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霞に紛れて、君に近づく【時透無一郎】
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蝶屋敷。
消毒の匂いと、静かな空気。
「ちょっと沁みますよ」
「いっ……!」
思わず肩が跳ねる。
「うん、ちゃんと治療に来てえらいですね。大したことないって放っておいて悪化させてくる人たちが多いので、助かります」
茉子はギクリとする。
「傷口から菌が入ると、大変ですからね」
その言葉に、茉子はハッとする。
蝶屋敷の当主・胡蝶しのぶは、消毒を終えた肩に、包帯を巻いていく。
「ありがとうございます」
「いえいえ。いつも頑張っているようですね。応援していますよ」
しのぶの言葉に、茉子は照れたように笑う。
「はい!がんばりますっ!」
元気よく返事するその姿を見て、しのぶはにっこりと微笑んだ。
茉子は頭を下げ、その場をあとにする。
廊下を出て、ゆっくりと歩き出した。
(……あいつが言ってたこと、ほんとだったんだ……)
ぼんやりとそう思いながら、屋敷の廊下を歩く。
(……よくよく考えたら、只者じゃなさそうだよね。速すぎて何してるのかよくわからなかったし……)
てくてくと、そのまま廊下をまっすぐ歩き続ける。
(……何の呼吸使うんだろ。変わった隊服着てたし……)
ぼんやりとそんなことを考えながら歩く。
ふと縁側に目をやると、そこから見える庭には花が咲いていて、蝶が舞っていた。
「綺麗……」
足を止め、視線を向ける。
木々が揺れて、光が落ちている。
そのまま、少しだけ歩きながら見ていると——
「……っ」
軽くぶつかる。
「あ、すみませ……」
「……よそ見しながら歩いたらダメでしょ」
顔を上げると、すぐ目の前に。
綺麗な淡い水色の瞳——
無一郎と、目が合う。
(……なんでここにいんのよ……)
「そっちが避けてくれてもよかったじゃん!」
「前、見てない方が悪いよ」
真正面からの正論。
言い返せない。
「……で、何してるの?」
「……いや、何って……」
そのままじっと見られる。
「……案外、素直なんだね」
「……なっ……どういう意味?!」
「そのままだけど」
無一郎はそう言って、さらに茉子の顔を覗き込む。
(近っ……!)
「……そ、そっちこそ、なんでここにいるの?」
「近くに来たから」
「……それだけ?」
「胡蝶さんの薬、よく効くから。時々もらうんだ」
(胡蝶さんの薬って、そんな簡単にもらえるもん?)
茉子が目を丸くしていると、無一郎はふっと微かに声を出して笑った。
「な、なに?」
「顔」
「え……?」
「何でフラッと来て胡蝶さんの薬もらえるの?って思ったでしょ」
(……なんでわかる?!)
無一郎は突然、茉子の頭の方に手を伸ばし、そっと髪の毛に触れる。
「次は何?!」
「この髪、柔らかそうだなと思って」
茉子の髪はゆるりとウェーブがかかっており、ハーフアップからの後れ毛がふわふわと茉子の顔のそばで揺れていた。
「うーん、思ったより普通だなぁ」
(……何だこの距離感)
茉子は動かない。
いや、動けなかった。
近すぎて。
無一郎は、髪から手を離す。
ほんの少し距離が離れるが、まだ十分に近い。
「……ねぇ」
「……なに?」
「ちゃんと、言うこと聞けるんだね」
「………?」
「治療しに来れたんでしょ。偉かったんじゃない」
「………べ、別に……」
「照れなくてもいいでしょ」
「照れてないし!」
そう言って、目を逸らす。
その様子に、無一郎の口角が自然と上がった。
「……ね、茉子」
追い討ち。
突然呼ばれる自分の名。
一瞬、鼓動が速くなる。
茉子は顔を上げて、無一郎を見た。
「まぁ、問題は戦闘中、大人しくできるかどうかだけど」
無一郎は、既にいつもの表情に戻っている。
ただそれだけ言って、スタスタと廊下を歩いて行った。
(なに、今の……)
そのまま立ち尽くす。
——茉子
(……なんで、急に名前……)
胸の奥が、少しだけざわつく。
「……偉いって、何よ……」
小さく呟く。
茉子は再び、静かに蝶が舞う庭を見つめた。
ちゃんと、足を止めて。