幼女戦記(名前変換)
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「ところで大尉殿、…このベルイマンはまさか大尉殿が」
ヴァイス大尉の対面の席にはテーブルに突っ伏したままぴくりとも動かないサガの姿があった。先程からこれだけ騒ぎ倒しているというのに全く反応が無い。
「ちがう。小官が潰したのではない」
彼はあらぬ嫌疑を掛けられた不満を打ち消すように酒を煽り飲み干して空になったビアジョッキをテーブルに叩き下ろす。『どんっ』と分厚いジョッキの底が天板に勢いよくぶつかった衝撃でフォークに刺さったままの食べかけのヴルストが皿の上で僅かに跳ねて金属と陶器の擦れる音を周囲に響かせた。遅れて、飲み掛けのシャンパングラスがサガの手から離れて転がりながらテーブル上を濡らしていく。
それでも彼女は一向に起き上がる気配すらない。
─回想─
「大尉殿も一杯いかがですか?」
むさくるしい酒場の中で人の合間を縫って目の前に現れたサガは背に隠していたボトルとグラスを見せ付けるようにしてヴァイスに声を掛けた。
「随分と上機嫌だな」
「はい。こういうのも少しご無沙汰しておりましたし」
白い肌を上気させていつもよりも緩んだ目元でへにゃりと表情を崩して彼女は笑う。まだ冷える季節だというのに何故か軍服の上衣は着用しておらず、ブラウスのボタンが一つ外された首元で揺れる演算宝珠と白い肌のコントラストは随分と寒々しくヴァイスの目に映った。
最初の乾杯からものの五分と経過していない筈なのだが、目の前の部下は既に相当出来上がっているようで(大方、さして得意でも無いビールの一気飲みでもしたのだろう)、大層上機嫌な彼女はヴァイスの対面の席に腰を掛けて共和国産のシャルドネボトルをヴァイスの眼前に突き出す。『大変良い品を見付けました』と得意げに語るサガは彼女にしては珍しく気が大きくなっているようで、アルコール効果で血色の良くなった唇を真横に引いて満面の笑みを浮かべている。
二つのシャンパングラスの底には少量のシロップに塗れた大粒のラズベリーが一つずつ落とされていて、照明の下で輝く艶やかな赤に目を奪われていると視線に気付いた彼女は緩やかに笑った。
「これですか?フルーツポンチの中身を少し拝借してきたんです。漬け込んだ甘口のシャルドネも同じ銘柄を用意して貰いました」
サガはとろとろになったラズベリーをグラスの底でゆっくと転がしながらシャンパンを注ぐ。グラスの中でしゅわしゅわと細やかな泡が立ち上ると同時に表面に浮かび上がったラズベリーは綺羅びやかな黄金色の液体の中でころころと軽やかに踊った。
「ヴァイス大尉もお好きかと思いまして」
「日頃甘味に飢えているのは御互い様ではないか」
「あら、大尉殿程ではありませんよ」
もし気に入られましたなら後程フルーツポンチもお持ちしますね、と何時ものような気遣いは何時になくふわふわとした物言いであるのに、突き出されたグラスの、表面の泡立ちの中で揺れるラズベリーの向こうで『どうぞ』と語る
彼女が何時もと様子が違うことは気に掛かりはしたが、部下からの誘いを断る理由を持たないヴァイスは突き出されたグラスを受け取った。手酌で注いだシャンパンの香りを嗅いで恍惚とした表情を浮かべているサガと視線が交わると、彼女はグラスを掲げて目でヴァイスを促す。
「せーの」
「「乾杯」」
ヴァイスがシャンパングラスをビールのようにぐいっと傾けて一気に飲み干したのを見て、目をぱちぱちと瞬きをしたサガは驚いたような、それでいて呆れたような表情を浮かべた。彼女は何か物言いたげにも見えたけれども直ぐに表情筋を緩めて、ヴァイスと同じようにグラスを煽った。
+++++
「…それからずっとこのままだ」
「それどう考えても大尉殿の仕業じゃないですか!」
事の経緯を語る上司に対してグランツがすかさず突っ込みをいれる。状況的に既に出来上がっていたとは言えサガにトドメを刺したのは間違いなくヴァイス大尉であった。此れ程騒がしい空間で語られる渦中の人物は今もテーブルに伏した儘で未だに復活の兆しは見えない。
