幼女戦記(名前変換)
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「折角の全休ですのに本当に小官で宜しかったのですか」
「偶の休日ですらもあいつらと一緒では俺が虚しい」
───翌日、ベルン市内にて。
ケーニッヒの隣を歩くサガは首を傾げながら遠慮がちに確認の言葉を投げ掛けた。
以前彼女に向けた『飯でも集らせて貰う』発言は一度撤回をして休暇日らしいことをしたいと伝えたところ、市井に紛れて散歩でもしませんか、と彼女の申し出に応えて、宿舎を中心とする行動範囲を脱した首都西部へと足を運ぶ。
ショーウインドウに反射するのは見慣れた軍服ではなく互いに私服を身に纏い並んで歩いている姿で、其れが視界に入る度に思わず気持ちが浮かれそうになるが、開け放たれた商店扉の向こうから戦況を伝えるラジオ放送が耳に届くと、どこもかしこも戦勝ムードに包まれているとはいえノイズ雑じりのプロパガンダは自棄に煩く感じられて、暫しの間ですら軍務を忘れることも許されぬのか、と自然と溜息が漏れた。
無意識から出たものとはいえ隣で溜息を吐かれたというのに彼女は気を悪くするでもなく、口元に手を当ててふふ、と小さく笑みを溢す。
「其のご様子だと昨夜の戦果は無かったものと受け取っても?」
「…耳聡いな。グランツから聞いたのか」
「副長がご一緒ならば想像は難くないな、と」
彼女は先程の溜息を昨晩の外出に関係するものだと推察したらしい。大方今朝にでもグランツが彼女に溢したのだろうが、見当違いである。…が、それはそれとして戦果が無かったことは事実であるので、訂正を入れる気になれず話を合わせた。
「俺もノイマンも承知の上でヴァイス中尉とつるんでいる節もあるからな。本気で戦果を上げるつもりならば初めからヴァイス中尉は誘わないさ」
「相変わらず仲が宜しいですね。そういえば御三方はギナジウムからの付き合いとのことでしたね?」
「ヴァイス中尉は学年が違ったが…みな東部出身ということもあってそれぞれの実家事情も薄ら分かる程度には付き合いが、な。ベルイマン少尉は確か…北部の出であったか?」
「ええ。航空魔導兵科課程に移る際に中途錬成枠の都合で東部配置になり、フィヨルド降下作戦時に数年振りに北部の地を踏みました。───北部とはいえ故郷からは離れていたので大分大雑把な括りではありますが」
彼女は無意識に短くなった毛先を指で弄ると、ケーニッヒを見上げる視線を逸らして前方に向ける。一つゆっくりと瞬きをした彼女の目蓋が再び開かれた時、何処か遠くを見つめているような寂しげな表情をしていることに気付いたケーニッヒは、其の横顔に既視感を覚えた。
彼女の故郷に関して立ち話をした先日のライン戦線と昨夜の記憶が同時に蘇ってきて、彼女は自身が疎ましく思っている薄銀色の髪を長く伸ばしていた理由と其れに込められた感情に辿り着く。
「───『親子喧嘩中』、とはそういう意味だったか」
会話の流れを切ったケーニッヒの言葉に戸惑う表情も見せず、サガは眉を下げて困ったように笑った。
「だから『面白いエピソード』なんて無いとお伝えしたのですよ」
+++++
ベンチに待たせていたサガにフードトラックで購入した珈琲を手渡したケーニッヒは、お礼の言葉を受け取りながら人一人分程空けて彼女の隣に腰を掛けた。購入したばかりの珈琲に口を付けるでもなく、二人の間に暫しの沈黙が流れた後、先にサガが口を開く。
「魔導師の適性が判明してから幼心より前線に立つものだとばかり思っておりました。そもそも我々に配属を選ぶ権利等無いことは理解しておりますが、士気の高い
魔力消費が激しい衛生魔導師の化け物じみた規定魔力量をクリアしている時点で衛生魔導兵科に配属される可能性はある。だが、前線戦力としての航空魔導師育成を最重視とする帝国軍において魔力量を理由にするだけでは不自然であった。大方、実父が奉職義務で徴兵された軍医時代に築いたコネクションを使ったのだろうと彼女は言う。
「貴官の父君が相当心を砕いていただろうことは理解した。反抗期としては最悪の部類だろう」
サガは特に気を悪くした風もなく『そうですね』、と呟き眉を下げた。
