Chapter Ⅲ

 
 極彩色が跋扈する世界に、孤独を持って彼は産まれ落ちた。
 灰色の雲に劣情を透かした……。
 焦げ色の廃屋に憎悪を締めた……。
 安寧の道端に遺体を転がし、ひととき無心となった……。

 虚飾。
 彼は醜い殺人鬼。
 救済を逃れた畜生に過ぎない。

 彼の嘆き哀しみは砂の一粒より拾うに能わず、彼の苦痛と苦悩はささやかな笑い話のタネにもならない。
 どれだけ踠き苦しもうとも、果ての取捨は疾うに……。

 ───その色彩いろを喪っていた。
 
 これは、道理から外れた彼の物語。
 ある青年の一幕である。
 
 
 
 声が反響する。

「───貴方は彼女に相応しくない」

 穏やかな目つきをした青年は傲慢にそう唱った。

 太陽は現在、ちょうど真上にあるようで、部屋の中は涼やかな水色の影に包まれていた。
 広々とした一室。
 質朴なリビングルーム。
 仕切りは何処も閉じられている。
 この部屋には家具などがほとんど置かれておらず、壁や床からは新築同然の木の香りがそこはかとなく漂い、いまだ入居者はいないように思われた。

 すると、この青年は不法侵入者という事になる。

 それは正しい。
 なにしろ今の状況は傍目から見ると、青年は拉致監禁の罪人としか映らないだろうから。

 青年が見下す先には、少年が素朴な椅子に拘束されていた。

 見事に雁字搦めだ。
 椅子の前脚二本に対応して少年の脚が太めの縄で固定されている。
 そして腕は椅子の背後に回され、まずは両手首をぐるぐるに縄で縛った上で、そこからさらに背凭れにもう一本の縄を通し、もはや振り下ろす以外に機能がないような腕を拘束するという厳重具合であった。

「………」

 しかし完全な被害者という感じはしない。
 少年は縛られながらも薄ら笑っている。
 拘束されている現状などどこ吹く風で、気にした様子はまったくと断言していいほどになく、ましてや怯えている様子も一切見られない。むしろ逆に生き生きとしている。
 仲間内のやんちゃな揉め事と説明されたら、仮にその場に偶然居合わせてしまった第三者なんかは、それはそれであっさりと信じてしまうかもしれない。扉をそっと閉じて足早に来た道を引き返すだろう。

 青年が少年の前をうろうろと歩き始める。
 まるで演説でも始めそうな雰囲気を醸し出している。

「その命、惜しいとは思わないのかい。いや、思っていたはずさ。思っていたからこそ、貴方はそうある事を選んだ筈なのだから。
 なのになんだい、その体たらくは。とてもじゃないが信じられない。貴方は尊い存在を同時に二つも投げ棄てようとしている」

 遠回しな物言いだ。
 神経質な響きを撒き散らしながら、青年は少年を責め立てている。
 溢れ出る感情を抑えきれず、身振り手振りまで加えられている始末だった。

 ───許せない。

 青年の言いたい事は要するにそういう難癖だ。
 感情の飛沫をこれでもかと直にぶつけられている少年には、それが手に取るように理解できた。

 青年がずかずかと少年の元へと近寄る。

「なぜ、彼女を治療しようとしない」
「………」

 少年はただ、何も言わず青年の顔を見上げるだけ。

「答えてほしい。どうして、貴方はそうしない?」

 少年は堅く口を閉ざす。
 煙に巻く詐欺師のように。

 青年は突然痺れを切らしたように部屋の隅々を見回し、最後には天井を睨み上げた。

「これだけのモノを創り上げられる技量と知識を持ち得ながら、早々に諦めて投棄を選んでしまう精神性が、僕にはまったく理解できない」

 劇を演じるかのようにその嘆きはわざとらしかった。
 しかしながら青年は嘘をついているつもりはない。
 感情とは大袈裟で正直にあるべきという信条から来る身振り──青年の思う望ましい言動の表れだった。