帝国軍人にしては珍しく、とてもアルコールに強いとは言えない彼女が何時ものように自制していればこんな早々に酔い潰れることはなかっただろう。どちらかというと常日頃は介抱側に回ることの多い彼女が南方帰りでそのまま連邦越境偵察からの首都モスコー強襲…と、まともな休暇を取れずにいたことは其れなりにストレスに感じていたようで、其の鬱憤を酒にぶつけたというのが事の次第と判断すべきであろう(彼女が酒に弱いという点は考慮しない)。
それにしても大隊内に限った宴会であるならば兎も角、今日のように現地駐屯兵を交えた酒の場であるなら尚更注意しておくべきであったとケーニッヒは強く後悔をした。乾杯の時はサガの直ぐ近くにいたセレブリャコーフ中尉を当てにしていた訳ではないが、食に夢中になりながらも現地駐屯兵をあしらいつつ相手をするセレブリャコーフ中尉と同じくサガもこういった場での立ち振舞いは心得ている為、今更気にしておかなくても大丈夫だろうという油断がケーニッヒの中にあった。ヴァイス大尉の話通りであるなら彼の元に来る前の───最初の乾杯の一杯を飲み干した時点で既に許容量ギリギリの状態だったのだろう。
(こんなことなら始めから傍にいるべきだった)
ただでさえ彼女は目を惹く容姿をしているというのに、目を離していた時に限って酔い潰れて隙だらけの状態でいた事実を知ったケーニッヒは今正に冷静さを欠こうとしている。
「落ち着け。感情が顔に出掛かってる」
『お前って案外分かり易い奴だよな』と呆れ顔のノイマンがケーニッヒの肩を叩く。
「だーいじょうぶですって。だから大尉殿もこうして席を立たずにいてくれたんでしょ」
ノイマンだけならいざ知らず、グランツお前もか。
「私だってただ静かに飲んでいた訳ではないぞ」
席を空ける訳にはいかなかったのでな、と副長からは気遣いのような言葉を掛けられる。
───彼女との関係は公にはしていないものの、こうした付き合いが長い連中には色々と悟られてしまっているようで、無闇矢鱈に口外しないという気遣いは感じられるものの、こういった扱いを受けるのは何だか落ち着かない。副長に至っては二人の関係を知らないと思われる発言にも取れて、発言の意図を確認をして墓穴を掘ることにも成り兼ねない状況で自身が揶揄われる立場に収まってことも釈然としなかった。
(いっそのこと公言出来れば楽だろうよ)
密やかに結ぶ関係の危うさを自覚しているケーニッヒは、弁明出来ぬ状況に内心悪態を吐く。正直なところ『恋仲』なんて不安定なものではなく、出来るものなら今すぐにでも彼女を自分と同じ籍に変えさせ、確固たる関係でありたいというのがケーニッヒの本音であった。
部隊運用の特性上、第二〇三大隊の所属部員は四六時中を共に過ごしていると言っても過言ではないが、サガと想いを通わしてからというもの、共に居るだけでは繋ぎ留めるものが何もないのだとケーニッヒは知れず確かなものに固執するようになっていた。彼女の薬指のサイズだって疾うの昔に把握していて、南方帰りに帝都での休暇さえ貰えていれば直ぐにでも彼女に似合う意匠の物を用意していただろう。
軍人である以上何れ別つ時が来ることは随分と前から覚悟をしている。一方で不確かな未来を憂い心を擦り減らし続けているのも事実であって、たった紙きれ一枚の制約や所有の証で互いを繋ぎ留めることが出来るのならば…と、ケーニッヒは考えずにはいられなかった。
───其れを彼女が受け入れてくれるかどうかは別問題なのだが。
+++++
「もう一度、乾杯!!」
グランツの声を皮切りに本日何度目かもわからない乾杯の声が至るところで上がる。デグレチャフ少佐の存在が無くなったことで仮設酒場はより一層騒がしい声で犇めき合っていた。
傍らで『うぅ…』と小さな呻き声が上がる。先程まで完全に沈黙していたサガは身動ぎをした後テーブルに突っ伏していた上体をゆっくりと起こした。
「お、やっと起きた」
ノイマンの声がした方に上半身を傾けてぼうっとした眼で俯く彼女は『くしゅん』と小さくくしゃみをしてから漸く視線を上げる。
「ぁ…あら、皆さんお揃いで…どうかされたのですか」
