスのサブスクで見られるドラマや映画の話で、今週の展開はハラハラしたとか、これは途中までは良かったとか、でも主役の俳優が格好いいから許せるとか、取り留めのない感想が交わされる。
 いつも通りといえばいつも通りで、詠は今朝の話の続きにならないかと期待していたのだが、そんな気配は一向になく。
 三人の応酬に時折合いの手を入れつつ、詠はもそもそと昼食を摂っていた。

 すると必然的に、他の三人に比べて口数の少ない詠が最初に食べ終え、空となった弁当箱の片付けに入った。それは昼休み開始から、おおよそ二十分が経過した頃だった。

 そして、ドラマ配信の感想の出し合いも煮詰まったのか。

 みことが「そういえば」と、話題を変え出した。
「先ほどちらっと小片おがた先生に聞いたところ、修学旅行の班、最低でも五人想定らしいです」

 小片先生とは、先ほど昼休み開始と同時に教室を出ていった老年の男性教諭のことだ。詠たち二年の学年主任にあたり、担当科目は国語。古文に思い入れがあるというのは、彼の談である。

 ぴくりと反応する詠の向かいの席では、飾璃が気難しそうに首を傾げた。

「五人ね。まあ、一人足んないわけだ」
「私たち、基本四人だからねー」

 みことが苦笑い気味に首肯する。
 どうしましょ、とそこで彼女の無言の間が他の三人を促した。

 特定の当たり障りない人物を誘い入れるか、それとも他のグループと交わるか。結局のところは二者択一だ。

 ようやく今朝の続き。この機会を逃す手はない。

 詠の中での問題はどう切り出すかだったが、この流れならば、冥の名前をあげてもさほど不自然ではないだろう。

「なら、冥も誘っていい…かな?」

『めい?』と三者三様の復唱の声があがる。舞とみことはともかく、飾璃はというと、そもそもからしてその響きに馴染みがないようなニュアンスだ。

「冥って、もしかして暁月さんのこと?」

 訝しむような舞の問いに、詠はそちらを向きながら「うん」と頷く。

 すると、詠の向かいの席で、あぁ、と飾璃が思い出したかのように息を吐いた。

「暁月さんか。……ま、ちゃうどいいのかもね。あの子、いつも一人だし。何考えてんのかわからないってとこだけがちょいネックだけど」
「私は構いませんよ…というか、晴川ちゃんがそういうこと提案してくれるのはかなり貴重なので、もうじゃんじゃん安請け合いしちゃいます!」

 みことのほうは詠の想定を斜め上に超える形ではあるが、ひとまず好印象のようだった。しかし、そこで当然の疑問も湧く。

「でも、冥と呼び捨てだなんて、いつそんなに仲良くなったんです? 晴川ちゃんにしては手が早いような気も」

 いや、言い方、と隣で舞が苦言を呈しているのを他所に、詠はどう答えたものかと思案する。

 冥にそう呼んでと迫られたから──。

 そう説明するのは容易い。
 冥との関係は別段隠し立てるようなものではないのだから。
 しかし、次にその経緯となると、一気に話が拗れてくる。
 現在海外を飛び回っていると推定される幹の事を抜きに説明するのは、なかなか骨の折れる理屈にくづけだ。
 お世辞にも口が達者とは言えない詠は、当然のように言葉を詰まらせた。

 素直な性格は、決まってこういう時に損をする星回りである。

「でも、私も気になるなぁ、そこのところ。自転車通学からバス通学に切り替えたこともそうね」

 詠の動揺を鋭敏に察した舞が、いつぞやの遅れを取り戻すようにして追撃をかけた。
 これで二対一の構図。
 ますますフードコートでの再現じみてきているが、一朝一夕で風化する映画の感想ならばともかく、あの時のような姑息な誤魔化しは通用しないだろう。

 ここで詠が取るべき手段は情報量の制御、明かしても問題ない真実と尤もらしい嘘を織り交ぜた作り話に限られているのだが、

「清掃のボランティア先のアパートで偶然冥と会って、そこでなんとなく意気投合したから、みたいな……」

 この少女には土台無理な話だった。
 即興とするにも聞くに堪えない。
 たどたどしい語り口はとうの本人が話す次第に気まずさを覚えてしまう始末で、訝しげに向けられる三人の視線が、ずいぶんと突き刺さる。

 詠はちらりと時計を確認した。昼休みが終わるまで、あと二十分弱もある。あるいは、もうそれくらいの猶予しか残されていなかった。

「説明すると、すこし、話が長くなるんだけど……」

 訳もなく気恥ずかしい、ひと夏の記憶。僅か一週間に知り合った大学生の門出幹かれと過ごした日々は、なし崩し的に、斯様な経緯を辿って舞たちの知るところとなった。

「───意外と肉食?」というみことのぼそっとした戯言には、耳を塞いでおくことにした。
 誤魔化す勢い余り、出会い頭に友達になってほしいと告白した話にしてしまったのだから、抱かれて当然の誤解である。

 しかし、仮に本当の話を聞かれたところで同様の感想になったであろうことなど、とうの本人は知る由もなかった。
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