2.キューピッド・グミの行方(アビス)
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イーストン魔法学校の売店で売っている有名なお菓子、「キューピッド・グミ」をキミは知っているだろうか? そう、それは一千万個に一つの確率で、恋を叶えてくれる魔法のグミが入っているお菓子。そんな確率の非常に低い魔法のグミを求めて、「キューピッド・グミ」は、恋をする乙女を中心に話題沸騰中である。
全ては相手を虜にしたいという純粋な愛の気持ち……人は皆、恋の奴隷なのだ。そして――そんな奴隷がここにも一人。レアン寮の一女生徒、エマ・カルネ。
「おば様、三十個くださいな」
この商品は入荷したらすぐ他の生徒に買い占められる商品というのもあって、なかなかお目にかかれない逸品になっている。
「あいよ」
「おば様、いつもこの商品を買い占めているのは一体誰なの? ご存知?」
売店のレジの女性にそれを尋ねれば、首を捻って思い出そうとしてくれていて。そして、自分の頭の中で検索がヒットしたのだろう。顔をパッと明るくしてエマにその人物の名前を告げた。
「アドラ寮のレモン・アーヴィンだね」
「アドラの……」
何年生だろうか。エマに関しては、キューピッド・グミを求め始めた……いや必要になったのは最近という新参者なので、もしかして最初から常連だったというのであれば新入生と決めつけるのは早計と言わざるを得ない。
彼女もまた当たるまで――食べ続けるのだろう。気持ちはわかる。自分の力で掴み取らねばならぬと思っていても、叶うかどうかわからない願掛けに頼りたい、背中を押して欲しい、そんなおまじないにすら縋りたい……乙女なんてそんなものだ。
今日は入っているだろうか。でもまだ、五十袋も食べられていない。一袋二十個入りとしてもまだ千個しか食べていない計算だ。一千万個にたったひとつとは、砂漠からひとつぶの砂を探すよりは早いだろうが、途方もないことに変わりはない。
買い物を済ませて、紙袋いっぱいに入ったグミを抱える。早くグミを確認したい気持ちを抑えながら、エマは思った。
――まさか、自分がこんなモノを買う日が来るなんて。
目を閉じて、意中の相手を想うだけで胸がビートを刻んでどうにかなりそうだ。でも、でも、好きになってしまったのだから仕方ない。
エマの意中のお相手は、あの悪魔の目 を持つアビス・レイザー。重いプリント類をぐらぐらさせながら運んでいた際、助けてくれたアビスと仲良くなりたくて奮闘していた。が、その中で彼のさり気ない優しさが見え隠れしていることに気づいてしまい……呆気なく陥落したというわけである。悪魔の目 にハートを射抜かれたと言っても、過言ではないかもしれない。あの目で見られると、ゾクゾクとするのは呪いのせいか、エマの好意によるものか。
―― エマに言わせれば、どちらも愛だ。
石畳を歩きながら、すっかり気を抜いていたエマは後ろから声をかけられることを想定していなかった。
「キミは――いつも、重そうな荷物を運んでいますね」
「えっ、えっ、仮面さん!?」
レアン寮の白いローブを深く被り、フードの下に覗く顔ではなく仮面……がエマをまっすぐと見据えていて。エマの中では、つい慣れなくてまだ仮面をつけている時は「仮面さん」呼びが咄嗟に出てしまうのは余談である。
「今日は落とさなくて済みそうですか?」
急な意中のお相手の登場に困惑し、エマはそれだけで胸が満たされて何を話せばいいかわからなかった。だから、この間のプリントの二の舞にならないか、心配してくれた彼に対しても「大丈夫」としか返せなくて。そもそも、アビスが自ら話しかけてくれたことだけで、嬉しくて頬が緩んでしまう。
傍から見れば、仮面をつけた人間に対してにやにやとする女の子、あやしい構図でしかない。
「それならいい。でも――珍しく、口数が少ないですね。キミらしくない」
それを指摘されて、思い当たる原因はあった。というか、思い当たるというよりもそれが原因だった。
―― エマ、あなたに告白してるんですけど!?
喉まででかかった言葉をグッと飲み込んで、フゥと一つエマは息を吐いた。そもそも……なぜ、返事もよこさず平然としているんだ。エマはアビスに、あれだけはっきり、「好き」と言ったのだ。ひよってしまって、付き合ってとまでは、あの時言えなかったが……。二番目でいいとかいう都合のいい女宣言してしまったし。
話しかけられて嬉しい、でも話せない、今の関係ってどういう関係? そんな気持ちの三重苦に、エマは持っている紙袋に顔を埋めた。パッケージ越しのグミの柔らかい感触が、クッション性を発揮してくれているような、してくれていないような。でもエマはこんな自分の気持ちを知られたくなかった。恋する乙女はわがままなのだ。
だから、別の部分を指摘した。
「だって……仮面さん」
「はい」
「エマの名前全然呼んでくれない」
アビスは自分の仮面に手を当て、首を傾げた。
「……アナタも私を仮面さんと呼ぶでしょう」
「仮面つけてる時だけだもーん。それに呼び慣れちゃったし」
エマの指摘にしばらく黙っていたアビスであったが、やがて仮面を外してこう言った。
「……お、おなごの名前をそう易々とは呼べません」
それは、しどろもどろながらに。もちろん複雑な表情で。――でもその可愛い顔を知っているのはエマだけ、そう! エマだけなのだ。やっぱりうれしい、ずるい。
「アビスくんてさぁ、エマを虜にする達人なの?」
「なんですか、その達人……聞く限り需要がなさそうですが」
「ひどっ! 絶対その言葉、後悔させてやるんだからっ」
そもそも、誰のせいでこんなにたくさん同じお菓子を買って、重い荷物を持っていると思ってるんだ。アナタと結ばれたくて、一千万個に一つの確率で、恋を叶えてくれる魔法のグミを求めて買っているのに……。
「……後悔させてくれるのを楽しみにしていますよ。それでは、失礼します」
アビスはまた仮面をつけて、踵を返し去っていった。多分、嫌われてはないとは思うが、エマが辿り着くまでの道のりは……どうやら、ずいぶんと遠そうだ。紙袋いっぱいに入ったグミがさっきより重たく感じるのは、多分気のせいだ――。
*
エマと別れた後、アビスは一人で考えていた。アビスがいわゆる普通に話せるようになった女子は、エマ・カルネ、ただ一人だけだ。カノジョは普通の女子とは違う。いや、変わり者ではある。だって、忌み嫌われる悪魔の目を持つ自分と積極的に関わろうとするのだから。……でも、自分の求める答えはきっとそれではない。そう、変わり者とは違う――自分の中での別の何かが、その答えを、カノジョを求めている。でも、経験の浅いアビスには、友達の枠を超えたその方程式の答えを導くことは到底できなかった。
モヤモヤした気持ちでアビスが時刻を確認すれば、既に昼を回っていたことに気づいた。ザワザワと辺りが騒がしくなっているのもそのためか。朝食はブラックコーヒーだけと決めているアビスのお腹が空くのも無理はない。
そういえば……前に第四魔牙 からもらったお菓子がポケットに入っていたのではなかったか。ゴソゴソと自分のローブのポケットを探って取り出せば、それは先程エマが紙袋いっぱいに持っていたのと一緒のグミで。色とりどりの可愛らしい形をしたグミがたくさん入っているそのお菓子の名前は――。
「『キューピッド・グミ』ですか……」
何がどうキューピッドかは知らないが、エマがあんな山のように買っているのだからさぞかし美味しいのだろう。そんなにお菓子を買うことはないアビスだったが、少し期待が膨らんだのは事実だった。
ピッと袋を開けて中を覗けば、なんだかキラキラと光っているグミがあるような……?