目の前にいた筈の副長の席が空いているのを不思議に思ってサガは自席に腰掛けたまま周囲をきょろきょろと見渡した。そして少し離れたところで酒樽に頭を預けて床で眠りこけている副長の姿を視認して『…小官、もしかしなくても結構な時間寝ていました?』と何処か照れた様子で前髪を弄っている。
「ヴァイス大尉はいつものやつです」
「…なるほど?」
グランツの声に応えたもののいまいち脳に沁みてなさそうな反応をしたサガは曖昧に表情を崩す。そしてアルコールの抜けきらない表情で数回瞬きを繰り返し、目蓋がとろんと重そうに落ちてきてきたかと思うと彼女は再びこくこくと船を漕ぎ始めた。
「…大丈夫か少尉」
ケーニッヒの言葉にサガは首をもたげて緩慢な動作で思案するポーズを取り、芯の無い表情で口を開く。
「あたま…痛いです。夜風にあたりたいですし兎に角眠い気がする……?その前にシャワーあびたいです。…あ、サウナがあるならそっちも行きたいですし…。なので小官はお先に宿舎にもどります」
サガは不安定な呂律で思い付くまま様々な欲求を言い終えてすっと席から立ち上がった。そして今にも眠り落ちそうなぼやけた表情のまま此方に視線も寄越さず仮設酒場の出口に向かおうとするので、間をすり抜けようとするサガの後ろ手を捉えて引き留める。うとうとと緩慢な瞬きをする目蓋と共に気怠げに上げられたサガの顔を見てケーニッヒは思わずギクリとした。あまり人目に晒したくない無防備な表情をしていたものだから、彼女の左手首を掴む手に自然と力が篭る。
「そんな状態で一人で行こうとするな」
「宿舎までの道程はおぼえてます」
「送る」
「ひとりでもだいじょうぶです」
「………いつになく強情だなこの酔っ払いが」
ケーニッヒは盛大な溜息を吐くと同時にサガの左手を引っ掴み直し、そのまま強く引いて仮設酒場の出口方向に向かった。ケーニッヒのもう片方の腕には何時の間にやら回収していたサガの軍服の上衣が掛けられている。
『帰ってこなくても良いんですよー』と背後から冷やかすグランツの声が二人に向けられると、ケーニッヒは彼に向き直り呆れ顔で応えた。
「こいつが勝手にサウナに行って倒れでもしたら、責任問題で俺が大隊長にしょっぴかれるだろうが」
ケーニッヒは顎と視線で壁の方向を指し、ケーニッヒの示した方向を見てグランツは『成る程』と表情をしてノイマンと笑い合った。酒樽に頭を預けて未だに眠りこけている副長はもう暫くは起きることはないだろう。戦闘中に限らず大隊長の不在・副長が指揮不能の状況において指揮官序列から順当に考えれば実質的な責任はケーニッヒが負うことになる。
「俺が戻ってくるまでに問題が起きたらノイマンに押っ被せるからな。ついでにグランツも連帯責任で、だ」
羽目を外し過ぎないようにと釘を刺しつつ二人には戻ってくることを伝えてから、ケーニッヒは再びサガの手を取り酒場を後にした。
+++++
後ろ手でサガの左手を引っ張るようにして宿舎へと歩き出したケーニッヒは、半歩後ろを歩くサガが手を振り解こうとしないことを意外に感じていた。先程仮設酒場で一部から揶揄われたことも摂取したアルコールの影響で脳に沁みていなかったことで説明がつくが、喧騒から離れて夜風に当たりながら歩いてもいると流石に多少は酔いが抜けてきても良い頃合いなのだが、後ろを振り返って視線を通わせると彼女はにこにこと上機嫌に笑みを浮かべているばかりで。過去にここまで緩んだ表情でいたことがあっただろうかと記憶を思い返していると、掴んでいたサガの手がケーニッヒからぱっと抜け出した。そして間を置かず今度はサガの方から手指を絡めるようにケーニッヒと手を繋ぎ直し、半歩の距離を詰めて隣に並び此方を見上げた彼女は目を細めて嬉しそうに口を開く。
「手を繋ぐのも久し振りのような気がします」
南方大陸遠征中は二人きりになれる機会などまるでなく、また、本国帰還後はそのまま東部越境偵察と休暇を挟む隙すらなかった。ケーニッヒは長期間こういった接触すら出来ずにいた事実をサガの発言によって改めて再認識させられる。部隊の士気に関わるからと周囲に関係を明かさないようにしたいと彼女自身が望んでいたことであったけれど、今宵はアルコールの影響もあって何時になく自制心が緩んでしまっているのだろう。南方大陸遠征期間中にも許容量のアルコールは摂っても
