幼女戦記(名前変換)
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「サガ・ベルイマン少尉はこちらにおられますか」
ヴォーレン・グランツ航空魔導少尉は士官食堂に転がり込むように入室したのと同時に、その天幕入口で息を弾ませながら勢い良く尋ね人の名を口にした。
+++++
今日はベルイマン少尉が当直番ではないことは確認済。日は落ちてはいるものの就寝するにはまだ早い時分であるし、彼女の性分からして時間に空きがある時はヴァイス中尉の書類仕事の手伝い若しくは、現地駐屯軍の軍医・衛生魔導師に合流して治療・救護任務に従事している可能性が高い。だから如何にも居そうな場───執務室・救護所と彼女を尋ね歩いたのだがグランツの思惑は悉く外れた。
(今日は諦めるしかないか)
まさか宿舎を訪ねる訳にもいかず、肩を落として来た道を戻る。道中に擦れ違った下士官に───駄目で元々、半ばヤケクソ気味にベルイマン少尉の所在を尋ねてみる。
「ベルイマン少尉殿でしたら少し前に士官食堂に入られるのをみましたよ」
「え…あ、すまない助かった!」
落胆していたところに思わぬ目撃情報が齎される。下士官に感謝の意を述べ、その足で士官食堂のある方角へ駆け出した。
+++++
士官食堂天幕に着き、ベルイマン少尉の存在を視認する前に彼女の名前を口にする。食堂内をぐるりと見渡し、白い髪が映える後姿をみとめて改めて彼女に声をかけようとしたが、発しかけたその名を反射的にぐっと飲み込む。
自分の尋ね人───サガ・ベルイマン少尉は、ケーニッヒ中尉・ノイマン中尉等上官二名と談笑中であった。
(しまった。ちゃんと確認してから声をかけるべきだった)
彼に背を向ける様に腰をかけていたベルイマン少尉は名前を呼ばれた方角に振り向き、反転した身体の動きにつられて彼女の白い髪が揺れる。そして少し乱れて顔にかかった前髪の隙間から覗く緋色の瞳が俺を捉えた。
「グランツ少尉」
彼女は顔にかかった前髪を払うこともせず少し驚いた顔をして振り向いた体勢のまま静止している。
散々捜し歩いたベルイマン少尉がそこにいる。
なのにいざその姿を目の前にして怯んでしまった自分がいる。
…いや、もう後には退けない。今この機会を逃せば俺はきっと後悔する。そう固く心に決めて彼女の元へ足を動かす。
そう思い彼女の傍まで来たものの、隣に腰掛ける勇気は湧いてこなかった。それを訝しげに感じたのであろう彼女は一つ瞬きをして、俺を見上げるように視線を合わせる。
「どうかされました?」
彼女を呼び止めたことで会話は自然と止み、その場にいた中尉達の視線も此方へと集まる。
「失礼致しました。お取込み中でしたら改めて後ほどお伺い致しますので…」
探せども中々見つからなかった彼女。そして思わぬところからの目撃情報を得たことに浮かれ、足早に向かった先では気持ちが急くばかりに状況を確認せず彼女の名を呼んでしまった。
そんな先程の自分の軽率な行動を後から恥じる。覚悟は決めたはずだった。だが羞恥心と情けなさからくる熱が顔に集中してしまうことだけは、今の自分にはどうすることも出来ずにいた。
「そんなことありませんよ。ね、中尉殿」
ベルイマン少尉は身体を上官等の方へ向き直し首を僅かに傾け同意を求める。俺の様子がどうもおかしいことは中尉達にも伝わったようで、彼女は俺を優先してくれようとしている。
(その気持ちは有り難い。大変有り難いのだが。…この状況で本題を切り出すにはちょっと無理があるだろ!)
