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窓に面したカウンター席は特段居心地が良い訳では無い。高所から警戒区域を一望出来る一面硝子張りのロケーションを気に入る者は多いと言うけれど、私にしてみれば、窓からみえる不変的な景色はただの切り取られた静止画でしか無かったし、この景色を壮観だとか感傷に浸る感性もボーダーに入隊した時点で既に存在しなかったように思う。
レポート作成にあたりこのカフェテリアを作業場に選んだ理由は、ボーダー内に私室も無くかつては宛がわれていた部隊作戦室も現在は正隊員ではない者に利用権限はないし、電源が確保出来る場所として残す選択肢が他にはなかっただけ、ただそれだけである。普段であれば日中の滞在時間を極力少なくしたいのであるが、講義の提出期限が迫ったレポートを一旦自宅に帰って取り掛かるというのも、午後七時に控えた班会議の為に再度戻らなければならないことを考えると、往復の時間の方が惜しく思えたからに過ぎない。
そうはいっても時間帯が悪かった。ただでさえ人が集まりやすいカフェテリアで、昼時を過ぎても中々捌けない人口密度はみことの集中力を掻き乱していた。雑談で騒がしいだけなら特に問題はないのだが、無意識でも拾い集めてくる視覚情報は自分でも制御出来ない。背にした北側の、基地建物から約一kmも離れていないところにあった倒壊した家屋の瓦礫の下に残る血痕の存在なんて知りたくなかったのに、疾うに片付けられた赤の他人のものであったとしても、あの独特の染みの色に気が滅入ることにかわりはしない。
(ああもうすべてがきもちわるい)
勝手に飛び込んでくる視覚情報に重なってフラッシュバックする記憶に苦しむようになってから四年半以上も経過したが、未だに馴れない。この副作用の有用性は組織としても軽視出来ないと言われてそれなりに重用されてきた自覚もあるけれど、開発室に異動してからもずっとこれだ。副作用の解析による組織の監視・索敵強化は叶えど、この副作用による自己負荷の軽減は未だに成し得ていない。発現ランクの低い副作用の癖に望まなくてもコントロールの外で勝手に作用するのはいい加減にして欲しい。目の前のノートパソコンに向かい一時間掛けて打ち進めた文字はたったの八百字。酷い。酷過ぎる。
もしこのレポートが研究室の企画書かなにかであったならば、『……一時間掛けてこの内容?』とチーフリーダーの呆れ果てた顔を拝むことになるだろう。
異動してからもそれなりに頑張っている、現在進行形で組織の利益に寄与しているし実績もある。でもそれはボーダー内に限ったことで、目下に控えている非営利組織論の課題レポートに其れは通用しない。ボーダー提携大学ではあるものの、それを加味して評価点を上乗せしなければならない中途半端なものは提出したくなかった。そんな意地があるからこそ、こうして真面目に取り組んでいるのだが、寝不足に課題と控える会議、そこに自制不能の副作用。後期中間試験次第では初めて単位落とすかもしれないなあと、次年度の講義で卒業単位を穴埋めしなければならないことも、給付型奨学生である都合上GPAを下げる訳にはいかないこともプレッシャーになる。
みことの脳内に憂鬱という言葉が新たに重くのし掛かる。大きな溜め息とともにみことはノートパソコンの画面を開いたままキーボードの上に突っ伏した。瞼を閉じ掛けたその時、頭上から降ってきた声にみことの意識はすぐ現実に引き戻される。
「隣良いか」
空席だった右隣の椅子を引く音に、キーボードの上でそちらに顔をこてんと向けた。
「席なんてどこでも空いてるのに物好きだね諏訪くん」
「お前な……」
出来るだけ自然にみえるように努めてキーボードに側頭部をくっ付けたままへらりと笑ってみせると、彼はなんだかとても苦い顔をした。
「その講師、癖があることで有名だろうに。なんでわざわざ大変な講義選んでるんだよ」
