サークル『まぐかっぷ』の舞台裏
※※※
私にとって彼女は、お兄さんのような、お姉さんのような…友達というよりは、そう言った方が近い気がした。
「えっ、うちの姉の方が、アナタより年下だよ?」
彼女の弟さんにそう言われた時に、そう言えばそうだったと気がつく。
でも、だからと言って、彼女が弟というか、妹というか…とにかく、被保護者だとは思えなかった。
自分がドジで大人気ない自覚はあるけれど、彼女にはいつも助けられてばかりで…得意の術で多少助けられてはいるかもしれないけれど、頼ってもらえるとは思えない。
でも、それに不甲斐なさを感じることはあまりなくて…むしろ、彼女を頼れる環境に、私は安心しているのだろう。
そばにいられるだけで、なんとなく心強くて、落ち着く…でもそれは、彼女がいつも通り、元気な時だけで…。
「ど、どうしたんですか、その怪我」
「いや、ちょっとしくじっちゃって…大したことはないんだけど」
「上がって下さいすぐに手当しますから」
急に夜中に訪ねてきたと思ったら、彼女は利き手の手袋に、真っ赤な血を滲ませていた。
クワワ陛下の下で進軍した経験がなければ、慌てるだけで何もできなかったかもしれない。
それでも、仲間の怪我を嫌というくらい見てきた私は、一呼吸の後落ち着いて、救急医療セットを取り出すことができた。
「いや、君を頼っておいてなんだけど、本当に大したことはないんだ」
「どこがですか術で無理やり塞ぐと、痕が残ります。ちゃんと治療しますから、大人しくしてて下さい」
「…うん、ごめん。ありがとう」
素直にそう言ってくれる辺りは、あの色男さんよりずっと優しい。
軽く術をかけて、軟膏薬を塗り込んでいるその手は…どんなに鍛えていても、紛うことなく女性の手だけれど、私はこの細い腕に、どれだけ助けてもらったのだろう。
「例の研究、進んでる?」
「はい、おかげさまで。でも、まだまだ時間はかかりそうです」
「そっか。捗ってるようでなによりだけど…それが終わるまで、君はアバロンに居るんだろう?だったら、もっとゆっくり進めてもらいたいものだな」
「そう、ですね。私もすぐには帰りたくないです」
陛下が"亡くなられて"から、もうあの頃の私たちではいられなくなった。
遊撃隊の人達と顔を合わせることもなくなって、みんなそれぞれの道を歩いていて…私は、アバロンの術研に研究員として留まっている。
彼女が、今具体的に何をしてるのか、聞くつもりはないけれど…時々こんな怪我をしていると、どうしても心配してしまう。
「…はい、できました。包帯、きつくないですか?」
「大丈夫だよ、ありがとう」
術も併用したから、痛みはないはずだけれど…彼女はまだ、どこか辛そうだった。
きっと、疲れているのだろう。
「ゆっくりしてて下さい。これ、片付けてきますから」
そう言って立ち上がって、私は一度部屋を出た。
沸かしかけのお湯がちょうど良く沸騰していたところで、2人分のお茶を、淹れて持って行くと…彼女は珍しく、無防備にソファに寄りかかって、目を閉じていた。
よっぽど、大変なことがあったのだろう。
「これ、良かったらどうぞ。多少は薬効のあるお茶ですから…」
カップをテーブルに置いて、私は彼女の隣に座った。
優しい香りのするお茶を、少し口に含んで…ほんの少し、苦すぎたかもしれない。
「ねぇ、ティル」
「なんですか?」
「…キスしていい?」
「えっ…」
思わずそちらを振り返ったその時。
私の唇に、柔らかいものが触れた。
ほんの一瞬のことだった。
思わず見開いた目には、柔らかい濃紺の髪しか映らない。
…まともに口が動いたのは、たっぷり数十秒経ってからだった。
「ず、ズルイですしていいかって訊いて、なんで返事も待たずにそういうことするんですか」
「密偵相手にズルイとか、誉め言葉でしかないよ」
それは、いつも通りの彼女の口調だったけど、やっぱりどこか力がない。
笑っているけど、どこか儚げで…なんだか、とても寂しく思えた。
唇を奪われた…とても重大な事件な気がするけど。
何故か、多少落ち着いたところで、憤ることも、怒ることもできなかった。
「…あの」
「ん?」
「誰にでもするんですか、こんなこと」
そんな風に言ったつもりはなかったけど、少し恨みがしく聞こえたかもしれない。
彼女はそれを気にする風でもなく、「まさか」と目を閉じて笑った。
「君は特別だよ。正直に言えば、君が2人目」
「なんのですか?」
「僕が自分からキスした人。1人目はコウジュ姉様」
あんな立派な人と、貴女の中では同格なんですか?私は。
そう聞きたかったけれど、なんだか悔しくなって、言えなかった。
彼女が私のなんなのか、説明できないけれど…兄でも姉でも、弟でも妹でもないのは、間違いない。
助けてくれて、助けたくて、守ってくれて、守りたい…ただそれだけの、何に例える必要もない関係なのだろう。
「私は…初めてです、今のが」
「ノーカウントで良いよ、僕とのキスなんか」
「いいえ、私のファーストキスは、貴女が奪っていきました。これは純然たる事実です」
私がそう言い切ると、彼女しばらく押し黙って…急に、いつものように破顔した。
「…参ったな。どう責任取ろう」
「とりあえず、今日はちゃんと休んで下さい。これ以上の追求は、明日以降にします」
「…わかった。そうするよ。でも、その前に…」
包帯で包まれた手が、スッと私の頬に触れて、私と彼女の視線が交わる。
「今ここで、君のセカンドキスも奪って良いかな?」
※※※
