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プラスチック・シュガー

 僕が今の街へ引っ越してきたのは、十六歳になった年の冬のことだ。父の通勤に便利、という理由で、縁もゆかりもない土地にやってきた。逆に通っていた高校からは離れ、行く気がなくなって翌年の夏に退学した。それから一ヶ月もしないうちに十七歳になり、誕生日の二日後、勝手に人生に絶望した僕は、薬を大量に飲んで自殺未遂をする。三日間昏睡状態になり、一週間集中治療室に入院し、退院して帰宅した。(あたりまえのことではあるけど)そのことにショックを受けた恋人にフラれ、僕はそのことにショックを受けて約八ヶ月ものあいだ引きこもった。
 夏を越え、秋が過ぎ、冬を終え、春になった。このまま腐っていく一方だと思った僕は、駅前のコンビニエンスストアでアルバイトをはじめた。最初は何度も辞めようと思ったけど、適性があったようで次第に仕事が楽しくなり、店の売り上げも良くなった。はじめての給料日には、心配をかけた父に焼き肉をおごった。一通りやることを覚えて、生活は安定した。ほとんど家とコンビニを往復するだけの生活ではあったけど、それなりに充実はしていた。経済的にというよりも、精神的な意味合いが強い。
 暇なときには、あたりを散歩するようになった。引きこもったり、目の前の生活にかまけたりして、まったくといっていいほど自宅周辺の地理を把握していなかったのだ。そして通勤路から離れた道を歩いていた秋の午後、僕はある家を見つけた。

 その家は、僕のうちから歩いて三分ほどのところにあった。
 現代の日本の、しかも住宅街に「廃墟」というものが存在しているのが、不自然でならない。あとになって人が住んでいることを知ったので、厳密に言えば廃墟ではなかったのだけど、普通の一軒家の並びに紛れたそれを見つけたときは、衝撃を受けた。
 草木は伸び放題で、先端が道路にせり出している。建物には蔦なのか何かの枝なのかわからない草がまとわりついていて、ちらちら見えるすすけたスティルブルーの壁面を覆っている。駐車場には、もう絶対に動かないであろう朽ち果てた灰色のメルセデス・ベンツがあった。そしてその周りには、いつのものかわからないゴミ袋がいくつも。かつてはモダンな一軒家だったのかもしれないけど、今は見る影もない。一言でいうと、とんでもないディテールだった。
 おおよそ、人が住んでいるという気配がなかった。ひっそりと、不思議な存在感を放って、その家はそこにたたずんでいた。不謹慎ではあったけど、僕はしばらくのあいだ、その家を少し離れたところから眺めた。もの言わぬ建物は、どこか悲しげな雰囲気を醸し出している。寂れた門についているインターホンを押してみたい衝動に駆られたけど、そこは我慢した。何も起こらないならまだしも、何が出てくるかわかったもんじゃない。
 明るくて気の良いおばさんが出てくるとは、どうしても思えなかった。
 しばらく家の前に立っていたあと、僕は散歩を再開した。その家をさらに先に行ったところにある古民家園の大らかな雰囲気に感心し、その近くにうちから最も近いであろうコンビニを見つけ、廃墟のことを忘れた。帰り道でもう一度その家の前を通りかかったのだけど、その頃にはすでに興味を失っていた。
 その日はそれだけ。この時点で僕の日常に、その家が入り込んでくる要素はなかった。

 ある程度、うちの周りの道を覚えた。それからも散歩はやめず、ときどきその家の前を通りかかることがあった。はじめて行ってからだいぶ経った頃だと思う。
 父と一緒に夕食をとっていたときのことだ。
 引っ越して三年目、通勤にも生活にもすっかり慣れた父は、三年ごとに持ち回りでやってくる町内会の役員をやっていた。児童福祉部の部長になった父は、子どもたち相手のイベントを企画したり(水族館ツアーとかボウリング大会とか)、月に一度ある会合に出席したりして、その面倒臭さを愚痴っていた。