「教職課程取っている誰かさんの方が大変だと思うなあ」
その言葉は見事に無視された。彼は私から見て二つ右隣の空席にどかっと音を立てて荷物を置き席を一つ余分に占領した。目の前のテーブルスペースには、彼もまた、私と同じようにノートパソコンを置いて流れるような仕草でそのまま電源ボタンを押す。私もこの時間帯にカフェテリアにいること自体が稀なのだが、木曜に関してはボーダー内で彼に遭遇した記憶はずっと前のことだった。確か彼の三年次後期の木曜は三限までだったと記憶している。そこからはランク戦か防衛任務。今日は偶々休講と防衛任務まで空き時間が重なっただけだと思うけれど、木曜に限らず前回会ったのは何時のことであったか。そんなことを考えながらぼんやりと眺めていると、ブルーライトカットの眼鏡を掛けた彼は新規のエクセルシートを開いたところで口を開く。
「言っとくがお前を見掛ける方が珍しいからな。基本約束取り付けねえとまず会えねえし、飲み会誘っても断わられる方が多いし」
「そうでしたね」
「そりゃ無理強いはしねぇけど」
正隊員を経験してこの歳までボーダーに残るとなるとそういった人物はかなり限られている。同学年の大半はB級に昇級出来ずに組織から離れているし、防衛隊員から転属した人間も卒業を待たずにボーダーを辞めるというのも珍しい話ではない。大学三年次後期に差し掛かる時期ともなれば、一般企業への就職活動に向けて動いている学生で人事部が多忙になっているとも良く聞いている。元々交友関係が広い訳ではないので寂しくなるな、とか個人的な感情は湧かないけれど、彼をはじめ正隊員として組織を牽引する立場の風間君や木崎君、同級ながらも研究室のメインチーフに上り詰めた寺島君が居なくなるとしたらきっと寂しい気持ちを抱くのだろう。同級で同性の友人が居ない私に同情して始まった彼らとの交友関係は至って健全で心地よかったから、願わくはこの関係が少しでも長く続くと良いな…そんなことをまるで他人事のようにぼんやり思った。
「次は都合付けるよ」
「ああ」
簡素に返された言葉。彼の視線はディスプレイに向いたままだった。掛けたブルーライトカットのグラスにはエクセルのリボンメニュー画面が反射している。眩しいな、と感じたのが表情に出ていたのか、はたまた疲労の表情として受け取られたのか分からないが、彼は手持ちのプリントで私の顔に落ちる照明を遮るように影を作った。
「目、しんどいなら休んでろよ」
「…だいじょうぶだよ」
「何時からやってるか知らねえけど捗ってないなら一回リセットしとけ」
諏訪君の言う通りに少し休んでも簡単にはリセット出来るという類いのものではないだけに、正直二の足を踏んでいる。彼と会話している今も脳には止めどなく流れ込んでくる視覚情報に酔いを起こしながら、頭の片隅で課題のことを考えていた。
「…班会議資料もアップロードしとかなきゃ」
「一時間したら起こしてやるからそっから頑張れよ」
「うん…」
一時間もこのまま付き合ってくれるのか、と思ったことをそのまま口に出そうとして止めた。少々荒っぽいところもあるけれど彼は根が親切ということは付き合いのある人間なら誰もが知っていることだから、敢えてその優しさに遠慮しい言葉を被せるのは失礼だと思ったから。
「ありがとうね、諏訪君」
「良いから早く寝ろ」
「うん…そうする……」
思いの外直ぐに聴こえてきたみことの寝息に諏訪は静かに息を吐いた。カフェテリアでみことの後ろ姿を視認してから直ぐ近くまで寄るまでにみことが気付いて なかった素振りをしたものだから、副作用の影響かそれとも体調起因によるものか、どちらにしても近い内にぶっ倒れるんじゃないかと内心落ち着いていられなかった。
初期入隊のボーダー隊員はフラットな理由で入隊を決める者は余りにも少ない。各々の不幸や境遇の程度を比べたくはないけれど、取り分け彼女の事情はボーダーの中でも重い部類で、今も尚苦しめられているのだと思うとどうにかして遣りたい感情が湧く一方で、どうにも出来ない現実にやるせなさが募っていく。
