Chapter Ⅴ 後編

 
 五月雨虹架にとって、東凪斗とは恩師であり敵だった。

 彼が目的の為に自分を利用しようと考えている事も、
 純粋な興味から善悪のどちらに気が狂れるか自分を観照している事も、
 そして本心から自分と真剣に向き合ってくれていた事も、

 虹架には解っていた。

 ──本当に不思議な人だ、と交流を幾度も重ねた今でも思う。

 その身に流れる『色彩』をそこまで醜いと感じなかったモノは、果たしてこれで何度目になるだろう。

 共通点は未だ見出せていない。
 そもそもサンプルが極端に少なく、東凪斗ほど交流を深められた試しもなかったので、統計的な所感を導き出せないのも仕方のない事だ。

 ただ、その前提に立って思うところがあるとすれば……。

 彼にはきっと、逡巡や躊躇といった保身がない。

 目的の為に前へ進み続け、その為ならば人間を食い物にし尽くす事も厭わない。

 地獄めく徹底された目的意識。
 だから互いに譲れない部分で敵対する未来になろうと、そこには戸惑いも悲しみもない。
 むしろ晴れて納得してしまう気持ちのほうが大きいくらいだ。

 そんな悲劇的な運命を茫と見遣りながら、彼と交流を持っていたのだから。

 

 屋内の開けた遊歩道を大勢の人々が行き交う。
 病毒じみた生ぬるい空気が人々の間で滞留している。
 自覚なく熱気を帯びて対流する人波は、まるで病褥の風を啄んで運ぶサーカスのようだ。

 吹き放しのショッピングモール。
 天窓から覗くのは、白紙のような明るめの曇り空。
 モール全体が鯨の白骨標本のように無機質の中、赤を主色とした色とりどりの煌びやかな装飾を伝って、シャンシャンと軽快な鈴色の音楽がそこかしこで奏でられている。

 火花が瞬いている。
 その煌めきが尾を引く様は、まるで魚の跳ね上がりのよう。

 須臾に垣間見せる軌跡に、現在が幸福の盛りであると知る。
 それがこの外縁の果てまで咲き誇れば──なるほど、ごくありふれた幸福とでも呼ぶのだろう。

 虹架はベンチに座り肘掛けに頬杖をつきながら、『色彩』の変遷を矯めて見ていた。

「───不細工な眺め。
 いつもより騒然と、色が踊っている」

 雑踏に掻き消される愚痴。

 人混みが苦手だった。
 何しろ見透かしながらに塞がれてしまう。
 すると皮肉な事に他人の区別が付かなくなる。
 そして強烈な光で眼が眩んでしまうのと同様に、この視界はひどく疲弊する。

 ただでさえ『色彩』自体が弛まず縦横無尽に流れ続けるというのに、そこでさらに当人の活動も加わり、あまつさえそれが幾重にも重なれば、ゲシュタルト崩壊の如き錯視が引き起こされてしまう。

 結果、自分がいま何を観察しているのかもわからなくなるのだ。

 人を人と思えぬ心理の原因はまさしくそこにあった。

 逸脱した生体ゆえに根本から制御する為の機能さえ欠けているため、対処法は自主的に避けるくらいしかない。

 ……そう。
 今までは、ずっとそうだった。

 手近な人間の手を無造作に掴む。
 すると、掴まれた中年の男の動きがピタリと止まる。

「………なんだ」
「道をお尋ねしたいんですが──」

 傍目からは何事もなく映るだろうが、五月雨虹架の視界においてはそれだけではない。

 ソレから急速に色が失せていく。

 彼の中にその男の記憶なり感情なり、色々な要素が逆流してくる。

 ──これもまたありふれた人生だ、それゆえに埒外の異常を感知できない。奪い取って好き勝手脚色しても、その行為を真っ向から責められるモノ、その発想に行き着くモノは現れないだろう。

