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5.帰る場所
*名前変換*
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日はすっかり落ちている。
二人は再び、義勇の屋敷へと戻って過ごしていた。
離れる理由がなかった。
「今日、すごく楽しかったです」
「……ああ」
義勇としては、色々あったが。
茉子が楽しめたのなら、何よりだった。
「すみません、長居して。夜が明けたらすぐ帰るので……」
「いや、いい」
茉子の強さは承知だが、どうしても夜に帰す気にはなれなかった。
少しでも一緒にいたかっただけかも知れない。
部屋の灯りが落ちる。
布団に横になった茉子は、すでに半分眠りかけていた。義勇の気配が近いことに、違和感すら覚えていない。
「……おやすみなさい」
小さくそう言って、身じろぎもせず目を閉じる。義勇は、その様子を見下ろしたまま動けずにいた。
(……無防備すぎる……)
刀鍛冶の里では、何もなかった。
正確には、何もしなかった。
今朝は抱き寄せて寝た。
それ以上、何もしなかった。
今も、別で寝ようとした。
しかし、茉子は床で寝るなと言う。
布団は一組しかない。
隣で寝るしかない。
加えて、昼間の出来事がグルグルと頭の中を回る。
それはもう、止められないところまで来ていた。
「……お前は」
近くで聞こえるその声に、茉子が目を開ける。
「……ん……?」
眠そうな声。
疑っていない声。
義勇は、ゆっくり息を吐いた。
「……俺の前では、少し考えろ」
「……?」
首を傾げる。
「困る」
その一言に、茉子は少しだけ目を瞬かせて——
本当に、何もわからない顔で聞いた。
「……困る……?」
義勇の思考が、一瞬止まる。
言葉を選ぶ時間もない。
誤魔化せば、余計に踏み込まれる。
義勇は視線を逸らしたまま、静かに答えた。
「……お前が、安心しきっているのが」
小さく息を吐く。
茉子は、その言葉の意味を考える。
だが、よくわからない。
そして、少し沈黙したあと、小さく言った。
「……安心しちゃ、だめなんですか……?」
「…………」
義勇は静かに起き上がると、布団の上に両手をつき、跨るようにして茉子を見下ろした。
「……茉子」
名前を呼ぶ声が近づき、いつもより低く聞こえる。
「……そういうところだ……」
義勇は、布団に手をついたまま動かなかった。
距離は近い。
近いが、触れてはいない。
「……わかっていない顔だな」
静かな声。
青い瞳が、まっすぐ茉子を見下ろす。
茉子は、布団の中で身を縮めた。
「……え、と……」
義勇は一度だけ目を閉じ、息を整える。
「……俺は」
言葉を選ぶように、間を置く。
「お前に触れたいと思っている」
茉子の呼吸が、わずかに止まる。
「……里の時も、家に来た時も、今もだ」
「……え……?」
義勇は視線を逸らしたまま、淡々と——
だが、逃げずに言う。
「俺からは触れていない。それは“できない”」
「……?」
「お前が、俺を信じきっているからだ」
義勇は、ようやく茉子を見る。
「無防備に眠る。
近づいても、疑わない。
俺に触れられるなど、考えてもいない顔だ」
義勇は一拍置いて、また口を開く。
「……その状態で、俺が欲を優先するのは」
声が、ほんの少しだけ低くなる。
「それは、お前を裏切ることになる」
茉子は、義勇をまっすぐ見つめている。
「……俺は」
義勇は続ける。
「お前が“わかった上で来る”まで、手を出さないと決めている」
「……わかった、上で……?」
「そうだ」
義勇の指先が、布団の上でぎゅっと握られる。
「俺が我慢している理由も、触れたい理由も、全部理解した上で——」
視線が、まっすぐ茉子に落ちる。
「それでも来るなら、その時は」
義勇は、小さく息を吸う。
「俺は、止まらない」
茉子は、ゆっくりと瞬きをした。
義勇は、布団に手をついたまま、距離を詰めない。
「……お前が、わかるまでは……」
沈黙が続く。
「……私が、わかった上で……」
茉子はそれだけ言って、黙ってしまった。
義勇はそのまま静かに、茉子の隣へと戻る。
義勇は何も言わない。
茉子は、布団の裾を掴みながら、瞬きをする。
「……義勇さん」
「…………」
「……私が“わかった”ら、どうしたらいいですか……?」
義勇は少し間を置いて、口を開く。
「……自分の足で来い」
それだけ言って、目を閉じた。
障子の向こう、夜はすっかり深まっていた。
静けさだけが、ゆっくりと部屋に満ちていく。
眠たかったはずの茉子だが、すっかり目が冴えている。
——しばらくして。
「……茉子」
「……?」
茉子はそっと顔を上げる。
義勇は、静かに起き上がった。
それに気づいて、茉子もゆっくりと体を起こす。
義勇は、枕の側に畳んであったいつもの羽織に手を伸ばし、何かを取り出した。
「……これを」
差し出されたのは、簪だった。
淡い水色の小花に、少し大きめの白い花がひとつ、静かに咲いている。
「……これ……っ」
茉子は目を見開く。
「……昼に、見ていただろう」
義勇の言葉が少ないのは、いつもだ。
「……似合うと思った」
1つだけ短く、付け加える。
「………っ」
茉子は、言葉を詰まらせる。
指先で、そっと簪に触れた。
「……綺麗……」
小さく、息のようにこぼれる。
「……見て、くれてたんですね」
「……ああ」
義勇は、わずかに視線を外す。
「……どうしよう……嬉しいです……」
茉子は、少しだけ困ったように笑った。
「……大事にします」
まっすぐ見つめられ、義勇はゆっくり視線を合わせる。
「……ああ」
それだけ、静かに返した。
それ以上は何も言わない。
茉子は簪をそっと両手で包むように持ち、大切そうに胸元へ引き寄せた。
部屋には、再び静けさが戻る。
さっきまでの言葉も、距離も、まだそのまま残っているようだった。
「……もう、寝ろ」
義勇はそのまま横になり、目を閉じる。
「……はい」
茉子も、小さく頷いて布団に戻る。
けれど、指先はまだ、簪の感触を確かめるように触れていた。