「ボーダーなんかやめちまえって無責任に言えれば良いんだけど、な」
ぽつりと口に出た言葉はフロアに行き交う声に掻き消されていった。
レポート作成にあたりこのカフェテリアを作業場に選んだ理由は、ボーダー内に私室も無くかつては宛がわれていた部隊作戦室も現在は正隊員ではない者に利用権限はないし、電源が確保出来る場所として残す選択肢が他にはなかっただけ、ただそれだけである。普段であれば日中の滞在時間を極力少なくしたいのであるが、講義の提出期限が迫ったレポートを一旦自宅に帰って取り掛かるというのも、午後七時に控えた班会議の為に再度戻らなければならないことを考えると、往復の時間の方が惜しく思えたからに過ぎない。
そうはいっても時間帯が悪かった。ただでさえ人が集まりやすいカフェテリアで、昼時を過ぎても中々捌けない人口密度はみことの集中力を掻き乱していた。雑談で騒がしいだけなら特に問題はないのだが、無意識でも拾い集めてくる視覚情報は自分でも制御出来ない。背にした北側の、基地建物から約一kmも離れていないところにあった倒壊した家屋の瓦礫の下に残る血痕の存在なんて知りたくなかったのに、疾うに片付けられた赤の他人のものであったとしても、あの独特の染みの色に気が滅入ることにかわりはしない。
(ああもうすべてがきもちわるい)
勝手に飛び込んでくる視覚情報に重なってフラッシュバックする記憶に苦しむようになってから四年半以上も経過したが、未だに馴れない。この副作用の有用性は組織としても軽視出来ないと言われてそれなりに重用されてきた自覚もあるけれど、開発室に異動してからもずっとこれだ。副作用の解析による組織の監視・索敵強化は叶えど、この副作用による自己負荷の軽減は未だに成し得ていない。発現ランクの低い副作用の癖に望まなくてもコントロールの外で勝手に作用するのはいい加減にして欲しい。目の前のノートパソコンに向かい一時間掛けて打ち進めた文字はたったの八百字。酷い。酷過ぎる。
もしこのレポートが研究室の企画書かなにかであったならば、『……一時間掛けてこの内容?』とチーフリーダーの呆れ果てた顔を拝むことになるだろう。
異動してからもそれなりに頑張っている、現在進行形で組織の利益に寄与しているし実績もある。でもそれはボーダー内に限ったことで、目下に控えている非営利組織論の課題レポートに其れは通用しない。ボーダー提携大学ではあるものの、それを加味して評価点を上乗せしなければならない中途半端なものは提出したくなかった。そんな意地があるからこそ、こうして真面目に取り組んでいるのだが、寝不足に課題と控える会議、そこに自制不能の副作用。後期中間試験次第では初めて単位落とすかもしれないなあと、次年度の講義で卒業単位を穴埋めしなければならないことも、給付型奨学生である都合上GPAを下げる訳にはいかないこともプレッシャーになる。
みことの脳内に憂鬱という言葉が新たに重くのし掛かる。大きな溜め息とともにみことはノートパソコンの画面を開いたままキーボードの上に突っ伏した。瞼を閉じ掛けたその時、頭上から降ってきた声にみことの意識はすぐ現実に引き戻される。
「隣良いか」
空席だった右隣の椅子を引く音に、キーボードの上でそちらに顔をこてんと向けた。
「席なんてどこでも空いてるのに物好きだね諏訪くん」
「お前な……」
出来るだけ自然にみえるように努めてキーボードに側頭部をくっ付けたままへらりと笑ってみせると、彼はなんだかとても苦い顔をした。
「その講師、癖があることで有名だろうに。なんでわざわざ大変な講義選んでるんだよ」
「教職課程取っている誰かさんの方が大変だと思うなあ」