アビスはそう思い、袋の中でキラキラ光るグミを取り出そうとしたら、その場で大きな声が上がった。
「当たった!」
……当たった? とはなんだ。知らない生徒は、なぜかそこにいるアビス・レイザーを指さして叫んでいる。頭に浮かぶはてなマークも消えないうちに、その場で次々に「すげえ!」「本当にあるんだ」と声が上がっていく。もちろん、声が上がるだけでなくその声に反応して大勢の人間が寄せ集まってくる。
「わ、私の周りに、なぜこんなにたくさんの人が……一体どうして……」
急にできた人だかりの輪の中心で、アビスは当惑していた。アビスの経験上、こんなに人間に囲まれたことは今までに一度もなかった。しかもこんなに歓喜に湧いたような状態で、どうしたらいい。
アビスは――誰か助けてくれ、と願わずにはいられなかった。その思いが通じて、救いの手が差し伸べられるのはこの後すぐの話である。
*
エマはグミでいっぱいになった紙袋をレアン寮の自室に置いて、またイーストンに戻ってきたところであった。
そしてちょうど、お昼時なので今日は食堂で、「アカハラ鳥とモリアオ草のキッシュ」を食べたいと思っていたところであったが――まだアビスの事が離れなくて困っていた。
だって、思い返して見てほしい。アビスは自ら、エマにあんな熱い抱擁を交わしておいて、平然としているのだ。やっていることに対して、進展具合がこれとはエマが報われない。もしや……あれはアビスの中でないものとしてカウントしているのか。そもそも、エマの事を「女子」と認識していない?
――いや、初対面の時然り、今でもビクビクしている時はあることを考えると、それはないか。
これをゲームに例えるなら、いわゆるセーブデータがないことになってしまうのか……はなはだ単純に疑問である。今の関係で十分幸せだと思っていても、考えれば欲はいくらでも出てくるというのが人間というものだ。
悶々と考えながら食堂に向かって歩いていれば、謎の人だかりで前に進めなくなって。「当たりがあったって!」といった興奮した声が飛び交っているが、一体何の騒ぎなのか。その内にいた一人を捕まえて聞く。
「だから、あの幻の魔法のグミだよ! 誰かわからんが当たったらしい」
「うっそ……」
キューピッド・グミ……あの一千万個にたった一つの魔法のグミを引き当てた強運の持ち主がこの輪の中心にいるのか。衝撃でぐらりと揺れた体をもう片方の足で踏ん張って倒れるのは避ける。エマはもう好奇心を止められなかった。この輪の中心の人物を見るまでは――。
「すみません、通してくださいな」
人だかりの輪をかき分けて進めば、その騒ぎを巻き起こしている人物は若干カタカタと震えながら、困り果てたように立っていて。周りの人間に質問攻めにされているところを見ると、何が何だかわからないのだろう。というか、あのレアンのローブにフードの下に仮面って…… エマにとっては見知った人物でしかなかった。
そう、グミが当たったのは―― エマの意中のお相手、アビス・レイザーらしい。
「ちょ、ちょっと仮面さん!?」
「ソ、ソソソ、ソノ声ハ……」
エマの声に気がついたのか、人だかりの中心からアビスは助けを求めて、目で訴えているように見えて。目は口ほどに物を言うとはこのことか。エマはアビスに向かってその手を差し出し、アビスが掴んだのを確認し、エマは「こっち!」と引っ張ってアビスを誘導した。
「カ、カタジケナイ……」
掴んだアビスの手が汗ばんでいたことから、あの状況で相当不安だったのだろうとエマは苦笑して。挙動が不振だったのも頷けるというものだ。
安心させるようにぎゅっとアビスの手を強く握り、エマは校舎裏に向かった。
*
人気のない場所までくると、いくらかアビスは落ち着いたようで、その場でフゥーと息をひとつ吐いた。
「す、すみません。唐突に大勢の人に囲まれて動揺してしまいました。人混みに慣れていないもので……」
「災難だったね……でも、人が集まるのもしかたないだろうね。だって、それは魔法のグミ、『キューピッド・グミ』の当たりなんだもん!」
「当たり……?」
アビスは、手の中のグミを見た。エマも一緒に確認したが、確かにうっすらと魔法のオーラに覆われている。見るからに、ただのお菓子ではなさそうなのは一目瞭然だった。好きな人に「欲しい!」というのは反則な気もするが、正直欲しい。
「……これ、さっきキミがたくさん買っていたお菓子ですよね」
アビスにそれを指摘され、エマはウッと言葉に詰まった。なんか改めてそこを言われると恥ずかしいではないか。
「一体全体、これはなんなんです? 当たりとかなんとか……」
アビスはそもそも「キューピッド・グミ」というお菓子自体を理解していないらしい。エマは、できるだけ淡々と説明するのを意識しながら、説明した。
「知らないんだね……それはね、『キューピッド・グミ』っていうお菓子の中に入っている一千万個にひとつの確率で入っている、魔法のグミだよ。実は、エマもずっと狙っていて……」
チラリと伺うようにアビスを見たが、自分の中で合点がいったことに気を取られているのか、エマの方には一瞥もくれなかった。……くそ、ここまでくるとちょっと悔しい。
「……そういうことでしたか」
そう言って、アビスは仮面を取った。呪われた赤い眼があらわになる。相手の魔法を一時的に無効化する悪魔の目――人々から忌み嫌われるこの目を隠すために彼は仮面をつけているのだった。
「……前に第四魔牙 からもらったお菓子がポケットに入っていて。小腹が空いたので食べようとしたら近くの人が何か言ってきて……そのうちにどんどん大勢の人が……」
恐怖をしずめるようにこめかみを押さえ、軽く頭を横に振ったアビスだったが、ふと顔を上げるとエマに聞いた。
「ところで魔法というのは、何の魔法ですか?」
「えっ……あー……」
エマがすぐに答えず、渋ったのが気になったのだろう。すかさず、「教えてください」と追撃してきた。そりゃ、そのせいでこんな事態になってるんだもの。気にもなるよね、とエマは正直に答えた。
「こ、恋が叶う魔法だよ」
その答えに、アビスの顔色が変わる。
「コ、コイ!? というと、お、おなごの……!?」
「別に女の子のだけではないけど……」
「お、おなご……おなご……、おなご? おなご……!!