私にとって彼女は、お兄さんのような、お姉さんのような…友達というよりは、そう言った方が近い気がした。
「えっ、うちの姉の方が、アナタより年下だよ?」
彼女の弟さんにそう言われた時に、そう言えばそうだったと気がつく。
でも、だからと言って、彼女が弟というか、妹というか…とにかく、被保護者だとは思えなかった。
自分がドジで大人気ない自覚はあるけれど、彼女にはいつも助けられてばかりで…得意の術で多少助けられてはいるかもしれないけれど、頼ってもらえるとは思えない。
でも、それに不甲斐なさを感じることはあまりなくて…むしろ、彼女を頼れる環境に、私は安心しているのだろう。
そばにいられるだけで、なんとなく心強くて、落ち着く…でもそれは、彼女がいつも通り、元気な時だけで…。
「ど、どうしたんですか、その怪我」
「いや、ちょっとしくじっちゃって…大したことはないんだけど」
「上がって下さいすぐに手当しますから」
急に夜中に訪ねてきたと思ったら、彼女は利き手の手袋に、真っ赤な血を滲ませていた。
クワワ陛下の下で進軍した経験がなければ、慌てるだけで何もできなかったかもしれない。
それでも、仲間の怪我を嫌というくらい見てきた私は、一呼吸の後落ち着いて、救急医療セットを取り出すことができた。
「いや、君を頼っておいてなんだけど、本当に大したことはないんだ」
「どこがですか術で無理やり塞ぐと、痕が残ります。ちゃんと治療しますから、大人しくしてて下さい」
「…うん、ごめん。ありがとう」
素直にそう言ってくれる辺りは、あの色男さんよりずっと優しい。
軽く術をかけて、軟膏薬を塗り込んでいるその手は…どんなに鍛えていても、紛うことなく女性の手だけれど、私はこの細い腕に、どれだけ助けてもらったのだろう。
「例の研究、進んでる?」
「はい、おかげさまで。でも、まだまだ時間はかかりそうです」
「そっか。捗ってるようでなによりだけど…それが終わるまで、君はアバロンに居るんだろう?だったら、もっとゆっくり進めてもらいたいものだな」
「そう、ですね。私もすぐには帰りたくないです」
陛下が"亡くなられて"から、もうあの頃の私たちではいられなくなった。
遊撃隊の人達と顔を合わせることもなくなって、みんなそれぞれの道を歩いていて…私は、アバロンの術研に研究員として留まっている。
彼女が、今具体的に何をしてるのか、聞くつもりはないけれど…時々こんな怪我をしていると、どうしても心配してしまう。
「…はい、できました。包帯、きつくないですか?」
「大丈夫だよ、ありがとう」
術も併用したから、痛みはないはずだけれど…彼女はまだ、どこか辛そうだった。
きっと、疲れているのだろう。
「ゆっくりしてて下さい。これ、片付けてきますから」
そう言って立ち上がって、私は一度部屋を出た。
沸かしかけのお湯がちょうど良く沸騰していたところで、2人分のお茶を、淹れて持って行くと…彼女は珍しく、無防備にソファに寄りかかって、目を閉じていた。
よっぽど、大変なことがあったのだろう。
「これ、良かったらどうぞ。多少は薬効のあるお茶ですから…」
カップをテーブルに置いて、私は彼女の隣に座った。
優しい香りのするお茶を、少し口に含んで…ほんの少し、苦すぎたかもしれない。
「ねぇ、ティル」
「なんですか?」
「…キスしていい?」
「えっ…」
思わずそちらを振り返ったその時。
私の唇に、柔らかいものが触れた。
ほんの一瞬のことだった。
思わず見開いた目には、柔らかい濃紺の髪しか映らない。
…まともに口が動いたのは、たっぷり数十秒経ってからだった。
「ず、ズルイですしていいかって訊いて、なんで返事も待たずにそういうことするんですか」
「密偵相手にズルイとか、誉め言葉でしかないよ」
それは、いつも通りの彼女の口調だったけど、やっぱりどこか力がない。
笑っているけど、どこか儚げで…なんだか、とても寂しく思えた。
唇を奪われた…とても重大な事件な気がするけど。
何故か、多少落ち着いたところで、憤ることも、怒ることもできなかった。
「…あの」
「ん?」
「誰にでもするんですか、こんなこと」
そんな風に言ったつもりはなかったけど、少し恨みがしく聞こえたかもしれない。
彼女はそれを気にする風でもなく、「まさか」と目を閉じて笑った。
「君は特別だよ。正直に言えば、君が2人目」
「なんのですか?」
「僕が自分からキスした人。1人目はコウジュ姉様」
あんな立派な人と、貴女の中では同格なんですか?私は。
そう聞きたかったけれど、なんだか悔しくなって、言えなかった。
彼女が私のなんなのか、説明できないけれど…兄でも姉でも、弟でも妹でもないのは、間違いない。
助けてくれて、助けたくて、守ってくれて、守りたい…ただそれだけの、何に例える必要もない関係なのだろう。
「私は…初めてです、今のが」
「ノーカウントで良いよ、僕とのキスなんか」
「いいえ、私のファーストキスは、貴女が奪っていきました。これは純然たる事実です」
私がそう言い切ると、彼女しばらく押し黙って…急に、いつものように破顔した。
「…参ったな。どう責任取ろう」
「とりあえず、今日はちゃんと休んで下さい。これ以上の追求は、明日以降にします」
「…わかった。そうするよ。でも、その前に…」
包帯で包まれた手が、スッと私の頬に触れて、私と彼女の視線が交わる。
「今ここで、君のセカンドキスも奪って良いかな?」
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