幼女戦記(名前変換)
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(アニメ5話軸ダキア侵攻前203大隊駐屯地にて)
2.髪が絡む話
最近感じる妙な視線。
それは刺さるというよりも春の陽射しのような、それでいてどこか憂いを秘めた緋い瞳が此方に向けられる度に身体の何処かがざわりと揺さぶられる奇妙な感覚に陥らせた。
それも発信源の人物にとっては普段通りの何気ない仕草の一つとして自己完結をしているみたいなのだが、その視線を送られる人間にとっては、こう幾度も目で追われては気が付かないはずもなく。
「少尉、俺に何か用か」
話し掛けられると思っていなかっただろう彼───サガ・ベルイマン少尉はびくっとその細い肩を震わせた。
「っあ、いえ。その、特別用があった訳ではないのですが…」
「嘘をつけ。気付いてないと思ったのか」
言葉を濁す少尉の正面の椅子に腰かける。
軍部の人間の態度としてこれは如何なものかと思うけれど、デグレチャフ少佐の『あの選抜過程』を突破した人物なのだから、その実力は疑う余地なく精鋭の部類に属する。まあ、彼女についていえば元は衛生魔導兵科出身という帝国内でも奇特な経歴の持ち主であるから、周囲の者とは少し毛色が違うというのも頷ける。転科に関しては過去に一悶着あったそうだが、航空魔導師として東部軍に配属される以前のことであるので詳しい事情はケーニッヒでも把握していなかった。
それでも、衛生魔導師の基準をクリアしているだけにその潜在魔力量は膨大で、継戦能力も高くスタミナ切れしているところはみたことがない。ただ他の者と比べるとやや保守的であるというか、強固な防殻を展開出来る割には攻撃面では火力が周囲の者よりやや劣るといった印象を受ける。
(これについてはデグレチャフ少佐・中隊長級の認識は一致していると考えて良い)
ヴァイス中尉指揮下にある彼女とはあまり個人的な会話をする仲ではないが、自己主張が強い人間ではないことは理解していた。(先天性の容姿が基因しているらしいがそれはそんなにも疎ましく感じるものだろうか、と疑問に思う。薄色の銀髪も、瞳の緋も、本人が悲観する程では無いと思うし、先日間近に感じた彼女はあんなにも───………。いや、思い出すのは止めておこう。あれは単なる事故だった。髪をおろした彼女がいとけなく思えたのも、去り際に耳まで赤く染めていたのも気のせいに違いない、多分)
……先日の一件からお互いに少々の気不味さを感じていたのは事実。それを考慮しても先程話し掛けてからこうして俺が思案している間にも会話が膠着状態になるというのは想定していなかった。
軍務であれば今すぐここで上官に対する態度を咎めても良いのだが、本件については俺自身の興味本位から問い質したものであるから、取り敢えずのところは彼女が口を開くのを待ってやるべきなのだと思う。
「一つ断りを入れておくがこれは上官命令ではない。単なる興味本位だよ。
貴官が言いにくいと思うことであれば無理に問い質そうとはしない」
「………すこし、心の整理をさせて頂けますか」
応える意志はある。が、言葉に芯が通った言葉を紡ぐ傍らで、彼女の表情は未だに乱れていた。
緊張と羞恥が入り混じり、涙で滲んだ瞳からは何かの拍子に滴が零れ落ちてしまう、そんなところまで迫っている。
(衆人環視に近いこの場で彼女に尋問めいたことを強いたのは流石に酷であったか)
ケーニッヒにとって女性を泣かせるということは特段珍しいことでは無かった。女性に関しては一人に執着したりせずそして去る者は追わない主義であるから、『慣れている』といえば聞こえは悪いだろうが、結果は同じことであった。だがしかし、目の前の相手は女性であるがそれと同時に共に死地を駆ける大事な部下の一人でもある。
(───最近感じたあの視線。気にはなるがこれ以上は流石に無理、か)
「悪い、邪魔したな」
『ガタリ』
ケーニッヒが諦めて椅子を引き立ち上がろうとした矢先、右腕に軽い抵抗感を覚える。違和感の先に視線を向けるとケーニッヒの軍服の右裾をベルイマン少尉が掴んでいた。椅子から腰を浮かせ、少し身を机に乗り出している。
「お待ちください、中尉殿!」
俯いたまま軍服の裾を掴む少尉の指先は震えている。
「ご無礼を承知で申し上げます!」
