Chapter Ⅴ 後編


 ……したわしい、生誕の日々を夢の跡に。
 もはや臨み望むも叶わぬ桃源の春。永遠の華。

 ──戦火から降った暁に知るは、儚く病に臥せた君とは。

 その虚しさを、暗がりの奥底に仕舞い込もうとして……。

 そこへ、づかづか土足で声が割り込んできた。

「───『永遠』の第一条件は、生誕の時よりあらゆるモノと接触を断つ事だ。この事は、宇宙を観察していれば自ずと至る観念だろう」

 手足が動かない。
 昏き水底に沈んでいるようだ。

「───そしてそれは机上の空論に過ぎない。私たちがこの宇宙──時空の内側に閉じこもっている限り、何物にも影響されない状況などありえないからだ」

 淡々と繰り広げられる語りに物言わぬ反感を抱く。

「───まして、宇宙の外側を論ずるのはそれ以上に滑稽だ。有限が永遠に取って代わる。宇宙は今以て膨張を続けているのだから」

 濁って聞こえてくる少女の堅い鈴のような声は、徹底して、彼女の尊き夢を冷たく切り裂いていった。

『───やめて、くれ』

 彼の前にまた、懐かしい景色が広がる。
 夜の何もない闇を壁紙に、肌寒い電光が四角い空間を隅々まで解釈する。

 そこは、恐いほど殺風景なマンションの一室だった。

 部屋の中心にぽつんと置かれた、花瓶を飾る為に誂えたような質素な台座。
 その上には、冒涜的に剥き出しとなった知性の象徴が西瓜大のガラスの器に封じ込められている。

 フラスコの中に泛ぶ、所々に綻びを覗かせた萎びかけの脳髄。
 それが現在の彼の有り様だ。

 そこから開け放たれた夜の方角を向いた先には、ひとりの少女がいた。

「ようやくお目覚めか、後輩」

 可憐な少女がニヒルな笑みを浮かべた。

 少女は黒髪を肩口辺りで切り揃えており、碧い瞳が爛と耀きを魅せている。
 しかしそれよりも彼の意識を惹かせたのは、部屋の簡素な内装に対してあまりに不釣り合いな彼女の衣装だった。

 フリルを満遍なく振り撒いたゴシックなメイド服。

 そして衣装が風変わりなら、態度までも釣られて奇抜になるのか。
 片方の脚だけを椅子の座板に乗せ、出っ張った膝に腕を掛けて、それを枕代わりに首を傾げたりもして、扇情的な体勢で少女は腰掛けていた。

『──────』

 初めて相見えた頃の彼女かぐやの面影が、不意に重なった。

 ……すとん、と。
 長年に渡って蓄積した憑き物が落ちた思いだった。

『貴女とは以前、白髭を生やした店主の喫茶店でお会いしたか』

 頭脳体である彼が、フラスコの中で触手を震わせる。
 精度は以前とは比べるべくもなく落ちてしまっているが、ちゃんとした言葉にはなっていた。

『存外、早い再会だ……』
「───互いに違う姿形ではあるが。
 まあ、私たちにとっては小匙一杯の砂糖を入れた珈琲と変わりあるまい」

 はらり、と少女の控えめな笑いに黒い髪が揺れた。

『……小匙一杯は結構な差異だと愚考するが』
「ああ、そういやお前はブラックで飲める口か。
 私は苦手なんだ、あれ」

 恐ろしい殺風景とは反面、黒き少女から発される雰囲気は明らかに緩かった。

 彼は当惑する。

『───私は、失敗…したのか?』

 記憶はどこまである、と少女がそのままの体勢で冷静に問う。

 彼は一度警戒心を捨てて、繰り返し同じ問いを内に投げた。
 反響して浮かび上がってきたものは、断片的な風景の走り。
 ほんの半年足らずで暗転した、東凪斗としての人生。

 その終着は──。

『……宵閉鈴音。おそらく最後に見た光景が、彼女の目を腫らした姿だ』
「安心しろ、お前の記憶は概ね正確だ。
 故に問題とすべきは、やはりその後になるか」
『……彼女に乗り移ろうとして、私は失敗したのだろう? あの時は頭痛が酷かった。一か八かの賭けに私は負けたのだろう。そしてその後どういう訳か、こうやって貴女に回収され、今に至った』

