マッシュル-MASHLE-
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「従属契約を結んでもいないのに相変わらず良く懐かれているね」
「…赤ん坊の頃から世話を任されていればこうもなりますよ」
膝に頭を置いて眠り込んでいる
二人の間には木々の小さな葉擦れと一角獣の寝息の音が耳に届くだけで、約二ヶ月振りの会話だと言うのに、一言ずつ言葉を交わした後は自然と口を閉じて、暫しの間ただ静かに互いを見つめていた。
魔法局では所属の違いから日常的に殆ど顔合わせることもなく、カルドが『職務上の必要性』と建前を用意してエステルを呼び出さない限り、二人は一時の逢瀬の時間を持つことすら許されなかった。エステルの上司であるアギトから
───『二人』と表現したけれども、実際には彼女の膝を占有している幼い一角獣は、カルドにとって看過し難い存在であり、今もこうしてエステルに甘えて眠る姿がカルドには憎らしく映る。
(そろそろ『母離れ』をしてくれませんかね)
カルドは何度も願っては飲み込んできた思いを、敵意とも呼べる感情を、目の前の一角獣に向けた。エステルの固有魔法が掛けられていなければ、負の感情に触れた途端に激昂し、収拾の付かない事態に陥っていたことだろう。そもそも一角獣が眠らされていなければ、此の場にエステル以外の───カルドの存在を許す筈も無いのであるが。
魔法動物管理局の保有する広大な管区には特定生物を生育するに適した環境整備がなされており、特に此の一角獣の幼獣に関して云えば、其の希少性と有用性からして他の魔法生物と一線を画すセキュリティと特殊な環境下で管理が行われていた。
魔法界トップクラスの魔法生物であるメンチグリフォンのように魔力量で従わせることが出来ないばかりか、意志疎通が可能になる成獣期を迎える前は獰猛且つ繊細で扱いが非常に困難である為か、過去に幼獣を生け捕りにしたという記録は残されていない。魔法界において一角獣と云えばイーストン魔法学校管理の寮分け個体が一般的に想起されるが、実際のところ幼獣期から骨格標本のような姿形はしておらず、寧ろ其の外見は食用馬に近い。此の一角獣も本来であれば同族の元で保護・管理を行うのが好ましいのであるが、寿命から考えると乳児期を脱したばかりの幼獣にとって、老齢の同族の姿から自身を同族と認識するには発達が追い付いていないが故に激しく拒絶を繰り返し、以後同族に対しても攻撃的な態度を変えないことから、半ば隔離のような状態で魔法動物管理局の厳重な管理下に置かれていた。
其の保護管理者にエステルが任命されてから五年───カルドとエステルの婚約が破談になってから五回目の夏を迎えようとしている。
+++++
「今日はお茶を頂く時間はありそうですね」
カルドの突然の来訪にも彼女は特に驚く素振りも無く、近くのガゼボに置いていたであろう小さなバスケットを浮遊魔法で手繰り寄せて自身の横に着地させる。そして彼女が今然しているように、カルドにも敷物も敷いていない木の根元に腰掛けるように勧め、彼も其れに従いエステルの隣に腰を下ろした。その横でエステルが杖先でくるりと円を描くと、空中で熱湯が注がれたリーフティーポットの中で茶葉が踊り、少しして、手元に現れたティーカップとソーサーをカルドが受け取ると、硝子ポットから琥珀色がかった紅茶が注がれていく。カップから立ち上る湯気とともに拡がる芳しい香りが鼻腔を擽り、彼女の勧める儘に一口口にすると独特の甘さが舌に触れた。
「驚いた。後味に蜂蜜の甘さがする」
「蜂蜜の粉末がブレンドされている茶葉を使っていて…、貴方には少々物足りないかもしれませんが」