顔面蒼白でブルブルと震えだしたアビス・レイザーの手を自分のローブの裾で包み込み、エマは声をかけた。
「あ、アビスくん大丈夫!?」
「コ、コイ、コイ、コワイ……」
「恋は怖くないよ! 素敵なものだよ。だから落ち着いて……ね?」
アビスを安心させるように手をさすってやれば、震えは止まったが「私のような呪われたものが恋など……」とアビスは目を隠すように手を添えて、寂しそうに笑った。
そう、アビス・レイザーは魔法を打ち消す|イヴル・アイ《悪魔の目》の持ち主。誰もが魔法を使い、魔法の巧拙で身分の決まるこの世界で、アビスは生まれてきたこと自体が間違いとまでいわれる、忌むべき存在だった。
「実の親にも疎まれている……世間の言う『コイ』などできるわけもない」
「あのね! エマ言ったでしょ、嫌われることに慣れないでって!」
エマの剣幕に顔を上げたアビスは、目を見開いて驚いていて。自分でも顔が真っ赤になっているのがわかるが、なりふり構っている場合ではない。
「恵まれている人だろうが、恵まれていない人だろうが誰かを好きになること……恋という概念の前では人類みな、平等なんですよ! つまりし放題、され放題!」
エマがそう言ってグッとこぶしを握れば、アビスは理解できなかったのかぽかんとした表情でこちらを見つめていて。
「だから、アビスくんも誰かのことを『好き』って気持ちを大事にしていいんだよ」
――だからエマのこと、好きになってくれてもいいよ。
そんなエマの気持ちには全く気づいていない様子で、「好き、すき、スキ……」と繰り返しアビスは呟いていた。そして、アビスは手のひらのグミに目を落とし、何かに気づいたようだった。
「……おや?」
「どーしたの?」
エマもグミに目をやった。あれ?おかしいな。さっき見たときにはキラキラと光る魔法のオーラがあったのに、今は何も見えない。
「ありゃ? これ、普通のグミだね。魔法がかかっているとは到底思えないけど……さっきのが見間違いってことはないよね」
アビスの手からグミを摘み上げ、太陽の光に透かして見るも、やはり何の変哲もないぷるんとした普通のグミだ。首をひねって、うなっているエマにアビスは淡々と言った。
「消えたんですよ」
「え?」
まだわかっていなかったエマにアビスは再度かみくだいて伝えてくれた。
「魔法が、消えたんです。仮面を取ったからですね」
「あ……」
そうだ、アビスの悪魔の目 は魔法を無効化する悪魔が宿る赤き瞳――。
グミにかかった魔法すら、アビスにかかればそれこそ……魔法のように解けるように消えてしまうのだ。思いもよらない出来事に、エマは全身の力が抜けていくようだった。
「フッ……物語の結末としてはあまりにあっけない。それが私にはお似合いということだ。……それでは失礼します」
そう言って一礼し、アビス・レイザーは白いローブを翻して去ろうとして……いた。が、それができなかったのはエマが強くその腕を掴んだからだった。
「――良かった」
「良かった?」
「魔法が溶けて」
エマは自分の懐から杖を出し、くるくると魔法を解いたようなおどけた演技をした。
「さっきから……キミは何が言いたいんです」
「目が覚めたよ。魔法のグミなんかに頼って、自分の思いを棚上げして……一方的な気持ちを叶えてもらっても仕方ないよねって思ってさ」
キューピッド・グミ。それは一千万個にたった一つの魔法のグミが入っているお菓子。藁にもすがる思いで、叶うかどうかわからない恋のおまじないに頼りたいなど、くだらない。大事な結果は、自分の日々の努力で掴み取り……好きな人は振り向かせないとダメだ。
じゃないと、魔法のようにいつか消えてしまうだろう。ずるをして叶えた恋なんて、きっとそんなものだ。それが代償だ。
「……でもキミはあんなに紙袋いっぱいにこのお菓子を買っていたのは、これが目的だったんですよね?」
「そ、そうだけど……」
「君ももしや『コイ』をしていて、それを叶えたい相手がいるのですか?」
アビスに凛とした声ではっきりとそう問われ、エマはフリーズしそうになった。これって、もしかして。
「?……欲しがるというのはそういうことでは?」
持っていたグミを指さしてアビスは不思議そうに小首を傾げた。
「エマさ……アビスくんに言ったよね?」
「言ったよね、とは?」
「わたしのきもちだよ!」
「気持ちですか……」
やっぱりそうだ――伝わってないわ。鈍さもここまでくるも筋金入りだなとエマは落胆した。
「だ、だから『好きになっちゃった』って……言ったでしょ!」
「それは聞きましたが……」
アビスが全くピンときていない様子を見ると、今度はエマがかみくだいて伝える番のようだ。ここまできたら引き返せない。
「もー! エマは、アビスくんのことが男の子として好きなの! わかる? 恋だよ……恋をしてるの! アナタに!」
アビスは「コイヲシテルノアナタ二」と繰り返した後に、ボンッという音とともに機能停止した。ってかなに今の音。人間からこんな音出るのか……?
