アレーヌ制圧後の話

1.グランツとケーニッヒ



「訓練中に昼寝とは良い度胸だな」



頭上から降って来たのは何処かで聞き覚えのある台詞と、恐らく彼の人に近付けたであろう口調。
それがあまりにも似て無くて、込み上げてきた笑いに堪えきれなくなり直ぐ様口元を覆い隠そうとしたが、終には間に合わずに上官を目の前に吹き出してしまった。


「お前……その傷は笑えないからな」


地に四肢を投げ出した間抜けな体勢から上体を起こして中尉殿を見上げた。彼は咎めているような、それでいて苦笑ともとれる何とも微妙な呆れ顔をして此方を見下ろしている。
僅かに細めた目が向けられた先のものに気が付いて、彼の放った鋒が掠めた頬をなぞるように触れた。
……出血は大したこと無い浅い傷が線を引くようにこめかみまで延びていた。此の人が咄嗟に軌道を逸らさなかったら耳まで持っていかれたかもしれない――在り得た事態を想像して思わず顔が引き攣る。


「俺との稽古で他の事に気を取られていられる程、お前は扱い慣れていないだろうに」


空を切るように矛を振り払い、付着した血を布で丁寧に拭って鞘に収めた。
ああそうか今日の訓練はこれで終いか。


「剣の扱いに関して、この大隊でケーニッヒ中尉に叶う人間なんておりませんよ」

「…わざわざ長剣なんか持ち出さなくても魔導師なら銃剣や魔導刃で事足りるからな」

褒めたつもりの発言を、中尉殿は皮肉として受け取ったらしかった。彼の素直じゃない物言いに、今度は此方が苦笑する番になる。

 彼とて出撃に際し常に長剣を携帯している訳では無い。寧ろ魔導行軍中の限られる荷に加えるには不適切の得物だ。オース・フィヨルドの際には珍しく持ち出していた事は知っていたけども、敵砲台制圧という作戦の性質でいえば、武器の選択肢としては『有り』なだけで、第一、魔導師であれば近接格闘に持ち込まずとも鎮圧の手段など如何様もある。
幼年・士官学校でも体術や銃剣術など一通りの演習過程は当然組み込まれているが、航空魔導兵科においては対人格闘は重視されていないのが現実。
戦争においては砲撃こそ正義。
魔導師の軍事転用によって戦争の形態変化はあれども結局のところ重砲には叶わず、火砲並みの威力を持ち展開力の高い航空魔導師を近接戦主体で運用するのは意味が無い。それは中尉殿も承知の上で、それでも日頃から剣術の鍛練を独り続けているものだから、そんな彼に感化されるのは時間の問題だった。


「俺みたいな人間は、魔導師としては『変わり者』の部類だろうな」と彼は笑った。「そんな俺に声かけるお前も大概だからな」とも付け加えて。


ケーニッヒ中尉とは時折こうした空き時間に剣を交える。

フェンシングなら腕に覚えがあり、自分の実力に慢心しているつもりは無かったが、「是非自分をお相手に」と勇ましく申し出た割りには、あまりにも勝負にならず現状は彼に弄ばれてしまっている――彼の言葉通り稽古をつけて貰っている立場だ。
それに空き時間といっても、彼は第三中隊長という立場上、毎日のように自主鍛練に時間を割けるほど暇な人物ではない。それに先日の戦闘で負傷・離脱したヴァイス中尉に代わり、副長代理としての職務も兼任しているのだから現在は多忙を極めているはず。
だからここ最近は気を遣って自分から声を掛けることはしなかった。
 


「でも珍しいです。『変わり者』の中尉殿から声を掛けて下さるとは。…今までにありましたっけ?」



そう、声を掛けるのは決まって自分からだった。
彼の自主鍛錬中に割り込むように突撃し、毎度の様にこてんぱんに伸されている内に、ヴァイス中尉に「あのケーニッヒに弟子入りしたのか」と嬉しそうに話題を振られるようになるし、ノイマン中尉には「ケーニッヒの面倒を見てくれる奴が増えてくれて俺の負担も漸く減るってもんだ」とか。彼ら中隊長同士の付き合いは良く分からないけれど、ケーニッヒ中尉も取っつきにくそうな印象は受ける反面、直属の部下ではない自分が自主鍛錬中に『邪魔』しにきても邪険にすることはしない。
苦言を呈されることもあるけれど、それは技術面に関する助言を彼の言葉で婉曲的に表現しているだけで、内面とても部下想いの方だということも良く知っている。

腰を下ろし、医務から拝借してきたであろう応急キットを拡げている彼にそう問い掛けると、丁寧にサージカルテープを切っていた手がぴたりと止まった。――三秒くらいだろうか、少し間が空いた後、彼は静かに鋏を置き、今度は空いた手で滅菌ガーゼの封を乱暴に引き千切っている。眉間に皺を寄せたその表情は険しい。


