ヴィリバルト・ケーニッヒ生誕祭

 1.誤想




「失礼致します」 

 執務用天幕の外から内へ特有の透明感ある声が通り抜ける。其の声が何時もの様子と違って少々疲労の色を含んでいたことに気が付いて、事務処理に勤しんでいたヴァイス・ノイマンの両中尉は作業の手を止めて声の方がした方角へ揃って視線を向けた。入口付近で事務用品を両腕に抱えたまま立ち尽くしている女性――セレブリャコーフ少尉は天幕を潜り抜けた後きょろきょろと内側を一通り見渡した後『ふぅ』と一つ溜息を溢した。

「突っ立ったままでどうしたんだ少尉。席は沢山空いているだろう?」  
「それとも少佐殿に急用か?生憎、臨時指揮所での会議からは戻られていないようだが…」
「少佐殿にご用があった訳ではないのですが、荷物を置きに来るついでに人探しをしているという点では当たりです。あの、お二人はケーニッヒ中尉がどちらにいらっしゃるか御存知でいらっしゃいますか」

 「「ケーニッヒ?」」

 ヴァイス・ノイマン両中尉は声を揃えた。

『先程から近場を探してはいるのですが、一向にお見掛けしないのです…』と抱えてた荷箱を机に下ろした彼女は肩を竦めた。

「第三中隊も待機命令が出ているだろ?今頃は士官食堂にでもいるんじゃないか?」
「そちらも覗いたのですが見当たらなくて…通信を使う程ではありませんが、どちらかと言えば急用で」

 大方雑務でも片付けているのだろうと最後に此の天幕を訪ねてみたものの其処に尋ね人の姿は無く、方々を歩き回って疲労した身体は椅子の上にすっかり落ち着いてしまった。自身の凝り固まった肩を解し小さく伸びをしてから背凭れにくったりと上半身を預けると木製の折り畳み椅子がギシギシと大きな音を立てて軋む。表情からも疲労が窺えるセレブリャコーフ少尉の姿を一瞥した後、ヴァイス・ノイマン両中尉は互いの顔を見合わせてどちらともなくにんまりと表情を崩した。ヴァイスは込み上げてくる笑いを喉の奥でくつくつと堪え、ノイマンは堪えきれずに遠慮無く吹き出している始末。
 上官二人の反応に対し自分が笑い者にされたと勘違いした彼女は『意味が分からない』と不満を顔に露にして頬を膨らませる。

「あー…悪い悪い。別に貴官を笑った訳では無いんだ。……ケーニッヒは恐らく集積所近隣の演習場だな。今頃グランツに稽古でもつけてるんだろう」

 同中隊所属では無い二人ではあるが長剣の扱いに長けたケーニッヒの腕に惚れ込んだグランツがフィヨルド降下作戦以降ケーニッヒの後ろを頻りに付き纏うようになったことは大隊でも周知の通りである。昼食中に妙にそわそわと落ち着かない様子のグランツを目撃していたヴァイスは、彼に何があったか尋ねずとも『例の稽古』の件だろうと見当がつく程度には見慣れた光景になっていたからだ。付き纏い当初はそれこそボロ雑巾の如く毎度こてんぱんに伸されていたけれども、其れでも根気良く教えを乞い続けてきた執念の賜物というかなんというか、最近は漸くまともに相手して貰えるようになったと嬉しそうに話していたことは未だ記憶に新しい。ケーニッヒも最初は軽くあしらう程度の適当な対応をしていたものの、グランツの熱意に根負けしたたのか将又彼の熱に当てられたのか、口では『迷惑だ』と小言を言いながらも最近は其れなりに愉しんでいるようにみえる。―――グランツが付き纏おうとそうで無かろうとケーニッヒが剣術の鍛練をすることに変わりは無いのだろうが。

「こんな時くらい少しは休めば良いのにな」
「単に手持ち無沙汰になるのが性に合わないだけだろう。最近はグランツの件もあるからな」
「其れでしたらもう暫くは戻って来られませんね。寧ろ私が直接演習場に向かった方が早いでしょうか」
「行き違いになるのも馬鹿らしいし、やめとけ少尉」
「ケーニッヒに急用…ということだが何かあったのか?」

