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霞が晴れても、君が好き【時透無一郎】
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社長室を出て、無一郎は自分のデスクへ戻った。
椅子に腰を下ろし、モニターを見つめる。
「…………」
(……茉子)
さっきの笑顔が、頭から離れない。
(……本当に、いたんだ)
「…………」
しばらくして、スマホが震えた。
兄さんからだった。
『資料』
「…………」
(……あ)
そうだった。
(……送ってなかった)
慌ててファイルを開き、確認する。
問題なし。
そのまま有一郎へ送信した。
『送ったよ』
すぐに返信が来る。
『遅い』
「…………」
無一郎は、少しだけ笑った。
(……本当に、あの“茉子”なのか……)
有一郎は、社長室で一人、ぼんやりと考えた。
あれは、10歳の頃だった。
おつかいの帰り、二人でショッピングモールのアイス屋に寄った時のこと。
『兄さんのも食べたいな』
そう言って、返事も待たずに俺のアイスをすくった。
無一郎はバニラ。俺はストロベリー。
口にした途端、無一郎は突然ポロポロと涙を溢した。
『ど、どうしたんだよ。腹でも痛いのか?』
『……いや、違う……。ごめん、兄さん……』
無一郎は謝るばかりで、何で泣いているのかわからなかった。
ただ、謝りながら一言だけ
『………茉子………』
小さな声で呟いていた。
それから2年。
12歳の誕生日を迎えた頃、無一郎はようやく、あの日のことを話してくれた。
『……信じて、もらえないと思うけど……』
もちろん、にわかに信じがたい話だった。
ただ、無一郎の表情は真剣だったし、嘘を言っているようには見えなかった。
親にはこんな話はできない、と無一郎は言った。
それからも時折、無一郎は前世の話を聞かせてくれた。
「櫻井 茉子。25歳。前職は、株式会社アークフィールド企画部……」
パソコン内には、茉子の経歴が書かれていた。
「…………」
アークフィールド。
以前から取引のあるマーケティング会社だ。
有一郎は、デスクの電話機に手を伸ばし、管理部の内線番号を押した。
仕事中は、基本的に敬語を使う。
元々、口がいい方ではないという自覚はあった。
社長という立場上、それくらいは気をつけている。
『……はい。管理部、下野です』
「時透です」
『社長?どうされました?』
「……今日入社した方のことで、少し確認したいんですが」
『あぁ、櫻井さんですか?今ちょうど……』
「そうです。櫻井さんって、企画部の花江さんが推薦した方でしたよね?」
『そうですそうです!花江が以前一緒に仕事したことがあるそうで。面接でも評判良かったですしね!何かありました?』
「……いえ。ちょっと確認したかっただけです」
『そうですか? では、14時の会議もよろしくお願いします』
「はい。よろしくお願いします」
通話を終える。
有一郎は、もう一度モニターに表示された名前を見た。
櫻井 茉子。
「…………」
(……まさかな)
あの日、アイスを食べながら泣いていた弟。
その弟が、今日、あんな顔で社長室に飛び込んできた。
「…………」
有一郎は、椅子の背にもたれた。
「……世の中、わからないもんだな」
有一郎は、小さく息を吐いた。