俺の事情を彼女に察してくれと思うのは自分本位が過ぎるが、ここで俺がとるべき最適な行動とは一体何なのか。誰か教えてくれ。
+++++
「───それで、…怪我でもされました?」
中々用件を口にしない俺を誘導するように問い掛ける。
『彼女に個人的な用がある』といえば最初に思い当たるのは治療の要請。
我ら第二〇三航空魔導大隊は参謀本部直轄の部隊。各方面軍においても貢献度・存在感は圧倒的なもので、各員が個人単位で一目置かれている。その中でもサガ・ベルイマン少尉は衛生魔導師の一面もあることから、拠点で軍医や専任の衛生魔導師に合流し治療に参加することも珍しくはない。だから今回もそういった依頼の類だと彼女が判断するのも極自然な流れであったといえる。此方の返答を待つことはせず、怪我の箇所を探すように身体を巡る彼女の視線。そして一通り見渡した後、特に違和感があるようにはみえず少しばかり怪訝そうな表情を覗かせた。
「いえ、怪我はしていないのですが」
慌てて訂正を入れる。
「そのようですね。ですが、普段よりも少しばかり顔が紅潮しています。微熱程度なら大したことはないでしょうが、生憎小官は内科に関して専門外なので、念の為軍医の先生に診て頂いた方が…」
「いや、体調不良のことでもないです」
「では、ヴァイス中尉からの言伝てですか?」
治療の要請でもなければ上官からの伝令かと判断するのもこれまた自然の流れ。
「伝令でもなくて……実はベルイマン少尉に伺いたいことがありまして…」
「小官に、ですか?」
続く言葉を待つ彼女。
漸く切り出したものの、ここで本題を深く話すには少々人気が多過ぎる。怪我でも伝令でもないことを否定してしまった今、彼女をここから連れ出す理由としては不十分で、更に言ってしまえば不純な動機だった。
それに目の前には上官二人が控えている。
ベルイマン少尉が彼らに背を向けていることを良いことに、僅かに表情を険しくしたケーニッヒ中尉は先程から妙に鋭い視線を送ってくるし、ノイマン中尉に至ってはにやけた顔を隠そうともせずこの状況を楽しんでいる。
仕切り直しが出来るのであれば今すぐそうしたい。
嗚呼、自分の間の悪さを呪う。
「───わかりました。少し場を変えましょうか」
この状況に助け船を出したのはベルイマン少尉だった。
「小官もグランツ少尉とお話したいこともありましたし。すみません中尉殿、小官はこちらで失礼致しますね」
二人の上官に断りをいれて席を立つ。
「では行きましょうかグランツ少尉」
彼女に云われるまま連れられる様に食堂を後にする。天幕を出るまでの間、中尉達の突き刺さるような視線を、背中で、肌で感じた。それがあまりにも恐ろしくて、ただ一度も振り返ることが出来なかった。
(これは後で追及されるパターンだな…)
あの二人の上官相手に上手く切り抜けられる自信はない。
+++++
「プレゼント、ですか?」
グランツ少尉が発した言葉を反芻する。
彼が自分を訊ねて来たと思えば、何やら要領を得ない態度。
そんな彼を『自分も用がある』と方便を口にして士官食堂から連れ出し、あまり人気がない資材置き場の一つに場所を移して漸く聞き出せた第一声は『プレゼント』。
「はい。…セレブリャコーフ少尉ってもうすぐ誕生日だそうじゃないですか」
「えぇ、そうでしたね」
そういえばそうだった。薄情なことに今の今まで忘れていた。
今は一月。月が変わればヴィーシャの誕生日はすぐそこに迫っていた。東奔西走する我ら第二〇三航空魔導大隊は、ここ最近は正に馬車馬の如くこき使われていた。そんな日常ではたった一日に感けていられる程余裕があるはずもない。事実、各員が『祖国の為』、そして軍務に専心して日々を送っていたのであるが、寝食を共にする友人の誕生日を失念する程には、私自身も月日の感覚が麻痺していたらしい。