裾を掴んでいた指先がゆっくりと離れる。耳に届くこえが、ふるえている。ぱっと顔あげたベルイマン少尉の両眼は潤み、その白い頬をわずかに紅潮させていた。
「あのっ!!………髪、っを、結わせて頂けないでしょうかっ」
「……………………は?」
『ぐほぁっ』
刹那訪れた静寂を切り裂いたのは、近くで聞き耳をたてていたグランツ少尉が代用珈琲を盛大に吹き出す音であった。彼は俯いた姿勢のままげほげほと苦しそうに咳き込み、珈琲杯は中身を撒き散らしながらテーブル上を転がっていく。一人騒がしいグランツのせいもあって士官食堂内にいる面々の視線を一気に浴びることとなる。
「ケーニッヒ中尉の御髪が、とてもお綺麗です、のでっ、───是非、触らせて頂けたらと...」
かく言う俺は、ベルイマン少尉の予想外の申し出に言葉を失っていた。淡い期待を全く持っていなかったといえば正直嘘になる。いや、でも少しでも期待をしていた自分が浅はかだったと後悔せざるを得ない。
(熱っぽい視線を向けられていた理由はこれだったのか!)
思わず頭を抱えた右手を下ろし彼女の表情を盗み見ると、ベルイマン少尉は頬を紅潮させ潤んだ瞳のままでこちらの言葉をただじっと待っている。
───いや、これはもしかして期待している?
「いや、なんだ、正直髪を惚められるとは思っていなかった」
「軍内でも長髪の方はあまりおりませんし、特に男性でそこまでお綺麗な髪をしていらっしゃる方は初めてです」
『自信をお持ちになって良いと思います!』
ベルイマン少尉は右拳をグッと握り先程の態度と打って変わって力強く断言した。
先程盛大に咳き込み漸く回復の兆しがみえ始めていたはずのグランツ少尉が、再び『うっ』と低い呻き声を発した。彼は今日一日で自身の気管支に相当な負荷を掛けている。この後の飛行訓練で支障が出ないか心配になるレベルだが大丈夫なのか?
そんなグランツの惨状には目もくれず、目の前のベルイマン少尉は秘めていた思いを告白できたことで、少しすっきりしたような晴れやかな顔つきになっている。
そもそも自分が少尉に問い質したのだ。
この会話の帰着点は自分が握っている。
ここはもう応えないわけにはいかない。
腹を、腹を括れ。
「.........触ってみるか?」
『ざわっ』
瞬間、士官食堂内がどよめく。ここにいる連中の殆どが自分たちの一連の会話に聞き耳をたて動向を窺っていた。目の前のベルイマン少尉を除いては。
「宜しいのですかっ!?ありがとうございます中尉殿っ!」
俺の言葉を聞いてぱああっと光が差すような顔したベルイマン少尉は長机から上体を乗り出して曇りのない笑顔を向ける。ま、眩しい。『今宿舎から櫛をお持ち致しますのでこちらでお待ちいただけますか?直ぐに戻りますのでっ!』言早にそれだけ伝えると、びしっと非の打ち所の無い綺麗な敬礼をして駆け足で食堂を後にした。
彼女が去った後、食堂内の男連中が冷やかしに自分の周囲に集まってきていた。
「中尉殿残念だったでありますな~」
「いや~あの態度は期待して当然だろ」
「肩透かしというか全く少尉も罪な女だよな」
「あんな視線向けられてみてー」
「お前ら…」
好き勝手言う同僚達を諫めようとした時、廊下から駆け足でこちらに向かってくる軽い足音が近づいてくるのに気が付いて身体が突然の虚脱感に苛まれた。もうどうにでもなれ。
「お待たせ致しました!」
声と息を弾ませて食堂に戻ってきた少尉の胸には櫛や髪紐が入っているだろう籠が大事そうに抱えられている。
「では中尉殿宜しくお願い致します」
籠を抱えたままぺこりとお辞儀をして顔をあげた彼女の表情は本当に嬉しそうで。
(ああ言ったからには断るつもりはないが…こう善意剥き出しで来られると気恥ずかしいな)
久しく忘れていたこそばゆい感覚。ここ数日感じていた視線とはまた違った其れに、柄にも無く動揺している自分に気付いてしまっている。
「髪紐は取った方が良いか?」
「失礼でなければ 私が」
「ああ頼む」
「では失礼致しますね」
髪紐を中心に結い上げた髪を左手で少し持ち上げ、空いた右の指先で髪紐に触れる。人差し指を輪になっている一線に差し込み、爪の根元あたりまでに下げ入れたところで、中指で軽く押さえ、すっと真後ろに引かれる。纏まっていた髪はゴム製の髪紐の支えを失いぱさりと音をたてて下方へ流れていく。
背後にいる少尉は ひとつ、はぁっと熱っぽい息を吐いた。
(まだ髪を解いただけだ.....)
