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B101の異常行動及び保護記録

保護記録■01:ブローカ

深夜。
ロドスの生産階層の警邏をしていたブローカは、視線の先でなにかが動いたのに気づき素早くフラッシュライトを向けた。
「……」
この階層に窓はなく、風が吹くことはない。空調設備はあるものの、物が動くほどの吹き付けは無い。
愛機である巨大なチェーンソーに腕を添え、声を上げる。
「誰かいるのか」
時刻は深夜2時をまわったところである。
職員やオペレーターたちが完全に寝静まっているとは思わないが、警戒をするに越したことはない。
侵入を果たした敵勢力が味方に擬態しているという可能性もゼロではない。
見知った顔であっても、呼び止めてIDカードをチェックすることもやぶさかでない。
フラッシュライトを向けた先には小型のコンテナが積み重なっており、その影で何かが動いたようだった。
返答がないことに小さく舌打ちすると、眦を険しくしたまま足早に近づいていく。
いつでもチェーンソーを起動できるよう、安全装置は解除。片手でコックを引けば油で濡れ光る回転刃が唸りを上げるだろう。
目標まであと数歩―2mをきったところで、“なにか”の正体が人間の足だと気づいた。
「!」
だれかが倒れている。というか、うずくまっている。
フラッシュライトに照らされ、黒い布地と青いラインが目に飛び込んでくる。最悪なことに、床に広がっている布は見覚えのあるジャケットだった。
「おい!」
指で弾くように安全装置をかけ直す。
コンテナの影に隠れるようにちいさくうずくまっていたものの正体は、ドクターと呼ばれる戦術指揮官―ロドスでも三本の指に入る重要人物であった。
常に目深に被ったフードは半ば脱げかけており、中途半端に伸びた髪が覗いている。
倒れているせいで顔を覆っている遮光フェイスガードが喉元に食い込み、苦しそうに見えた。
実際、彼はぐったりとしていて呼吸音も荒い。
外してよいものかと逡巡したブローカだったが、あとからなんとでも言い訳はたつだろうと腹をくくり、苦しそうにしているドクターの顔からフェイスガードを取り払った。
「―! お前…どうした、なにがあった!?」
フラッシュライトに照らされたドクターの顔面は血まみれの汗まみれで、酷い有様だった。
「ふ、 はぁ、 ああ…、だれ?まぶしい…もう朝なのか」
「バカいうな、夜中の2時だ。一体なにがあった、殴られたのか?」
「なぐ…? ああ、あついな…すごく暑い、頭がいたい、」
かすれた声で暑い、痛いとぼそぼとつぶやく姿は日頃見ていた淡白で冷静なものとはかけ離れていた。血の匂いも相まって緊張が走り、ブローカの背に冷や汗が滲む。
「じっとしてろ、まだ出血している。今治療班を呼ぶから」
ぱたぱたと雨だれのような音を立てて、撥水加工されたコートの上に血が垂れていく。
首から下げていた通信機で同じ当直のオペレーターに呼びかけるとクルースが応答した。
『はいはぁ~い、クルースでぇ~す』
間延びした緊張感のかけらもない声が帰ってきた。
「ブローカだ。2階通路でドクターが倒れている。顔面から出血もしてる…治療オペレーターをよこしてくれ」
『ドクターが?顔から出血、ですかぁ?』
「そうだ。急げ」
『ん~、もしかしてぇ、鼻血ですかあ?』
「ああ。ぼたぼた垂れるくらい出血している」
『それなら~、いつものお薬の副作用だと思いますよ~』
「あ?」
『理性回復剤を使ったあとだと思われますよ~。あついあついって仰ってませんかぁ?』
「ああ、言ってる…」
『あのお薬を服用するとのぼせて鼻血が出やすくなっちゃうらしいんですよ~。かわいそうなので、ドクターをお部屋まで連れて行ってあげてくださぁい』
「は?おい―」
無線は一方的にぶつりと切られてしまった。
「c150020045、ルートを…ああ、ちがう、それじゃあ間に合わない…」
「……」
ぼそぼそとよくわからない独り言をいいながら、大量の汗をかいてコンテナに額を擦り付ける姿を見てブローカは胸がぞわぞわと騒ぐような、内臓がすくむような奇妙な感覚を覚えた。
床に転がるフラッシュライトが二人の影を壁に切り出し、ゆらゆらと不規則に揺れるドクターの影は不定形の怪物めいて見えた。
「つづけないと……c150020045、」
いつの間にか鼻血は止まったようで、かわりに鼻から下、口の周りを真っ赤に濡らしていた血を汗の滴が洗い流すように滴り落ちる。
「―暑いんだろ、ドクター」
「ああ、うん、暑いな。でも間に合わないんだ…」
現実と妄想が入り混じった言動に、適当に話を合わせる。
「大丈夫だ、間に合う」
「……」
「俺を信じろ」
「……ありがとう、でも、 きみを思い出せない…」
ひどく悲しそうに息を震わせ、ドクターはまた「あつい」と呻いた。
「あんたは部屋に戻ったほうがいい」
血を含んだ汗は涙のようにぽつぽつと雨垂れに似た音を立てて湿ったジャケットの上に落ちていく。
「あつい、 あたまがいたい…」
さて、この気が触れたような男をどうやって部屋まで運ぼうか。
床に転がるフラッシュライトをつま先で軽く転がし、器用に蹴り上げてキャッチする。
ドクターが眩しいといって嫌がるので明かりを消して携帯ポーチに戻すと、ブローカは相変わらず床でうずくまる彼を見下ろした。
改めて観察すると、かなりの細身だということがわかる。
試しに両脇に手を差し込んで持ち上げると軽々と抱き上げられてしまった。
軽すぎる。ちゃんと食事を摂っているのか不安になるくらい軽い。
「…このまま持っていくか」
抱き上げたついでに、このまま部屋に運んでしまおう。
幸い大人しくしているし、暴れる様子もない。
だがチェーンソーを背に担いでしまっているので、前に抱くしかない。
「立てるか?ドクター」
「ん、 」
だいぶふらついているが、どうにか直立の状態は保てるらしい。
立たせたドクターの膝と背を掬って横抱きにすると、目が回る!と苦情が飛んできた。
「一丁前に文句は言えるのか」
噎せ返るほどの血の匂いにまみれた痩躯を運びながら、深夜の暗い通路を進む。
ああ暑い、と相変わらず掠れた声でつぶやくのをどこか空寒い気持ちで聞き流しながら、じっとりと熱い身体を抱え直した。
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