 いや、と少女が微笑みながら体勢を変え、椅子の上で脚を組んだ。

「成功はしていた。片方のお前は何事もなく宵閉鈴音に潜伏し、東凪斗の肉体を茂みに捨て去り、悠々と帰路に着いていったのだから」

『───……あぁ、状況を把握した。
 ようするに私は、弾き出されてしまったのだな。

 あの脳が割れていくような頭痛は東凪斗の人格模倣による弊害、併せて事故のどさくさに紛れて侵食を押し進めた反発だろう。

 脳の一部機能が異質な形で癒着した。

 その影響が尾を引き、私という自我を著しく侵し、とうとう耐えられず割れてしまった。
 然るに貴女は残り滓となった東凪斗の脳髄からこの『私』を摘出し、再生を試みた』

「流石。お前は人間である時より、素の状態でいる時のほうが性能が良いようだね」
『……性能の差などこの際誤差だ。生憎私には、人間の生き方が合わなかった。それだけだろう』

 それが百数十年と続いたのだ。
 見え透いていた末路と言える。

『東凪斗の軀はどうなった?』
「肉体ならすでに焼却済みだ」
『厭に含みがある。中味はどうしたのだ?』
「お前と同じように扱った。再生──というよりあれはもはや新生か、知性の段階は現代に照らすと高々中学生程度。相応の器と環境を呉れて野に放そうと画策しているところだ。彼次第な箇所が割合多いが、なに、元の年齢くらいならば越せるだろう」
『……腑に落ちない。なぜ私たちを蘇らせた? 貴女には何の利もないというのに』

「───気まぐれ」

 あどけない少女らしさを覗かせた凛とした呟きが、ひとりでに部屋の隅へ消えていった。

 はじめて見せた変化に彼は少し面食らったが、それも直ぐに元へ戻る。

「“私”はそういう縛られない生き方を好んできた。これが最後の証と思えば悪くない、寂れてしまっていた鏡を拾い直したのだから。お前もそうは思わないか?」
『………』

 彼はその同意を求める声音に答えられなかった。
 重みを計りきれなかった。

 だから、その代わりとして。

『……それが、長生きの秘訣か?』
「いいや。反覆にちじょうに飽きないための悪足掻きだ。一度も間違えない人生は、たったの一度きりで懲りてるからな」

 夜更けの気怠い眠気のような、微熱を帯びたやり取り。
 瀕死の状態だった彼らを助けた行為は間違いであると、少女はあっさりと断じた。

「まったく思いも寄らなかった。“私”の願いはとうに、“私”だけのものではなくなっていた。見捨ててしまうには忍びなかった」

 これだからいけない、と俗世離れした少女は吐息混じりにわざとらしく、華やかに微笑ってみせる。

「過去を懐かしむようでは老いるばかりだ。私たちのような永遠を追求する愚者は、過去を拠り所にしてはいけない。未来だけを見据えて突き進むしかない。故人の願いを継いでしまった時点で、この結末は必定だったよ、お前」

『………』
 彼は返事にせず、人知れず噛み締めた。

 一つ穴の狢と笑ってくれた彼女の言葉には、僅かばかりの救いが含まれていたように、彼には思えたのだ。

 人の身に寄生していた時、絶えず焦燥があった。
 不可視の手で心臓を持ち上げられるような、痛くも痒くもない、ただひたすら忙しない血の巡り。
 全身が冴えていながら、何も成せない無力感に打ちひしがれ、日夜苛まれていた。

 だが今はそれがない。
 一欠片もない。
 人ではなくなった。

 もはや、彼女の温もりに追い縋ろうと急き立てる因子は、この頭脳体の何処にも残されていない。
 冷めた器の内で、人の身ではしつこい皮に阻害されて思い出せなかった、一定のカタチを得ない純粋なエネルギーのスピンを観測している。
 最初に与えられた『永遠ふかのう』に至る願いだけが、身震いするほど未練がましく、記憶の血汐を巡り続けている。

「───さて。お前には、私の手伝いをしてもらう。諸々の始末もつけにな」

 これからよろしく頼む、と少女は椅子から立ち上がり、フラスコを軽く一撫でした。

 彼はそれを、今度は贖罪の意思を携えて見つめていた。

 今宵より彼は、これまでとはまるで真逆の思惟に更けていくのだ。
 どのように永遠を辿るのかではなく、繋いでいくのか。
 そして、どのように滅びを避けるのかではなく、受け入れるのかを───。
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