「衛生魔導師が適性だということは小官自身も自覚しております。端から魔導師という強制された選択肢がなければ疑うことなく父と同じように医学の道に進んでいたでしょうから。ただ魔導師になることを定められて幼少期に
彼女の、幼少期に芽生えた祖国の現状に憂う感情は余りにも純度が高く、かといって救国の士として名を馳せたいといった英雄願望とも異なる感情だとケーニッヒは勝手に理解した。彼女の根子は自己犠牲を厭わぬ愛国精神に因るものだと。
「個人的には東部配置の冷や飯食らい連中が活躍の場を求めて白銀の元へ集まったことと大差無いと思うがな。個々の事情に差異はあれど結局は同じことだ」
「…そう言って下さると少し気持ちが楽になれます」
ほっと表情が緩んだ彼女を横目にケーニッヒは漸く一口目になる珈琲を啜った。唇に触れた珈琲はすっかり温くなっていて口内に熱を残すことなく染み渡るように喉の奥に消えていった。
+++++
生温く湿った空気を孕んだ初夏の風が吹く中、ぽつり、ぽつりと雨粒が徐々に遊歩道を濡らしていく。ベンチの近くに雨を避けられるところでもあれば良かったのだが、生憎ガゼボのようなものは視界の届く範囲にはなく、園内の並木の下で雨が弱まるのを待つつもりが次第に強まっていく雨脚に二人は身動きが取れずにいた。
「予報がこうも外れるとは珍しいな」
「通り雨…の雲行きでは無さそうですね」
「運良く軍用車でも通りかからないだろうか」
「軍用車が園内を通るとしても舗装路からは大分離れているので難しいかと」
「…そこは冗談で受け取って欲しいところなんだが」
『勿論冗談と
木の下に避難してから十分程経過しただろうか。木陰の茂みに頼り切れなくなるのも時間の問題だな、とケーニッヒはサガの濡れた肩を横目で見て小さく息を吐く。先程冗談だと自ら茶化した軍用車の件はケーニッヒの願望を込めた発言でもあった。園を出て車を拾うにしてもそうでなくとも、どちらにせよ雨に濡れるのは覚悟しなくてはならない。季節が初夏であろうとこの雨に晒されるのはオフであれば尚更避けたいところ。
『くしゅん』
サガが小さくくしゃみを一つ溢した後、並び立つケーニッヒとは反対側の二の腕を手で擦った。流石にこれ以上此処に留まるのも限界だと判断し、宿舎に戻る提案が口から出掛かった時、ふと、昨夜セレブリャコーフ少尉が一人で夕食を摂っていたことを思い出して、ケーニッヒはサガの横顔を暫し見つめた後、今度は大きく息を吐いた。
「…俺も気付いて遣れずにいたことは悪かったが、体調が優れないことを理由に断るべきだっただろ」
「…言い出せなくて申し訳ありません。でも断ってしまうのも残念だな、と」
『実を言うと今日をとても楽しみにしていたのですよ』と目を細めて眉を下げる。
その言葉の意味を言葉通りに素直に喜んで受け取ることよりも、彼女の顔が青白く不健康な色をしていることばかりに気が取られて、ケーニッヒは短い相槌の言葉を返すことしか出来なかった。
+++++
一向に弱まる気配がない雨脚に観念した二人はティーアガルテンを出て近場のシティホテルに駆け込んだ。軒先だけで雨を遣り過ごすには髪の毛も服もすっかり濡れてしまっていて、このままの状態でいるにはサガの体調も気掛かりであったので、早急にフロントに空き部屋を確認する。午前の最終チェックアウトからそう時間は経っていないこともあり直ぐに入れる部屋は限られてはいたが、清掃済みだというツインを二部屋取り、部屋の前で館内ブティックで購入した着替え用の衣服とルームキーを手渡す。
「バスタブに湯を張ってしっかり身体を温めるように」
「子供ではないのですから」
へらりと笑うサガの表情は体調の所為かやはりどこかぎこちない。一時間後とは言わず夕刻まで休ませるべきかと迷うが、長時間部屋に一人にしてしまうのも気掛かりであったし、かといって二人同じ部屋に居ては彼女も休まらないだろうと思い、ケーニッヒは何も口に出来ないまま彼女を見送った。
昼前に降りだした雨は止みそうになく、激しさを増すばかりであった。自身の入浴後は空模様を気にしながらルームサービスで注文したホットワインと酒肴で彼女が来るまでの時間を潰す。
