呪術廻戦(名前変換)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
毒気の無いファミリー向けのバラエティ番組が映る広間の大型テレビは賑やかに切り替わる画面と反して無音を貫いていた。誰かが設定したであろう消音機能を解除してディスプレイの電源を落とすと、大画面に反射した己の姿と、室内の照度が下がって背後に位置する窓から侵食し始めた宵闇に無性に腹が立って、手に持つリモコンをソファに投げつけた。
壁掛け時計は二十時半を指し、今夏連作ドラマの放映まで後三十分を切っている。
『帰ったら真希ちゃんも一緒にみようねえ』
いつものように間延びした声でそう言う沙夜がわざわざ焼いたBDを『恋愛ものに興味はねえ』と突っぱねるつもりであったのに、彼女が寄越したものは話題の恋愛ドラマの其れでは無く、よりによって裏番組のコミカル・アニマル・ミステリーとかいう謎ジャンルの作品のディスクであった。あらすじや見所の説明を受ければ受ける程に私が困惑していていったことを良いことに、『今週分は真希ちゃん自身で追っておいてね』と、沙夜は其れを半ば押し付けるようにして京都へ旅立っていった。
幼少から付き合いのある沙夜のマイペース加減に飲まれるのは今に始まったことでは無い。ただ、あの時の彼女はやや強引気味だったというか少し様子がおかしかったことは事実で、乗車予定の新幹線に間に合うにはギリギリの時間まで高専に留まっていたことや、帽子や日傘を忘れて強い日差しの中へ駆け出していった後ろ姿に声を掛けてやれば───無理矢理にでも帰省を止めてやらねばならなかったと真希は後悔をしていた。
十日前に京都へ帰省した沙夜が戻り、熱発を起こして床に臥してから三日が経つ。
+++++
式神契約は基本的に屈服が条件であることが大半であるが血筋や流派によってはこの限りでは無い。沙夜は呪術は長らく一般人家系に埋もれていた母方由来のものであるらしく術式の詳細は他者に開示出来る程明らかにされていない。使役条件に屈服を必要としない代わりに自律型の式神に常時の呪力供給を余儀なくされていること、意識が無くなっても術者の息がある限り続く強制力が働くことを理解したのは、東京校に戻った沙夜が熱発を起こし倒れても尚、傍で顕現し続ける式神の姿があったからだ。高専内でも殆ど姿を見せない沙夜の式神の、臥せる彼女に慈愛を含む眼差しを向ける其の姿に、十年余りの付き合いなんて其れほど大層なものでは無かったのだと勝手に失望したことは誰にも悟られたくなかったし自分でも気が付きたくなかった。決してこれは嫉妬という感情ではなく、彼女の置かれた立場に対する認識の甘さからくるものだった。───彼女も私と同じく望んで高専に入学したのだと思い込んでいたから。御三家に関わる柵はあれど沙夜は『腐っていない』側の人間であり、少々浮き世離れな言動や行動はあれど、平時は『年頃の少女』そのものであった。
義母兄姉には良い扱いをされてこなかった少女に一週間の帰省は酷であった筈だ。今は常時式神が付いている以上肉体的に害されることは無かったと断言出来るが、積もる心労は想像に難くない。其れ故の体調不良が今に祟って出て来たのだと、そう思い込みたかった。
個人的に殆ど遣り取りの無い昔馴染みの着信が入るまでは。
+++++
家入教諭の訪問診察が終了したのを見計らってから自販機に向かい、そろそろ消費したであろうスポーツ飲料を差し入れて遣ろうと硬貨を数枚突っ込む。今では夏仕様のラインナップが違和感無く並ぶ中で下段の端に追い遣られているホット飲料に目が留まる。
(確か珈琲は得意じゃなかったよな)
そもそも病人に飲ませるものじゃないと思考を正し目当ての物を一つ取り出し口に落とした。
『ピ』『ガコン』
続けて同じものを選ぼうと指を伸ばした矢先、ポケットの携帯端末が電話着信を知らせる振動を制服越しに伝えた。同級生はメッセージの遣り取りが基本であるから、其れ以外の人間からだと思うと携帯端末に伸ばす手に少しばかり億劫という感情が籠る。大方、五条悟だろう。もし彼であったのならば不在を決め込んで黙殺して遣ろうと画面を一応は確認して、自身の予想が外れたことそして表示された名前に思わず眉を顰めた。
+++++
「─…真希か?」
白いディスプレイに表示された『加茂憲紀』の文字。半ば義務的に登録している人物の中でも此の男から着信が入る日が来るとは思わなかった。何時であっても個人的な用は双方持ち合わせていない。それでも無視を決め込まず通話ボタンを押した理由はここ数日引っ掛かっていることに繋がるような気がしてならなかったからだ。
