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チャコペンの日常(リク

4-2 夜
彼女は歩いていた。夜も更け、辺りは電灯の光で照らされている。彼女は今日は散々な目にあった。その顔は疲労が目に見えてわかる。
腕に巻いていた腕章を外し、その場に捨てる。彼女にはそれはもう必要ないものだった。
「お嬢さん、落としましたよ。」
いつの間に後ろにいたのか、優しげな心地良いトーンの声が彼女にかけられた。
彼女はビクリと体を硬直させて一瞬固まった。すぐに平静を装おってゆっくりと後ろを振り向く。
一見中国人かと思える男がそこに立っていた。細い切れ長の目ではあるが、中性的な顔立ちで、青に近い長い黒髪をひとつに後ろに束ねた男だった。服は漢服のそれに近いが、世界中の人間が1つの国まで撤退を余儀なくされているこの時代では、異国民がいるのもおかしくはない。
長髪の男は、ニコニコと愛想のいい笑顔を浮かべながら手に持っていたものを自分の目の前までもって来る。
女性はそれが何か気付くと、背中に冷たい汗が伝った。
「"解放軍管轄補導員"....あ!補導員の人だったんだ。こんな夜遅くまでご苦労様ですー。勤務されてたんですか?」
彼の細い目は笑うと更に細くなり糸のような目になる。それが彼の愛想の良さを感じるところなのかもしれない。
「....え....ええ」
しかし彼女はその糸目がどこを見ているのかわからず思わず目をそらしながら、腕章を受け取ろうと手を伸ばす。
ひょいっと腕章が上に上がった。男が彼女の手が腕章を掴む前に上にあげたのだ。もう彼女では手の届かないところにある。
「勤勉ですねえ....そんな人間に使われてきたから僕達もある意味働き者だよねえ」
彼女は返してくれそうにない長髪の男はにいらいらしていて、男の呟いた言葉を聞き逃すところだった。
(....?)
男の発言に訝しげな表情を浮かべたが、男はそれに気づいているのかいないのか、そのまま話を続けた。
「もしかして、今の今まで誰かを家まで送ってたとか?」
「...え、ええまあ。そんなところです」
「へえ!無事に家まで届けられましたか?」
「....ええ」
何故ここまで追求してくるのだ。彼女の表情が訝しむものから警戒の色へと変わる。
「このご時世、まともじゃ生きられない人間が多いようで結構犯罪に手を染めてる連中も多いですからねえ。」
男の糸目がうっすらと開き、女性を捕らえた。
「ね、お嬢さんもそれを警戒してるんでしょう?」
「.....な...にを?」
「何をって面白いこと言いますねえ。人攫いですよ人攫い。」
またニコニコと笑顔に戻ると話に内容とは裏腹に陽気な喋り方で男は続ける。
「まあそういう輩がいるのをわかってて、子供を1人で歩かせる親なんてどうかしてますよねー?」
「....そう...ですね」
女性は、男から腕章を取り上げるのを諦めて踵を返した。
「貴方もくれぐれもお気をつけて。では私はこれで」
足早に去りうとした女性の背中にまた声が掛かる。
「お嬢さんは子供を騙して攫う連中をどう思います?」
「.....はい?」
「ですから〜人攫いをどう思いますかって」
「それは最低なことなんじゃないですか。当然でしょう。...もういいですか、こんな夜中にこれ以上しつこく絡んできたら貴方も不審者として通報しますよ。」
男のニコニコしたままの顔が見なくても感じることが出来る。
「あらら〜そういって僕が次の被害者になったらどうするんですか〜僕も家まで連れていってくださいよお」
男の薄い靴が地面をする音が聞こえる。女性は振り向かないまま言った。
「成人男性を心配するギリはありません。自分でどうにかできるでしょう」
そういって足早にその男から距離を離そうとした。

「ところで....双子の子供見なかった?」

「双子の子供...?」
彼女は男の細い目からの視線が背中に刺さるのが分かった。男が少し長めの前髪からのぞかせた細い眼光は蛇のそれと同じようだった。言わば、彼女は蛇に睨まれたカエル同様だ。
「そう、水色とピンクの珍しい髪と目をしているから、人攫いに狙われると思うんだよねえ。」
危機感を全く感じないゆるい口調に彼女の額に大量の汗がにじみ出た。
「見て...ないですね。それほど目立つ容姿なら見たら絶対覚えてますし....」
「そっかー。困ったなあ。もう競売にかけれてたりして〜」
困ったという割に生き生きとしたその口調はむしろ現状を楽しんでいるように感じた。
彼女は背後の明らかに異常な男から早く離れたい一心で、別れの挨拶がわりの小さな会釈をして、また歩を大股で進め____

「いくらだったんだい?うちの子は」

「!?」
いつの間にか真後ろの至近距離まで距離を詰めていたのか、急に男の声が耳元で聞こえた気がした。男の吐息が耳にかかる。気がしたのではない。いるのだ。すぐそこに。
彼女は振り向きざまに距離を取ろうと勢い良く後ろ振り向いた。
それと同時に女性の顔の真横にびぃんっと耳障りな甲高い風邪を切る音が冷たい気配とともに通った。その後すぐに彼女の頰に熱いものが伝う。先程までの冷や汗ではない。
「っ…!」
 長髪の男が剣というには細すぎる刃物を彼女の真横に向けていたのだ。ワザとずらしたことは明白だった。
 男は笑顔だった。しかし先ほどの愛想の良い笑顔とは全くの別物なのが分かる。細い目は開かれ、血のような暗い赤色がこの暗闇でも爛々と光っていた。
「うちの子がお世話になったみたいだね。」
「な…なんの話ですか?」
「補導員になりすますとは考えたものだねえ。その後仲間の人攫いと結託して襲われたふりをする…なるほど、確かにあんたは罪に問われず、こちら側の懐に入って嘘情報も流せるわけだ…」
「お、襲われたふりですって!?わ、私は確かに…」
 男が更に女性と距離を詰めて言った。
「俺はさ、色んな人間を処刑してるから知ってるんだ。人攫いが証人を残すわけないんだよ。まして女は利用価値がある」
 言っている意味がわかるかい?と優しげにきく。もはやその優しさは逆に恐怖しか与えていなかった。
「凌遅、もういいよ。」
 その時、後ろから声がした。彼女は助かったのかと一瞬安堵の表情を浮かべ、後ろを振り向いたがすぐに絶望した。
 薄い緑の髪で目を隠し、嫌にギザギザな針のような歯が目立つ男がそこに立っていた。だがその雰囲気は夜中の暗さも相まって不気味な雰囲気を纏っている。そして長い前髪がさらりと夜風に吹かれて揺れた時、少し見えた瞳は長髪の男と同じ、いやもっとギラついた赤い色をしていた。
 彼女はすぐ察すると同時に絶望した。彼もまた陵遅と呼ばれた男の仲間なのだと。
「口を割らないなら、さっさと割らせちゃってよ。精神的な苦痛はそれからでいいからさ。椿さんを待たせないで。」
「はーいはい。」
 凌遅は、彼女の顔の横に構えてた極細の剣を彼女の背中にあてがうと生き生きとして言った。
「ほらさっさと歩いて。うちのリーダー怒ると怖いからさ」
 女性は抗えずに緑髪の男の方へ歩く。緑髪の男はずっと笑みを浮かべたまま女性がすれ違うまで待って口を開いた。
抗ったほうが身の為だったのに…・・・・・・・・・・・・・・
 その言葉で彼女は何故かこの後自分の身に起こることを察した気がした。


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