(…何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか)



自分の発言後から意図的に合わない視線。彼が手ずから傷の処置の準備をしてくれているというのに、妙に居心地が悪い。
不安な表情を隠そうともせずおろおろしていると、顔を上げた中尉殿と漸く目が合った――いや、視線が合ったのはほんの一瞬のことで直ぐに顔を逸らされてしまった。

彼の行動の意味が全く分からず、逸らされた顔を覗き込んでみると―――目を閉じて笑いを堪えている。



「中尉殿…幾らなんでもあんまりじゃないですか」



質問には答えてくれず、不穏な空気に耐えかねている自分と視線が合った途端笑い出す彼に不満を漏らす。
くつくつと喉の奥で笑う男は一頻り笑い終えた後、何事も無かったように処置を再開した。


「いや何だ…、いざ一人で鍛練をするとなると随分と物足りないものだと思ってな。…ここ最近は必ずと言って良いほどお前が引っ付いてきたから」


確かに中尉殿について剣術の指導を受けていたのは事実だけど。

「構ってやるのはいつも俺の方だったのに、お前が来ないと味気ないと思う自分が可笑しく思えただけだよ。お前いつも犬っころみたいに後ろを付いて回るからさ」


つまり中尉殿は自分を飼い犬とでも思っていたということか。
……犬扱いされる方が余程傷付くんですけど。

如何にも『不満です』、と表情を露わにしても中尉殿は気にも留めず、患部の処置を続ける。消毒液を染み込ませたガーゼが肌に触れると、浅い傷口がじくりと痛んだ。





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「何というか―――思ったよりも引き摺っていなくて安心した」




何気なく発せられた中尉殿の一言にどきりとする。


「…一体、何のことで」


慎重に言葉を紡いだつもりだったのに声が震える。
平静を装うことが出来ずにいる自分を叱責するかのように、心臓がどくどくと脈を打ち耳の奥を震わせる。


「…『あれ』から様子がおかしかっただろう」




『 あ れ 』


心当たりは一つしか無い。
もはや共通の認識ですらある『あれ』を敢えてぼやかして言う中尉殿の言葉は、煉獄と地獄の情景と、肌に纏わりつくべたりとした感覚、人が焼き爛れていく臭気を反芻させた。
酸の液体が胃と食道を焼かんとばかりに暴れ始めている。


 
「…、そんなことは」

「少佐殿との遣り取りは知っているからな。俺があの場に控えていたことも覚えていないのか」



彼はわざとらしく溜息をひとつ漏らした。
HQと少佐殿の通信から自分の抗命未遂まで一部始終見られていたという訳か。
それはそうだ、負傷・離脱したヴァイス中尉から次席指揮権を引き継いだケーニッヒ中尉があの場にいたのは何ら不自然な事では無い。
軍人として有るまじき暴挙。そしてその行為に目を瞑り処罰を下さなかった上官等。

あの行為の弁明を求められている訳ではない。かといって自分の中で消化出来ていない蟠りを上官に吐露出来る程、未だに感情の整理がついていない。
言葉を探すように視線を彷徨わせたが終には見つけることも出来ず、諦めて口を噤んだ。



黙り込んだままの自分を中尉殿は咎めようとはしなかった。

頬を叩くように新しいガーゼを抑えつけると、先程切ったサージカルテープをてきぱきと貼りつけていく。


「随分と男前になったな」

「……少し大袈裟じゃないですか、これ」

頬杖を付くように患部を覆うガーゼに触れる。頬からこめかみ近く伸びているとはいえ浅い傷だ。それにしてはこの大判のガーゼは大袈裟というか大雑把というか。


「ラインで慢心した挙げ句、利き手を負傷した大馬鹿者が今更何を言っているんだ」

「ああ…それもご存知だったんですね…」


本当にこの人は周りを良く見ている。今回は上官との対人訓練中の怪我。気を散らしていた自分が悪い。
再び溜息をひとつ溢した中尉殿は、バツが悪くて再び口を噤んでしまった自分を気に留める風もなく、拡げた応急キットを片付けて一足先に戻る準備をしていた。腰を上げ、軍服に付いた砂埃を手で払っている。その砂埃を追って自然と視線は地に落ちる。



「―――思い悩むのは悪いことじゃない」



不意にかけられた彼の言葉にはっと顔を上げようとするが、上から伸びて来た手に頭をぐっと押さえつけられ、目線は地面に向いたままを強いられた。



「その感覚は忘れないでおけよ」



普段と何ら変わりない声色。
特に優しい言葉を掛けられた訳でも無いのに、消毒液の匂いがつんと鼻の奥を刺激して、思わず涙腺が緩んだ。


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