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「柊、進捗遅れてる」
「……承知しております」
タスク管理表の上部には真っ赤に色帯びた担当項目がまた一つ、視覚的に急かすように溜まっていく。
完了目標時間を余裕を持たせたものに再設定するか作業自体を今後は別担当者に委任するか…何れにしても彼女の負担を減らす必要性があるなと考えたのは何も今回が初めてのことでは無かった。デスクのデジタル時計が二十二時を迎えたことを確認して『今日はもう上がりなよ』と帰宅を促すと、みことは漸く諦めたのかディスプレイから目を離し疲れた表情で天井を仰いだ。彼女は手探りで取り出した引き出しのホットアイマスクを掴んで二・三秒止まったかと思えば、何も持たない空き手で目を覆った。今日に限って言えば眼精疲労というよりも発熱寄りの症状なのだと察して、コード入力する手を一旦止める。
「医務室からアイスノン貰ってくる?」
「……開発室 の冷凍庫に私物のものが」
「オーケー。持ってくる」
「……お願いします」
寺島班のデスク島から十m程離れたフロア角に位置する業務用冷蔵兼冷凍庫には各チームの研究員の持ち込み物が詰め込まれている。日持ちしないものは保存不可というルールの下で自由に持ち込みが許可されている其の扉を開けると、視界の七割が栄養剤で埋め尽くされている異様な光景が飛び込んできて、相変わらず不健康な部署だな、と寺島は何処か他人事のような感想を抱く。そこからチャージゼリーを二つ手にしてから冷凍庫に仕舞われた"柊"と書かれたアイスノンを一つ取り出した。
「これは差し入れで貰ったやつね」
「ありがとうございます」
「終業後なんだから"言葉遣い"」
「そうだった…ありがとう寺島君」
終業後若しくは人気も疎らな夜も遅い時間であるからか、いつものように体裁を整えることを止めたみことは肩の力を抜くようにふにゃりと表情を崩す。受け取ったアイスノンを直ぐに目に宛がうと、彼女はオフィスチェアのリクライニングに寄り掛かって其のまま黙り込んだ。
学生業と両立出来る体制が整備されている防衛隊員とは異なり、開発室研究員の多数は"専業"であることがその特色と言える。冬島チーフのような例外はまさに稀の事例であるが、実働部隊である防衛隊員よりも内勤とされる職員の方が専業である分勤務内情は過酷とさえ思えた。外部からある程度の技術者を招き入れようにも組織の特性上機密漏洩の観点から身辺調査は必須であるので、防衛隊員からの転属組以外では思うように人員を確保出来ない事情がある。そういう訳で組織が大きくなるにつれて技術系内勤者の拘束時間は増える一方であるし、学生業を掛け持つみことの負担は理解していながらも彼女の受け持ち業務は汎用性の域から突出してる為に他の者に振り当てることは容易ではなく、こうして研究室での拘束時間を増やし続けていた。
「個人技の連続に頼らざるを得ないところはボーダー がまだ草創期である証拠だね」
「トリガーの規格化という意味でならかなり良い線いってると思うけど」
「防衛隊員目線 じゃなくて開発の話だよ」
「…はは、否定はしない」
乾いた笑いを漏らして同意する彼女は、尚も目元にアイスノンを宛てて天井を仰いでいた。手付かずのチャージゼリーは次第に冷感を失っていき彼女の手元で汗をかき始めている。
(防衛隊員の頃よりも副作用の影響が強くなってない?)