落ち着け、彼女のペースにのってどうする。
彼女は右手に持っていた髪紐をテーブルに置き、櫛に持ち替えている。左手で髪を拾い上げ、そのままゆるゆると梳かし始める。彼女は時折小さくあの熱っぽい息を吐くだけで言葉を発さない。士官食堂内は妙な静けさを保っている。沈黙がくすぐったいというか気恥ずかしい。なにか、何か会話を。
「───っベルイマン少尉、一つ聞いても良いか」
「はい、何でしょうか」
「他人の髪を触って楽しいものなのか」
「失礼ながらとっても楽しいです」
本人は気が緩んでいるのかいつもよりも少し砕けた口調で話す。
「時々ヴィーシャ、…セレブリャコーフ少尉のも触らせて貰っているのですが、彼女は髪を結いませんし…。ああ、それにデグレチャフ少佐にも一度お願いをしたことがあるのですが断られてしまいました」
「!?ベルイマン少尉は意外と怖いのも知らずというか…あの少佐殿にそのような頼み事をするとは…豪気だな」
「欲求が溜まっていたのでしょうね、ですから態度に出てしまったのでしょう。すみません、中尉殿にこのようなお願いをしてしまって」
しゅんと申し訳なさそうな声色で謝られる。彼女は一体今どんな表情をしているのであろうか。今の自分の置かれた状況が状況だけに彼女の顔を見ることが叶わないことが酷く残念に思えた。
「はい、終わりました」
綺麗に纏められた髪が彼女の手から離れる。
「ありがとうございました中尉殿」
少尉は敬礼ではなく深々と頭を下げる。
「ああ、少しは気は晴れたか?」
「ええ、とても」
顔をあげた少尉は首を少し横に傾け照れたように微笑んだ。
「へえ、見事なものだな。髪に艶が出たなケーニッヒ」
一連の様子を観察していたヴァイス中尉が二人に声を掛ける。
(あんたも外野で楽しんでたクチだろ…)ベルイマン少尉に悟られないようヴァイス中尉に睨みをきかせると『今度は邪魔しちゃ悪いと思って』と飄々とした口振りで全く意に介して貰えない。違う、そういうことじゃない。
「あら。ヴァイス中尉殿ももう少し髪が伸びましたら是非」
緋色の瞳に艶やかな光が宿る。……ベルイマン少尉の次の標的はヴァイス中尉に定まった(と俺は感じた)
「いや、俺は癖があるからこれ以上は伸ばせないんだ。悪いな少尉」
「───そうですか。残念です」
「ちょっと待て少尉、ちっとも残念じゃなさそうだが」
「ふふ、そうでしょうか」
「ヴァイス中尉も気を付けて下さいよ。少尉のこの眼、多分諦めていないヤツです」
「そうだろうな。顔をみれば分かる」
口元を抑えて小さく笑っていたベルイマン少尉は『どうしてお分かりになられたのですか』とへにゃりと表情を崩した。
そんな3人を遠巻きにしていた士官の輪から
「俺も髪のばしてみようかな…」
そんな呟きが零れ、喧噪を取り戻した食堂内に消えていった。
2.髪が絡む話
最近感じる妙な視線。
それは刺さるというよりも春の陽射しのような、それでいてどこか憂いを秘めた緋い瞳が此方に向けられる度に身体の何処かがざわりと揺さぶられる奇妙な感覚に陥らせた。
それも発信源の人物にとっては普段通りの何気ない仕草の一つとして自己完結をしているみたいなのだが、その視線を送られる人間にとっては、こう幾度も目で追われては気が付かないはずもなく。
「少尉、俺に何か用か」
話し掛けられると思っていなかっただろう彼───サガ・ベルイマン少尉はびくっとその細い肩を震わせた。
「っあ、いえ。その、特別用があった訳ではないのですが…」
「嘘をつけ。気付いてないと思ったのか」
言葉を濁す少尉の正面の椅子に腰かける。
