幼女戦記(名前変換)
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「貴官がベルイマンを甘やかしている様は目に余る」
「少佐殿?あの…全く話が見えないのですが」
少佐殿が食事を終えられるタイミングでお替りの珈琲をお持ちして、杯と入れ替えに昼食のトレーを片付けようと手を伸ばしかけた時、突然声を掛けられたと思えば、彼女にとっては部下の、私にとっては同僚のサガを『甘やかしている』という謎の指摘を受けた。
(私がサガを甘やかす?どちらかと云えば私が彼女に甘やかして貰っている方では?)
デグレチャフ少佐が発した言葉が逆の意味を示すものであったならそれは自分でも自覚するところではあるのだが、彼女の指摘は『私』が、『サガ』を、『甘やかしている』というものだった。
…どういう意味だ。思い当たる節が全く無い。
続けてどう回答すべきかと疑問符を浮かべて考え込んでいると、少佐殿は白い陶器の珈琲杯を軽く揺らし、随分と態とらしい大袈裟な溜息を一つ溢した。
「気にするな、先程のは他愛無いただの独り言だよ。
…少々、羨ましいと感じただけだ」
「はぁ…」
一向に話が見えて来ないので思わず気の抜けた返事が口から漏れてしまう。
こちらの返答を待たず独り自己完結をしてしまった少佐殿は先程ご自身が振った話題には既に関心が失せてしまったのか、食後の珈琲ブレイクを静かに再開している。
私とサガの間に少佐殿が『羨ましい』と思われることがあっただろうか。
サガは歳の近い同性の同僚。特殊な職場ではあるけれど其れを抜きにしても良好な友人関係を築けている。
……もしかしてデグレチャフ少佐殿は女性同士の交友関係を望まれている?
『いやまさか少佐殿に限ってそんな…』と浮かんだ安直な考えは直ぐに打ち消してみるも、彼女の少々呆れたような物言いと併せて脳内を占める疑問符は更に数を増していく。
(喉元まで出掛かっているような気がしないでも無いけれど、今の少佐殿に訊くのも何だか悪いし…)
本日お淹れした珈琲は代用珈琲では無くターニャの隠し財産から捻出した正真正銘の『珈琲』である。根っからの珈琲党である彼女秘蔵の豆を使用したということだけあって、部屋中を満たす芳醇な香りを鼻で愉しみ、束の間の余暇に浸る上機嫌の上司の邪魔をしたくはなかった。
あぁそう言えば今日の昼食は珍しく残さずにしっかりと摂られたんだなあ、と今日のメニューを思い出しながら空の皿を眺めると、…『ぐぅ』、腹の虫が音を立ててヴィーシャの胃が空腹を訴え始めた。
下膳ついでに私もお昼を頂いて来よう。
折角の温かい食事だし楽しみだなぁ。今日のメニューはアイントプフとK-Brot…
「あ」
喉につかえていた疑問符がすとんと音を立てて内臓に落ちた。
(もしかしてそういうこと)
+++++
鈍色にくすんだトレーに鎮座する糧食を眺めて彼是五分は経過しただろうか。
サガ・ベルイマン航空魔導少尉は幼年学校時代から自分を苦しませ続けている難敵と相対していた。フォークの柄を握り込んだままの右拳を額に押し当てると、今まで堪えて来た溜息がつい零れ落ちてしまう。
―――自分の行儀が悪いことは重々承知している。実家に居た頃に叩きこまれた作法は軍属になってからも規則と慣習から逸脱しない程度に遵守して来たつもりであったのだが、人目も憚らずに此のような無作法が食事の場で態度として現れてしまうとは。
身体と思考の乖離――――今の彼女は自身が自覚している以上に相当追い詰められていた。
一日の内で唯一『温かい食事』にありつける昼食。