 ただ、恩恵もあった。恩恵と言っていいものかわからないけれど、つまり、町内の人々と密にコミュニケーションをとることで、その地域の情報が入ってくるのだ。これは、引っ越してきてそれほど時間が経っていない僕たちにはありがたいことだった。
 とはいえ僕には直接関係がないことばかりだったので、そのことを意識の外に置いてなにげなく、僕はその話題を口にした。
「近くに廃墟があるよね」
「あれは廃墟じゃなくて、人が住んでるんだよ」
 駅前の弁当屋で買ってきたエビフライ弁当をつつきながら、父は言った。町内会でも、その家は有名だったらしい。
 元々は、夫婦と娘の三人家族が住んでいた。内実はわからないけど傍目には、仲の良い家族だったようだ。町内会の活動にも積極的に関与していたのだけど、あるとき突然旦那さんが病死してしまった。そして奥さんは精神を病み、娘は引きこもりになった。以来誰にも姿を見せることなく、家は少しずつ荒んでいき、現在に至る。とまあ、そういうことだった。すべて又聞きだから、どこまで本当のことかはわからない、と父は付け加えた。
「ふーん」
 と僕は言った。
 興味をそそられないではなかったけど、あくまで他人事として、だった。もちろん僕は奥さんにも娘にも会ったことがなかったし、これからも会うことはないだろう。そのことについて僕にできることはなかったし、またなにかやる必要もない。父がエビフライに無心でかじりつき、この人なんでこんなにエビフライが好きなんだろう、と思ったときには、すでにその家のことは忘れていた。
「万記絵はどうしているかなあ。先週メールが着て、そのときは元気そうだったんだけど」
「それ以来連絡はないの?」
「ない。元気でやってくれていればいいんだけど、あいつのことだからなあ」
「ただれた生活を送っているかもしれないね」
 と、そんな話題になる。万記絵というのは妹のことだ。
 我が家は父子家庭で、父と母は僕が小学校三年生だった冬に離婚した。そのとき万記絵は小学校一年生。原因は色々あったと思うけれど、直接的なのは母がデファッションザイナーという職業を捨てきれなかったことだ。父は母に家庭を守ることを求め、母は父に自分の自由を求めた。まあ、相性が悪かったのだろう。
 万記絵の戸籍はうちに残っている。のだけど、八対二くらいの割合で、彼女は母の家にいることのほうが多かった。理由はふたつある。うちと母の家を行ったり来たりしているわけだけど、それは向こうのほうが通っている高校に近い、というのがひとつ。もうひとつは、母があまり家にいないせいで、拘束が緩いということ。
 高校に入ってすぐのこと。平たく言えば、万記絵はグレた。夜な夜な友達と遊び歩き、煙草を吸い酒を飲むようになった。うちに帰ってくることもあったけど、そのほとんどが寝に帰ってくるか、荷物や着替えをとりにくるか。校則が厳しい高校へ行ったので見た目が派手になった、ということはないのだけど、たまに会って見るその目は荒んでいた。
 ともあれ、彼女にとっては母の家のほうがなにかと都合がよく、あまりうちには寄りつかなくなった。僕は母とも万記絵とも仲は悪くなかったからたまに連絡をとっていたし、万記絵は芯の部分ではしっかりしていると思っていたので、あまり心配はしていなかった。けど、父としてはやっぱり、娘の素行が気になるようだ。
「言っても聞かないしなあ」
 父はそうつぶやき、三本あったエビフライを完食した。「ごちそうさまでした」と言って、軽く頭を下げる。向かい合った僕からは、五十歳にしてようやく白髪の混じりはじめた頭頂部が見えた。僕も日々の小さな悩みがないわけではないけれど、父は父で大変なのだろう。
