1〜25日目!


「終電、なくなっちゃった」

22:56
スマホの画面に大きく表示された時間。
ちらりと隣の彼を見た。彼もこちらを見ていた。
なァ、どうしたらいいと思う?
高杉。


それは偶然だった。
彼氏と些細な喧嘩をした。今、思えばそんなに怒ることでもなかったかもしれない。それでも、俺はその時腹が立って、もういいと彼の家を出て行ってしまった。
彼は追いかけても来ない。分かっていたけど、少し寂しかった。
俺はゲイだ。男の人しか愛せない。いつからそうだったかとか、なんでとかは今では思い出せない。しかし、そんなこと些細なことだ。
昔は、辛い思いもしたけど、今は彼がいるし、なんの不自由もない。そう、不満なんてないんだ。彼に。
ひんやりとした夜のおかげで、頭がすっきりしたような気がした。少し冷静になった頭で俺はさっきのことを考える。
どうして家出ちゃったんだろう。彼のことに何の不満もないのに。幸せなはずなのに。
俺がどうしても、奴のことを思い出すから。それに腹が立って……それならほぼ八つ当たりみたいなものだ。
彼の家に戻ろう。そして謝ろう。
そう思って、駅に向かう足を止めて、振り返った時。視界の端に奴がいた。
「たか、すぎ?」
「近藤……?」
左目に眼帯をつけて髪で隠した一見怪しい男、高杉が立ち止まり、こちらへ振り向いて応えた。
「どうしたの?知り合い?」と、高杉の向こう側からひょこっと顔を出した女が、彼に聞いていた。俺は、連れがいたことにびっくりして、固まってしまう。
高杉が「知り合いだな」と彼女に言う。「へぇー」と、興味がなさそうに彼女は返事をした。
「どうした、こんなところで」
「え、あ、たまたま通りかかって、その、」
彼氏の家を飛び出してきたとは言いづらくて、言葉を濁してしまう。歯切れの悪い返事に、高杉はそうかと言って、目線を俺から外す。それだけで、なぜか心が痛んだ気がした。
「おい、前のBAR覚えてるだろ」
「え、うん」
「そこで待ってろ。こいつを駅まで送り届けたら、話くらい聞いてやる」
「ええ!」と少し彼女は不満そうだったが、高杉がうるせェと言って、彼女を連れて駅の方へ歩き出した。彼女は高杉の腕にぎゅっと自身の腕を絡めて、いかにもカップルですということを見せつけるかのように体を寄せ、俺の前を通り過ぎた。
冷たい風が心にまで吹いたようで、俺は返事ができなかった。

高杉は、バイであり、俺の元恋人。男でも女でも愛せるなんて、羨ましいよな。
出会いは、高杉がさっき待ってろって言ってたBARで。初対面だったけど話が盛り上がっちゃって、その日のうちに高杉の家に転がり込んで、セックスした。その時はお互いパートナーがいなかったから、そのままお付き合いになったのだ。あの時が、俺の幸せの頂点で、今でも忘れられない。
幸せだったけど、すれ違いが多くなって喧嘩をして、結局別れることになった。あの時は俺も意固地になってたと思う。もう少し言い方ややりようがあっただろうに……と今更思っても、後の祭り。そのままずるずる、今に至る。
チリンチリンと控えめに鳴るベル。着いたBARは、昔のままだった。しかし、久しぶりに入った懐かしさから、キョロキョロと周りを見てしまう。
人はまだらで、席はぽつりぽつりと空いている。客層も老年層をターゲットにしているのか、ゆったりとした雰囲気のお店だ。この空間が俺は好きだった。
カウンターのマスターから、お好きな席にと声をかけられた。マスターも変わっておらず、こちらににっこりと笑いかける。覚えられてるかは分からないけど、少し会釈してから、店の奥にある隅の窓際席に行く。
ここは高杉と出会ってから愛用してる席だった。5階にあるこのBARは窓際だと、人並みと街並みを見下ろせて、退屈しない。
本当に来るかわからない相手を待つには丁度いい。終電までは居ようかなと、自分でも未練がましくて笑ってしまう。俺はマスターにモヒートを頼んだ。

22:55
チリンチリンと後ろからベルが鳴る。
その度に俺は少し後ろを向き、扉の方を見る。何回か繰り返し、ようやく待ち人が来た。
高杉が少し息を切らせて、こちらにやってくる。
「遅かったな」
「なかなかに離れなかったからな、あいつが」
そう言って、高杉は大きなため息を吐き、俺の隣に座った。もう息は切れてなくて、いつもの憎らしいほどの澄ました横顔で、窓を見ていた。それだけなのに、自身の頬に熱が集まるのが分かった。
ああ、やっぱりそうなんだ。
俺、まだ高杉のことが好きなんだな。
でも、だめだ。
もう高杉のことを好きになってはいけない。
俺には彼がいるし、高杉にも彼女がいる。
だから、この思いはそっと閉じ込めて、何もなかったことにしなきゃいけない。そのはずなのに。
「終電、大丈夫か?」
と、高杉が言う。
思い出してしまう。あの時、初めて会った時と同じように言うから。
思い出してしまった。あの時の、自分の浅ましい計画を。

スマホの画面を見た。
22:56
「終電、なくなっちゃった」


本当は知ってるだろ、高杉だって。
まだ終電に間に合うことくらい。
前と、一緒なんだから。
気づいてるだろ、とっくに。
高杉は何も言わずに、俺を見ていた。
俺も、高杉を見つめていた。
先に逃げようとしたのは、俺だった。
「ははは、やっぱ、俺、タクシーでかえ…ん」
逃げようとした言葉は高杉の唇に塞がれて、逃げれなくなった。
触れるだけの優しいずるいキス。
ゆっくり離されるそれに、少し名残惜しいと思ってしまう。
しかし、そこでハッと気づく。ここがBARだったことを。他人がちらほらいる、外の世界だということを。
俺はそっと高杉から距離を置くように、手で制し、顔を逸らした。
「おい外だぞ、ここ」
「知ってる。だからなんだ?」
「なら、見られたらどうなることくらい分かってるだろ」
「ふっ、だから誰からも見られない席にしたんだろ?お前が」
「え?」と、俺は顔を上げて高杉を見た。思ったより顔が近くて、後ろに下がろうとするより先に、高杉が背中に腕を回し、それを制された。
身体と顔に熱が灯る。全てお酒のせいにしてしまって、ここから逃げたい。熱を冷ましたい。しかし、それを許さないかのように、高杉はそのまま続ける。
「客からはここが死角になる。バーテンからは見えるが、あいつらだって暇じゃねェからな、いちいちこっちを見ることがない。分かっててここを選んだんだろ?」
「ち、ちがっ、ここは出会った時と同じ席で……」
「そうだな。だから、あの時から狙ってたんだろ」
ああ、言い逃れができない。
でも、あの時は狙ってたわけじゃない。
たまたま、その噂を知っただけ。
その噂を確かめてこのお店に入っただけ。
そこに、たまたま高杉が来ただけ。
だから、実行した。
それだけの、計画だった。
「今度は選ばせてやるよ、
俺の家に来るか、タクシーで帰るか」
高杉が、自身のスマホを俺にチラつかせる。
心臓が早鐘のように鳴っている。頭の中で警告が鳴っている。
同じ計画あやまちを繰り返していいの?と俺自身が聞いてくる。
それでも、それでも。
ああ、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
でも俺は、手を重ねてそっと高杉にそれを下ろさせた。
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