ヴァイスの問いにヴィーシャはこくりと一つ頷くと、机に下ろした荷箱の中から一通の封書を取り出し裏面を表にして机上に置いた。―――差出人は中央人事局。

「事務局からの速達か」
「ライン戦線に寄越してくるくらいですから、相当の理由あってのことでしょう」

 検閲と輸送の影響で遅れは生じるものの、各員の個人的な私物やら手紙が本人の元へ届く程度には流通市場は回っており、拠点に野戦郵便局を擁する現地駐屯軍所属であれば原隊と故郷双方の遣り取りは比較的容易であった。とはいえ我らは転戦を常とする遊撃航空魔導大隊。帝国内外を東奔西走する戦力単位は何処か一つの戦線に専任するような部隊特性とはかけ離れ過ぎているのである。拠点らしい拠点と言えば首都ベルンにある第ニ○三航空魔導大隊に割り当てられた駐屯宿舎を指すのだろうが、実際のところ其の場所で特別休暇を享受出来る期間はあまりにも短く、そして頻度も少ない。其のような事情を抱える帝国軍事務局が最前線配置の遊撃部隊に最優先で寄越して来た書簡なのだから余程の事情が絡んでいるに違いない……そう受け取ったセレブリャコーフ少尉は宛名に記された人物の元へ早急に渡るように自らの足で探し歩いたのだと言う。
机上に置かれた封書を持ち上げ灯りに翳すと、封筒の中にカードのような厚紙の存在が見て取れるが……折り畳まれているせいか肝心の内容は分からず仕舞いだ。

「俺達がここで勝手な詮索をしても仕方が無いだろう」

 ヴァイスは視線でノイマンを見咎める。封書の中身を探る様に透かしていたノイマンは慌てて書簡を机上に戻した。
(ケーニッヒに事務局からの書簡かー…、其れにしても見覚えがあるような…?)
既視感のある形状なのは確かだ。一体なんであったか…そう考え込むように無意識に胸元の衣嚢に触れる。カサリと何かが擦れる音が耳に届いたが特に気にも留めず言葉を続けた。
 
「――にしても御丁寧に緘印まで、ねぇ?
もしかしてあいつ転属にでもなるんじゃ…」
 
 憶測で会話を拡げるなんてことするものじゃない。一分後、ノイマンは己の発した言葉を強く後悔することとなる。





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『ガラン』



 只の世間話。其のつもりであまり深く考えずに口に出したノイマンの憶測は、天幕の外から鳴り響いた金属音によって遮られることとなった。此の場に不似合いな音に驚いて三人は思わず息を飲んだ。一拍置いて何かが砂利と土で擦れる音がし、遠くで地鳴りのように鳴り響いていた爆雷の音が途切れた瞬間、入口から顔面を蒼白にさせたグランツが顔を覗かせた。

「ケーニッヒ中尉が、てんぞく…??」

 ふらっ…と覚束無い足取りで三人の寛ぐ長机に近付く彼の―――灯りに照らされて艶ややかに発色した金髪と血の気の失せた顔色のコントラスト―――俯きがちな顔に落ちる影は一層色濃く、鮮緑の虹彩のその奥に控える瞳孔が不自然に散大してることに気が付いたノイマンは恐怖した。
此の場で誰よりも年若い青年が、本人の自覚しないところで狂気を滲ませた威圧感を放ち、先任将校らを震え上がらせている。

「あ…えっと、自主練お疲れ様!グランツ少尉だけ先に戻ってきたんだね」

ヴィーシャはなるべく平静を保ってグランツに声を掛ける。一方で彼の右手に携えるモノを一瞥して背中に一筋の汗が流れたのを感じ取り思わず口角が引き攣る。

「………もしかしてケーニッヒ中尉をお探しですか?此処に来る少し前に小官と別れましたけど。
それで、その、―――中尉殿がどうかされたんですか?」

ふらつきながらも踏み締める様な足取りでゆっくりと近付いてくるグランツとの距離は五メートルも無い。

「落ち着けグランツ!抜き身のままでこっちに来るんじゃない!!…そうだ、ゆっくり息を吸って…そのまま矛をゆっくり鞘にしまうんだ…っ」

ヴァイスは部下に自分達の動揺を悟られないように慎重に言葉を選んでいた。今の彼とって『ケーニッヒ』に関連する言葉は何であれ火種どころか地雷だ。
(ああそうか……地雷原を渡る歩兵とは常にこのような緊迫した綱渡りを強いられているのか…)と友軍他兵科の職務に人知れず胃を痛める。『曳火砲撃を掻い潜る航空魔導師が何を頓珍漢なことを…』などとヴァイスの脳内で冷静な突っ込みを入れる人物が浮かび上がるも、頭を振り払って急いで其の人物を思考から消し去った。
渦中の人物の登場はいくら脳内でも心臓に悪い。
うっかり其の名を口に出してしまえば敏感になっているグランツがどんな行動をとるか分かったものではない。ホラー・フィルムの薄暗さを引き込んだこの空間は、いつスプラッター・フィルムに差し替えられても可笑しくない状況だった。
 今の三人には情緒不安定な儘狂気に染まりかけているグランツを宥めるだけの余裕も、目の前の彼を説得出来る程確証高い理由も持ち合わせていなかった。

 

 

+++++++




「―――お前ら何を騒いでいる」


「で、デグレチャフ少佐殿!!」


 (((助かった……!!!)))