我々第二〇三航空魔導大隊は帝国の切り札とも言える作戦に従事する(…と云えば聴こえは良いだろうが、少なくとも体よく酷使されているとサガ自身も自覚している)参謀本部直轄の遊撃部隊だ。例え昼食だろうとレーションや携帯食糧等の『冷たい食事』が当たり前の日々を過ごしている。
だから、なのであろうか。
今回駐在することになった本駐屯地では、我々への歓迎の意を含めてか方面軍のご厚意で『温かい食事』が用意された。
ごく一般的でごく庶民的な料理代表の『アイントプフ』。
しかし所謂戦時仕様の時化た具材では無い。ソーセージ・ジャガイモ・人参・玉葱・セロリ・レンズ豆…各人が己の家庭で食してきたであろう真面な具材が、小さく刻み過ぎた所為か将又煮込み過ぎた所為かほぼ液体状となる、……ということも無くその姿形をありありと見せ付けた上でトマトベースのスープと程良く絡み合っている。仕上げには上からパセリを散らしてあるところをみると、料理に一家言のある者が本駐屯地の糧食部隊に紛れ込んでいるようだ。
味もまずまず。寧ろ帝国の貧しい食糧事情を考えれば上等の部類の味であることは間違いない。
だからこそ声を大にして物申したい。
(何故、どうしてパセリなんかに予算を割いたのですか―――!!)
勿論其れを口に出すことはしなかった。が、声に出さない分、やり場の無い憤りは右拳に握るフォークを一層締めあげることに向けられた。『…ギリッ』か細く悲鳴をあげる金属音が耳に届く。手の平に感じるフォークの柄が僅かばかり歪んだ気がする。……気のせいでしょう。うん。
因みにここで一つ弁明しておくが、パセリそのものも、栽培農家も否定するつもりも微塵もない。パセリに罪はない。
そう、問題はそこではないのだ。
名も姿も知らぬ糧食部隊員、若しくはパセリの申請を許可した上官に問い質したい。
帝国の抱える食糧事情を鑑みて何故にここでパセリ。
この期に及んでパセリに拘るくらいなら製パン中隊に予算を回すべきであろう。
カテゴライズは同じ食材である筈の予算が適切に分配されないのか。何故…どうして。
視線を遮っていた右手をずらし、再び配膳トレーを見下ろす。
アイントプフの横には何処へ行こうと変わらぬ姿の――K-Brotがサガに向かってその存在を主張し続けていた。
温かいスープとご相伴しようとK-BrotはK-Brot。
実家に居た頃は口にしたことも無かったこの味、幼年学校で衝撃の出逢いをしてから現在に至るまで其れなりの付き合いは長い筈であるのに、分かりあえるどころか一方的に味覚の暴力を振るわれ続けている。
しかもこのK-Brot、昨今の帝国内の食糧事情が悪化するに連れて、嵩増しのじゃがいも粉の割合が高まってきているとの噂を耳にする。自分の舌と相容れないこの存在は、此方が日々歩み寄る努力を続けているというのに、其れを嘲笑うかのように悪魔的に進化を遂げ続けている、ときた。
たかがパン一つでこんなに思い悩むなんて馬鹿げていると思われるだろうが、衛生魔導師時代に痛切に感じた自分の存在意義と、デグレチャフ少佐の例の大隊選抜訓練、其れ等の苦い記憶が現在進行形で自分を苦しめているという点では同列に思えてしまう程、今のサガは追い詰められていた。
(携帯食糧が食べたいなぁ…)
ビスケットでも無くここへ来て高カロリーが取り柄だけの固形燃料のような物体が恋しくなるとは。
唯一の楽しみが食事という仲間も沢山居るけれど、サガにとっては其れを楽しむ余裕は無かった。
彼女とっては戦場を生きる上での一番の敵は食事なのかもしれない。
+++++
(今日はもう入らない…)
先程から更に五分が経過。目の前の糧食は僅かに体積を減らすことには成功したものの胃は既に限界を迎えていた。
