鬼の嗤う夜

 姿が消えたところで、はぁーー、と深い溜め息が、亜紀にゃん先輩の口から零れた。

「何なんだあの子は……メンタル強すぎる……」

 ドアに手を付き、どっと押し寄せた疲れでふらつく身体を支える亜紀にゃん先輩。
 確かに、すげぇよ彼女。

 亜紀にゃん先輩の言い分によれば、赤松さんはもうふられてるんだそうだ。
 でも、めげずに、何回でもアタックしに来る。

「亜紀にゃん先輩も優しいからじゃないんすか?」

 どうしよ、と疲弊している亜紀にゃん先輩に、俺はふと投げ掛ける。
 え、ときょとんと俺を見て来る亜紀にゃん先輩に、俺は淡々と続けた。

「何だかんだ相手するから、赤松さんも期待して甘えちゃうんじゃない? 押し切ればいけそうって」
「……え~? そう、かな?」

 亜紀にゃん先輩が吃驚したように考えている。
 どうやら自分では気付いていない対応だったようだ。
 まぁそれが亜紀にゃん先輩が、いろんな相手から好かれてる魅力なんだけど。
 赤松さんみたいな、恋慕の情を持つ相手にとっては、裏目に出るだろう。

「迷惑ならちゃんと突き放さないと。赤松さんだって次に進めないじゃんすか」
「……う~……それも言えてる」

 そんな偉そうに言っている俺だって、出来てないことだけど。
 他人の振りっていうのはこんなに分かりやすいのに、自分が同じことをしていても、何故気付かないんだろうなぁ。

 なんて思いつつ、ドアを開けようと手を伸ばす。
 すると、それよりも一瞬早く、内側からドアが開いた。

「……終わった?」

 そろり、とこちらを窺うような視線で、俺と亜紀にゃん先輩を見て来るのは、会長だった。
 現生徒会長の篠宮(しのみや)さん。
 はぁ、と俺が曖昧に答えると、会長は苦笑しながら亜紀にゃん先輩を見る。

「ごめん長田。気にはなってたんだけど」
「いるなら声掛けてよ~」
「何か……女子同士の問題に、男って入っちゃ駄目な気がして」

 ……それはまぁ、言えてる。
 ごめん、と会長はもう一度謝る。
 むう、と拗ねながら亜紀にゃん先輩が先に、俺がその後に続いて生徒会室に入った。
 しかし。

「あれ、逢坂(おうさか)くんは?」

 てっきり、もうひとりもいるもんだと思っていた俺と亜紀にゃん先輩。
 しかし、中にいたのは会長だけだったようで。

「魅耶(みや)なら印刷室だよ。来週使うアンケート用紙刷ってる」

 だそうだ。
 相変わらず働き者だなー、とか呑気に考えながら、手前の椅子に座る。
 そのアンケートについて会長が再度、確認の説明を始めた。
 4月の新入生を迎えるにあたって、学生生活の満足度なんかを調べるんだそうで。
 新入生に配るパンフレット、生徒会発行の手引きっていうか学校生活紹介冊子みたいのがあって。
 それの記事に出来るようなネタを、アンケートという体で集めるわけだ。
 取り敢えず全校生徒に書いてもらいたいので、各クラスの担任に頼んで配布してもらう。

 その話を聞いていたときだった。
 あ、と会長がふと何かを思い出したように声を出す。
 瀧崎、と俺を呼ぶと、手短に指示を出した。

「そういや魅耶が言ってた。生徒会に来たら印刷室に来るようにって」
「え?」

 何で、とつい無意識に訊き返してしまう。
 会長はそんな俺に首を傾げて見せながらも、手伝って欲しいんじゃないかなぁ、と続けた。

 ……確かに、一番手隙なのは俺か。
 はーい、と返事をしつつ、立ち上がる。

 ここから印刷室までは、職員室を通れば簡単なんだけど、俺は遠回りすることにした。
 あんまり職員室は好きじゃないんだ。
 それに、あの人と会うまでに、ちょっと時間が欲しい。
 完全に無意識なんだけど、緊張するんだ。

 職員室を避けて、隣の校舎経由で、印刷室へ到着する。
 中からは、確かに作業をしているらしい、物音が聞こえる。
 ふう、と溜め息を零して、いきなりドアを開ける。

「来ましたよー」
「ノックくらいしなさい」

 いつも通り、ゆるーい雰囲気を演じつつ、俺は印刷室へ入る。
 相変わらず、逢坂さんは俺を振り向きもせず、声だけで俺を諌めた。
 そっすね、と答える俺に、逢坂さんはちょっとだけ顔を見せる。
 と言っても、俺を見たわけじゃなくて、隣の作業台を確認するためである。