「ちょ、ちょっとアビスくん……しっかりして!」
アビスをゆさゆさ揺すってエマは、正気に戻そうとしたがずっとこんな話題ばかりだし、アビスにとって刺激が強かったのかもしれない。手汗も凄かったし、緊張していたのだろう。
エマからすれば、告白した意中の相手にグミを買っているところを見られ、グミの効能を説明した挙句、告白したことが伝わってなくて、もう一度告白させられてるなんて、どんな罰ゲームだという心境であるわけだが――。仕方ない、好きになったのはエマなのだから。グミをポイッと口の中に入れ、咀嚼して飲み込む。やはり、なんの効果も感じられないがそれでいい。
校舎裏にあったすぐ近くのベンチに無理やり座らせ、エマはアビスが自然に充電されるのを待つことにした。
*
「ここは……」
アビスは横ですやすやと眠るエマを見て、あの後どうなったのかを思い出した。自分は立ったまま気絶してしまったのだ。
目を閉じて気持ちよさそうに夢を見るこの子に――恋をしていると言われて。
「……文献で呼んだことがある。確か『恋』とは、するだけではなく、されるものでもあるらしい。さすれば、それが安心して過ごせる場所になり、笑い合えるあたたかい相手にすらたり得ると」
忌み嫌われる自分には関係がないと、さして興味がなく読んでいた一節であったのでアビスの中では特に気にも止めていなかったが、自分の延長線上にこんな未来もあるのだろうかとという考えがよぎる。
「エマ……なぜ君はこんな私を……」
肌寒い陽気ではあるが、照らす日差しはあたたかく。ふわふわと風になびくエマの髪に触れれば、この日差しのように柔らかかった。
「ん〜、アビスくん起きたの?」
「おかげさまで。迷惑かけましたね」
「いんや……大丈夫だよ。エマもお昼寝できて元気いっぱいだし」
アビスは寝起きのエマに、気になっていたことを投げかけた。
「キミなら、もっといい人がいるでしょう」
「なに〜? またどうしてちゃんなの?しょーがないな」
どうしてちゃんとは……。アビスが反論しようとすれば、エマはケラケラとからかうように笑っていて。
「あのね、ほっとけないのアビスくんて。そうやってすぐ自分のこと卑下してさ……。エマはさ、となりでアビスくんが笑ってくれてたらそれで幸せなの。そんで、こーんなカッコよくて素敵な人が彼氏って自慢したい。あ、もし付き合えたらだけどね」
エマはそう言って、優しく微笑んだ。その優しい笑みは自分のささくれだった心さえ包むようなぬくもりがあった。
「それにさ、わたしの気持ちはこのグミの魔法みたいに解けて消えたりしないから。だいたい、よくよく考えればこんなんで好きになられたって嬉しくないし……」
「グミの魔法が解けて消えるって……」
アビスは袋の中に残った色とりどりのキューピッド・グミを見たが、やはり凡庸なグミに変わりはなくて。もちろん、特別なグミだったとしても、自分にかかればさっきのように――これといって特徴のないグミに早変わりしてしまうわけだが。
そんなアビスの思いを知ってか知らずか、エマは「もらうね」と一言言って、アビスが持つキューピッド・グミにさっと手を伸ばし、口の中にひとつぶ放り込んだ。まさかとられるとは思わず、そちらに気を取られていれば、ごくんと飲み込んだエマと目があった瞬間に星がはねるような目配せがキラッと飛んできて。
「ふふん、わたしの恋の魔法はあなたの悪魔の目じゃ消せないぜ? ――覚悟しときなさい」
その彼女の挑発するような仕草といたずらめいたあくまの笑みに……アビスはいずれ、瞳も心も奪われそうなそんな予感がした。
というか……沈思すれば、エマは自分との「恋」を叶えるために、キューピッド・グミを買っていたというのだ。つまり、それはアビスの事が好きだという揺るぎない証拠であり、確固たる愛の証ではないか。
そう思ったら、急にからだが火照るように熱くなって、「恋」をされている自覚が芽生えてきた。というか、目の前のこの子は――。
「アナタ……なぜそんなに平然としてられるんですか」
「どしたの、とつぜん」
「い、色々恥ずかしくはないのかと……」
とてもじゃないが、エマを見ていられずに目を空の方向に逸らせば「あなたが言うなーーーー!!!!」とこれでもかというくらい、思い切り怒鳴られた。
「誰のせいだ! ったく……鈍すぎて……」
「まさか私に『恋』してるとは思わず……」
「それ、恋してる側にあんまり言うことじゃないなあ」
「あ、あ、えっと……」
何を話しても墓穴を掘ってしまいそうだとアビスが考えていれば、エマは「これじゃあアビスくん話せなくなっちゃうね」と苦笑していて。……私の思考が、なぜわかる。
「おや……黙っちゃって図星かい?」
「ず、図星なんかじゃ!」
「可愛いな、むくれないでよ〜」
「……っ、うるさい」
エマにそっぽを向けば、それに対して彼女は不満そうに叫んだ。
「えー! さっきからエマのがダメージ大きいんだけど!? 女の子にここまで恥をかかせているという意味では、反省してほしいな〜」
「そ、それは……ごめんなさい……」
そこを指摘されては謝ることしかできない。頭を下げれば、ぽんぽんとあたまをなでられて。
「あの、ちょっと……」
「謝ってくれたから、よしよししてあげてます」
「私、もうそんな年齢じゃないのですが。こども扱いは……」
そう言いかけてアビスが口をつぐんだのはあたまをなでられるという行為が、あまりにも心地よかったからだった。人にそんなことをされたのはいつぶりだろう。悪魔の目が発現する前の、実の両親が自分のあたまをなでる大きな手――。なぜこんな事を思い出してしまうのだろう。
「アビスくん、顔色悪いけど大丈夫?」
「……すみません、ちょっと色々思い出してしまって」
でも、一定のリズムでなでる自分より小さな手が、アビスに安心をもたらした。もうきっとこの気持ちは……いわゆるもう二文字で表せる感情なんだろう。好き、すき、スキ、たくさんの『すき』に種類があるなんて。
自分と疎遠だと思っていた気持ちに触れ、アビスの中では何かが溢れ出すようであった。これはエマに対してのさっきの方程式の答えが……きっと、それなのだ。でも、表現する術が今のアビスにはない。
「エマ」
「……ん?」
「あ、ありがとう」
「フフッ、どういたしまして」
ようやく自覚したところで、結局のところアベル様の目的の遂行のためには――この感情は邪魔なだけ。そもそも不器用な自分には両立など到底できるわけはない。どちらも同じように大事にできないのが現時点でわかっているのであれば……優先すべきは、自分に価値と居場所を与えてくれたあの方だ。