その言葉は見事に無視された。彼は私から見て二つ右隣の空席にどかっと音を立てて荷物を置き席を一つ余分に占領した。目の前のテーブルスペースには、彼もまた、私と同じようにノートパソコンを置いて流れるような仕草でそのまま電源ボタンを押す。私もこの時間帯にカフェテリアにいること自体が稀なのだが、木曜に関してはボーダー内で彼に遭遇した記憶はずっと前のことだった。確か彼の三年次後期の木曜は三限までだったと記憶している。そこからはランク戦か防衛任務。今日は偶々休講と防衛任務まで空き時間が重なっただけだと思うけれど、木曜に限らず前回会ったのは何時のことであったか。そんなことを考えながらぼんやりと眺めていると、ブルーライトカットの眼鏡を掛けた彼は新規のエクセルシートを開いたところで口を開く。
「言っとくがお前を見掛ける方が珍しいからな。基本約束取り付けねえとまず会えねえし、飲み会誘っても断わられる方が多いし」
「そうでしたね」
「そりゃ無理強いはしねぇけど」
正隊員を経験してこの歳までボーダーに残るとなるとそういった人物はかなり限られている。同学年の大半はB級に昇級出来ずに組織から離れているし、防衛隊員から転属した人間も卒業を待たずにボーダーを辞めるというのも珍しい話ではない。大学三年次後期に差し掛かる時期ともなれば、一般企業への就職活動に向けて動いている学生で人事部が多忙になっているとも良く聞いている。元々交友関係が広い訳ではないので寂しくなるな、とか個人的な感情は湧かないけれど、彼をはじめ正隊員として組織を牽引する立場の風間君や木崎君、同級ながらも研究室のメインチーフに上り詰めた寺島君が居なくなるとしたらきっと寂しい気持ちを抱くのだろう。同級で同性の友人が居ない私に同情して始まった彼らとの交友関係は至って健全で心地よかったから、願わくはこの関係が少しでも長く続くと良いな…そんなことをまるで他人事のようにぼんやり思った。
「次は都合付けるよ」
「ああ」
簡素に返された言葉。彼の視線はディスプレイに向いたままだった。掛けたブルーライトカットのグラスにはエクセルのリボンメニュー画面が反射している。眩しいな、と感じたのが表情に出ていたのか、はたまた疲労の表情として受け取られたのか分からないが、彼は手持ちのプリントで私の顔に落ちる照明を遮るように影を作った。
「目、しんどいなら休んでろよ」
「…だいじょうぶだよ」
「何時からやってるか知らねえけど捗ってないなら一回リセットしとけ」
諏訪君の言う通りに少し休んでも簡単にはリセット出来るという類いのものではないだけに、正直二の足を踏んでいる。彼と会話している今も脳には止めどなく流れ込んでくる視覚情報に酔いを起こしながら、頭の片隅で課題のことを考えていた。
「…班会議資料もアップロードしとかなきゃ」
「一時間したら起こしてやるからそっから頑張れよ」
「うん…」
一時間もこのまま付き合ってくれるのか、と思ったことをそのまま口に出そうとして止めた。少々荒っぽいところもあるけれど彼は根が親切ということは付き合いのある人間なら誰もが知っていることだから、敢えてその優しさに遠慮しい言葉を被せるのは失礼だと思ったから。
「ありがとうね、諏訪君」
「良いから早く寝ろ」
「うん…そうする……」
思いの外直ぐに聴こえてきたみことの寝息に諏訪は静かに息を吐いた。カフェテリアでみことの後ろ姿を視認してから直ぐ近くまで寄るまでにみことが
初期入隊のボーダー隊員はフラットな理由で入隊を決める者は余りにも少ない。各々の不幸や境遇の程度を比べたくはないけれど、取り分け彼女の事情はボーダーの中でも重い部類で、今も尚苦しめられているのだと思うとどうにかして遣りたい感情が湧く一方で、どうにも出来ない現実にやるせなさが募っていく。
「ボーダーなんかやめちまえって無責任に言えれば良いんだけど、な」
ぽつりと口に出た言葉はフロアに行き交う声に掻き消されていった。
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