そんな我が大隊にも漸く休暇が与えられることになった。オース・フィヨルド制圧の功績で暫しの間帝都での休暇が与えられることが通達されたのは本日午前中の出来事。各員が漸く羽を伸ばせると湧きたっていた。
『休暇』という言葉は全くもって素晴らしい。
その一言で疲弊していた身体も心なしか軽くなったし、休暇を迎えるまでの期間も精神的な健康状態を保つことが出来る。私はまだ予定なんて考えられなかったけれど、目の前のグランツ少尉は月日の感覚も精神的な健康状態も至って正常だったようだ…と失礼な考えが頭を過る。
───脱線した思考を元に戻す。
グランツ少尉はヴィーシャに贈り物をしたいという。彼はヴィーシャの誕生日をどうやって知ったのであろうか。偶然耳にしただけかもしれないし、もしかしたら苦心してその情報を得たのかもしれない。
(グランツ少尉はヴィーシャのことを…か)
ヴィーシャは中々に掴みどころがない人物である。
仲間として、友人として、何れにしても近しい関係を築いている私がこう思うのも可笑しいかもしれないが、彼女は『あの』デグレチャフ少佐の副官なのだ。見た目に反して腕っぷしは強いし、肝も据わっている。航空魔導師としての実力は言うまでもない。平時は誰とでも穏やかな態度で接しているし、ころころと変わる表情は大変可愛らしい。少々食い意地が張ってはいるが、愛嬌がありそれもまた彼女の魅力の一つだと思う。そんな彼女を理解して好いてくれる人物が身近に現れたのだ。それを嬉しく感じないはずがなかった。相談を持ち掛けてきたグランツ少尉は照れた様子で未だに落ち着かない。
(なんだか羨ましいな)
如何にも若者らしい悩みを持つ彼を微笑ましく思う。ヴィーシャはグランツ少尉のことを嫌ってはいないし、寧ろ歳が近いこともあって二人の仲は良い方だと思う。それに今のところはヴィーシャに特定の好いた人物は居なさそうなので私が彼に助力しても彼女の迷惑にはならない…はず。
「ベルイマン少尉でしたらセレブリャコーフ少尉の好きなものとか欲しいものとかご存知だと思いまして。お二人は随分と親しくしていらっしゃいますし」
「…正直なところ、あの子は物よりも食べ物の方が喜びそうですが」
「やっぱりベルイマン少尉もそう思われます?」
ヴィーシャが大食らいだというのは確かめるまでもなく大隊所属隊員にとって共通認識である。下手したら他部隊にも知れ渡っているかもしれない。グランツ少尉も食べ物の方が喜びそうと思っているらしく『だよなぁ。でも食べ物っていうのもなぁ…』と誰に言うでもなく独りごちて溜息を漏らす。
「それでしたら、食事に誘ってみるのは如何でしょうか。折角帝都での纏まった期間の休暇を頂けるのですし、プレゼントを渡すだけでは勿体無いでしょう。あの子だって休暇中の予定もまだ埋まってないはずですし…───どうでしょうか?」
グランツ少尉に同意を求める。
「それは確かに名案ではありますが、いや、でも俺から誘うのは…」
彼の声が尻すぼみに小さくなっていく。
今日のグランツ少尉はなんだかいつもの彼らしくない。でも恋愛に頭を悩ませている彼はそれはそれで好感が持てる。自然と口元が緩んでしまうのを慌てて手で抑え平静を装おうとする。
「ベルイマン少尉…何笑っているんですか」
しまった。表情を隠す前に悟られてしまったか。
「ごめんなさい。悪気はないのです。でもあれこれ悩んでいるグランツ少尉が何だか可愛くて。小官は兄弟とかいないのですけれどもし弟がいたらこんな感じかなと思ったらなんだか楽しくて」
込み上げてくる笑いを堪えるのを諦め、率直な気持ちを伝える。それを不満に思ったのか、グランツ少尉が抗議の声をあげた。
「なっ…!男に向かって可愛いとか平気で言わんで下さい。プライドが傷付きます!それに何ですか、弟とか。つーか俺とベルイマン少尉はそんなに歳離れてないでしょうが」