他愛も無い会話の中で思わず口に出そうになった言葉を寺島はチャージゼリーを飲み込んで遣り過ごした。副作用解析の専門でもなくただの友人に過ぎない自分が副作用による負荷と苦痛の何を理解出来るというのだろうか。身体と心のケアについては全くの素人である人間が軽い気持ちで訊いてはいけない空気感というものを感じ取れるようになってから、年々副作用持ちの過去と現在に同情する気持ちが強くなっていく。感覚を分かち合うことの難しさを当人達が何よりも自覚しているだろうに、苦悩そのものを『副作用』の一言で他人が片付けてしまうのは余りにも扱いが雑じゃないか。表面的に副作用=トリオン強者と捉えられることが殆どであるこの現状は、副作用持ちと言うだけで半自動的に羨望と嫉妬の感情が向けられるだけでなく、周囲が勝手に期待をしておきながら其の有用性を結果として示せないと大多数は勝手に失望する。副作用と確定診断を受けるということは自身の特殊な技能が組織的に解明されていくのと同時に常に値踏みされる立場に置かれることとイコールだった。
開発室に転属してからのみことは防衛隊員の時よりもその存在価値を証明しようと必死で、自分自身を磨り減らすことに馴れ過ぎてしまっている。
+++++
玄界技術の警備システムと近界技術 によりボーダー本部の防衛探知設備は本部設立当初から強固なものであったが、強化視覚のサイドエフェクト保有者が入隊したことにより防衛システム開発はより加速した。発現の希少性でいえば低ランクに分類される副作用である『強化視覚』が何故そこまで重要視されたかといえば、みことの副作用が取り分け精度が高いものであったから、の一言に尽きる。解析が進むにつれ彼女の視ていた世界はトリオン体の恩恵を受けた視界よりも遥かに鮮明で、それでいて酷く無秩序の光景が拡がっていることをそこで知った。彼女の前では遮蔽物は意味を成さず、隠密行動すら全て把握出来る探知能力は組織の利益に直結した。現状においても飛び込んでくる映像は本人ですら取捨選択の制御は不可能であったが、風間が見出だした菊地原隊員の強化聴覚のように防衛隊員間で感覚共有が実現すれば戦力向上並びに防衛戦略の幅が拡がるメリットが十分に見込まれる。組織も彼女の有用性を軽視出来ずにいるから、防衛隊員を辞した後も開発室に籍を置かせて尚も囲い込んでいる訳で。───みこと自身もボーダーに依存している事を考えれば現状の負担ですら彼女は不満にすら思っていないのだろうけれど。
「それなりにブラックな組織だとは思うよ」
「防衛前線に立つ隊員より優先されるべきことなんてないよ」
「昔は真逆のことを言ってた癖に」
「…そう、だったかな」
意識的なのか無意識によるものなのか、研究員時代 も防衛隊員時代 も自分を磨り減らして組織に献身する彼女の姿勢は相変わらずだった。幼少期から少女期に掛けて強く発現した『強化視覚』という副作用の存在をボーダーによって解明されてからというもの、みことは私生活を全て擲って組織に寄り添っている。以前は著名な眼医に幾ら診て貰えども最終的にはいつも精神科を奨められたんだと何時しか笑って話していたけれど、彼女の両親の理解が無ければとうの昔に精神を病んでしまっていただろう。現代医学においても傷病名がつかない体質を抱えて生きている内にボーダーとの邂逅は正に転機であった。───惜しむらくはみことの副作用が副作用だと解明される前に彼女の両親が亡くなってしまったことにあるが。
みことが開発室へ異動になると内々に決まった時、鬼怒田開発室長から『柊みことに関する身辺経歴書』とやらを渡されている。表向きは管理者業務の一環で部下の現状把握という名目ではあったが、入隊に至る経歴と副作用の有益性と技術転用の展望、そして入隊時から現在に至るまでのカウンセリングの記録全てに目を通すように命じられた。
『───三門市侵攻時における柊みことの行動記録及び本人による証言。①ゲート発生時及びトリオン兵侵攻の際現在の警戒区域の外周部にあたる境界ライン外に居た為に目立った外傷はなし。②三門市立南部病院敷地内に避難直後極度の眩暈症状を起こし数時間自力歩行困難となる。③眩暈症状発症前後で強化感覚と思しき副作用の影響についての証言あり。以下三門市立南部病院診療記録の開示請求記述から一部抜粋【お母さんが住居の下敷きになっている。だんだん息が弱くなっていって声も出ないから誰にも気付いて貰えない。お父さんはもう駄目だ。お母さんを助けようとしてたけど飛んできた瓦礫が頭に強く当たったのがみえた。左側がないから】以上両親の死亡状況について確度の高い証言。遺体の損傷箇所に一致。④副作用の影響における───…』
