終わりの始まり
玄関の呼び鈴が鳴らされる。
はーい、と返事をして、玄関に向かう魅耶を見ながら、俺は来たかなと考えていた。
俺も立ち上がると、お邪魔します、という菱兄ィの声を確認して、台所へ向かった。
菱兄ィが居間に顔を見せると、俺も振り向いて出迎えた。
「いらっしゃい」
冷蔵庫から常備してある麦茶を取り出す。
菱兄ィは、おう、と返事をして、居間の隅の方へ、荷物を置いた。
「先月はお疲れ」
座布団に座りながら、菱兄ィは俺に言った。
ううん、と返事をして、俺は扇風機の首を回す。
いい加減エアコン付ければ、と菱兄ィは言うんだけど、そこまで必要性は感じてない。
窓全開にしていればエアコンよりも涼しいくらいだし。
なんて世間話をし始めたとき、俺と交代してくれた魅耶が、麦茶を運んできた。
9月に入っても、まだまだ気温は高い。
夏の終わりはまだ訪れる気配はなく、太陽がじりじりと大地を灼いている。
そんな中、菱兄ィが総本山に訪れた。
会うのは先月振り。
8月15日、お盆に、総本山で毎年行われる「鎮魂の儀」の時以来だ。
いつもはそれっきり、年末年始まで音沙汰もないような生活になるんだけど。
今年は違った。
先月のその日、菱兄ィは帰宅前に、俺と魅耶に告げた。
『憂巫女について話がある。来月の頭、時間空けといてくれ』
正直、予想外だった。
同時に何の心当たりもなくて、何の話をされるか、さっぱり見当も付かなかった。
俺だけならまだしも、今回は魅耶まで数の内だし。
それに、本音で言えば、もう憂巫女関連の話は、終わった、と思っていた。
でも、本当に今こうして、菱兄ィが総本山を訪れたということは、何らかの話が存在しているんだろう。
俺はちょっと身構えながら、麦茶を一気に半分流し込んだ菱兄ィを見ていた。
「それで、話をいうのは」
麦茶のお代わり分のポットをテーブルの上に置いて、魅耶が口を開いた。
菱兄ィはコップの結露をハンカチで拭いて、ああ、と呼応した。
カバンを開きながら、こちらを見ずに、本題に入る。
「……憂巫女の輪廻転生を、断ち切ろうと思う」
……え。
咄嗟には、何も反応が出来なかった。
それは本当に想定外の発言だったから。
正直なところ、言葉の意味も、その中の考えも理解出来なくて。
転生を断ち切る……?
「どういうことですか」
訝し気な声色で、魅耶が訊ねる。
菱兄ィは身体をこちらに向け直し、ちょっと伏せ目がちに答えた。
「以前から計画としては存在していたんだ。いつかこの負の連鎖を断ち切ることも、篠宮家の課題のひとつだったから」
菱兄ィの話は、俺の知らないところで、ずっと続いていた問題だったらしい。
篠宮家の始まりには、あの憂巫女そのものが関わっている。
四〇〇年前の憂巫女、琴羽。
彼女と共に生きることとなった浪人が、篠宮家の初代と言われている。
篠宮の家系には、憂巫女本人の血が流れている。
そんな血統を受け継ぐ俺は、偶然か必然か、現「憂神子」である。
俺には何も伝えられてなかったけれど、親父と菱兄ィは、裏でだいぶ動いていたみたいだ。
「憂巫女は元々、妖怪たち……主に鬼への供物として存在していた。けれど、四〇〇年前に、三体の鬼神の内、二体が琴羽の手によって絶命している」
残る一体の消息ははっきりしていなかった。
けれど、もうこの悲劇を繰り返す必要が、この先にあるだろうか、と。
「親父が提案したときは、無茶を言うなと思った。でも、色々調べていくと、不可能ではないことが分かって来た」
え、と驚いて、つい声が漏れる。
出来るの、とやや前のめりに菱兄ィを見る俺。
菱兄ィは頷いて、一枚の用紙をテーブルに広げる。
「……憂巫女も元々は普通の人間だ。初めから神通力なんかがあったわけじゃない」
「と、言うと?」
菱兄ィの言葉に、魅耶が詳しい説明を要求する。
菱兄ィは用紙に書かれた文字を指差して、続ける。
「これは、憂巫女を生贄として差し出したときの儀式の説明書だ。憂巫女は“作られた”んだ、当時の人々の恐怖心と信仰心によって」
まさか、と呟く。
菱兄ィは俺を見据えて、淡々としたその口調のまま告げる。
「憂巫女は“呪い”そのものだ。だからその呪いを解くことが出来れば、この不毛な悲劇は断ち切ることが出来る」
からん、と氷が融けて、崩れる音が響いた。
性質の悪い悪夢ですね、と小さく魅耶が呟く。
菱兄ィがその魅耶の言葉に頷いて、溜め息を零した。
「……何の為に?」
感じていた気持ちが複雑過ぎて、よく分からなかった。
口から出せた精一杯の言葉は、その疑問だけ。
何故そんな、自ら苦しみの中に。
俺の疑問に、菱兄ィは首を横に振る。