 ヴァイス・ノイマン・ヴィーシャは此の状況を打破し得る数少ない人物の登場に心から安堵した。

「…少佐殿?…ケーニッヒ中尉が転属されるという話は真でありますか?」

剣は鞘に収めているものの、ぐりっと首をもたげて少佐殿に居直るグランツの姿はさながらホラーだ。
明らかに異様な空気を駄々漏らしている彼を一瞥するターニャは特に動揺した様子も見られずただただ呆れている。此処での会話は外に漏れ聞こえていたのであろう。あれ程騒いでいれば当然であるが、空気を察する術は流石デグレチャフ少佐殿といったところか。

「貴官等は揃いも揃って阿呆か。何をどう勘違いしたら其のような飛躍した展開になるのだ」
「其れなのですが、実はケーニッヒ中尉殿に事務局から封書が届いておりまして…」

副官は長机に置かれた書簡を上官に差し出す。ターニャは一頻り封書を眺めた後、セレブリャコーフ少尉が持参した荷箱からペーパーナイフを取り出し、徐に封を切った。



 (((緘印の意味)))



グランツを除く誰もがそう思った。法と規律の遵守に厳しい少佐殿が他人の信書を開封するなんて…、と。咄嗟のことで口に出して意見出来る者は居なかったが、ヴァイスの表情が恐らく一番分かり易かったのだろう、ターニャはヴァイスの顔を一瞥して『国際犯罪なら兎も角、親告罪なら大したことにならんよ』と小さく笑い、小さな其の指で弾くように厚紙を取り出した。

「ああ、やはりケンカルテだな。ケーニッヒが携帯しているものが大分擦り切れていたようであったので新しいものを申請させていたのだよ」

二つに折り畳まれたカード型の簡易身分証の表紙を一同に見えるように向けた。

「…ケン、カルテ?」
「なんだ~。ただの身分証かあ。でも良かったあ…」

ヴィーシャが安堵の声を漏らす。それにつられてグランツの能面のような表情も次第に解れていく。
 
「大分前に手配したつもりであったのだがな。
まあ、昨今の物流事情と多忙な事務局業務の優先順位を考えれば奴の誕生日を過ぎる前に届いただけでも良しとするか…」

場が収束したのを感じて一人うんうんと納得するように呟いたターニャを余所に、再び三人に緊張が走る。
 
「―――少佐殿?今、何と?」

ヴァイスが真っ先に声を上げる。

「は?ケーニッヒの身分証の再発行申請をさせたと言ったのだが」
「そうではありません少佐殿。誕生日というのはケーニッヒ中尉殿のお誕生日ですか?」
「あ、あぁ。なんだセレブリャコーフ少尉まで」

ターニャは漸く気が付いた。今度はグランツだけではなく、ヴァイスとヴィーシャまでも何か物々しい空気を放っていることに。ノイマンに関しては『やっちまった』と諦感を滲ませた何とも言えない表情をしている。

 
「ケーニッヒ中尉の誕生日?…其れはいつのことででありますか?」

「ああ。なんだ本人から聞かされて無かったのか?
―――本日であったろう確か」






『ゴトリ』

グランツの腰帯に下げていた長剣が留め具から外れて地にずり落ち、重い金属音が木霊する。ターニャを含む全員が音のした方へ―――グランツに視線を向けた。

「……何も―――聞いてないです、けど」

抜け殻のようにただ茫然とした彼の表情に、ヴァイス・ノイマン・ヴィーシャの三名は頭を抱えた。

 


+++++++



 
「おい何か大きい音がしたがお前ら一体何をやって………っと、少佐殿もお戻りでありましたか」

 脱いだ軍服と白いシャツを左肩に引っ掛け、黒のアンダーシャツ一枚姿で現れたケーニッヒは上官の存在に気が付いて着衣が乱れた自身の恰好を其の儘に右手を空けて敬礼を行った。

「よい。取りあえず貴様は飼い犬の暴走を止めて来い」
「は?飼い犬、でありますか?」

男は指揮官の指示に素っ頓狂な声を上げる。
意味が解らず副長の顔をみると彼はほっと安堵したような―――若干投げ遣りともとれる何とも微妙な笑み浮かべており、説明を求めようと副官に視線を投げるも彼女はこの状況を収束出来る数少ない人物――本命(寧ろ渦中の人間)の登場に気が緩み、へたりと其の場に座り込んでいる。
ヴァイス・ヴィーシャ両名から一歩引いたたころに居るノイマンに事情を聴こうと口を開いたところで、情緒不安定のグランツがケーニッヒに向かって猪の如く突進していく。長剣が彼の元から離れていて良かった。本当に良かった。