 僕も自分の弁当を食べ終え、父の分と合わせて容器を水ですすぎ、ゴミ箱へ放り込んだ。テーブルの上に、流しに置いてあった灰皿を置く。二人で煙草を吸う。僕は未成年だったけど、父も母も吸っていたので、誰も何も言わなかった。会社勤めで規則正しく夜の七時半に帰ってくる父と、コンビニで早朝も早番も夕勤も夜勤も入る僕は、基本的に生活リズムが合わない。だからたまにこうやって夕食を共にとり、食後に一服するのは貴重なコミュニケーションの機会なのだ。だからと言って、なにか有意義な話をするわけでもないけど。
「洗濯もの、たたんでおいたから」
 煙草を吸い終わって、父にそう言い、僕は二階にある自分の部屋に戻った。もう少しすると、夜勤のためにコンビニへ行かなければならない。
 
 僕の働いているコンビニは駅前にあって、本屋が併設されているちょっと特殊な店舗だった。そのぶん仕事量が多いので、夜勤は常にふたりで回している。
 その日の相方は進藤さんだった。僕より十歳年上の彼は言うなれば悪友で、煙草を僕に教えてくれたのは進藤さんだったし、仕事のやり方も、そのサボり方も彼から教わった。年上なのに偉ぶるところがなくて、すらりとした痩身と柔和な笑顔という容貌がなんだか話しやすく、アルバイト先で最も仲の良い友人だった。
 仕事量が多いと言っても、入荷する本が普通のコンビニより多いというだけで、人気漫画の単行本発売日のカバー掛けとか、女性誌の発売日に発生する付録付けとか、そういうのがない日は大抵時間が余った。そうすると決まって、進藤さんが漫画のコーナーから適当な本をチョイスしてバックルームで読みはじめるので、そのうちそれにならうようになった。僕らは真面目なコンビニ店員、というわけではなかった。
 僕は店長から本屋部分の担当を任されていたので、発注やら返本やら少しだけ仕事が多かった。そのぶん時給も上げてもらっていたから、特に文句はない。そして時給が上がっているわけでもないのに、気のいい進藤さんは僕の仕事を手伝ってくれる。それで早めにやるべき仕事を終わらせて、おしゃべりしたり漫画を読んだりしてのんびり遊ぼう、というのが彼のスタンスだ。褒められたものではないけど。
 仕事が終わってバックルームに戻ると、二人で漫画を読みはじめた。
 進藤さんは単行本も週刊誌も月刊誌も常にカバーしている大の漫画好きで、面白い漫画があるとそれを僕に教えてくれる。これが大抵の場合面白い。
 だから今日も、進藤さんおすすめの漫画を読みながら過ごしていた。しばらくしてから彼はおもむろにCDプレーヤーを棚から取り出して、自分の持ってきたCDを入れ、再生ボタンを押す。本来はクリスマスなどに店頭で曲を流すためのCDプレーヤーだ。進藤さんはベテランなので、そのあたりはもう好き勝手やっている。
「新しいアルバムができたんだ」
 そう言って進藤さんは、少しだけ恥ずかしそうにはにかんだ。コンビニバイトではなく、バンドマンが彼の本業だ。こうやって新しい曲ができたら聴かせてもらうし、ライブには何度も足を運んだことがある。
 一曲目、イントロのギターが流れはじめる。それからドラムが合流してきて、最後に進藤さんのベースがその音に乗った。そしてはじまるボーカル。
 なんというか、曲はいいのに、歌が残念。ギターの人がボーカルをとっているのだけど、声が変に甲高い。さらに滑舌が悪くて、スピーカーがハウリングを起こしたみたいな音になって、なにを言っているのかわからない。ただ、これがグランジロックなのだ、と言われれば素人の僕にはなにも返せない。そういうものなのか、と思うしかない。疾走感のあるメロディや繊細にいくつも音が重なっている、進藤さんの作った曲は好きなのだけれど、いつも僕は、どうコメントしていいものか迷う。
 で、結局はいつもこう言うのだ。
「いいですね」