はーい、と返事をして、玄関に向かう魅耶を見ながら、俺は来たかなと考えていた。
俺も立ち上がると、お邪魔します、という菱兄ィの声を確認して、台所へ向かった。
菱兄ィが居間に顔を見せると、俺も振り向いて出迎えた。
「いらっしゃい」
冷蔵庫から常備してある麦茶を取り出す。
菱兄ィは、おう、と返事をして、居間の隅の方へ、荷物を置いた。
「先月はお疲れ」
座布団に座りながら、菱兄ィは俺に言った。
ううん、と返事をして、俺は扇風機の首を回す。
いい加減エアコン付ければ、と菱兄ィは言うんだけど、そこまで必要性は感じてない。
窓全開にしていればエアコンよりも涼しいくらいだし。
なんて世間話をし始めたとき、俺と交代してくれた魅耶が、麦茶を運んできた。
9月に入っても、まだまだ気温は高い。
夏の終わりはまだ訪れる気配はなく、太陽がじりじりと大地を灼いている。
そんな中、菱兄ィが総本山に訪れた。
会うのは先月振り。
8月15日、お盆に、総本山で毎年行われる「鎮魂の儀」の時以来だ。
いつもはそれっきり、年末年始まで音沙汰もないような生活になるんだけど。
今年は違った。
先月のその日、菱兄ィは帰宅前に、俺と魅耶に告げた。
『憂巫女について話がある。来月の頭、時間空けといてくれ』
正直、予想外だった。
同時に何の心当たりもなくて、何の話をされるか、さっぱり見当も付かなかった。
俺だけならまだしも、今回は魅耶まで数の内だし。
それに、本音で言えば、もう憂巫女関連の話は、終わった、と思っていた。
でも、本当に今こうして、菱兄ィが総本山を訪れたということは、何らかの話が存在しているんだろう。
俺はちょっと身構えながら、麦茶を一気に半分流し込んだ菱兄ィを見ていた。
「それで、話をいうのは」
麦茶のお代わり分のポットをテーブルの上に置いて、魅耶が口を開いた。
菱兄ィはコップの結露をハンカチで拭いて、ああ、と呼応した。
カバンを開きながら、こちらを見ずに、本題に入る。
「……憂巫女の輪廻転生を、断ち切ろうと思う」
……え。
咄嗟には、何も反応が出来なかった。
それは本当に想定外の発言だったから。
正直なところ、言葉の意味も、その中の考えも理解出来なくて。
転生を断ち切る……?
「どういうことですか」
訝し気な声色で、魅耶が訊ねる。
菱兄ィは身体をこちらに向け直し、ちょっと伏せ目がちに答えた。
「以前から計画としては存在していたんだ。いつかこの負の連鎖を断ち切ることも、篠宮家の課題のひとつだったから」
菱兄ィの話は、俺の知らないところで、ずっと続いていた問題だったらしい。
篠宮家の始まりには、あの憂巫女そのものが関わっている。
四〇〇年前の憂巫女、琴羽。
彼女と共に生きることとなった浪人が、篠宮家の初代と言われている。
篠宮の家系には、憂巫女本人の血が流れている。
そんな血統を受け継ぐ俺は、偶然か必然か、現「憂神子」である。
俺には何も伝えられてなかったけれど、親父と菱兄ィは、裏でだいぶ動いていたみたいだ。
「憂巫女は元々、妖怪たち……主に鬼への供物として存在していた。けれど、四〇〇年前に、三体の鬼神の内、二体が琴羽の手によって絶命している」
残る一体の消息ははっきりしていなかった。
けれど、もうこの悲劇を繰り返す必要が、この先にあるだろうか、と。
「親父が提案したときは、無茶を言うなと思った。でも、色々調べていくと、不可能ではないことが分かって来た」
え、と驚いて、つい声が漏れる。
出来るの、とやや前のめりに菱兄ィを見る俺。
菱兄ィは頷いて、一枚の用紙をテーブルに広げる。
「……憂巫女も元々は普通の人間だ。初めから神通力なんかがあったわけじゃない」
「と、言うと?」
菱兄ィの言葉に、魅耶が詳しい説明を要求する。
菱兄ィは用紙に書かれた文字を指差して、続ける。
「これは、憂巫女を生贄として差し出したときの儀式の説明書だ。憂巫女は“作られた”んだ、当時の人々の恐怖心と信仰心によって」
まさか、と呟く。
菱兄ィは俺を見据えて、淡々としたその口調のまま告げる。
「憂巫女は“呪い”そのものだ。だからその呪いを解くことが出来れば、この不毛な悲劇は断ち切ることが出来る」
からん、と氷が融けて、崩れる音が響いた。
性質の悪い悪夢ですね、と小さく魅耶が呟く。
菱兄ィがその魅耶の言葉に頷いて、溜め息を零した。
「……何の為に?」
感じていた気持ちが複雑過ぎて、よく分からなかった。
口から出せた精一杯の言葉は、その疑問だけ。
何故そんな、自ら苦しみの中に。
俺の疑問に、菱兄ィは首を横に振る。
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