ふふ、と隣で小さく笑う彼女はバスケットの中から簡素にラッピングされた小包を一つ取り出すと、封を開けてカルドに差し出す。甘味は此方で補って下さい、と添えられた言葉を共に受け取った一枚を口にすると、ディアマンクッキーのサクリとした食感と懐かしい味に、カルドは自然と表情が緩んだ。確か菓子作りは得意であったと思い返したが、其の味を口にしたのは何年振りであったかすら正確に思い出せない程に古い記憶だった。
カルドが実家を出て入寮するよりも前の、当時は異性として意識せずに交流していた頃の思い出をなぞるような一時に、懐かしさが溢れてカルドは胸の辺りが温かくなる心地がした。其れと同時に、何年も胸奥に留めていた感情が其の存在を主張するかのように軋み、ズキリ、ズキリと痛みを自覚させるようにゆっくりと脈を打ち続け、終には言葉となってカルドの口から零れ落ちる。
「───僕達はいつになったら一緒になれると思う?」
其の言葉にエステルは弾かれたように顔を上げてカルドを見つめた。エステルの目に射し込んだ木漏れ日の光が深碧の瞳の中でゆらゆらと揺れている。
「婚約の解消に双方同意した認識でありました。…違っておりましたか」
一角獣に向けている催眠魔法がほんの一瞬乱れたのを肌で感じ取り、表情を読み取るまでも無く彼女が動揺しているのだということが嫌でも理解出来てしまい、カルドは悟られないようにぐっと奥歯を噛み締める。
エステルの認識は正しい。
カルドとエステルは幼少期に引き合わされてから、将来的な約束をする間柄であった。大々的な御披露目という手法は取っていないものの、『婚約』といった古めかしい仕来たりは未だに旧家に残っている。殊に代々炎の杖の保有者を輩出するゲヘナ家にとって世継ぎ問題は常について回るものであり、また旧家同士の繋がりを強固にする為に幼い頃より二人は定められていた。ただ、始まりは家同士の決め事であったけれども、将来
その話も、まだ学生の身であったエステルが一角獣の幼獣個体の保護管理者として適性を見出だされ、魔法動物管理局に入局することが内定した時点で破談になっている。エステルの固有魔法が魔法生物と相性が良く、二線魔導師であることも内定の後押しになったことも事実であるが、殊に扱いが難しい一角獣の幼獣がエステルに執心していると判明した時、両家の婚姻よりも魔法界の利を優先せざるを得なくなり、一角獣の特性と保護管理者という立場上彼女は純潔を守らなければならなくなった。
魔法学校卒業後にゲヘナ家に嫁いでくることが決まっているのだから急く必要はないと思い、保っていた清い関係が仇になるとは露程にも思わなかったカルドは、此の時酷く後悔をすることになる。当時まだ学生の身であった婚約者に手を出さずにいたことが彼女を失うことに繋がると誰が予見出来ただろうか。
彼女の代わりが利くなら直ぐにでも手配しただろう。しかし、人材管理局局長の特権を行使しても彼女と同等の人材は現在に至るまで確保出来ないままでいる。彼女の保護管理する一角獣は赤ん坊の時からまるで母のようにエステルを慕い、そして他者を拒んだ。無理に引き離そうとすれば怒り狂った一角獣による人的・物的被害は計り知れなく、仮に過って一角獣を死なせてしまうことにでもなれば、医学・生物学的研究に大打撃を与えることになり、私事を優先出来る立場にあるカルドでさえ慎重にならざるを得なかった。
(『あの時』、無理矢理にでも抱いてしまえたのなら、今よりも後悔は少なかったのだろうか)
婚約が破談となって五年近くの月日が経過した今尚想いを捨てきれず悔いばかり募っていく日々にカルドは限界を感じていた。かといって一方的な感情───同意無しにエステルの純潔を奪うことは赦されないと理性では
「…君を諦めたくない」
カルドはエステルの左手を取りながら懇願するように彼女にそう告げる。其れは進むことも戻ることも出来ない関係を壊さないように、カルドが伝えられる精一杯の言葉だった。
「───カルド、」
エステルは何かを言い掛けてから堪えるように表情を歪め、カルドの視線から逃げるように深碧の瞳を地に向け固く口を閉ざした。
1/3ページ