 それを間近で眺めている少年には、不慣れの裏返しとしか映らなかったが。
 
「───そりゃ、アンタには理解できないだろうさ」
 
「ああ──、やっと声を発してくれた」

 青年が、ゆっくりと首を下げる。

 少年は相変わらずの不敵な笑み。

 部屋のあちこちを歩き回り自由に振る舞える青年と椅子に縄で縛られ自由に振る舞えない少年。

 二人の関係性は、この一方的にお膳立てした状況下でようやく対等と言えた。

「興味深い。理由をお聞きしても?」
「至極単純だ、出来損ないモータル
 アンタじゃオレの鏡にはなれない」

「───うん、完璧ですね。
 ますます貴方のことが気に食わない」

「めんどいなあ。こっちはアイツの面倒で手一杯なんだ。今更アンタみたいなガキのお守りなんてやっていられない。寄生するんなら他を当たれ。ここは出来上がった時から既に定員オーバーだ」
「うん? 何か勘違いをしているようですが、別にこのマンションに興味はありませんよ。あるのは貴方の大元と──彼女の方だ」

 そこまで話したところで青年は口許を抑え、秒針が三度鳴るくらい考え込んだ。

「……ああいや、そうか。貴方は話をはぐらかそうとしているのか」

 少年は薄ら笑いを貼り付けたまま、露骨に舌打ちする。
 鈍いのやら鋭いのやら、微妙なラインである。

 少年の表情は絶えず、その苛立ちを刺激してくる邪な笑みで固まっていた。
 もはや不気味なくらい。
 人にあるまじき人形の模倣具合であった。
 しかしコチラもコチラで完全な演技ではない。
 言葉や声の抑揚は取り繕えても、表情の方はどうにもならなかった。ある種の欠陥を少年は抱えているのだった。

「やっぱりそうだった。まったく侮れない。さあ、こればかりはちゃんと教えてほしい。なぜ治せるかもしれない不具合から目を逸らし、心中を画策するのかを」
「むしろオレが訊きたいネ。どうしてそこまでこだわる?」

 青年は言い淀む。
 ただし、普段の会話であれば誰にも気取られないほどの、ほんの僅かな間だ。

「それこそきっと、貴方には理解できない。鏡に映らない貴方では」
「だったらオレも教えてやんない。仮にもアンタはオレの敵だし」
「……仮にも、ね。まるで僕が取るに足らない存在だと言っているかのようだ」

「──どうだろう。そこはアンタの解釈に委ねるよ」

 少年は投げやりにそう言い放つと、椅子に背を完全に預けてしまった。これ以上答える気はないという、応答を請う者全てが辟易とする態度。当然、その程度で縄が緩む事はなく、むしろそんな事をしたらより腕に縄が食い込んでしまうだけだろう。

「………」
「───」

 事態は膠着し、話はどこまでも平行線を辿った。

 青年がこの一室に押し入ってから、かれこれ一時間以上は経過していた。

 少年を拘束し、起きるまで待っていたというのもあるし、なによりも無言で向かい合っている時間が長かったのだ。そしてようやく少年が口を開いてくれたかと思えば、このような始末に流れ着いてしまった。
 煮え立つようなもどかしさが青年の腹に積もる。
 まるで相手にしてもらえない。
 そう邪険に扱われて苛立っているとは露知らず、その奥に隠された感情も彼は知らない。理解者を欲していると云う欲望を自覚しながら、その根底に辿り着けない。
 他人に自己を見出すが故に、比較できる他者がいなければこの有様だ。彼の場合は原始的で幼稚な関心、物珍しさに目を輝かせる幼子のそれであり、かつ同類を求めているのである。数多くの関係性を持ち得ながら、はじめて彼は他人に興味を抱いているのだった。

 深い底に秘めたる欲を顕在化させ、彼をこの凶行に突き動かしたのは相反する二種類の感動だ。

 ──生の彫刻化と死への飢餓。

 二度に亘る邂逅により、虹彩は偏重し、歩むべき方角を狂わされた。その分たれた枝先の三度目、とうとう天命の晦き道中にて彼は弾き殺され、束の間の恍惚に意識を飛ばされて、その魂は後を追うようにソラに堕ちてここまでやってきた。

 少年──あるいは『少年の大元』と彼女の秘密を探る。彼という個を侵害しない対象の分析とあわよくばその確保。
 それが彼の表向きの目的。
 確保するためには、まず対象に生きていてもらわなければ話にならない。
 サンプルは多ければ多いほどに良い。