仮設酒場からサガを連れ出した時は仮にグランツの余計な一言がなかったとしても彼女を宿舎に送り届けるのみに留めるつもりであった。だが、好いた女が僅かな一時を愛おしむ此の時間が直ぐに終わってしまうのかと思うと彼女をこのまま宿舎に送り届けるのがとても惜しく思えて、ケーニッヒは宿舎までの最短距離を行くルートを外れて人気の無い路地にサガの手を引いて連れ込んだ。
街灯の光が差さない暗がりまで歩を進めてからサガを壁に押し遣ると、今度はケーニッヒの方から繋ぐ手の指を強く絡ませる。
「初めてだな。屋外でこういう風
人目を忍んで、それも休養日という条件で逢瀬を重ねることを徹底していただけに、屋外で恋人らしい振る舞いを取ろうとしたことは今まで無かった。それはサガの意思のもと二人で決めたことではあったけれど、『手を繋ぐ』行為ですら日常的に許されないケーニッヒにとっては、最早生殺しと言っても良い今此の状況に自然と息が漏れる。彼女の行為はアルコールの作用によるもので言葉の以上の意味はなく他意が一切含まれてないことは重々承知してはいるが、───最後に指を絡ませたのは寝台の上であったことを覚えていないのだろうか、とつい恨み言を吐きたくなる。
ケーニッヒはもう片方の指もサガの其れと絡めて何時もそうしているようにサガの顔の横に両手を縫い留めた。何時もと状況が異なることといえば、互いに立ったままということと場所が屋外ということだ。サガの指の付け根を指の腹で何度も擦って遣ると、彼女は擽ったそうに身を捩りながら、ふふ、と口から声を漏らす。壁に両手を押し当てられ自由を奪われているというのに、身の危険を感じるどころか抵抗する素振りも見せずに、サガはまるで児戯を楽しむかのような笑みを浮かべていた。
サガの反応から想定していたよりもアルコールの影響が未だ強く残ったままらしいとケーニッヒは受け取って、其れならばキスくらいはしても許されるだろうかと不意に頭を過ったけれども、仮にもしサガがキスを受け入れてくれた場合はきっと歯止めが利かなくなるだろうことは容易に想像が付いて、彼女の息が続かなくなるのが先か腰が砕けるのが先か、…と其の先の事まで考えてしまう。流石に此の場で致すことは無いと断言出来るが一度情動の火が点ってしまったが最後、送り狼にならずにいられる自信はない。
「俺もアルコールを言い訳に出来れば良かったんだがな」
ケーニッヒはぽつりとそう呟いてから拘束していた両手を離してそのままサガを抱きすくめた。今のサガの状態では拒まれることはないだろうと打算的な思いがあっての行動ではあったが、予想通り彼女はケーニッヒの腕に大人しく収まり身を預けてくれている。
ケーニッヒは今の状態の彼女を利用していることに後ろめたさを感じながら、其の思いを掻き消すようにサガを抱き締める腕に力を込める。通りから外れている路地とはいえ誰かに目撃されるリスクを冒す行為だと頭では理解していても、休暇中の逢瀬以外で今日のように甘えることの無かったサガを前にしてはケーニッヒはそうせずにはいられなかった。想い通じ合って恋仲になってからというもの、近く在っても触れられないもどかしさを抱え続けることには変わりなくて、自分ばかりが胸を焦がしているのではないかと不安で堪らなかったのに、解かれて自由になったサガの手がケーニッヒの軍服に触れるたった其れだけのことで乱れていた感情が徐々に落ち着いていくように思えた。
軍服越しに感じる温もりの心地好さにケーニッヒは目蓋を閉じた。あと少しだけ、と許しを乞おうとした時、此の柔らかな温もりは離れれば忽ち冷えていってしまうのだろうという思いが湧いて、一度開き掛けた口を噤む。自ら手放すことが急に怖く思えて、結局『別つ覚悟』なんて出来てないじゃないか、とケーニッヒは乾いた声が出そうになるのを喉奥で押し殺した。
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