「あら、同じ少尉といえど小官は先任将校ですのよ。口の利き方がなっていませんわ、グランツ少尉?」
敬語が外れた後輩将校を窘める。指摘を受けた彼は焦った顔をして『っし、失礼致しました』と非礼を詫びた。そして罰の悪そうな表情に変わる。
(本当に可愛い反応をするなあ)
再び『可愛い』なんて口にすれば彼はまた怒るのだろうか。
二〇三大隊の隊員中、年齢でも経験の意味でも若年層に位置するグランツ少尉が先任将校等に揶揄われている光景は珍しいことではない。彼が素直な性格をしていることもあって、彼自身カードは不得手であるはずなのに、無謀にも勝負を挑み続け、そして延々とカモにされていることも我が大隊では日常的な光景だ。彼と同じような経歴の士官も勿論いるけれど、彼の行動や反応は随所に何とも言えない初々しさを感じさせる。それが彼の魅力の一つで、人柄の良さとも言える。
「また揶揄ってしまってすみません。お詫びと言っては何ですけど、食事の件は小官に任せて下さりますか。ヴィーシャの予定を確認して街に連れ出しますから。買い物でもした後に合流致しましょう。その後はグランツ少尉にお任せしますから」
「!本当ですかっ、ありがとうございますベルイマン少尉!」
勢いよく頭を下げられる。
本当に素直で良い青年だ。二人の仲が上手くいくかどうかは私には分からないけれど、相談を受けた手前…というのを抜きにしても、グランツ少尉には協力的に為らざるを得ない。
「まずは小官がヴィーシャの予定を押さえることからですね。分かりましたらすぐにグランツ少尉にお伝えしますから、そこで作戦を練りましょう」
胸の前で両拳を小さく握り気合いを入れる。
『頼みますよ少尉!』とグランツ少尉もつられて拳を握る。彼が私と同じポーズをとったのがなんだかまた可笑しく思えて、へらりと表情を崩しどちらからともなく笑いあった。
+++++
「二人して何をこそこそと話しているんだ?」
「!! ヴァイス中尉殿!」
思わぬ上官の登場にグランツ少尉が硬直する。
なんでこんなところにヴァイス中尉が!?
あまり使われていない資材置場の一角。人気がなく相談事をするには適した場所ではあるのだが、人目に晒されれば反って怪しさ満点───どう考えても追及は逃れられない。
(…って如何にもそんな考えをしているのが顔に出ていますよグランツ少尉)
思ったことがそのまま表情に出てしまうのは彼の欠点でもあった。かく言う私も隠し事が得意とは言えない人間であるので、嘘は確実に見抜かれてしまう。
上官の問い掛けに対しては当然説明義務が生じる。
不味い。今の彼はヴィーシャへの好意も含めて嘘偽りなくそのまま上官に報告し兼ねない。それはいくら何でも彼が可哀想だ。
「な、何でもありませんわヴァイス中尉───ただの悪巧みですよ」
「悪巧み?」
「はい。帝都での休暇が待ち遠しかったもので」
「それのどこが悪巧みなんだ?」
「この次の休暇はいつとれるか分かりませんから。今回の帝都での休暇を如何に有効的に活用出来るか…お互いに知恵を絞っていたところですわ」
「…そうか。いくら休暇だからと言って羽目を外し過ぎないようにな」
「承知しております」
要点に触れようとしない回答にヴァイス中尉は眉を潜ませたが、個人的な内容ということは察してくれたらしくそれ以上追及してくることはなかった。
(ヴァイス中尉が常識的な方で良かった)
二人してほっと胸を撫でおろした。
+++++
「あの後何かあったのか」
薄色の銀髪が印象的なその後ろ姿を見つけ、引き留めるように声をかける。不意に呼び込められたベルイマン少尉は、ぎゅっと軍靴の音が聞こえてくるくらい勢いよく立ち止まった。そして辺りに視線を巡らせて声の主を探す。声を掛けたのが俺だと認識すると同時に少し驚いた表情した。
