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打上花火が夜空に花開く音に、贔屓の遊女は撥を持つ手を止めて窓の向こうに顔を向けた。
「あね様方のお部屋でしたらきっとみることが出来たのでしょうけれど」
置行灯の淡い光が照らす部屋で、ぽつり、と翠は少し残念そうに呟いた。
彼女に宛がわれている座敷は港の方角を望む位置に窓は無く、彼女が今宵の花火を拝む為には団体客の通される大座敷か若しくは客に同伴を願い外へ連れ出して貰う他
「……期待をさせたか?」
「花火のことでしたらまた見れる時もありましょう」
三弦と撥を置き、にこりと微笑む翠の表情は穏やかであった。次の約束を強請る真似をするでも無く、彼女の返答は客取りが商売の遊女らしかぬ慎ましささえ感じられる。彼女は客に合わせた対応を取っているだけなのだろうが、互いに交わす言葉は少なく、三弦の音ばかりが空間を満たしている此の場所で、遊郭だと時折忘れてしまうような過ごし方をしていると文霖は心の内で自嘲する。
文霖は杯を一口煽り、幾らか減った透き通る酒に視線を落とした。遊郭からそう遠くない海上で上がる水上花火の音が部屋の内に届く度に杯の酒が僅かに揺らぐ。文霖の様子を静かに眺めた翠は再び窓の外に顔を戻した。賑わう声のする方に羨望と寂寥感が入り交じったような視線を向ける横顔に、文霖は思わず息が詰まる。
花火を見たいという気持ちは本心なのだろうと思う。ただ、先程の彼女の言葉に自分の存在が含まれているかどうかが気に掛かって仕方が無かった。花火ではなく『別の何か』を彼女に期待させる程深い関係では無いというのに、文霖は翠の発する言葉の一片から自らに
もし、今宵の花火を長崎港に停泊する船舶から眺めることが出来たのならば、と不意に浮かんだ空想は余りにも幸せに満ちていた。船端に手を付いて空を見上げる彼女の瞳は花火が花開くと其の光を鏡のように映し、肌を撫でる潮風に時折目を細めて愉しそうに笑みを浮かべて此方を見上げるのだろう。線の細い手を取り、花火の賑わいに乗じて其のまま夜の港を発てば、追手が届かない場所に匿うことも出来るかもしれない。
───己に課せられた使命を放棄し、剰え異国の女一人を祖国に連れ帰る等と言った非現実的な空想は余りにも虚しく、かといって胸の内に留めている感情は仕舞い場所を失っていて、日毎に肥大化し募る想いは消すことすら疾うに出来ない域に達していた。
(所詮『客と遊女』でしか無いというのに)
例え本心を打ち明けいくら言葉にして伝えようにも仮初めの愛を交わす此の場においては全てが虚構にしか成り得なかった。それに身請けが期待出来る上客であるなら未だしも、此の地に何時まで留まるかも分からない異邦人である自分に抱く感情なぞたかが知れている。自由を望めない女の身体と時間を買う有象無象の男なんてものは遊女のとっては客であると同時に軽蔑されていても可笑しくはない。此方も相手がたかが遊女と割り切ってしまえたならこのように思い悩むこともなかっただろうに、逢瀬を重ねる度に彼女に惹かれていく己を否定した回数を思い起こしては独り煩悶した。
「劉様は何か勘違いされておりませんか」
「…勘違い?」
苦い表情でも表に出ていたのだろうか、翠はすすっと距離を詰めて長く沈黙していた文霖の正面に腰を下ろす。長らく膝元に置かれていた右手の平の杯を渡すようにと手放させ、彼女は空いた文霖の右手を取り両手で包むように触れて顔を見上げた。
「此処なら…いま此の時だけは劉様を独り占め出来ますから」
(此れは…あまりにも)
言葉だけなら社交辞令とも取れる発言であったのだが、包み込むように触れた指先の震えと、瞳の奥に滲ませた熱、顔を逸らし此方に向けられた朱色を帯びる右耳と首筋が導き出す答は、男にとって随分と都合の良いものではないか。自分が彼女にした『期待』も彼女の言う『勘違い』も込められた感情の行き着く先は一つしかない。
「…俺が
「いいえ、斯うして私の時間を買って下さっただけでもう十分ですよ」
不要な期待を抱かせてしまったのなら其処は否定して遣るべきなのだろうと思い突き放そうとした言葉に対して、翠は何時ものように穏やかな笑みを浮かべて言葉を返す。
翠の包み込ように触れている指の震えが収まってきたことを感じ取ってから、文霖は柔く振り解いた其の手でそっと彼女を組み敷いた。