軍部の人間の態度としてこれは如何なものかと思うけれど、デグレチャフ少佐の『あの選抜過程』を突破した人物なのだから、その実力は疑う余地なく精鋭の部類に属する。まあ、彼女についていえば元は衛生魔導兵科出身という帝国内でも奇特な経歴の持ち主であるから、周囲の者とは少し毛色が違うというのも頷ける。転科に関しては過去に一悶着あったそうだが、航空魔導師として東部軍に配属される以前のことであるので詳しい事情はケーニッヒでも把握していなかった。
それでも、衛生魔導師の基準をクリアしているだけにその潜在魔力量は膨大で、継戦能力も高くスタミナ切れしているところはみたことがない。ただ他の者と比べるとやや保守的であるというか、強固な防殻を展開出来る割には攻撃面では火力が周囲の者よりやや劣るといった印象を受ける。
(これについてはデグレチャフ少佐・中隊長級の認識は一致していると考えて良い)
ヴァイス中尉指揮下にある彼女とはあまり個人的な会話をする仲ではないが、自己主張が強い人間ではないことは理解していた。(先天性の容姿が基因しているらしいがそれはそんなにも疎ましく感じるものだろうか、と疑問に思う。薄色の銀髪も、瞳の緋も、本人が悲観する程では無いと思うし、先日間近に感じた彼女はあんなにも───………。いや、思い出すのは止めておこう。あれは単なる事故だった。髪をおろした彼女がいとけなく思えたのも、去り際に耳まで赤く染めていたのも気のせいに違いない、多分)
……先日の一件からお互いに少々の気不味さを感じていたのは事実。それを考慮しても先程話し掛けてからこうして俺が思案している間にも会話が膠着状態になるというのは想定していなかった。
軍務であれば今すぐここで上官に対する態度を咎めても良いのだが、本件については俺自身の興味本位から問い質したものであるから、取り敢えずのところは彼女が口を開くのを待ってやるべきなのだと思う。
「一つ断りを入れておくがこれは上官命令ではない。単なる興味本位だよ。
貴官が言いにくいと思うことであれば無理に問い質そうとはしない」
「………すこし、心の整理をさせて頂けますか」
応える意志はある。が、言葉に芯が通った言葉を紡ぐ傍らで、彼女の表情は未だに乱れていた。
緊張と羞恥が入り混じり、涙で滲んだ瞳からは何かの拍子に滴が零れ落ちてしまう、そんなところまで迫っている。
(衆人環視に近いこの場で彼女に尋問めいたことを強いたのは流石に酷であったか)
ケーニッヒにとって女性を泣かせるということは特段珍しいことでは無かった。女性に関しては一人に執着したりせずそして去る者は追わない主義であるから、『慣れている』といえば聞こえは悪いだろうが、結果は同じことであった。だがしかし、目の前の相手は女性であるがそれと同時に共に死地を駆ける大事な部下の一人でもある。
(───最近感じたあの視線。気にはなるがこれ以上は流石に無理、か)
「悪い、邪魔したな」
『ガタリ』
ケーニッヒが諦めて椅子を引き立ち上がろうとした矢先、右腕に軽い抵抗感を覚える。違和感の先に視線を向けるとケーニッヒの軍服の右裾をベルイマン少尉が掴んでいた。椅子から腰を浮かせ、少し身を机に乗り出している。
「お待ちください、中尉殿!」
俯いたまま軍服の裾を掴む少尉の指先は震えている。
「ご無礼を承知で申し上げます!」
裾を掴んでいた指先がゆっくりと離れる。耳に届くこえが、ふるえている。ぱっと顔あげたベルイマン少尉の両眼は潤み、その白い頬をわずかに紅潮させていた。
「あのっ!!………髪、っを、結わせて頂けないでしょうかっ」
「……………………は?」
『ぐほぁっ』
刹那訪れた静寂を切り裂いたのは、近くで聞き耳をたてていたグランツ少尉が代用珈琲を盛大に吹き出す音であった。彼は俯いた姿勢のままげほげほと苦しそうに咳き込み、珈琲杯は中身を撒き散らしながらテーブル上を転がっていく。一人騒がしいグランツのせいもあって士官食堂内にいる面々の視線を一気に浴びることとなる。