「ケーニッヒ中尉殿。…『あの後』、というと?」
ベルイマン少尉は首を少し傾け俺の問い掛けに対して疑問を呈する態度をとる。
「グランツと食堂を出て行った『その後』のことだよ」
「…個人的なことなので詮索なさらないで頂けると有り難いのですが」
出来れば口外したくないことらしい。眉を下げて困ったような顔をした。
───彼女はよくこんな表情をする。
控えめに笑う顔ですら眉を下げてしまうのでいつも困っているようにみえる。悪い意味でなく寧ろ好意的に思っているのだが、この時ばかりははっきり物言わない彼女に苛立ちを覚えた。
「グランツの奴の様子が明らかにおかしかったからな。…心配しているんだ」
「そうですね、確かにあの時のグランツ少尉は少々落ち着きがなかったといいますか…。でももう大丈夫でしょう」
心配しているのはグランツのことじゃないんだが。発言の意図が正しく伝わらなかったことはこの際どうでも良い。
「特段変わったことはなかったんだな」
「はい。単なる世間話のようなものをしただけですよ」
───ヴァイス中尉率いる第二中隊所属のグランツ少尉とベルイマン少尉。同じ少尉同士の二人は小隊単位でも作戦行動を共にし、歳が近い所為もあってか他所からみても随分と親しい仲にみえる。だからであろうか。先程のグランツ少尉の態度をみて何か嫌な予感がしたのだ。ベルイマン少尉の言葉に含みがあるのは気に掛かるが、彼女の口から『何もなかった』という回答を得られただけで良しとしよう。
単なる杞憂であったのなら別に構わない。
それなのに、
(何を焦っているんだ俺は)
+++++
「ご飯が美味しいと評判の食堂を教えて頂きましたの。折角の帝都での休暇を頂けることですし、お買い物がてら一緒に昼食でも行きませんか」
サガにそう声をかけられたのが1週間前の今日。オース・フィヨルド制圧の恩賜・恩給で与えられた暫しの休暇。休暇の通達があったその日、同僚が声を弾ませてお出掛けのお誘いをしてきた。どちらかと言えば受け身に徹することが多い彼女から行動を自ら起こしてきたことに少々驚きながらも、
久々の休暇。
女性同士でのお買い物。
そして帝都でも評判の食堂。
どれも期待が膨らむ言葉ばかりで、二つ返事で了承をした。
+++++
「あ、グランツ少尉だ」
「あら、本当ですね」
午前中は洋服をみたり、帝都を散策したりと久しぶりに軍務を忘れて一般女性と同じような休日を満喫した。そして食堂に向かう道中、思わぬところで同僚の姿を発見する。隣を歩くサガも彼を見つけたようで口元に薄く笑みを浮かべている。
「誰かと待ち合わせのようでもなさそうですし、声をかけてみましょうか」
彼女に腕を引かれるようにグランツ少尉の元にそろそろと忍び寄った。
「こんにちは。グランツ少尉」
「うっわ、……びっくりした。背後から声かけないで下さいよ」
「こんなところで独り?」
「余計なお世話です」
ぴしゃりと切り捨てられる。そしてツーンとした態度。休暇中だし軍務中のような対応を強要する訳ではないけど先任将校であるサガも一緒にいるんだけどなあ。そう思って隣にいる彼女の表情をちらりと盗み見ると、私たちのやり取りをみて楽しそうに笑っている。彼女も彼女でグランツ少尉の態度を咎める気はないらしい。
「お二人は買い物ですか」
「そうなの。サガとデート中です」
そう言いながらサガの腕を引いて抱き着く。サガは空いた方の手でよしよしと頭を撫でてくれた。
「あーはいはい。仲が良くて羨ましい限りですね」
「ちょっと、心が籠ってない」
グランツ少尉に抗議の意を示すが、先程と同様黙殺される。サガは相変わらず私の横でくすくすと小さく笑っていた。
「そういえばグランツ少尉は昼食はもう済まさせました?」
一頻り笑い終えたサガが漸く口を開く。