そう――この子の愛を受け取る資格は今の私にはない。
自分の気持ちに固く蓋をして、慈愛に満ちた眼差しでアビスを見つめるエマに、焦がれるような情を抱きながらアビスはその場のかりそめの時間を謳歌するのであった。
全ては相手を虜にしたいという純粋な愛の気持ち……人は皆、恋の奴隷なのだ。そして――そんな奴隷がここにも一人。レアン寮の一女生徒、エマ・カルネ。
「おば様、三十個くださいな」
この商品は入荷したらすぐ他の生徒に買い占められる商品というのもあって、なかなかお目にかかれない逸品になっている。
「あいよ」
「おば様、いつもこの商品を買い占めているのは一体誰なの? ご存知?」
売店のレジの女性にそれを尋ねれば、首を捻って思い出そうとしてくれていて。そして、自分の頭の中で検索がヒットしたのだろう。顔をパッと明るくしてエマにその人物の名前を告げた。
「アドラ寮のレモン・アーヴィンだね」
「アドラの……」
何年生だろうか。エマに関しては、キューピッド・グミを求め始めた……いや必要になったのは最近という新参者なので、もしかして最初から常連だったというのであれば新入生と決めつけるのは早計と言わざるを得ない。
彼女もまた当たるまで――食べ続けるのだろう。気持ちはわかる。自分の力で掴み取らねばならぬと思っていても、叶うかどうかわからない願掛けに頼りたい、背中を押して欲しい、そんなおまじないにすら縋りたい……乙女なんてそんなものだ。
今日は入っているだろうか。でもまだ、五十袋も食べられていない。一袋二十個入りとしてもまだ千個しか食べていない計算だ。一千万個にたったひとつとは、砂漠からひとつぶの砂を探すよりは早いだろうが、途方もないことに変わりはない。
買い物を済ませて、紙袋いっぱいに入ったグミを抱える。早くグミを確認したい気持ちを抑えながら、エマは思った。
――まさか、自分がこんなモノを買う日が来るなんて。
目を閉じて、意中の相手を想うだけで胸がビートを刻んでどうにかなりそうだ。でも、でも、好きになってしまったのだから仕方ない。
エマの意中のお相手は、あの
―― エマに言わせれば、どちらも愛だ。
石畳を歩きながら、すっかり気を抜いていたエマは後ろから声をかけられることを想定していなかった。
「キミは――いつも、重そうな荷物を運んでいますね」
「えっ、えっ、仮面さん!?」
レアン寮の白いローブを深く被り、フードの下に覗く顔ではなく仮面……がエマをまっすぐと見据えていて。エマの中では、つい慣れなくてまだ仮面をつけている時は「仮面さん」呼びが咄嗟に出てしまうのは余談である。
「今日は落とさなくて済みそうですか?」
急な意中のお相手の登場に困惑し、エマはそれだけで胸が満たされて何を話せばいいかわからなかった。だから、この間のプリントの二の舞にならないか、心配してくれた彼に対しても「大丈夫」としか返せなくて。そもそも、アビスが自ら話しかけてくれたことだけで、嬉しくて頬が緩んでしまう。
傍から見れば、仮面をつけた人間に対してにやにやとする女の子、あやしい構図でしかない。
「それならいい。でも――珍しく、口数が少ないですね。キミらしくない」
それを指摘されて、思い当たる原因はあった。というか、思い当たるというよりもそれが原因だった。
―― エマ、あなたに告白してるんですけど!?
喉まででかかった言葉をグッと飲み込んで、フゥと一つエマは息を吐いた。そもそも……なぜ、返事もよこさず平然としているんだ。エマはアビスに、あれだけはっきり、「好き」と言ったのだ。ひよってしまって、付き合ってとまでは、あの時言えなかったが……。二番目でいいとかいう都合のいい女宣言してしまったし。
話しかけられて嬉しい、でも話せない、今の関係ってどういう関係? そんな気持ちの三重苦に、エマは持っている紙袋に顔を埋めた。パッケージ越しのグミの柔らかい感触が、クッション性を発揮してくれているような、してくれていないような。でもエマはこんな自分の気持ちを知られたくなかった。恋する乙女はわがままなのだ。
だから、別の部分を指摘した。
「だって……仮面さん」
「はい」
「エマの名前全然呼んでくれない」
アビスは自分の仮面に手を当て、首を傾げた。
「……アナタも私を仮面さんと呼ぶでしょう」
「仮面つけてる時だけだもーん。それに呼び慣れちゃったし」
エマの指摘にしばらく黙っていたアビスであったが、やがて仮面を外してこう言った。
「……お、おなごの名前をそう易々とは呼べません」
それは、しどろもどろながらに。もちろん複雑な表情で。――でもその可愛い顔を知っているのはエマだけ、そう! エマだけなのだ。やっぱりうれしい、ずるい。
「アビスくんてさぁ、エマを虜にする達人なの?」
「なんですか、その達人……聞く限り需要がなさそうですが」
「ひどっ! 絶対その言葉、後悔させてやるんだからっ」
そもそも、誰のせいでこんなにたくさん同じお菓子を買って、重い荷物を持っていると思ってるんだ。アナタと結ばれたくて、一千万個に一つの確率で、恋を叶えてくれる魔法のグミを求めて買っているのに……。
「……後悔させてくれるのを楽しみにしていますよ。それでは、失礼します」
アビスはまた仮面をつけて、踵を返し去っていった。多分、嫌われてはないとは思うが、エマが辿り着くまでの道のりは……どうやら、ずいぶんと遠そうだ。紙袋いっぱいに入ったグミがさっきより重たく感じるのは、多分気のせいだ――。
*
エマと別れた後、アビスは一人で考えていた。アビスがいわゆる普通に話せるようになった女子は、エマ・カルネ、ただ一人だけだ。カノジョは普通の女子とは違う。いや、変わり者ではある。だって、忌み嫌われる悪魔の目を持つ自分と積極的に関わろうとするのだから。……でも、自分の求める答えはきっとそれではない。そう、変わり者とは違う――自分の中での別の何かが、その答えを、カノジョを求めている。でも、経験の浅いアビスには、友達の枠を超えたその方程式の答えを導くことは到底できなかった。
モヤモヤした気持ちでアビスが時刻を確認すれば、既に昼を回っていたことに気づいた。ザワザワと辺りが騒がしくなっているのもそのためか。朝食はブラックコーヒーだけと決めているアビスのお腹が空くのも無理はない。
そういえば……前に
「『キューピッド・グミ』ですか……」
何がどうキューピッドかは知らないが、エマがあんな山のように買っているのだからさぞかし美味しいのだろう。そんなにお菓子を買うことはないアビスだったが、少し期待が膨らんだのは事実だった。
ピッと袋を開けて中を覗けば、なんだかキラキラと光っているグミがあるような……?