本日のサガの舌は『奴』を、…K-Brotを受け付けないばかりか上等なアイントプフすらも拒んでいるのである。元々小食の部類ではあるのだが、こうも食事が進まないと目の前の糧食がデコイ干渉を受けているとすら思えてくる。魔術であれば対抗術式で打ち破れるのだが、相手は実体を持つただの有機物。つまりこれは光学術式でもなんでもない、ただの現実に過ぎない。
(全く、何を馬鹿げたことを考えているのでしょうか私は…)
漸く必要とされる場所を手に入れたといのに、身体が資本の軍人がまともに食事も摂れず、挙句の果てに直面すべき現実から目を背けて幻覚だ何だと見当違いな思考に陥るなんて。嗚呼、なんとも惨めなことか。
自分の胃の小ささと、それ以上に舌が受け入れられないその味―――目の前のK-Brotを恨めしく思った。
+++++
士官食堂天幕を潜り、空いた席を探して視線を漂わせると、物々しいオーラを纏いながら糧食トレーを睨みつけている同僚の姿が目に留まった。決して広い空間ではない食堂で彼女の前後左右は一席ずつ間が空けられている異様な空気に、ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ航空魔導少尉は呆れたような溜息を一つ溢すと、悲観した瞳で殺気を放つ彼女の正面の席に腰を下ろした。
「サガ、落ち着いて。『また』負のオーラが出てる」
「私だって出したくて出してるわけじゃ…っ!」
『がたんっ』
サガがフォークを握りしめたままの拳でテーブルを強めに叩いた。トレーの上ではすっかり冷めてしまっているアイントプフと、彼女の宿敵――K-Brotが僅かに跳ねる。
(おお、めずらしく荒れてるなぁ)
普段の大人しい彼女を知る者からすれば、こんなにもお行儀の悪い態度を取る彼女の姿は意外過ぎるかもしれない。
どちらかと言えば、『なんて忌々しいK-Brot。今すぐその身にフォークを突き立ててやりたい』とでも言わんばかりの明確な殺意を滲ませている方が問題なのだが。
現にほら、少し離れた席から此方の様子を窺っているグランツ少尉が怯えているではないか。
同じ第二中隊所属で、小隊単位でも行動を共にするサガの様子がおかしいことに気が付いてはいたようだが、あんなに殺気立った彼女に声を掛けることは出来なかったのだろう。無理もない。優しくて穏やかな先任将校(それこそ階級は同じだけれども)がこんなにも分かり易く負の感情を露わにしていたら普通は委縮する。
私はそんな彼女を目撃するのは今回が初めてじゃないし、見慣れた…まではいかないけれど『荒れている』と一口に云っても彼女の荒れ方の程度は無害な部類であるから然して驚くことは無かった。彼女の負の感情の矛先が人間に向けられることはまず無いのだから。
普段の彼女とのギャップのせいで気圧されるのは致し方無いこととして。
「時間が経ったら食べれそうなの?」
ヴィーシャは目の前の彼女に割り当てられたトレーの上ですっかり冷めてしまったアイントプフと常温のK-Brotを眺めて問うた。
「…初めに手が止まってから十分は経過しました」
視線を膝に落とし力無く答えたサガは、固く握りしめていたフォークを緩く持ち直した。一応、食べようとする意思はあるらしい。
彼女は表情を引き攣らせて、湯気が立ち上る手付かずの糧食トレーを前に此方の行動を待っているセレブリャコーフ少尉を見上げた。
「ヴィーシャ、まだお腹に余裕あったりする?」
「見ての通り今から食事なんだけど…」
「そっか…、そうだよね…」
彼女の緋色の瞳が僅かに揺らいで、ゆっくりと瞬きを一つした後に、いつものように困ったような顔でへらりと笑った。
「そうだよね。ちゃんと、食べなきゃ」
下がり眉で痛々しく笑う彼女はフォークを持つ右手をきゅっと小さく握り直す。微かに震えている指先を落ち着かせるように手の平に爪を食い込ませて、出来るだけ平静を保とうと努めていた。