「いえ、まだですけど…」
「私たちもまだですの。実はこれから行くところが帝都でも評判のところで。それでもし良かったらグランツ少尉もご一緒しませんか」
「えと…良いんですか」
「ご飯は一緒に食べる人が多い方が良いですから。ね、ヴィーシャ」
「私は構わないけど」
珍しいな。サガがこういったことに誰かを誘うなんて。
今日のお誘いを受けた私の時もそう思ったけど、彼女も少しずつ変わってきているんだろうか。道中、他愛もない会話の合間にそんなことをぼんやりと考えながら歩みを進める。
そしてあと数軒先にある目的の食堂が確認できたところで『あぁっ』とサガが大きく声をあげた。らしくない珍しい反応をする彼女に驚いて何事かと問い質す。
「サガ、どうかしたの?」
「大変。私としたことが…今日は十四時から診療要請が来ていたのを失念しておりました…」
「えぇ!?休暇中なのに!?」
「はい。実は士官学校時代の恩師からの依頼でして…。ごめんなさいヴィーシャ、私から誘っておいて」
『私、そっちへ顔を出さないと…』と意気消沈。しゅん、と申し訳そうな表情をする。
「ううん、気にしないで。ご飯はまた今度一緒に行こう」
「本当にごめんねヴィーシャ。それとグランツ少尉も急なことで申し訳ありません。折角ここまで来たことですし、今日のところは二人で昼食を楽しんできて下さい。実は席の予約も入れておりましたのよ」
「何から何まですみませんベルイマン少尉」
「いいえ。私のことはお気になさらず。…グランツ少尉、ヴィーシャをお願い致しますね」
別れ際に交わされたサガとグランツ少尉の会話の意味は私には分からなかった。
そして彼女は私の方へ向き合うと『後で感想きかせてねヴィーシャ』そういって踵を返し、小走り気味に来た道を戻っていった。
「さて、予定は少々狂ってしまったけど気を取り直してご飯!ご飯!サガの分まで食べましょ。グランツ少尉」
気合い入れの意味で両拳を胸の前で小さく握る。するとグランツ少尉は妙な表情を浮かべた。
「え、私なにか変なことした?」
「いえ、本当にベルイマン少尉と仲が良いんだなーと思いまして」
「今頃知ったの?可笑しいこと言うのね少尉」
+++++
二人と別れた後、300メートル程離れたところで漸く足を止める。視線を食堂がある方向へ向けて右拳を胸の前で小さく握る。
(グランツ少尉、頑張って)
彼を応援する気持ちは偽りなく本心からだった。
決してヴィーシャの気持ちを蔑ろにしている訳ではない。…とは思うものの、先程の遣り取りをみていて改めて二人はお似合いだと感じたのも事実。
(二人が上手くいったとしたらそれはとても嬉しい。けど、もし本当にそうなったのなら、私は寂しいなんて思ってしまうのだろうか)
『ちくり』 胸の奥一点を針で刺されたような感覚がする。今感じたのは疎外感か嫉妬か。
なんて自分本位な思考をしているんだろう。幾ら何でも身勝手が過ぎる考えに嫌悪を覚え、それを振り切るように宿舎へ足を向ける。
「何を百面相しているんだ」
視線を道に落として歩いていると不意に声をかけられる。顔をぱっとあげて辺りを見渡すよう視線を巡らせる。瞳が捉えた先には見慣れぬ私服姿の上官の姿があった。
「ケーニッヒ中尉殿」
この時の私はきっと情けない顔をしていたんだと思う。でも急に声をかけられたことで取り繕おうとする意識が完全に抜け落ちていた。
「奇遇ですね。こんなところでお会いするなんて」
「ベルイマン少尉こそどうしたんだ。こんなところで独りか?」
「えぇ、用事も済みましたのでこれから宿舎へ戻るところですよ」
「……貴官は役者を目指すのは諦めた方が良いぞ。残念だが少尉にそっちの才能はないみたいだ」
「───もしかしなくても見ていらっしゃったんですか」
ああなんて恥ずかしい。先程の遣り取りを見られていたなんて!