 その為にまずと、彼は不要な手順を踏んでいる最中なのだ。

 青年は少年を一目見た時から悟っていた。
 この少年に脅しは効かないと。
 その身を無惨に殺そうが無様に犯そうが、目の前で大事な物をむざむざと壊そうが執拗に侵そうが、悉く予定調和に流されてしまうだろう。何より本末転倒になりかねないのが痛い。

 ───外では、泣き叫ぶ赤子のように、蝉が鳴いている。
 えんえん。えんえん。えんえん……と。

 焔の化身たる太陽に吼え立てて、ふらつき飛び回る雌を誘惑し続けている。

 それが彼らの籠る部屋にも鳴り響き、世俗の喧騒とは完全に切り離されているようで、外界の繋がりをこれでもかと自覚させた。

 無象の音色。

 電子レンジの中で唸るアルミホイルみたいだと青年は思う。違いがあるとすれば、そこに生殖への本能があるかどうかくらい。有機的か無機的かの差異。長く長く鳴き続けて、いずれ自身の振動に耐えかねて発火し、そのごく矮小な命を終えていく。

 少年が、ぽつりと呟く。

「命は短い。身の丈に合った期限、人々はそれを寿命と呼ぶ」

 今まで生意気に口を利いていた少年とは別人としか思えないほどに、今の彼の語りは大人びており、青年から逸らされた彼の横顔は世を憂う詩人のように儚げであった。
 しかしそうありながらも、浮かべる笑みに変わりはない。
 眼と陰影の具合が、まるで違う表情を演出していた。

「お前は“人”だ。せいぜい百年だろう。ただ、アイツは違った。それだけだ。ゆえそれだけに、お前の基準で全てを理解し切るなんて暴虐は許されない」
「傲慢であると?」
「時間は平等だ。ゆえに不公平を孕む。歴とした隔たりが三次元空間の広がりより果てしなく幅を利かせている。埋めようがない。ただし広がりようもない。初めからそこに、ただあるがままに存在する」
「それこそ思い上がりだ。個人と世界を混同している」
「そうとは言い切れない。むしろ、お前は眩んでいると言える。規模の違いに耐えられず、とうに居所を見失った」
「僕は眩んでなど──」
「個人の違いは世界の違いだ。世界の違いは時代の違いにも繋がる。オレたちとお前じゃ、住んでる世界が違う。捉え方が違う。脳髄が違う」
「……だから僕では理解できないと? 
 違う、違います。
 流石に異邦人気取りも甚だしい。
 どれだけ時による遠大な隔絶があろうと、同じ箱庭ほしの中で生まれ育った以上、いくらでも補える余地がある。貴方も僕も、この脆弱な身では宇宙の果てにも満足に行けない。彼方方も僕と同じ人間でしょう」

 ──理解できない道理はないと、青年は熱く息を吐く。
 何が何でも持論を押し通そうとする青い子供のように。

 だから、滑稽なまでの矛盾に気づけない。
 先程の少年相手には理解できないと諦めの言葉を投げ打ちながら、自身には理解できるはずだと言い聞かせている。
 これを滑稽と言わずして何と言うのだろうか。

 少年がゆらりと青年を冷めた瞳で射抜く。
 すると、儚さは薄れゆく影の内海に隠れ、表情が見慣れたモノに戻った。
 いつもの──この表現は真に正しいとは言い難いが、しかしそれほどにしっくりくる──人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを貼り付けていた。

「そういや、アンタは誰にでも似てるんだったな」

 そう言われた途端、青年はあからさまに顔を顰めて苦言を呈した。

「語弊がある。僕が皆に似ているのではなく、皆が僕の一部を盗っていくんですよ」
「それが鏡」
「そうです。昔の迷信、与太話の類ですが、カメラで撮られたら魂さえも抜き取られてしまうと言われていたでしょう。
 僕の場合、誰かと親交を深め話せば話すほどに、自分の要素が他人の内部に透けていく。
 まるでピントのずれた像を徐々に慣らしていく鏡映しのように。
 それが外面にまで滲み出てくる。
 滲み出てきた後に出来上がるのは、“僕”を纏った他人の身体と精神だ」
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