アビスはそう思い、袋の中でキラキラ光るグミを取り出そうとしたら、その場で大きな声が上がった。
「当たった!」
……当たった? とはなんだ。知らない生徒は、なぜかそこにいるアビス・レイザーを指さして叫んでいる。頭に浮かぶはてなマークも消えないうちに、その場で次々に「すげえ!」「本当にあるんだ」と声が上がっていく。もちろん、声が上がるだけでなくその声に反応して大勢の人間が寄せ集まってくる。
「わ、私の周りに、なぜこんなにたくさんの人が……一体どうして……」
急にできた人だかりの輪の中心で、アビスは当惑していた。アビスの経験上、こんなに人間に囲まれたことは今までに一度もなかった。しかもこんなに歓喜に湧いたような状態で、どうしたらいい。
アビスは――誰か助けてくれ、と願わずにはいられなかった。その思いが通じて、救いの手が差し伸べられるのはこの後すぐの話である。
*
エマはグミでいっぱいになった紙袋をレアン寮の自室に置いて、またイーストンに戻ってきたところであった。
そしてちょうど、お昼時なので今日は食堂で、「アカハラ鳥とモリアオ草のキッシュ」を食べたいと思っていたところであったが――まだアビスの事が離れなくて困っていた。
だって、思い返して見てほしい。アビスは自ら、エマにあんな熱い抱擁を交わしておいて、平然としているのだ。やっていることに対して、進展具合がこれとはエマが報われない。もしや……あれはアビスの中でないものとしてカウントしているのか。そもそも、エマの事を「女子」と認識していない?
――いや、初対面の時然り、今でもビクビクしている時はあることを考えると、それはないか。
これをゲームに例えるなら、いわゆるセーブデータがないことになってしまうのか……はなはだ単純に疑問である。今の関係で十分幸せだと思っていても、考えれば欲はいくらでも出てくるというのが人間というものだ。
悶々と考えながら食堂に向かって歩いていれば、謎の人だかりで前に進めなくなって。「当たりがあったって!」といった興奮した声が飛び交っているが、一体何の騒ぎなのか。その内にいた一人を捕まえて聞く。
「だから、あの幻の魔法のグミだよ! 誰かわからんが当たったらしい」
「うっそ……」
キューピッド・グミ……あの一千万個にたった一つの魔法のグミを引き当てた強運の持ち主がこの輪の中心にいるのか。衝撃でぐらりと揺れた体をもう片方の足で踏ん張って倒れるのは避ける。エマはもう好奇心を止められなかった。この輪の中心の人物を見るまでは――。
「すみません、通してくださいな」
人だかりの輪をかき分けて進めば、その騒ぎを巻き起こしている人物は若干カタカタと震えながら、困り果てたように立っていて。周りの人間に質問攻めにされているところを見ると、何が何だかわからないのだろう。というか、あのレアンのローブにフードの下に仮面って…… エマにとっては見知った人物でしかなかった。
そう、グミが当たったのは―― エマの意中のお相手、アビス・レイザーらしい。
「ちょ、ちょっと仮面さん!?」
「ソ、ソソソ、ソノ声ハ……」
エマの声に気がついたのか、人だかりの中心からアビスは助けを求めて、目で訴えているように見えて。目は口ほどに物を言うとはこのことか。エマはアビスに向かってその手を差し出し、アビスが掴んだのを確認し、エマは「こっち!」と引っ張ってアビスを誘導した。
「カ、カタジケナイ……」
掴んだアビスの手が汗ばんでいたことから、あの状況で相当不安だったのだろうとエマは苦笑して。挙動が不振だったのも頷けるというものだ。
安心させるようにぎゅっとアビスの手を強く握り、エマは校舎裏に向かった。
*
人気のない場所までくると、いくらかアビスは落ち着いたようで、その場でフゥーと息をひとつ吐いた。
「す、すみません。唐突に大勢の人に囲まれて動揺してしまいました。人混みに慣れていないもので……」
「災難だったね……でも、人が集まるのもしかたないだろうね。だって、それは魔法のグミ、『キューピッド・グミ』の当たりなんだもん!」
「当たり……?」
アビスは、手の中のグミを見た。エマも一緒に確認したが、確かにうっすらと魔法のオーラに覆われている。見るからに、ただのお菓子ではなさそうなのは一目瞭然だった。好きな人に「欲しい!」というのは反則な気もするが、正直欲しい。
「……これ、さっきキミがたくさん買っていたお菓子ですよね」
アビスにそれを指摘され、エマはウッと言葉に詰まった。なんか改めてそこを言われると恥ずかしいではないか。
「一体全体、これはなんなんです? 当たりとかなんとか……」
アビスはそもそも「キューピッド・グミ」というお菓子自体を理解していないらしい。エマは、できるだけ淡々と説明するのを意識しながら、説明した。
「知らないんだね……それはね、『キューピッド・グミ』っていうお菓子の中に入っている一千万個にひとつの確率で入っている、魔法のグミだよ。実は、エマもずっと狙っていて……」
チラリと伺うようにアビスを見たが、自分の中で合点がいったことに気を取られているのか、エマの方には一瞥もくれなかった。……くそ、ここまでくるとちょっと悔しい。
「……そういうことでしたか」
そう言って、アビスは仮面を取った。呪われた赤い眼があらわになる。相手の魔法を一時的に無効化する悪魔の目――人々から忌み嫌われるこの目を隠すために彼は仮面をつけているのだった。
「……前に
恐怖をしずめるようにこめかみを押さえ、軽く頭を横に振ったアビスだったが、ふと顔を上げるとエマに聞いた。
「ところで魔法というのは、何の魔法ですか?」
「えっ……あー……」
エマがすぐに答えず、渋ったのが気になったのだろう。すかさず、「教えてください」と追撃してきた。そりゃ、そのせいでこんな事態になってるんだもの。気にもなるよね、とエマは正直に答えた。
「こ、恋が叶う魔法だよ」
その答えに、アビスの顔色が変わる。
「コ、コイ!? というと、お、おなごの……!?」
「別に女の子のだけではないけど……」
「お、おなご……おなご……、おなご? おなご……!!
