マッシュル-MASHLE-
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
婚約解消の同意を書面で交わして以来エステルと連絡は取り合っていない。半ば義務的であったが少し前までは二人の時間を作ろうと互いに努めていたし手紙の遣り取りも欠かさずにいたけれど、其の必要が無くなった途端、馴染みの梟がカルドの元に訪れることは無くなり、彼も接近禁止こそ出されていないものの、破談になったばかりの此の時期に隙を見せればあらぬ疑いを生むことにもなり得る為、ここ最近は只管 神覚者として昼夜問わず職務に没頭する日々が続いている。
通常業務と並行してインターンシップ受入の事後処理と期初の人事で山積する未承認書類を処理しながら、ふと今日の日付が分からなくなり、カルドは執務デスクの卓上カレンダーを見遣る。二日後に迫る休暇日が律儀にも丸で囲んであることに疑問を感じたカルドは、直ぐさま一瞬でも疑問を感じてしまった自身に嫌悪を抱き、椅子に大きく凭れ掛かって左前腕で目元を覆い隠した。
(エステルと『約束があった』日じゃないか)
約束を取り付けたのは一ヶ月以上も前のことで、エステルが実家への帰省のタイミングで全日休暇を合わせていた、…筈だった。エステルの境遇が変わり婚約解消に至るまで一ヶ月足らずで起きた出来事だという事実を再認識して、カルドは感情の置き場を見失いそうになる。
エステルを心から想っていたことを強く自覚したのは一角獣 の幼獣が魔法動物管理局の保護管理下になった───彼女が純潔を守らねばならない立場に置かれてからだった。
彼女の魔法学校卒業と同時にゲヘナ家へ婚嫁することは何年も前から決められていて、魔法局は元より他所への就職するという選択肢は端から無く、卒業前に半ば強制的に任命された『一角獣の幼獣の保護管理者』という肩書きにエステルも戸惑いと抵抗を示した。
当然カルドも魔法人材管理局局長と婚約者という二つの立場からエステルを守ろうと手を尽くしていたが、真っ先に益を享受したい一部の貴族連中が魔法界の利の為という最もらしい言い分をまるで正義であるかのように振りかざす。現当主を始めとして娘の引き渡しに応じずにいたヴェスタ家であったが、彼らが家の事業にまで圧力を掛け始めた時期を同じくして、エステルはゲヘナ家に婚約解消の意向を伝え魔法局に入局する決断を下した。
彼女は家門を守る為だと口にしていたけれど、両家の婚約解消までも性急に進めていた本当の理由はゲヘナ家の世継ぎ事情への配慮によるものだったのだと、敢えて語らずともカルドは十分に理解 っていた。
(───結局、受け入れられずにいるのは僕の方だ)
そんな簡単に切り替えられる訳がないだろうと、此の場に居ない彼女と未練がましい自身に悪態を吐き、空白となった予定から意識を背けるように卓上カレンダーを机に伏せた。
+++++
帰省中のエステルが熱病で臥せっていると一報を受けたカルドは、ヴェスタのカントリーハウスへ箒を飛ばす。
ヴェスタ家所有の梟が直に魔法人材管理局に遣わされることは過去になく、封蝋の印璽がヴェスタ家のものであったことと差出人が現当主夫人であったことで、封を切る前からカルドの胸中は穏やかでいられなかった。彼女に何事も起きていませんようにと念じながら書簡を読み進めるも嫌な予感に限って的中してしまうもので、手紙を読み終えてから約一時間、事務作業は手付かずの状態まま徒 に時間を消費することになる。
(此の儘では公私ともに支障を来す)
命に別状は無いと書かれているものの、文面から容態を伝え知るだけでは一度抱いた不安を拭い去ることは出来なかった。
彼女が無事なのだと確認出来れば其れで良い。そう自身を納得させて、カルドは執務室を後にした。
+++++
「───っ、カルド、どうしてここに」
突然の来訪者に驚いたエステルは、居室から奥の寝室に引っ込もうとするも足が縺れてしまい、肩掛けのストールを握り締めながら其の場にへたりこんだ。カルドがエステルの元に駆け寄ると、彼女は高熱のせいなのかそれとも羞恥心によるものなのか、紅潮した顔を見せまいと俯けたまま顔をカルドから背ける。
「夫人から手紙を受け取って…、部屋に通されたから話は訊いていたものかと…」
「っ、お母様ったら」
