掌編まとめ


 出勤早々のことであった。

「坂下先生、結婚されてるんですか!?」

 作業がてら挨拶した俺に、他の保育士さんのひとりがそんな声を上げた。
 えっ何いきなり、と動揺する俺の手元を指差し、指輪、とその人は続ける。

 あっ。

 いつもは園に着く前に取るんだけど、今日はそれを忘れてたらしい。
 しまった、と自分の左手を凝視する俺の周りに、既に出勤していた数名の先生たちが集まって来る。
 そうだったんですか、いつの間に、などなど……。

 確かに今まで「彼女」とか「結婚」とか、俺からそういう話題をしたことはなかった。
 幾ら保育士としては気が合うとは言え、その辺はまだきっちり分けていたというか。

「奥さんどんな方ですか?」

 そんな何ともなしに訊かれた話題。
 俺は指輪を外そうとしていた手を止めて、ちょっと視線をずらして考えた。

 奥さん……。

「優しいですよ。でも滅茶苦茶頼れてカッコいいです」

 そう俺が答えると、何故か「分かるー!」とか言う同意の声が返ってくる。
 どゆこと?
 答えた俺が一番分からんのだが。

「坂下先生の奥さんだから、きっと溌剌とした人なんだろうなって想像してました」

 勝手に済みません、と少し照れる先生。
 その人の横にいた先生も「でも分かる」とか頷いている。

 ……そう?

 なんて曖昧に笑ってテンションを合わせながら、急いで指輪を外した。
 人目に付くと結構恥ずかしいなこれ。

「坂下先生が旦那さんとか羨ましいわ……絶対家のことも子供のこともちゃんとやってくれるでしょ」

 多分それは、その人個人の感想だった。
 それに本当は本人(俺)の前で言うはずじゃなかった内容であっただろう。

 それだけ此処で俺が信頼されているという証拠なんだろうけど。
 
 どうでしょうねー、と俺が切り出した声に、あっ、と自分の放言に気付いたらしい反応があった。
 でも俺は構わず続けた。

「自分ではちゃんとやってるつもりですけど、何だかんだあいつのお陰で出来てるとは思いますね」

 俺もすっかり当てにしてる。
 それだけは事実だろう。

 ごめんなさい、と平謝りされたので、俺は軽く手を振って「お気になさらず」と返す。
 それから俺からも一応「黙ってて済みません」と続けた。

 そろそろ子供たちの登園時刻が近い。
 さー仕事仕事、と改めて挨拶をかわし、その場を離れた。



 夜。

「……って話をしてきたんだけど、良かった?」
「間違ってはないなぁー」

 浅海も大体同意見だった。


2021.3.5
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