(嗚呼!御免なさいデグレチャフ少佐、私はこの友人を放って置くことが出来ません)
たかが食事にここまで悲壮感を出す彼女を目の前にして放っておけるものか、否、出来るはずがない。ヴィーシャ自身過去に何度か彼女から餌付けされていた自覚はあるし、逆に彼女を甘やかしていた自覚は無かったけれど、この事実気付いてしまったからには、何とか規定カロリーを摂って貰わなければ、と思って心を鬼にする、そういう気持ちを持って此処に来た訳だけど、無理です。耐えられません。
「待って!K-Brotは貰っちゃうから。…アイントプフくらいは頑張って食べてね?」
僅かに欠けたK-Brotをサガのトレーから攫う。ぱっと顔を上げた彼女の困惑の表情が、血が通っていくようにゆるゆると目元から赤く色付いていった。
「えっと、…本当に良いの?」
「うん。ごめんね、ちょっとだけ意地悪しちゃった」
本当は最初から喜んで貰っていたかったところなんだけど、デグレチャフ少佐の言葉を思い出して踏み止まっていたら、彼女が何でも無いように振る舞おうとする時の表情をするものだから―――『何処かの誰かさん』も良く気にされている、サガの困ったように笑うこの顔、実は私もとても弱かったりする。
良心の呵責に耐えきれず思わず助け船を出してしまったけれど、今回、今回だけですから。自分と、此処には居ない少佐殿にそう良い訳をして、漸く自分の食事に手を付ける。
目の前ではアイントプフにすら悪戦苦闘しているサガ。
(こっちも貰った方が良かったのかな。
―――やっぱり駄目だ。流石に此れは食べて貰わないと午後に支障を来すよなあ…)
戦闘時に魔力切れを起こして離脱する彼女は見たことが無いけども、この先無いとも言い切れない。この友人は非戦闘時でも日常的に衛生魔導を行使・救護の任に当たろうとして割と無茶なことをするから心配なのだ。
彼女の食事風景をぼんやりと眺めていると、銀糸の前髪が揺れるその向こうではぱちぱちと瞬きをする緋色の瞳が不思議そうに此方を覗き込んでいる。その瞳と視線が合うと彼女は目を細めて笑みを溢した。
「ふふ、ヴィーシャってば百面相ね」
端正な顔立ちがへらりと表情を崩した。『見ていて飽きないから、気が紛れて少しずつ食べられそう』と大変前向きなコメントも頂戴したが百面相とは失礼な。
「フォーク持って殺気立ってたサガの方が面白かったと思うけど…」
「え、そう?」
「サガの周囲だけ席空いていたし、グランツ少尉も怖がってた」
サガ本人が自覚する以上に異様な空気を放っていたことを指摘して怯えるグランツの真似をしてみせると、『あら、それは少尉に悪いことをしました』と然して気に留める様子も無くましてや彼に弁明をする訳でも無く、ただ淡々とコメントを述べた。
「ふ」「あはは」
どちらからともなく笑い声が漏れる。
女性士官二人の楽しげな声が食堂内を駆け抜けると、聞き耳を立てていたグランツ少尉が『ちょっと!お二人して小官を笑い者にしてないですか!?』と憤慨しながら二人の席に向かっていった。
+++++
「セレブリャコーフ少尉より先に声掛けてやれば良かったのに、なんで行かないかなあ」
言葉には出さないが『馬鹿なの?お前』と声色で伝わる様に言い咎めると、ケーニッヒは言い淀むように明後日の方角に顔を背けた。
「………あんな少尉の様子だと声は掛け辛いだろ」
食堂で彼女を見掛けた時本当は直ぐにでも声を掛けるつもりでいた。
だけど普段目にすることもない表情を彼女がしていたものだから、もう少しだけ其れを見ていたいと思ったのだ。
「お前も大分こじらせてるよな」
「ノイマン煩い」
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