後五分で約束の時刻になるというところで、ケーニッヒの部屋を控え目にノックする音が響く。扉を開けて出迎えると、先程よりは幾分か顔色が良いサガが仕度を終えて待っていた。チェックアウトの為にルームキーとジャケットを取りに戻ろうとケーニッヒが背を向けた拍子、ふわりとアルコールとシナモンの香りが漂い、サガは首を傾げて部屋の中をじっと覗き込んだ。彼女の視線がテーブルの上に置かれた飲み掛けのワインに向けられていると気付いたケーニッヒはジャケットを脇に抱えて両手を挙げる。
「秘密にするつもりは無かった。ホットワインなら度数も大したことないし身体も温まると思って」
「別に咎めてはおりませんよ。…ですから、小官が頂戴しても何ら問題ないですね?」
「…俺が言うべくもないが程々にしておけよ」
アルコールに弱い彼女が付き合いでもなく自ら進んでアルコールを摂りたいと言うのは珍しいことであったが、窓の外の嵐のような天候を思えば早々にチェックアウトする気にもなれず、ケーニッヒはジャケットとルームキーを手放した其の手でフロントへ電話を繋いだ。
+++++
天候が崩れさえしなければ今頃
「貴官の場合、飛行前の
「───そう、ですね」
ケーニッヒの冗談に対して先程までふわふわと笑みを浮かべていたサガの表情が少し曇り、自分で意図したよりも歯切れの悪い声しか出せなかった彼女自身がそれを意外に感じていた。自身が場の空気を変えてしまったことに直ぐ様気付いて、少し酔っているせいか思考が飛躍したのだと訊かれてもいない弁明を始める。
「すみません。
サガは其の後に続く言葉を何か言い掛けてから堪えるように表情を歪めた。今更別の話題に切り替えようにも都合の良い話題も直ぐには浮かんで来ず、彼女は諦めて視線を落とし口を閉ざす。グラスを手放し置き場に困った右手は彷徨いながら胸元に辿り着いた後、ぎゅっと服を握り締めていた。
暫しの沈黙が二人の間に流れた後、再びサガが口を開く。
「あの時、私は覚悟が足りてなかったのだと強く思い知らされました。───今更になって、大隊の皆を喪うのが酷く恐ろしい」
共和国に勝利し目下最大の敵対国との関係に片が付くとは言えども、連合王国・連邦が脅威であることは変わりなく、何れ来る其の時のことを思うと胸が押し潰されそうだった。今まで戦傷者こそ出ては居たけれど、結成当初から部隊内でKIAを出していない事実がある種の認知バイアスとなっていて、
帝都に戻ってからも仲間が撃墜される映像と不明瞭な無線の音が不意に思い出される度に肺腑を抉る痛みは鋭さを増して、今や帝国中を包む戦勝ムードに浸ることなど到底出来なかった。自身が見送る立場になるさえ分からない不確かな未来を思い、其の後戦列に誰が残っているだろうかと考えてしまう。
「こんなことを考えてはいけないと
目の縁に涙の薄い膜が張り始めてサガは急いで目元を拭う。拭い切れず零れた滴が真新しいワンピースに落ちると同時に、涙で濡れたサガの左手を掴みケーニッヒは自身に向かって強く引いた。体勢が崩れ掛けたサガを其のまま強引に立ち上がらせると自身の胸に閉じ込めるように抱き締める。
「───私、アルコールの力を借りなければ話せないことがあるのです」
大人しく腕の中に収まる彼女は声を震わせまいと小さく口を開け、悲痛な声を絞り出して言葉を紡ぐ。
「…中尉殿を喪うのが怖い」
「俺も少尉を喪いたくない」
「
「其れ以上先に言われてしまうと俺の立場がないな…」
抱き締める腕を緩やかに解いた後、ケーニッヒはサガの左手を手に取り自身の口元に持っていくと、華奢な薬指に口付けを落とす。
驚いて顔を上げた彼女の瞳は瞬き一つで今にも零れ落ちてしまいそうな程涙で濡れ、嗚咽を押し殺してケーニッヒの言葉を待つ。
「最期まで傍に居て遣れないかもしれない」
「私も、貴方より先に逝かないと約束は出来ないですよ」
「───ならせめて、サガの泣く回数が増えることがないよう努力はさせてくれ」
彼女を前にして初めて名を呼ぶと、澄んだ瞳がぱちぱちと大きく瞬きをして、一粒の雫がぽろりと零れ落ちる。
サガの濡れた目元を拭って遣ると、彼女は頬を朱に染めて困ったような表情を浮かべ、こくりと小さく頷いた。
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