顔に熱が集中するのが自分でも分かる。耳まで赤くなっているかもしれない。紅潮する頬を隠すように思わず両手のひらで顔を覆う。
そんな私を面白がっているのかケーニッヒ中尉は肩を震わせて笑っていた。
私は至って真面目にでしたのに。
「───上官に対する無礼を承知の上で申し上げますと、もし、ケーニッヒ中尉殿に『そのような』高尚な趣味がおありでしたら、憲兵が介入する前に今すぐにでも改めたら宜しいかと思います」
「妙に棘々しいな」
「そう聞こえるのは中尉殿の気のせいでしょう」
この程度の嫌味を言うことくらいは許してほしい。あれは見世物でもなんでもないのだ。真剣だった。だからそれを誰かに笑われるなんていくら私でも癪に触る。不満を示すようにやや鋭い視線を交えケーニッヒ中尉を見上げた。それを意にも介さず弁明をするように彼は口を開く。
「少尉達には悪いが俺が貴官らを目にしたのは本当に偶然だ。ゾルカ食堂に行くつもりだったんだろ?俺はその数軒前の喫茶店の二階席にいたんだよ。そうしたら見覚えのある部下が揃って現れるし、眼下で『お芝居』が始まるときたもんだ」
「中尉殿を疑ってしまったことは謝ります。ですからもうそのことには触れないでやって下さりますか…」
これ以上自分の醜態を口にされるのは勘弁願いたい。それにケーニッヒ中尉ってこんな方でしたっけ…。
ヴァイス中尉やノイマン中尉に対しては気安い感じで話しているのは知っている。部下に対してはそう言葉は多くないけど、誰よりも仲間想いで優しい方なのも知っている。だからこんな風に自分が揶揄われるとは思っていなかった。───いや、揶揄われるようなことは今までも何度かあったような気もするけれど、今回のように執拗に責められたと感じるのは私側にも落ち度があることに起因している所為かもしれない。嗚呼、羞恥心やら情けなさやらで感情が昂って涙がでそうだ。
(なんだって良いから一刻も早くこの場から立ち去りたい)
これ以上醜態を晒すのはご免だ。
視界がぼやけてじわりと目の淵に涙が溜まるのが自分でも分かった。
「!? 泣かないでくれ少尉」
目の前のケーニッヒ中尉が慌てて慰めようとする。
「すみません。……生理的なものですのでお気になさらず」
本当に情けない。休暇中といえ上官の前で泣くなんて。そういえば以前にも同様のことがあったなぁと、滲んでいく視界をそのままにぼんやりと思い出す。あの時はヴァイス中尉やノイマン中尉、そしてデグレチャフ少佐にも泣き顔を目撃されてしまった。思い起こせば結構な頻度で醜態を晒しているのではないか。
(自分のこともちゃんと制御出来ていないのに、人の為に何かしたいと思うなんて自惚れるのにも程がある)
目元を袖口で拭い、涙が流れ落ちることだけは阻止した。宿舎に戻ろう。そう思うけれど足が地面に縫い付けられたように重い。足元をじっと睨み暫く動けずにいると、ぽんっと頭に何か被さるような感触。それを確かめようと顔をあげると、頭に被さったものが影を落としやけに視界が暗く感じた。
右腕をあげて指先で感触を確かめる。
(───これは、帽子?)
今日の私は帽子を持ってきてはいない。自分の頭に被さった帽子の鍔を摘まみ、視界が開けるように動かす。
「……もしかして、中尉殿の」
『帽子ですか』と言い終える前に正面の彼に帽子ごと頭を押さえられ一度開けた視界がまた暗くなる。
「な、何を……っ」
事態が分からず困惑と抗議の意を示すつもりで声をあげようとすると、それを制すように彼は口を開いた。
「それがあったら君が泣いていようが俺にはわからないからな。……暫く貸してやる。ちゃんと返せよ」
そう言うと私の右手をやや乱暴気味に覆い掴み、彼の元へ引いた。反動で左足が浮き、一歩分、彼との距離が詰まる。
「帰るぞ」
中尉殿は宿舎の方へと歩み始める。
そしてそれに連れられる様に私の足も自然と前へ歩を進める。
中尉殿は何も喋らなかった。黙々と。歩幅はやや狭く、ただ前方を見据えるように歩き続ける。
右手を引かれ、半歩先を歩く彼の表情を盗み見る。
───普段と何も変わらない。でもいつものような険しさは感じない。
中尉殿に掴まれた右手が温かい。
彼の体温が肌を伝い、血流の様に浸透していくような───そんな不思議な感覚に駆られる。
彼の帽子の影に隠れるようにして止まりかけていた涙が一筋流れた。
( なんて狡くて優しいひと )
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