 進藤さんはホッとしたようにうなずいて、かかっているCDとはべつの真新しいCDケースを鞄から取り出し、僕に渡してくる。僕は受け取ってから、ジーンズの尻ポケットに入っていた財布を取り出して、五百円玉を進藤さんに渡す。
「いつもありがとう」
 これも大人の付き合いというものだろう。さして高いものではないし。進藤さんは最初、お金をとろうとはしなかった。ただ僕にくれようとしたのだ。けれどそういうわけにもいかない。進藤さんやバンドのメンバーが苦心して、汗水垂らして仕上げたCDなのだ。そしてこれが最も大人の付き合いであるところなのだけど「いらない」とは言えなかった。なので、僕は新しいアルバムができるたび、五百円出して一枚買っている。
 ちょっと耳に馴染まないボーカルが歌う曲をBGMに、僕らは漫画を読んだ。いつものことだけど、駅前の店というのもあって終電を過ぎれば、お客さんの数はぐっと減った。たまに来客を知らせるチャイムが鳴ると、漫画を閉じてレジに向かう。そして近くにある、商品の陳列を直したりして時間を潰す。あまりいい店ではない、という自覚はあった。でも、どこもこんなものだろう、というのもわかっていた。深夜のコンビニのサービスは、全国共通で良くない。はずだ。それでもそれなりには、一生懸命やっている。
 僕はこのとき十八歳で、法律的にも午後十時以降に働ける年齢になっていた。ただ、実のところこの店で、僕は十七歳の頃から夜勤に入っていた。人手不足による当時の店長のアイデアだったのだけど、その頃の時間があってお金のない僕には、文句もなかった。深夜の時給は、日中の勤務より二十五パーセント高い。僕はどちらかというと背が高くてガタイがよく、顔立ちもやや老けていたのでそれが問題になることもなかった。
 そう、僕は十八歳だった。ポール・ニザンに言わせれば「僕は二十歳だった。それが人生のうちでもっとも美しい年齢だなんて、誰にも言わせない」ということだったけど、十八歳だってちっとも美しくなんかなかった。漫画ばっかりではなくて、僕は読書家でもあった。読書家でもあったけど、それでなにかが変わるというわけでもない。他の十八歳はどうだか知らないけれど、先が見えずに、目の前の日々を、ただやみくもに消化している。それなりに楽しくはあったけれど、同じくらい不安だった。
 お客さんの会計を終えて、またバックルームに戻った。椅子に座って漫画を開きながら、進藤さんが言った。
「ナギちゃんはさ」
 進藤さんは僕のことをそう呼んだ。草薙だから、ナギちゃん。安直で罪のないネーミングだ。
「難しく考えすぎだよね、色々と」
「色々ってなんですか?」
「だから色々と。悩まなくていいことで悩んだりしていそうだ」
 僕は難しい顔をしていたのだろうか。先回りして察してくれた進藤さんは優しい笑顔。煙草に火をつけて、僕にもすすめてくる。進藤さんに教わったので、僕の煙草は進藤さんと同じ銘柄だ。
「大丈夫、なるようになるって」
 というのは進藤さんの口癖。話題につまったり困ったりしたときは、満面の笑みでそう言ってくる。沈んでいるとき、何度もこの言葉で気が楽になった。
「そうですかね」
「ナギちゃんは繊細だけど、それって美徳じゃないからね。暗く暗く考えていると、それに支配されて、何もできなくなるよ。人生なんて短いんだから、気楽に考えて、やりたいことをやったほうがいい。絶対」
 今を生きるロックンローラーらしい考え方だな、と思った。僕はロックンローラーではないけど、だからこそ、そういう底の明るい強さに憧れる。
 僕はずっと考えている。なんで生きているのか。なんで生き残ってしまったのか。それを考えているときはもちろん、決まって気分が暗くなった。その考えはいつでもどこでもやってくる。自分の部屋で煙草を吸っていようと、近所を散歩していようと、レジで商品をスキャンしていようと、否応なしに襲いかかってくる。だからといって答えが見つかるわけでもなく、ただ暗くなるだけだ。