「お前が連絡を入れるなんて初めてじゃないか」
真夏に雪でも降らす気かよ、と嫌味を吐けば『東京は涼しいのか。
「特に用があった訳ではないのだが…どうしているかと思ってな」
「用があるのは私にじゃねえだろ」
要らぬ前振りや御託を並べるなんてまだるっこしいことするなと釘を刺すと、憲紀は一拍間を置いて一言『沙夜は』と紡いだ。電話の向こうから生活音と呼べる音はまるで聴こえず、そして次に続く言葉はなかった。
「……沙夜の携帯なら多分充電が切れてるよ」
溜め息混じりにそう伝えると小さく安堵の息が漏れた音が耳に届く。東京に戻ってから連絡を入れたのならば長くて三日、沙夜から何の反応も返って来なかったのだとしたら、彼女に何かあったのだと心配して今まで遣り取りの無い私に連絡を寄越したのだろう。以前から二人がマメに連絡を取っていたかどうかなんて詮索する気無いけれど、少なくとも帰省前の沙夜の様子からはそんな素振りが見られなかったことからここ十日ばかりの間に何らかの変化があった、……それも多分、あまり歓迎出来ない何かが、だ。
「熱が下がらねえんだ。こっちに帰ってきてからずっと寝込んでる」
「家入教諭はなんと?」
「私も詳しくは訊けてねえ。『無理が祟ったんだろう』、としか」
「……そうか」
憲紀はその一言を吐いた後押し黙るようにそのまま沈黙をした。帰省中に二人が顔を合わせていたことは間違いなく、そして沙夜に遭った何かに心当たりがあるのだと確信に近い予感が真希を襲う。湧き上がる散在していた疑念を拒絶したいのに脳で整理されて線になっていくことを自分では止められそうになかった。
目の前に鎮座する自販機のコンプレッサー音がいやに大きく鼓膜に響く。あの日、沙夜が選んだコーンスープはその日を境に高専中の自販機から姿を消していて、帰省から戻ってきた彼女はきっと残暑も意に介さずに、変わってしまった自販機のラインナップに少し残念そうな表情をして、そして何時ものように笑うのだろうとそう思っていた。そう、当たり前の日常に戻ってくるのだと信じていたのに、元から危うかった彼女の立場は京都滞在の一週間で大きく変わってしまった。自分の中で疑念だったことが確信に置換された時、真希は人知れず奥歯を噛んだ。
沙夜が高熱に魘される程著しく体調を崩した原因は、憲紀にある、と。
+++++
加茂家からすれば加茂家当主に宛がう肚との個人間の感情は感知すべきところではないが、呪術の才があり次期当主とも歳が近くそれも加茂派一党の一族出ともあれば話は別だ。術式を継げるか否かは出産後数年待って答が出るにしろ、これだけ好条件揃いの少女を手垢が付く前に早々に囲い籠めるというのだから、逃す手は無い。義母義兄姉の面子を守る為に東京校へ入学したものと思い込んでいたけれども、憲紀との接触の機会が少ない方が両家にとっては都合が良かったのだろう。そして頃合いを見計らって沙夜を呼び戻したのも、彼女を縛り付ける為。
「どいつもこいつも人様の神経逆撫でしなきゃ生きていられねえのかよ」
憲紀は沙夜が恋心を向ける相手が誰であるのかは気が付いていた筈だ。契り自体に現当主等上層部の思惑はあるにせよ、この男も其れを利用した立場の人間であることに変わり無い。
憲紀はその問いに対する言葉を発しなかった。
「───…沙夜の傍にいてやってくれないか」
「誰かさんの着信が入らなければ今頃は沙夜の部屋にいれたところだよ」
「すまなかったな」
用件が終わったなら切るぞ、と伝えて通話を切る。『ピ』という電子音がしっかりと耳に届いてから真紀は自販機横のゴミ箱に向かって蹴りを入れた。感情の儘に蹴り飛ばしていたなら使い物にならなくなっているであろう其れに手加減をしたのは、受話器越しの静かな言葉の端々に沙夜の身を案ずる感情が伝わってきて、向けるべき怒りの矛先が鈍されてしまったからだ。沙夜の感情が正しく機能した結果が憲紀を想うことに繋がったのであれば、今の状況は沙夜にとって良かったのかもしれない。憲紀も憲紀で沙夜のことを想っている節があるのは気が付いていたので、早かれ遅かれそうなってしまうことは容易に想像出来ていたけれど。
沙夜の恋心を尊重して遣りたいと思いながらも、御三家の遣り方に憤る感情を押し殺せる筈もなく、だからといって、今の自分では現状を何も変えることが出来ないのだという無力感が真希を襲う。
手にしたスポーツ飲料はすっかり汗をかいて温くなっていた。
5/5ページ