顔面蒼白でブルブルと震えだしたアビス・レイザーの手を自分のローブの裾で包み込み、エマは声をかけた。
「あ、アビスくん大丈夫!?」
「コ、コイ、コイ、コワイ……」
「恋は怖くないよ! 素敵なものだよ。だから落ち着いて……ね?」
アビスを安心させるように手をさすってやれば、震えは止まったが「私のような呪われたものが恋など……」とアビスは目を隠すように手を添えて、寂しそうに笑った。
そう、アビス・レイザーは魔法を打ち消す|イヴル・アイ《悪魔の目》の持ち主。誰もが魔法を使い、魔法の巧拙で身分の決まるこの世界で、アビスは生まれてきたこと自体が間違いとまでいわれる、忌むべき存在だった。
「実の親にも疎まれている……世間の言う『コイ』などできるわけもない」
「あのね! エマ言ったでしょ、嫌われることに慣れないでって!」
エマの剣幕に顔を上げたアビスは、目を見開いて驚いていて。自分でも顔が真っ赤になっているのがわかるが、なりふり構っている場合ではない。
「恵まれている人だろうが、恵まれていない人だろうが誰かを好きになること……恋という概念の前では人類みな、平等なんですよ! つまりし放題、され放題!」
エマがそう言ってグッとこぶしを握れば、アビスは理解できなかったのかぽかんとした表情でこちらを見つめていて。
「だから、アビスくんも誰かのことを『好き』って気持ちを大事にしていいんだよ」
――だからエマのこと、好きになってくれてもいいよ。
そんなエマの気持ちには全く気づいていない様子で、「好き、すき、スキ……」と繰り返しアビスは呟いていた。そして、アビスは手のひらのグミに目を落とし、何かに気づいたようだった。
「……おや?」
「どーしたの?」
エマもグミに目をやった。あれ?おかしいな。さっき見たときにはキラキラと光る魔法のオーラがあったのに、今は何も見えない。
「ありゃ? これ、普通のグミだね。魔法がかかっているとは到底思えないけど……さっきのが見間違いってことはないよね」
アビスの手からグミを摘み上げ、太陽の光に透かして見るも、やはり何の変哲もないぷるんとした普通のグミだ。首をひねって、うなっているエマにアビスは淡々と言った。
「消えたんですよ」
「え?」
まだわかっていなかったエマにアビスは再度かみくだいて伝えてくれた。
「魔法が、消えたんです。仮面を取ったからですね」
「あ……」
そうだ、アビスの
グミにかかった魔法すら、アビスにかかればそれこそ……魔法のように解けるように消えてしまうのだ。思いもよらない出来事に、エマは全身の力が抜けていくようだった。
「フッ……物語の結末としてはあまりにあっけない。それが私にはお似合いということだ。……それでは失礼します」
そう言って一礼し、アビス・レイザーは白いローブを翻して去ろうとして……いた。が、それができなかったのはエマが強くその腕を掴んだからだった。
「――良かった」
「良かった?」
「魔法が溶けて」
エマは自分の懐から杖を出し、くるくると魔法を解いたようなおどけた演技をした。
「さっきから……キミは何が言いたいんです」
「目が覚めたよ。魔法のグミなんかに頼って、自分の思いを棚上げして……一方的な気持ちを叶えてもらっても仕方ないよねって思ってさ」
キューピッド・グミ。それは一千万個にたった一つの魔法のグミが入っているお菓子。藁にもすがる思いで、叶うかどうかわからない恋のおまじないに頼りたいなど、くだらない。大事な結果は、自分の日々の努力で掴み取り……好きな人は振り向かせないとダメだ。
じゃないと、魔法のようにいつか消えてしまうだろう。ずるをして叶えた恋なんて、きっとそんなものだ。それが代償だ。
「……でもキミはあんなに紙袋いっぱいにこのお菓子を買っていたのは、これが目的だったんですよね?」
「そ、そうだけど……」
「君ももしや『コイ』をしていて、それを叶えたい相手がいるのですか?」
アビスに凛とした声ではっきりとそう問われ、エマはフリーズしそうになった。これって、もしかして。
「?……欲しがるというのはそういうことでは?」
持っていたグミを指さしてアビスは不思議そうに小首を傾げた。
「エマさ……アビスくんに言ったよね?」
「言ったよね、とは?」
「わたしのきもちだよ!」
「気持ちですか……」
やっぱりそうだ――伝わってないわ。鈍さもここまでくるも筋金入りだなとエマは落胆した。
「だ、だから『好きになっちゃった』って……言ったでしょ!」
「それは聞きましたが……」
アビスが全くピンときていない様子を見ると、今度はエマがかみくだいて伝える番のようだ。ここまできたら引き返せない。
「もー! エマは、アビスくんのことが男の子として好きなの! わかる? 恋だよ……恋をしてるの! アナタに!」
アビスは「コイヲシテルノアナタ二」と繰り返した後に、ボンッという音とともに機能停止した。ってかなに今の音。人間からこんな音出るのか……?