「ケーニッヒ中尉の御髪が、とてもお綺麗です、のでっ、───是非、触らせて頂けたらと...」
かく言う俺は、ベルイマン少尉の予想外の申し出に言葉を失っていた。淡い期待を全く持っていなかったといえば正直嘘になる。いや、でも少しでも期待をしていた自分が浅はかだったと後悔せざるを得ない。
(熱っぽい視線を向けられていた理由はこれだったのか!)
思わず頭を抱えた右手を下ろし彼女の表情を盗み見ると、ベルイマン少尉は頬を紅潮させ潤んだ瞳のままでこちらの言葉をただじっと待っている。
───いや、これはもしかして期待している?
「いや、なんだ、正直髪を惚められるとは思っていなかった」
「軍内でも長髪の方はあまりおりませんし、特に男性でそこまでお綺麗な髪をしていらっしゃる方は初めてです」
『自信をお持ちになって良いと思います!』
ベルイマン少尉は右拳をグッと握り先程の態度と打って変わって力強く断言した。
先程盛大に咳き込み漸く回復の兆しがみえ始めていたはずのグランツ少尉が、再び『うっ』と低い呻き声を発した。彼は今日一日で自身の気管支に相当な負荷を掛けている。この後の飛行訓練で支障が出ないか心配になるレベルだが大丈夫なのか?
そんなグランツの惨状には目もくれず、目の前のベルイマン少尉は秘めていた思いを告白できたことで、少しすっきりしたような晴れやかな顔つきになっている。
そもそも自分が少尉に問い質したのだ。
この会話の帰着点は自分が握っている。
ここはもう応えないわけにはいかない。
腹を、腹を括れ。
「.........触ってみるか?」
『ざわっ』
瞬間、士官食堂内がどよめく。ここにいる連中の殆どが自分たちの一連の会話に聞き耳をたて動向を窺っていた。目の前のベルイマン少尉を除いては。
「宜しいのですかっ!?ありがとうございます中尉殿っ!」
俺の言葉を聞いてぱああっと光が差すような顔したベルイマン少尉は長机から上体を乗り出して曇りのない笑顔を向ける。ま、眩しい。『今宿舎から櫛をお持ち致しますのでこちらでお待ちいただけますか?直ぐに戻りますのでっ!』言早にそれだけ伝えると、びしっと非の打ち所の無い綺麗な敬礼をして駆け足で食堂を後にした。
彼女が去った後、食堂内の男連中が冷やかしに自分の周囲に集まってきていた。
「中尉殿残念だったでありますな~」
「いや~あの態度は期待して当然だろ」
「肩透かしというか全く少尉も罪な女だよな」
「あんな視線向けられてみてー」
「お前ら…」
好き勝手言う同僚達を諫めようとした時、廊下から駆け足でこちらに向かってくる軽い足音が近づいてくるのに気が付いて身体が突然の虚脱感に苛まれた。もうどうにでもなれ。
「お待たせ致しました!」
声と息を弾ませて食堂に戻ってきた少尉の胸には櫛や髪紐が入っているだろう籠が大事そうに抱えられている。
「では中尉殿宜しくお願い致します」
籠を抱えたままぺこりとお辞儀をして顔をあげた彼女の表情は本当に嬉しそうで。
(ああ言ったからには断るつもりはないが…こう善意剥き出しで来られると気恥ずかしいな)
久しく忘れていたこそばゆい感覚。ここ数日感じていた視線とはまた違った其れに、柄にも無く動揺している自分に気付いてしまっている。
「髪紐は取った方が良いか?」
「失礼でなければ 私が」
「ああ頼む」
「では失礼致しますね」
髪紐を中心に結い上げた髪を左手で少し持ち上げ、空いた右の指先で髪紐に触れる。人差し指を輪になっている一線に差し込み、爪の根元あたりまでに下げ入れたところで、中指で軽く押さえ、すっと真後ろに引かれる。纏まっていた髪はゴム製の髪紐の支えを失いぱさりと音をたてて下方へ流れていく。
背後にいる少尉は ひとつ、はぁっと熱っぽい息を吐いた。
(まだ髪を解いただけだ.....)