エステルは一つ溜息を溢した後、言外に含みを持たせて母親に恨みを吐いた。夫人の文面通り彼女がここ数日熱病で臥せっていたことは事実であること、ただ今は解熱剤の効果により一時的に熱が下がっていた為、身体を清めに浴室から戻って来たばかりだということをぽつり、ぽつりと話し始める。そして『また寝室に戻って休む予定だったので───寝間着だから見ないで欲しい』、と。
エステルはストールを強く握り締めながら其の場から動けずにいた。破談になったとはいえ元婚約者のカルドには今まで見せていない姿を見られたことで、気持ちに整理が付かなくなっている。目の奥がじんわりと熱を持ち、目の縁に涙の薄い膜が張り始めてエステルは急いで目元を拭った。
「エステル」
名を呼ばれたことで反射的に視線を上げたエステルを身体ごと引き寄せ、無理矢理身を預けさせた状態で強く抱き締めた。カルドは華奢な背中に回した両腕の力を緩めることなく片方ずつ自身の手袋を外し、其の儘床に捨て落とす。肩から滑り落ちたエステルのストールも気に掛ける者は誰も居ない。
手袋を外した手でエステルを横抱きに抱え直してカルドは立ち上がると奥の寝室へ彼女を運んだ。
カルドの導く儘に寝台に下ろされたエステルは一言も喋ろうとはしなかった。カルドが寝室の扉に錠を掛けて戻って来てからも、ただ不安そうな表情で口を閉ざしている。
カルドは寝台の縁に座らせたエステルの隣に腰掛けると、エステルの左手の上に覆うように自身の手を重ねた。
古い火傷の痕と、掌は何度も潰れた肉刺 で肥厚し、細長い指は関節部分が赤く色素が沈着している御世辞にも綺麗だと言えぬ此の肌を、自分から見せても良いと思えたのは過去にも彼女だけであった。何時しか手袋で隠すようになった此の手を、努力をしている人の手だと好いてくれたあのエステルが、震える手でカルドの手を取り自身の両手で包むように触れて顔を見上げる。
「…これ以上貴方の迷惑になりたくない」
声を震わせまいと小さな声で告げた言葉を決別と表現するには余りにも臆病で、それでいてエステルの本心から出た言葉だった。神覚者に昇り詰めても尚傲らずに自己研鑽を怠らない彼の手を鈍らせてしまうのはエステルの本意ではない。カルドはエステルの意図することを理解した上で彼女の言葉を否定しようとすると、エステルはカルドから目を背けた。『今日のことは全部忘れて欲しい』、と。伏せた顔からぽたり、ぽたりと零れた滴は白い寝間着に涙の染みを作っていく。
「───無かったことにしますから、どうか今日だけは此の儘で」
カルドは再びエステルを腕の中に収めて、彼女を強く抱き締めた。彼女が泣き止むまでの間離れ難い体温を感じながら、きっと忘れることは出来ないのだろうと思い、焦がれて止まない熱を押し殺して夜を迎えた。
通常業務と並行してインターンシップ受入の事後処理と期初の人事で山積する未承認書類を処理しながら、ふと今日の日付が分からなくなり、カルドは執務デスクの卓上カレンダーを見遣る。二日後に迫る休暇日が律儀にも丸で囲んであることに疑問を感じたカルドは、直ぐさま一瞬でも疑問を感じてしまった自身に嫌悪を抱き、椅子に大きく凭れ掛かって左前腕で目元を覆い隠した。
(エステルと『約束があった』日じゃないか)
約束を取り付けたのは一ヶ月以上も前のことで、エステルが実家への帰省のタイミングで全日休暇を合わせていた、…筈だった。エステルの境遇が変わり婚約解消に至るまで一ヶ月足らずで起きた出来事だという事実を再認識して、カルドは感情の置き場を見失いそうになる。
エステルを心から想っていたことを強く自覚したのは
彼女の魔法学校卒業と同時にゲヘナ家へ婚嫁することは何年も前から決められていて、魔法局は元より他所への就職するという選択肢は端から無く、卒業前に半ば強制的に任命された『一角獣の幼獣の保護管理者』という肩書きにエステルも戸惑いと抵抗を示した。
当然カルドも魔法人材管理局局長と婚約者という二つの立場からエステルを守ろうと手を尽くしていたが、真っ先に益を享受したい一部の貴族連中が魔法界の利の為という最もらしい言い分をまるで正義であるかのように振りかざす。現当主を始めとして娘の引き渡しに応じずにいたヴェスタ家であったが、彼らが家の事業にまで圧力を掛け始めた時期を同じくして、エステルはゲヘナ家に婚約解消の意向を伝え魔法局に入局する決断を下した。