 でも、まあ、いいか、と思える。仕事とか、やることがあるときは。
 十八歳で、先が見えなくて、不安で、それでも生きている。とりあえず。

 シフトが夕方までだったので、駅前の本屋を覗いてから帰った。何冊か小説を買って、うちに着いたのは六時前だったと思う。
 珍しく万記絵が家にいた。床に大きな鞄を置いて、リビングで煙草を吸っていた。着替えを取りに来たのだろう。
「おかえりなさい。久しぶり」
 吐いた煙で輪っかを作りながら(得意なのだ)、彼女は言った。
 現在高校一年生。けれど中学の時からの喫煙者なので、その吸いっぷりは僕より堂々としている。いわゆる不良、と分類される人間ではあるけど、不思議なもので学校にはちゃんと通っているらしい。授業も真面目に受けている。けど、僕の中退したところとは違う学校へ進学したので、その学生生活は想像しにくい。
「母さんは元気?」
「元気だよ、あんまり会わないけど。あれだね、うちの家族ってけっこう特殊だね。べつにみんな仲は悪くないのに、滅多に会わない。まあそもそも、家族として成立しているかも微妙だけど。豊は?」
「元気だよ、バイトばっかりだけど。うちが変なのなんて、今にはじまったことじゃない」
 どう表現していいかわからないけど、うちの家族(元家族?)の仲は悪くない。かつてはいがみ合って別れた父と母も、今では年に一回か二回、四人揃って食事をするようになった。それぞれが独立した生活を送っているけれど、たまには会う。それは僕にとっても、決して気分の悪いことではない。
 僕も万記絵の向かい側に座って、煙草に火をつける。他にコミュニケーションの方法を知らないのかと言うくらい、うちの人間は煙草を挟まないと会話にならない。べつにそれを問題だとは思わないけど、人間としては偏っていると思う。ニコチンが身体に染みわたって、椅子の背もたれに深く体重をかける。
 ところで、万記絵の遊ぶ金は、どこから出ているのだろうか。
「お前、バイトしてるの?」
「してるよ。あのね、百円ショップでパンツを買うでしょ、それをそのままある種のお店に持っていくと、五千円で買い取ってくれるの。もう、ボロ儲け」
「それは、バイトとは言わない」
 バイトとは言わないけど、とりあえず自分の金は自分で稼いでいるようだ。万記絵は母に似てちょっとクセのある顔立ちだけど、全体的な見た目は悪くない。残念ながら、彼女の(履いたと思われる)パンツにはそれなりの需要があるのだろう。兄としては、あまり想像したくないけど。
 夜な夜な街で遊び歩き、家には帰らないわりには、彼女にはある程度の良識が備わっている。校則で禁止されているはずのピアスや濃いめの化粧はともかくとして、それほど服装も崩れてはいないし、言葉遣いだって汚くはない。だからなぜ不良行為に走るのかと、むしろそちらのほうが不思議だった。この夏、花火大会の屋台が並ぶ人だらけの通りに、爆竹を投げ込み補導され、父が警察署まで向かえに行ったことを思い出す。どうしてそんなことをするのかと父が聞いたら「寂しかった」と答えたという。なぜ寂しいことと爆竹の着火が結びつくのかはわからなかったけど、たしかに人間は誰だって孤独を抱えている。
 万記絵は万記絵なりに。僕だって僕なりに。
「豊、コーヒー飲む?」
 僕がうなずくと、万記絵はキッチンに立った。リビングとキッチンは隣接している。母も含めて、うちはみんなコーヒー党。と言っても豆から挽くようなことはせず、基本的にはインスタントで済ませる。お湯を沸かし、コーヒーの粉末をマグカップに入れ、それらを合体させる。
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