落ち着け、彼女のペースにのってどうする。
彼女は右手に持っていた髪紐をテーブルに置き、櫛に持ち替えている。左手で髪を拾い上げ、そのままゆるゆると梳かし始める。彼女は時折小さくあの熱っぽい息を吐くだけで言葉を発さない。士官食堂内は妙な静けさを保っている。沈黙がくすぐったいというか気恥ずかしい。なにか、何か会話を。
「───っベルイマン少尉、一つ聞いても良いか」
「はい、何でしょうか」
「他人の髪を触って楽しいものなのか」
「失礼ながらとっても楽しいです」
本人は気が緩んでいるのかいつもよりも少し砕けた口調で話す。
「時々ヴィーシャ、…セレブリャコーフ少尉のも触らせて貰っているのですが、彼女は髪を結いませんし…。ああ、それにデグレチャフ少佐にも一度お願いをしたことがあるのですが断られてしまいました」
「!?ベルイマン少尉は意外と怖いのも知らずというか…あの少佐殿にそのような頼み事をするとは…豪気だな」
「欲求が溜まっていたのでしょうね、ですから態度に出てしまったのでしょう。すみません、中尉殿にこのようなお願いをしてしまって」
しゅんと申し訳なさそうな声色で謝られる。彼女は一体今どんな表情をしているのであろうか。今の自分の置かれた状況が状況だけに彼女の顔を見ることが叶わないことが酷く残念に思えた。
「はい、終わりました」
綺麗に纏められた髪が彼女の手から離れる。
「ありがとうございました中尉殿」
少尉は敬礼ではなく深々と頭を下げる。
「ああ、少しは気は晴れたか?」
「ええ、とても」
顔をあげた少尉は首を少し横に傾け照れたように微笑んだ。
「へえ、見事なものだな。髪に艶が出たなケーニッヒ」
一連の様子を観察していたヴァイス中尉が二人に声を掛ける。
(あんたも外野で楽しんでたクチだろ…)ベルイマン少尉に悟られないようヴァイス中尉に睨みをきかせると『今度は邪魔しちゃ悪いと思って』と飄々とした口振りで全く意に介して貰えない。違う、そういうことじゃない。
「あら。ヴァイス中尉殿ももう少し髪が伸びましたら是非」
緋色の瞳に艶やかな光が宿る。……ベルイマン少尉の次の標的はヴァイス中尉に定まった(と俺は感じた)
「いや、俺は癖があるからこれ以上は伸ばせないんだ。悪いな少尉」
「───そうですか。残念です」
「ちょっと待て少尉、ちっとも残念じゃなさそうだが」
「ふふ、そうでしょうか」
「ヴァイス中尉も気を付けて下さいよ。少尉のこの眼、多分諦めていないヤツです」
「そうだろうな。顔をみれば分かる」
口元を抑えて小さく笑っていたベルイマン少尉は『どうしてお分かりになられたのですか』とへにゃりと表情を崩した。
そんな3人を遠巻きにしていた士官の輪から
「俺も髪のばしてみようかな…」
そんな呟きが零れ、喧噪を取り戻した食堂内に消えていった。
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