彼女は家門を守る為だと口にしていたけれど、両家の婚約解消までも性急に進めていた本当の理由はゲヘナ家の世継ぎ事情への配慮によるものだったのだと、敢えて語らずともカルドは十分に
(───結局、受け入れられずにいるのは僕の方だ)
そんな簡単に切り替えられる訳がないだろうと、此の場に居ない彼女と未練がましい自身に悪態を吐き、空白となった予定から意識を背けるように卓上カレンダーを机に伏せた。
+++++
帰省中のエステルが熱病で臥せっていると一報を受けたカルドは、ヴェスタのカントリーハウスへ箒を飛ばす。
ヴェスタ家所有の梟が直に魔法人材管理局に遣わされることは過去になく、封蝋の印璽がヴェスタ家のものであったことと差出人が現当主夫人であったことで、封を切る前からカルドの胸中は穏やかでいられなかった。彼女に何事も起きていませんようにと念じながら書簡を読み進めるも嫌な予感に限って的中してしまうもので、手紙を読み終えてから約一時間、事務作業は手付かずの状態まま
(此の儘では公私ともに支障を来す)
命に別状は無いと書かれているものの、文面から容態を伝え知るだけでは一度抱いた不安を拭い去ることは出来なかった。
彼女が無事なのだと確認出来れば其れで良い。そう自身を納得させて、カルドは執務室を後にした。
+++++
「───っ、カルド、どうしてここに」
突然の来訪者に驚いたエステルは、居室から奥の寝室に引っ込もうとするも足が縺れてしまい、肩掛けのストールを握り締めながら其の場にへたりこんだ。カルドがエステルの元に駆け寄ると、彼女は高熱のせいなのかそれとも羞恥心によるものなのか、紅潮した顔を見せまいと俯けたまま顔をカルドから背ける。
「夫人から手紙を受け取って…、部屋に通されたから話は訊いていたものかと…」
「っ、お母様ったら」
エステルは一つ溜息を溢した後、言外に含みを持たせて母親に恨みを吐いた。夫人の文面通り彼女がここ数日熱病で臥せっていたことは事実であること、ただ今は解熱剤の効果により一時的に熱が下がっていた為、身体を清めに浴室から戻って来たばかりだということをぽつり、ぽつりと話し始める。そして『また寝室に戻って休む予定だったので───寝間着だから見ないで欲しい』、と。
エステルはストールを強く握り締めながら其の場から動けずにいた。破談になったとはいえ元婚約者のカルドには今まで見せていない姿を見られたことで、気持ちに整理が付かなくなっている。目の奥がじんわりと熱を持ち、目の縁に涙の薄い膜が張り始めてエステルは急いで目元を拭った。
「エステル」
名を呼ばれたことで反射的に視線を上げたエステルを身体ごと引き寄せ、無理矢理身を預けさせた状態で強く抱き締めた。カルドは華奢な背中に回した両腕の力を緩めることなく片方ずつ自身の手袋を外し、其の儘床に捨て落とす。肩から滑り落ちたエステルのストールも気に掛ける者は誰も居ない。
手袋を外した手でエステルを横抱きに抱え直してカルドは立ち上がると奥の寝室へ彼女を運んだ。
カルドの導く儘に寝台に下ろされたエステルは一言も喋ろうとはしなかった。カルドが寝室の扉に錠を掛けて戻って来てからも、ただ不安そうな表情で口を閉ざしている。
カルドは寝台の縁に座らせたエステルの隣に腰掛けると、エステルの左手の上に覆うように自身の手を重ねた。
古い火傷の痕と、掌は何度も潰れた
「…これ以上貴方の迷惑になりたくない」
声を震わせまいと小さな声で告げた言葉を決別と表現するには余りにも臆病で、それでいてエステルの本心から出た言葉だった。神覚者に昇り詰めても尚傲らずに自己研鑽を怠らない彼の手を鈍らせてしまうのはエステルの本意ではない。カルドはエステルの意図することを理解した上で彼女の言葉を否定しようとすると、エステルはカルドから目を背けた。『今日のことは全部忘れて欲しい』、と。伏せた顔からぽたり、ぽたりと零れた滴は白い寝間着に涙の染みを作っていく。
「───無かったことにしますから、どうか今日だけは此の儘で」
カルドは再びエステルを腕の中に収めて、彼女を強く抱き締めた。彼女が泣き止むまでの間離れ難い体温を感じながら、きっと忘れることは出来ないのだろうと思い、焦がれて止まない熱を押し殺して夜を迎えた。
3/3ページ