「印刷済みの用紙です。クラス分の枚数を数えて、配布先の付箋を貼ってください」

 こんもり、と積まれた紙の束。
 へい、と返事をして、俺は作業台の方へ。
 アンケート用紙は、印刷仕立てなのでまだほんのり温かい。
 インクは乾いてるみたいだけど、と思いながらも、ちょっと気にしながら扱う。

 1年生……5クラス分、とか心の中で数えながら、手を動かす。
 本当は声に出して、緊張感を紛らわせたいんだけど。

「ついでに誤字がないかも確認してくださいね」

 僕も見ましたけど、と逢坂さんは言う。
 ピピ、とコピー機を操作する機械音に紛れて。
 あんたが見てりゃ大丈夫だろ、とか心の中でツッコミを入れながら、うい、と返事。

 アンケートは設問に対して、総てフリー記入形式。
 こういう訊き方って答えるのが一番めんどくさいよな。
 まぁでも、冊子を作るんだからな……。
 データ取りたいわけじゃないだろうし。

「あ」

 ぼんやりと考えながら手を動かしていた俺に、ふとそんな逢坂さんの声が聞こえた。
 どきっとして肩が震えてしまう。
 何すか、と呟きながら逢坂さんを見ると、逢坂さんは何やらペンを取り出して書いている。
 何か間違い見付けたのかな、と思って見ていたけど、アンケート用紙には関係ないものを持っている。
 そんな俺の視線に、逢坂さんが気付く。

「何ですか? 落ちてますけど」
「えっ」

 ペンを持った手で、俺の足元を指差す逢坂さん。
 俺がその先を見ると、数枚、用紙が落ちていた。
 ああ、さっき驚いたときに。
 しゃがんで用紙を拾っていると、逢坂さんの足が近付いて来たのが視界の端に見えた。
 顔を上げる。

「印刷はこれで全部です」

 とんとん、と用紙の束を揃えながら、逢坂さんが言う。
 印刷作業を終えて、配分作業に移っただけか。
 でもこちらも半分は終わっている。
 もうすぐ片付くな。

「ほんと真面目にやりますね、逢坂さんって」

 10枚ずつ数えながら、俺は呟く。
 でも、逢坂さんは特に反応しない。
 付箋にクラス名を書き、数えた束の上に貼り付ける。

「特に何になるわけでもないのに、もっと手ェ抜いても分かんないしょーに」

 それは一種の皮肉でもあった。
 こんなに真面目にやっても、大した評価は得られない。
 高校の生徒会なんて、華々しいのは漫画の中だけ。

 でもこの人は、一切手を抜かない。
 ここは企業の総務なのか、ってくらい、なぁなぁさが見られない。
 はっきり言って、俺は息苦しい。

「昨年までの生徒会は、酷い有り様でした」

 いきなりそう切り出した逢坂さん。
 ん、と眉をひそめる俺に構わず、逢坂さんは続ける。

「生徒会役員のその殆どは名ばかりで、実質当時の会長がひとりで回してました。そんなときに、華倉さんが手伝うようになって、生徒会執行部は少しずつ機能を取り戻して来たんです」

 とん、と最後の束を数え終え、端を揃える逢坂さん。
 クリップで留めて、付箋を手に取る。

「華倉さんが、今の形にまとめたんです。僕は華倉さんのその功績を守りたい、この体制を維持させたいだけです」

 理由は、それだけあれば充分だった。
 この人が本気で取り組むには、勿体無いくらいの、動機だと思う。

 そっすか、と覇気のない声で答える。
 この異常さが、この人の強さだ。
 本当にいつも思い知らされる。

「数合ってますか?」

 自分の分を終え、逢坂さんが俺に訊いてくる。
 俺は最後の束に付箋を貼り、オッケーす、と答えた。
 1年2年3年で、分かりやすいように向きを変えて重ねる。
 これを一旦生徒会室に持ち帰って、会長が改めて職員室へ出向く。

「その間に瀧崎くんには終わらせてもらう仕事が2つほどありますので」
「うへぇ」

 俺にアンケート用紙の山を持たせ、逢坂さんは印刷室の鍵を閉めながら告げる。
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