ヴィリバルト・ケーニッヒ生誕祭



「…流石に夜はまだ冷えるな」

 長く着込んで依れてしまっている外套の襟元を握り締め、首を竦めながらケーニッヒは溜め息と共に愚痴の言葉を漏らす。
 一中隊を率いる部隊長といえど不寝番免除のない規則に不満がないといえば嘘にはなるが、魔導部隊という特性上術式で広範囲の観測を行えること、増強大隊規模であれば不寝番が各日一名で済むことを考えると、運用面では他陸軍部隊に比べて幾らかマシな部類であるには違いなかった。三十六時間を超えるツークシュピッツェ対砲兵防御訓練から始まる過酷な錬成過程の日々を思えば、一人の不寝の任など大したことではない。それにあの大隊長が手ずから選抜し苛烈に鍛えた精鋭部隊というだけあって、夜に紛れて問題を起こすような隊員が居ないという事実も当番の負担を軽くさせていた。
 あと幾日か経てば夜の冷え込みもそこまで気にならなくなるのであろう。北東部国境付近の配置を行き来していると季節感が麻痺しがちであるが、時候では疾うに春を迎えている。ケーニッヒは脳内で長い間冬で止まっていたカレンダーを一枚二枚…と捲った後、視線を腕時計に落として今日の日付を明確に認識した。銀色の短針は天頂方向から僅かに右へ頭を傾け、紺色の文字盤の上を滑る秒針は規則的な音を立てて正常に時を刻んでいることを主張し続けている。
 自身の歳を重ねたことに喜ぶ年齢でも無くなったなと感じるよりも先に、戦火の最前線へ身を投じることになってからというもの、巡る季節の早さに翻弄され何時しか何かを待ち侘びることも無くなっていた自分を再認識して、ケーニッヒは言いようもない虚しさを覚えた。入営したての頃はギナジウム時代のようにクリスマスと新年を祝う程度には普通の感性が残っていたと記憶していたが、記憶に新しい共和国ビーチの抜けるような空の青さですらも何時しか彩度が低いものに塗り替えられていて、ここ数年の記憶はどれもモノトーン調の景色が浮かぶばかりである。
 思い起こすくすんだ色味に嫌気が差していると、不意に草木芽吹く季節のハイマートの景色がケーニッヒの脳裏を過った。暫く帰省は出来ていないというのに、マロニエの街路樹を抜けて生家に続く街並みも門扉の直ぐ側にある花壇も、不思議と鮮明に思い出せている。母が大事にしていたプリムラやクロッカスが今年もまた咲き香っているのかと思うと、寄宿舎に入寮する前まで毎日のように香っていた甘く柔らかな匂いまで思い出せそうな気さえしてくる。温かな記憶に浸ろうとしたのも束の間、染み付いた焼夷剤と燃焼ガスの臭気が鼻を突いて、否応なしに意識が現実に引き戻されてしまう。

(───次の春には帰れるだろうか)

 戦況から目を逸らすようにケーニッヒは固く目蓋を閉じた。せめて故郷の地までは戦火が及ばぬようにと、今はただ静かに祈ることしか出来なかった。










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