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番外編
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「……おかしいな」
鬼は義勇の方へ顔を向けた。
先ほどまで一定だった男の心音が、わずかに速くなっている。
(……この女を見てから、か?)
義勇は鬼には目もくれず、腕に抱えていた男を地面へ横たえた。
男の衣服は、血に濡れていた。
義勇は傷口に布を押し当て、強く圧迫する。
だが、血はなかなか止まらない。
「……冨岡さん!」
茉子は鬼の攻撃をかわしながら、声を上げた。
「そのまま圧迫を続けてください!」
義勇は一度だけ茉子を見た。
そして、再び目の前の男へ視線を落とした。
「……あぁ、あの男……随分うるさくなったな」
鬼は片手で糸を放ちながら、もう片方の手で耳を押さえた。
「………っ?」
茉子は糸を避けながら、その言葉に違和感を持つ。
(……うるさくなった……?)
鬼の動きが、先程よりわずかに鈍い気がした。
「……君も意外としぶといし、イライラしてきたな。もう終わりにするから」
鬼の目つきが変わる。
茉子の元へ、再び赤い糸が伸びていった。
義勇は傷口を圧迫したまま、茉子と鬼の動きを追っていた。
(……妙だ)
茉子の動きが鈍いわけではない。
それなのに、鬼の糸は何度も茉子の行く先を捉えている。
義勇は鬼の指先へ視線を向けた。
(……糸……)
なぜ、こうも正確に動きを予測できるのか。
義勇が考えていた、その時だった。
「あ、あの……」
声のする方を見ると、蔵から出てきた男が側で膝をついていた。
「そこを、押さえていればいいんですか?」
「…………」
男は、少し離れた場所へ目を向けた。
「あの赤い糸に……俺たちも捕まったんです」
茉子が鬼の攻撃をかわす。
男は息を呑んだ。
「……あの人を、助けてあげてください……!!」
義勇は男を見た。
そして、傷口を押さえていた手を、男の手と入れ替えた。
「……頼む」
義勇は立ち上がった。
(……来る……!)
再び向かってくる赤い糸。
茉子が避けようと踏み込んだ瞬間、糸は茉子の刀に巻き付いて宙に浮いた。
「…………っ!!!」
意識が、刀ではなく踏み込む足に向いた、その瞬間のことだった。
自分の手首でも、足首の拘束でもない。
刀を奪われた。
「……っ!」
茉子は宙に浮いた刀を見上げた。
赤い糸が刀身に絡みつき、鬼の頭上で揺れている。
「……やっと捕まえられる」
鬼は楽しそうに笑った。
「ずいぶん手こずらせてくれたね」
茉子は後ずさった。
刀がない。
これでは、鬼の頸を斬れない。
(……取り戻さなきゃ)
茉子は頭上の刀を見た。
だが、そこへ手を伸ばせば、すぐに糸が飛んでくるだろう。
「……さて、どうしようか」
赤い糸が、再び茉子へと伸びた。
「………っ!」
茉子は身を翻してかわす。
だが、糸は逃げた先へと回り込んできた。
(……何で?どうして読まれるの……っ?)
姿を消しても。
動きを変えても。
鬼は、こちらの居場所を見失わない。
そのとき、先ほどの言葉が頭をよぎった。
『……あぁ、あの男……随分うるさくなったな』
茉子は鬼を見た。
先ほど、鬼は耳を押さえていた。
(……うるさいって何?音?一体何の……?)
考えを巡らせるが、見当がつかない。
鬼はゆっくりと歩み寄ってきた。
茉子は一歩、後ろへ下がる。
その足元に、赤い糸が張られた。
「……っ」
反対側へ身を翻す。
だが、そこにも糸が伸びていた。
「……あ。最後に教えてやるよ」
鬼は楽しそうに笑った。
「君がどうして俺に食われることになるのか」
「…………」
鬼は、自身の胸に手を当てる。
「心音だよ」
「……心音……?」
「そう。焦れば焦るほど、よく聞こえる。君がどこに逃げようと、全部わかるんだよ」
「……………」
「……かわいそうにね、声も出ない?」
「……………」
「わかったところで、どうにもならないもんねぇ」
鬼は笑いながら、また一歩近づいた。
茉子は答えなかった。
(……心音)
鬼が捉えているのは、自分の動き。
——でも、手を離れたものまでは?
茉子は頭上の刀を見た。
(……刀さえ、取り戻せれば)
茉子は、そっと髪へ手を伸ばす。
指先に触れたのは、義勇が買ってくれた簪。
小さな蝶の飾りが揺れた。
(……これなら)
茉子は簪を引き抜いた。
「……ん?」
鬼が首を傾げる。
その瞬間、茉子は簪を投げた。
「……っ!?」
簪が、鬼の頬を掠めた。
鬼は反射的に顔を背ける。
(……何だ、今の……!?)
茉子が動いた気配は、確かに捉えていた。
だが、手を離れた簪の行方まではわからなかった。
その一瞬。
茉子は地面を蹴った。
頭上に吊られた刀へと手を伸ばす。
「……させるか!」
鬼の指が動いた。
赤い糸が茉子の手首を狙って走る。
——だが。
「水の呼吸——」
「……っ?!」
鬼が振り返る。
「——参ノ型 流流舞い」
義勇の刃が、水の流れのように赤い糸を次々と断ち切った。
「……お前……っ!!」
義勇が、刀を構えて立っていた。
その少し後ろでは、蔵から出てきた男が、負傷者の傷口を押さえている。
義勇の心音は、確かに聞こえていた。
しかし、聞こえた時にはもう遅かった。
刀に絡みついていた糸も切れ、宙に浮いていた刀が落下する。
茉子はその柄を掴んだ。
「……チッ!」
鬼が慌てて指を動かす。
再び赤い糸が放たれた。
けれど、茉子は止まらなかった。
「……っ!」
義勇の刃が、赤い糸を断ち切った。
鬼の視線が、わずかに揺れる。
その一瞬を、茉子は逃さなかった。
「露の呼吸——」
一滴の露が、光を受けて閃くように。
最小限の動きから放たれた刃が、鬼の頸を捉えた。
「——滴閃」
鬼の身体は、音もなく崩れていった。