社内秘とされるデータベースのアクセス権限を自身が持つようになってから寺島はこの時初めて後悔をした。目を反らすことも許されずに肉親の息絶えていく映像の一部始終を目に、脳に、記憶に焼き付かせて、一瞬足りとも忘れることも出来ない程に強烈な心的外傷を植え付けた彼女の副作用を今更好ましく受け入れられる訳がなかった。彼女自身、自らの副作用を今も尚疎ましく思っているだろうに、強化視覚から得た僅かばかりの恩恵をどうにかして組織に還元しようと必死だった。そこまでして存在証明を果たさねばならないと強迫観念に付き動かされている現状は余りにも不健全が過ぎる。そう考えると防衛隊員時代の方がまだ幾分かマシな生き方をしていたな、と記憶に残る隊員服姿に思いを馳せた。
「そこまで生き急ぐ必要は無いんじゃないかな」
「寺島君にはそう映るのかな」
「そう感じてるのは俺に限ったことではないと思うけど」
『もっと良く周りをみれば』と言ったら彼女に正しく伝わるのだろうかと頭を一瞬過った言葉は喉奥で押し留めた。今更そんなこと言わなくても彼女は"見えてる"だろうし"視えてる"のだろうから。
「……出来るのにやらないことで後悔はしたくないし」
例え自分と関わりが無かったとしても理不尽な理由で人が死ぬのは嫌なんだよ、と彼女は何処か遠くを見つめながら小さく呟いた。
「……承知しております」
タスク管理表の上部には真っ赤に色帯びた担当項目がまた一つ、視覚的に急かすように溜まっていく。
完了目標時間を余裕を持たせたものに再設定するか作業自体を今後は別担当者に委任するか…何れにしても彼女の負担を減らす必要性があるなと考えたのは何も今回が初めてのことでは無かった。デスクのデジタル時計が二十二時を迎えたことを確認して『今日はもう上がりなよ』と帰宅を促すと、みことは漸く諦めたのかディスプレイから目を離し疲れた表情で天井を仰いだ。彼女は手探りで取り出した引き出しのホットアイマスクを掴んで二・三秒止まったかと思えば、何も持たない空き手で目を覆った。今日に限って言えば眼精疲労というよりも発熱寄りの症状なのだと察して、コード入力する手を一旦止める。
「医務室からアイスノン貰ってくる?」
「……
「オーケー。持ってくる」
「……お願いします」
寺島班のデスク島から十m程離れたフロア角に位置する業務用冷蔵兼冷凍庫には各チームの研究員の持ち込み物が詰め込まれている。日持ちしないものは保存不可というルールの下で自由に持ち込みが許可されている其の扉を開けると、視界の七割が栄養剤で埋め尽くされている異様な光景が飛び込んできて、相変わらず不健康な部署だな、と寺島は何処か他人事のような感想を抱く。そこからチャージゼリーを二つ手にしてから冷凍庫に仕舞われた"柊"と書かれたアイスノンを一つ取り出した。
「これは差し入れで貰ったやつね」
「ありがとうございます」
「終業後なんだから"言葉遣い"」
「そうだった…ありがとう寺島君」
終業後若しくは人気も疎らな夜も遅い時間であるからか、いつものように体裁を整えることを止めたみことは肩の力を抜くようにふにゃりと表情を崩す。受け取ったアイスノンを直ぐに目に宛がうと、彼女はオフィスチェアのリクライニングに寄り掛かって其のまま黙り込んだ。
学生業と両立出来る体制が整備されている防衛隊員とは異なり、開発室研究員の多数は"専業"であることがその特色と言える。冬島チーフのような例外はまさに稀の事例であるが、実働部隊である防衛隊員よりも内勤とされる職員の方が専業である分勤務内情は過酷とさえ思えた。外部からある程度の技術者を招き入れようにも組織の特性上機密漏洩の観点から身辺調査は必須であるので、防衛隊員からの転属組以外では思うように人員を確保出来ない事情がある。そういう訳で組織が大きくなるにつれて技術系内勤者の拘束時間は増える一方であるし、学生業を掛け持つみことの負担は理解していながらも彼女の受け持ち業務は汎用性の域から突出してる為に他の者に振り当てることは容易ではなく、こうして研究室での拘束時間を増やし続けていた。
「個人技の連続に頼らざるを得ないところは
「トリガーの規格化という意味でならかなり良い線いってると思うけど」
「
「…はは、否定はしない」
乾いた笑いを漏らして同意する彼女は、尚も目元にアイスノンを宛てて天井を仰いでいた。手付かずのチャージゼリーは次第に冷感を失っていき彼女の手元で汗をかき始めている。
(防衛隊員の頃よりも副作用の影響が強くなってない?)
