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1.名のない始まり
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翌日。
茉子は
蝶屋敷の端にある、小さな作業用の一角にいた。
壁際には低い棚があり、
薬学書や解剖学書が並んでいる。
上には薬草が吊るして干されていた。
蝶屋敷の中は広いが、
療養用のベッドや、
訓練の場などに主にスペースがとられており、
各々個人用の部屋を持っているわけではなかった。
だが、ここのスペースは、
いつからか茉子の場所のようになっていた。
蝶屋敷内で茉子を探すなら、
皆まずここに訪れる。
「茉子さーん!水柱さま、お熱下がりました!」
「おにぎり食べてくれました〜!」
「お薬もういらないって言われました〜!」
なほ・きよ・すみから順に報告を受けていたが、
最後の報告を聞くと、
薬草を刻んでいた茉子の手が止まった。
「……了解。ありがと」
義勇の熱はもう下がっていた。
普通、あの状態なら回復まで数日はかかるのだが、
柱の回復力には感心してしまう。
「……もう、帰るんだろうなぁ……」
茉子は軽くため息をつく。
しのぶが、
少し頭を悩ませていた理由がわかった気がする。
熱が下がって動けても、本調子なはずがない。
完全に治ってはいないのだ。
せっかくならしっかり治してもらいたいというのが、
治療した側の心理というもの。
(今帰っちゃったら、今晩から任務に当てられちゃうかも……)
茉子は、夜までは我慢しててくれますように、
と思いながら、昼間の外を見つめた。
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夜になった。
茉子は、義勇の元へと向かっていた。
「失礼します」
茉子が部屋に入ると、
義勇はベッドに座りながら窓の外を眺めていた。
「……帰る、つもりですよね。
本当は、もう少し様子を見たいんですけど……」
「……ああ」
茉子はその返事を聞くと、
一拍置いて、口を開く。
「……こちらへ」
そう言って、踵を返した。
義勇と共に静かに廊下を歩いて外に出る。
たくさんの星が輝く夜だ。
2人は特に会話することもなく歩き、
裏庭の扉まで辿り着くと、
茉子はそこで立ち止まった。
「あ、待ってください。これを……」
茉子は昼間に調合していた、
解毒剤と鎮痛剤を義勇に手渡した。
「冨岡さんは使う機会ないかもしれませんけど、一応、お守りとして」
義勇はその薬を黙って受け取った。
「痛い時は、我慢しちゃだめですよ?」
茉子は、そう言って微笑んだ。
そして「おやすみなさい」と言い掛けたその時、
義勇は静かに口を開く。
「……茉子」
静かな夜の中、
義勇の落ち着いた声が茉子の耳に届く。
「……もう、休め」
そして、茉子に背を向けて一歩進もうとして、
義勇は足を止める。
「……ここでいい」
義勇はそれだけ言って、
そのまま振り向くことなく、
静かに茉子の元を去って行った。
「……はい」
茉子は、小さく返事をした。
そして、
義勇の背中が小さくなるまで、その姿を見つめていた。