「ちょ、ちょっとアビスくん……しっかりして!」
アビスをゆさゆさ揺すってエマは、正気に戻そうとしたがずっとこんな話題ばかりだし、アビスにとって刺激が強かったのかもしれない。手汗も凄かったし、緊張していたのだろう。
エマからすれば、告白した意中の相手にグミを買っているところを見られ、グミの効能を説明した挙句、告白したことが伝わってなくて、もう一度告白させられてるなんて、どんな罰ゲームだという心境であるわけだが――。仕方ない、好きになったのはエマなのだから。グミをポイッと口の中に入れ、咀嚼して飲み込む。やはり、なんの効果も感じられないがそれでいい。
校舎裏にあったすぐ近くのベンチに無理やり座らせ、エマはアビスが自然に充電されるのを待つことにした。
*
「ここは……」
アビスは横ですやすやと眠るエマを見て、あの後どうなったのかを思い出した。自分は立ったまま気絶してしまったのだ。
目を閉じて気持ちよさそうに夢を見るこの子に――恋をしていると言われて。
「……文献で呼んだことがある。確か『恋』とは、するだけではなく、されるものでもあるらしい。さすれば、それが安心して過ごせる場所になり、笑い合えるあたたかい相手にすらたり得ると」
忌み嫌われる自分には関係がないと、さして興味がなく読んでいた一節であったのでアビスの中では特に気にも止めていなかったが、自分の延長線上にこんな未来もあるのだろうかとという考えがよぎる。
「エマ……なぜ君はこんな私を……」
肌寒い陽気ではあるが、照らす日差しはあたたかく。ふわふわと風になびくエマの髪に触れれば、この日差しのように柔らかかった。
「ん〜、アビスくん起きたの?」
「おかげさまで。迷惑かけましたね」
「いんや……大丈夫だよ。エマもお昼寝できて元気いっぱいだし」
アビスは寝起きのエマに、気になっていたことを投げかけた。
「キミなら、もっといい人がいるでしょう」
「なに〜? またどうしてちゃんなの?しょーがないな」
どうしてちゃんとは……。アビスが反論しようとすれば、エマはケラケラとからかうように笑っていて。
「あのね、ほっとけないのアビスくんて。そうやってすぐ自分のこと卑下してさ……。エマはさ、となりでアビスくんが笑ってくれてたらそれで幸せなの。そんで、こーんなカッコよくて素敵な人が彼氏って自慢したい。あ、もし付き合えたらだけどね」
エマはそう言って、優しく微笑んだ。その優しい笑みは自分のささくれだった心さえ包むようなぬくもりがあった。
「それにさ、わたしの気持ちはこのグミの魔法みたいに解けて消えたりしないから。だいたい、よくよく考えればこんなんで好きになられたって嬉しくないし……」
「グミの魔法が解けて消えるって……」
アビスは袋の中に残った色とりどりのキューピッド・グミを見たが、やはり凡庸なグミに変わりはなくて。もちろん、特別なグミだったとしても、自分にかかればさっきのように――これといって特徴のないグミに早変わりしてしまうわけだが。
そんなアビスの思いを知ってか知らずか、エマは「もらうね」と一言言って、アビスが持つキューピッド・グミにさっと手を伸ばし、口の中にひとつぶ放り込んだ。まさかとられるとは思わず、そちらに気を取られていれば、ごくんと飲み込んだエマと目があった瞬間に星がはねるような目配せがキラッと飛んできて。
「ふふん、わたしの恋の魔法はあなたの悪魔の目じゃ消せないぜ? ――覚悟しときなさい」
その彼女の挑発するような仕草といたずらめいたあくまの笑みに……アビスはいずれ、瞳も心も奪われそうなそんな予感がした。
というか……沈思すれば、エマは自分との「恋」を叶えるために、キューピッド・グミを買っていたというのだ。つまり、それはアビスの事が好きだという揺るぎない証拠であり、確固たる愛の証ではないか。
そう思ったら、急にからだが火照るように熱くなって、「恋」をされている自覚が芽生えてきた。というか、目の前のこの子は――。
「アナタ……なぜそんなに平然としてられるんですか」
「どしたの、とつぜん」
「い、色々恥ずかしくはないのかと……」
とてもじゃないが、エマを見ていられずに目を空の方向に逸らせば「あなたが言うなーーーー!!!!」とこれでもかというくらい、思い切り怒鳴られた。
「誰のせいだ! ったく……鈍すぎて……」
「まさか私に『恋』してるとは思わず……」
「それ、恋してる側にあんまり言うことじゃないなあ」
「あ、あ、えっと……」
何を話しても墓穴を掘ってしまいそうだとアビスが考えていれば、エマは「これじゃあアビスくん話せなくなっちゃうね」と苦笑していて。……私の思考が、なぜわかる。
「おや……黙っちゃって図星かい?」
「ず、図星なんかじゃ!」
「可愛いな、むくれないでよ〜」
「……っ、うるさい」
エマにそっぽを向けば、それに対して彼女は不満そうに叫んだ。
「えー! さっきからエマのがダメージ大きいんだけど!? 女の子にここまで恥をかかせているという意味では、反省してほしいな〜」
「そ、それは……ごめんなさい……」
そこを指摘されては謝ることしかできない。頭を下げれば、ぽんぽんとあたまをなでられて。
「あの、ちょっと……」
「謝ってくれたから、よしよししてあげてます」
「私、もうそんな年齢じゃないのですが。こども扱いは……」
そう言いかけてアビスが口をつぐんだのはあたまをなでられるという行為が、あまりにも心地よかったからだった。人にそんなことをされたのはいつぶりだろう。悪魔の目が発現する前の、実の両親が自分のあたまをなでる大きな手――。なぜこんな事を思い出してしまうのだろう。
「アビスくん、顔色悪いけど大丈夫?」
「……すみません、ちょっと色々思い出してしまって」
でも、一定のリズムでなでる自分より小さな手が、アビスに安心をもたらした。もうきっとこの気持ちは……いわゆるもう二文字で表せる感情なんだろう。好き、すき、スキ、たくさんの『すき』に種類があるなんて。
自分と疎遠だと思っていた気持ちに触れ、アビスの中では何かが溢れ出すようであった。これはエマに対してのさっきの方程式の答えが……きっと、それなのだ。でも、表現する術が今のアビスにはない。
「エマ」
「……ん?」
「あ、ありがとう」
「フフッ、どういたしまして」
ようやく自覚したところで、結局のところアベル様の目的の遂行のためには――この感情は邪魔なだけ。そもそも不器用な自分には両立など到底できるわけはない。どちらも同じように大事にできないのが現時点でわかっているのであれば……優先すべきは、自分に価値と居場所を与えてくれたあの方だ。
そう――この子の愛を受け取る資格は今の私にはない。
自分の気持ちに固く蓋をして、慈愛に満ちた眼差しでアビスを見つめるエマに、焦がれるような情を抱きながらアビスはその場のかりそめの時間を謳歌するのであった。