ヴィリバルト・ケーニッヒ生誕祭


 ティゲンホーフ防衛戦後に与えられた短い療養期間が明けようとする頃、ふと思い立って荷の整理を始めたケーニッヒは鞄の底に沈んでいた一冊のレクラム文庫を目視して初めて其の存在を思い出していた。
 余暇の慰みになるようにと購入してから優に一年以上読み進められていない其の本は栞の代わりにと四ツ折りに畳んだ紙が一枚挟み込まれていて、小口からはみ出した角は折り目がつき端の一部が千切れている。はて、何が書かれていた紙であったかと記憶を辿りながら、仕舞い込んでいた割には扱いが雑であったなと折り畳まれた紙を徐ろにひろげると、紙面が視界に入った途端突如自身を襲ってきた謎の眩暈にケーニッヒは思わず目元を覆った。
 冷飯食らいの日々だった東部時代の記憶と今思い出しても気絶しそうなツークシュピッツェ雪中行軍から始まる過酷な錬成課程の日々が脳内で交互に点滅しては駆けていく。そう、此れは『地獄の片道ツアー案内』───後に大隊長がそう表現していたのを耳にした───第六〇一編成部隊の募集要項であった。

 (我ながらよく取って置いたものだよ)

 選抜訓練の苛烈さ故か当時の記憶はケーニッヒ自身一部曖昧なところが多く、思い出したくないことも未だにあるかと問われれば間髪入れずに『YES』の言葉が自然と口から出てくる。記憶を封じ込めたいという思いから本に挟み込んで忘れようとしていた当時の行動に理解を示す一方で、無闇に捨てることをしなかった相反する心情も理解出来てしまう自分が居た。『此れ』が無ければ尖兵として祖国の為に戦い勝利に貢献することも、今のように心から信頼し背中を預ける仲間を得ることも無かっただろうから。紙焼けが現れ始めている只の紙きれ一枚に価値はないと外野は言うかもしれないけれど。

 「今の俺でも捨てることなど出来ないな」

 褪せて色斑が出来た募集要項を開いた時よりも丁寧に十字に刻まれた折り目の通りに折り畳む。今度はよれた端が小口から出ぬように気を遣いながら元の頁に戻し、ケーニッヒは静かに本を閉じた。




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