「なんでっ、なんで誕生日のこと教えてくれなかったんですかああ。
俺あんたの一番弟子でしょおおおお」

上官への敬語も忘れてケーニッヒの膝元で半狂乱になりながら泣きすがるグランツの―――少年を脱したばかりの年齢とはいえ、筋肉の付いた胸板と腕でがっちりと抱き付かれて顔から液体という液体を垂れ流し嗚咽する姿はあまりにも見るに堪えなかった。膝元からずるずると追い縋って泣き喚く彼をそのままに(ああ、飼い犬ってこいつのことだったのか)とケーニッヒは漸く解に至る。

「誕生日?―――ああ、そういえば今日だったか」
「俺っ一番弟子なのに何も聞かされてない、です」
「…あのな、一番弟子も何も俺が稽古つけてるのはお前一人だけなんだが」

分かったなら離れろ動き辛い、と口では素っ気ない物言いだが、無理に引き離そうせずグランツの好きにさせているところをみるとケーニッヒも随分と彼の扱いに馴れている様子である。

「あ、グランツ少尉ちょっと嬉しそう」
「それよりあの状態に動じない奴も凄いな」
「ケーニッヒは結構そういうところがあります」
「ヴァイス中尉冷静過ぎません?」
「ひ…っ…笑い死ぬ…っ」
「つーかノイマン!!こいつらは兎も角お前は途中から気が付いてただろう!」
 
『第一、初めにケンカルテの再申請をしろって言ったのはお前だったろう』と事態の早期収束のカードを持ちながらも其れを切らなかった同僚に非難の矛先を変えるつもりで詰め寄ろうとするが、足元に縋るグランツの所為で思う様に身動きが取れないケーニッヒは離れた距離から言葉とともに鋭い視線をノイマンに投げ付けた。

「いやだってさ、黙ってたら絶対面白いことになるかと思って」

笑いを堪えきれずに終に吹きだしたノイマンは腹を抱えて爆笑している。ヴァイスとヴィーシャは転々と変わる事態についていけず、困り顔をして互いに顔を見合わせた。ターニャはもう勝手にしろと言わんばかりの呆れ顔をしている。

「其れはそうとして、誕生日に関してもそうだけどお前の性分からして、そういうことは何時までたっても自分から言い出さないだろ。
ならこのまま寝かせて置いた方が良かれと思ってさ。俺としては親切心だった訳よ」

 ノイマンはそう言うとケーニッヒに向かってウインクを飛ばした。何時もであれば彼の其の仕草一つにも小言で返して遣ろうとするところではあるが、今日此の状況で言い返す言葉が見付からなかったケーニッヒは一瞬口をつぐんだ。

「っ…いや、まぁそうかもしれなかったが。……騒ぐのは嫌いじゃないが自分が其の中心になるのは苦手なんだよ」

ケーニッヒは歯切れ悪く言葉を紡いだ後、不意に視線を外した。

「小官としてはいくら前線配置といえどお誕生日を内緒にしていたケーニッヒ中尉殿も悪いと思います」

セレブリャコーフ少尉はターニャを盾に隠れるようにして(実際のところ微塵も隠れられてはいないけれども)ケーニッヒに非難の声を浴びせた。

「そうだな。ケンカルテの件はノイマンが悪いとして、誕生日を明かさず黙って遣り過ごそうとしたケーニッヒに非があるのも確かだ」
「(いや俺は悪くないと思うんですけどヴァイス中尉)」
「そうだ飼い犬の躾はちゃんとしておけ」
「(飼い犬…)少佐殿は先程から小官に対して辛辣ではありませんか」

 ケーニッヒの足元で落ち着きを取り戻しつつあるグランツが軍服の袖口で顔を拭いながらターニャに意見する。

「漸く落ち着いたのか少尉。……はて、軍用犬は涙鼻水涎を垂れ流して泣き喚いたりしないものだが私の認識違いであったか?
鍛え方が足りないのであれば私手ずから再教育してやっても一向に構わないのだが」
「いえそんな…っ、まっ、間に合っておりまーす!」

ターニャの不敵な笑みに記憶と身に染み付いた『あの大隊選抜試験』のフラッシュバックを引き起こしたグランツは下半身を地面に引き摺らせながら後退し、ケーニッヒの背後に身を隠した。



「グランツ…お前は良い加減俺の足から離れてくれ」
 


彼の呆れ声は弟子の耳には届かなかった。





数時間後、他部隊との賭け事に乗り込んで案の定こてんぱんにされていたグランツが目撃され、見兼ねたセレブリャコーフ少尉が代役として参戦、無慈悲にも賭け品を根こそぎ掻っ攫っていったことにより彼の負け分がチャラとなったという話がケーニッヒの耳に届いたのはまた別のお話。
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