他愛も無い会話の中で思わず口に出そうになった言葉を寺島はチャージゼリーを飲み込んで遣り過ごした。副作用解析の専門でもなくただの友人に過ぎない自分が副作用による負荷と苦痛の何を理解出来るというのだろうか。身体と心のケアについては全くの素人である人間が軽い気持ちで訊いてはいけない空気感というものを感じ取れるようになってから、年々副作用持ちの過去と現在に同情する気持ちが強くなっていく。感覚を分かち合うことの難しさを当人達が何よりも自覚しているだろうに、苦悩そのものを『副作用』の一言で他人が片付けてしまうのは余りにも扱いが雑じゃないか。表面的に副作用=トリオン強者と捉えられることが殆どであるこの現状は、副作用持ちと言うだけで半自動的に羨望と嫉妬の感情が向けられるだけでなく、周囲が勝手に期待をしておきながら其の有用性を結果として示せないと大多数は勝手に失望する。副作用と確定診断を受けるということは自身の特殊な技能が組織的に解明されていくのと同時に常に値踏みされる立場に置かれることとイコールだった。
開発室に転属してからのみことは防衛隊員の時よりもその存在価値を証明しようと必死で、自分自身を磨り減らすことに馴れ過ぎてしまっている。
+++++
玄界技術の警備システムと
「それなりにブラックな組織だとは思うよ」
「防衛前線に立つ隊員より優先されるべきことなんてないよ」
「昔は真逆のことを言ってた癖に」
「…そう、だったかな」
意識的なのか無意識によるものなのか、
みことが開発室へ異動になると内々に決まった時、鬼怒田開発室長から『柊みことに関する身辺経歴書』とやらを渡されている。表向きは管理者業務の一環で部下の現状把握という名目ではあったが、入隊に至る経歴と副作用の有益性と技術転用の展望、そして入隊時から現在に至るまでのカウンセリングの記録全てに目を通すように命じられた。
『───三門市侵攻時における柊みことの行動記録及び本人による証言。①ゲート発生時及びトリオン兵侵攻の際現在の警戒区域の外周部にあたる境界ライン外に居た為に目立った外傷はなし。②三門市立南部病院敷地内に避難直後極度の眩暈症状を起こし数時間自力歩行困難となる。③眩暈症状発症前後で強化感覚と思しき副作用の影響についての証言あり。以下三門市立南部病院診療記録の開示請求記述から一部抜粋【お母さんが住居の下敷きになっている。だんだん息が弱くなっていって声も出ないから誰にも気付いて貰えない。お父さんはもう駄目だ。お母さんを助けようとしてたけど飛んできた瓦礫が頭に強く当たったのがみえた。左側がないから】以上両親の死亡状況について確度の高い証言。遺体の損傷箇所に一致。④副作用の影響における───…』
社内秘とされるデータベースのアクセス権限を自身が持つようになってから寺島はこの時初めて後悔をした。目を反らすことも許されずに肉親の息絶えていく映像の一部始終を目に、脳に、記憶に焼き付かせて、一瞬足りとも忘れることも出来ない程に強烈な心的外傷を植え付けた彼女の副作用を今更好ましく受け入れられる訳がなかった。彼女自身、自らの副作用を今も尚疎ましく思っているだろうに、強化視覚から得た僅かばかりの恩恵をどうにかして組織に還元しようと必死だった。そこまでして存在証明を果たさねばならないと強迫観念に付き動かされている現状は余りにも不健全が過ぎる。そう考えると防衛隊員時代の方がまだ幾分かマシな生き方をしていたな、と記憶に残る隊員服姿に思いを馳せた。
「そこまで生き急ぐ必要は無いんじゃないかな」
「寺島君にはそう映るのかな」
「そう感じてるのは俺に限ったことではないと思うけど」
『もっと良く周りをみれば』と言ったら彼女に正しく伝わるのだろうかと頭を一瞬過った言葉は喉奥で押し留めた。今更そんなこと言わなくても彼女は"見えてる"だろうし"視えてる"のだろうから。
「……出来るのにやらないことで後悔はしたくないし」
例え自分と関わりが無かったとしても理不尽な理由で人が死ぬのは嫌なんだよ、と彼女は何処か遠くを見つめながら小さく呟いた。