 しかし今回ばかりは件の少女を探し出す為の手駒作りではなく、初の試み──その犠牲第一号になってもらうが……。

「ありがとうございます」
 と少年はにこやかに礼を言って、男の手を離した。

「………いえ」

 抑揚のない返事も気短に、されど緩慢な足取りで男は歩き出す。
『色彩』の雑踏へ、草臥れた男の姿が紛れていく。

「……先生にまだ話していない事があるとすれば、こんな眼でも普通の人の姿が直接視られる、という事くらいか。
 けっこう限定的ではあるけれど」

 魂が抜けたかのようにのそのそと遠ざかる背中を、少年は両目を細めながら見送った。

「今まで気が付かなかった。
 死んだ人の顔なんて、そういえば一度も見たことがなかったんだ」

 ……だからこそ、余計気になった。
 あの誰よりも美しかった少女は、一体なんだったのだろう、と。

「………………」

 それもまた逢えれば判明することだ。

 カーン、カーン、カーン……と広場の方角から鐘の音が聞こえてくる。
 ショッピングモール内の中央広場に突き立ったポール時計が昼の十二時を賑やかに告げている。

「そろそろ時間か」

 約束の場所へと向かうため、腰を上げる。

 呼び出し主は東凪斗。
 虹架が恩師と慕いながら、敵として警戒しつつ、現在では共通の目的を持った協力相手である。

 東凪斗は『永遠』を追い求めている…らしい。
 らしいというのは、その詳細は五月雨虹架には未だ預かり知らぬ深層にあるからだ。
 彼に直接触れた事がないので、表面に湧き出し流れている色から彼の心の在り方を推し量るしかない。
 そしてそこから得られた所感は曖昧かつ少ない。

 以前、彼に披露したモノが大体だ。

 おまけに彼は他の『色彩』よりも複雑怪奇だ。
 まるで二人の人間が鬩ぎ合っているかのように、混沌とした色合いをしている。
 あれでは心理カウンセラーというよりも、相克する理想に頭を煮やす哲学者みたいだ。

 色の特徴は万人に共通ではなく、一人が面白いと思う事で笑い声を上げ全身から赤色を噴き出したとしても、必ずしももう一人が同じく赤色を噴き出す訳ではない。
 黄色であったり水色であったり、個々によりけりだ。
 だから本当に相手の事を深く知るには、相手の身体に触れて、その色を吟味する必要があった。

 けれど──。

「これも貴方に教わった事です、先生。
 まさかね、誰かと真正面から会話を交わすのが、こんなにも楽しい事だとは夢にも思わなかった」

 本番の前に練習は付き物。
 切り離せない関係性。

 せいぜい利用させてもらうつもりで、虹架は目的地であるフードコートを目指した。

 
 雑踏に身を溶かす。
 視界のわるさに心を焦がす。

 少年が一度『色彩』に触れれば、波の花が其処に残る。
 分子と分子が衝突し合い、一瞬に生じる変化の如き静止。
 蟠りは漂白され、代わりとしてソレらは使命を帯びる。

 そして、少年は自覚しない。

 “奪い取った”蟠りは降灰の如く彼の内に堆積し、それがまさか己に微弱ながら影響を与えているとは露知らぬまま、手始めに身近な世界を清廉へ染めていった。

 五月雨虹架はその時、渦のように流れ込む『色彩』の中味に気を囚われ、意識が上の空だったのは間違いない。

 だから、気付くのに一拍遅れてしまった。
 あまりにも突然の邂逅だった。

 ふと、ひとりの女とすれ違ったのだ。

 首に括られた縄を引っ張られる思いで虹架は振り返る。

『色彩』の渦中に紛れ込む艶のある単色。
 背中まで伸ばされ、ウェーブした明るめの茶髪の女が、エレベーターや階段のあるほうへ向かっていくのが見えた。

 虹架は咄嗟にその影を追いかけた。

 ──逃してたまるか!

 そんな積年の想いに突き動かされるようにして。
 人目も憚らず、今し方従えたばかりの純白を壁のように整列させて、虹架は空いた遊歩道を駆け抜ける。

 しかし、拍子抜けするほどあっさりと。角を曲がったところで女は捕まえられた。

「きゃっ!」

 手首を掴んだまま、人目の付きにくい場所まで走る。
 階段は利用者が少ないと踏んで、殊に出入りが少ないであろう、二階と三階を中継する踊り場まで女を引っ張った。
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